まほろば便利屋 第2話
「幽霊?」
真琴は思わず聞き返した。
夕暮れの商店街。スーツ姿の男は、何度もうなずいている。
「本当なんです! 夜になると誰もいないはずのオフィスからタイピング音がして……!」
「へえ」
蒼士は驚いた様子もなく相槌を打った。
「しかもコピー機まで動くんです! 昨日なんて、“提出期限厳守”って紙が勝手に印刷されて……!」
「うわ、社畜の亡霊だ」
ひよりが真顔で言った。
「成仏してくれ……」
「茶化さないでくださいよぉ!」
男は半泣きだった。
話を聞くと、男の名前は坂巻拓也。商店街近くの小さな広告会社に勤めているらしい。
社員が次々残業を嫌がり、最近では夜になる前に全員帰宅するようになったとか。
「でも締切は待ってくれないんです……!」
「世知辛いな」
蒼士は腕を組む。
「で、依頼内容は?」
「幽霊を何とかしてください!」
「了解」
「軽っ!?」
真琴がツッコむ。
蒼士はいつもの調子で歩き出した。
「じゃ、現場行くぞ」
「今から!?」
「幽霊って大体夜出るだろ」
「理屈は分かるけど!」
十分後。三人は雑居ビルの前に立っていた。
二階にある『オフィス・クリエイト坂東』という看板だけ、電気がついていない。
「……なんか普通だな」
真琴が呟く。
「怖い場所って、案外普通なんだよ」
蒼士はそう言って階段を上がった。
ギィ、と古い扉が開く。中は典型的な小規模オフィスだった。
デスクが六つ。観葉植物。ホワイトボード。そして大量のエナジードリンク。
「床に転がる栄養ドリンクがリアルすぎる」
ひよりが引いている。
「ここで音が?」
「は、はい……毎晩十時くらいに……」
時計を見る。九時五十分。
「じゃあ待つか」
蒼士は勝手に椅子へ座った。
「えぇ……」
真琴は落ち着かない。
そもそも幽霊なんて信じていない。だが、もし本当に出たら。そう考えると少し背筋が寒い。
十時ちょうど。
──カタ、カタカタ。
「!」
音がした。オフィスの奥で、キーボードを叩く音が、誰もいないデスクから聞こえてくる。
「ひっ……!」
坂巻が蒼白になる。真琴も喉が乾いた。
だが、音は止まらない。
カタカタカタカタ。
まるで誰かが必死に仕事をしているみたいに。
その瞬間。
ウィィン。
コピー機が動いた。
「うわぁ!?」
紙が一枚、吐き出される。その紙をひよりが拾い上げた。
「なになに……“会議中 進んでいくのは 時間だけ”」
「社畜川柳!?」
「しかも妙に上手い!」
坂巻は今にも泣きそうだった。
「やっぱり幽霊じゃないですかぁ!」
だが蒼士は、じっと奥の席を見ている。
「……なるほど」
「え、分かったのか?」
「ああ」
蒼士は立ち上がると、迷いなく窓際へ向かった。
カーテンを開ける。すると。
「……あ」
窓が少し開いていた。
そこから夜風が吹き込み、積まれた書類が揺れている。その振動で、キーボードに立てかけられていたペンが接触していた。
「……これがタイピング音?」
「多分な」
さらに蒼士はコピー機を開けた。
中から、一枚の紙切れを取り出す。
「コピー予約機能。誰かが昼間に設定したままだ」
「…………」
坂巻がゆっくり口を開く。
「つまり……」
「ただの操作ミス」
「うそぉぉぉぉ!?」
真琴は思わず笑ってしまった。あまりにも拍子抜けだったからだ。
だが、その時。
カタ──。
今度は別の音がした。
全員が止まる。
オフィスの一番奥。誰もいない席のパソコン画面が、ふっと点灯した。
そこに表示された文字。
『まだ帰れない』
「…………」
真琴は静かに思った。
──これ、操作ミスじゃなくない?
「……いや待て待て待て」
真琴は後ずさった。
パソコン画面には確かに表示されている。
『まだ帰れない』
怖い。普通に怖い。
坂巻に至っては半分魂が抜けていた。
「で、でででで出たぁ……!」
「落ち着け」
蒼士は妙に冷静だった。
「まず確認」
「何を!?」
「日本語かどうか」
「そこから!?」
蒼士は普通にパソコンへ近づく。
真琴は止めようとした。
「いや危なくないのか!?」
「幽霊がパソコン使うなら、少なくともITリテラシーはある」
「判断基準がおかしい!」
蒼士はキーボードを軽く触った。
すると画面が切り替わる。メールソフトだった。しかも開きっぱなし。
「あー」
「何だよ」
「自動送信の下書き」
「は?」
蒼士は画面を指差した。
『まだ帰れないので、企画書は明日提出します』
入力途中の文章だった。
表示が途中で切れていただけらしい。
数秒の沈黙。
「…………」
ひよりがぽつりと言った。
「めちゃくちゃ恥ずかしいオチだったね」
坂巻は床に崩れ落ちた。
「俺たち何を怖がってたんだ……」
「人類そんなもん」
蒼士はあっさり言う。
真琴は脱力した。
さっきの緊張を返してほしい。
「でも、これで解決か」
「いや」
蒼士はオフィスを見回す。
「根本的には解決してない」
「え?」
「この会社、労働環境やばいだろ」
全員が黙った。
床には空き缶。机には栄養ドリンク。
ホワイトボードには、こう書かれていた。
『締切まであと3日』
しかも赤字。
「……まあ、忙しくはあります」
坂巻が目を逸らす。
「残業どれくらい?」
「えっと……最近は終電くらいで……」
「休みは?」
「先月は二日」
「ブラック!」
真琴とひよりの声が重なった。
蒼士はため息をつく。
「幽霊より先に労基が来るぞ」
「すみません……」
何故か坂巻が謝った。
その時だった。
ぐうううう。
静かなオフィスに腹の音が響く。
「あ」
坂巻が真っ赤になる。
「……夕飯、まだか?」
蒼士が聞いた。
「はい……」
「ひより」
「了解」
ひよりは慣れた様子でスマホを取り出した。
「商店街の中華屋、まだ開いてるはず」
二十分後。
オフィスには、湯気の立つチャーハンと餃子が並んでいた。
「うまっ……!」
坂巻が涙目で食べている。
「三日ぶりにまともな飯だ……」
「その生活やめろ!」
真琴は本気で引いた。
蒼士は椅子にもたれて言う。
「人間、睡眠と飯が足りなくなると、大体幽霊見るからな」
「経験談?」
「昔ちょっと」
さらっと重そうなことを言った。
だが真琴が聞き返す前に、蒼士は話題を変える。
「真琴、お前チャーハン食うの速いな」
「育ち盛りだから」
「男子高校生って燃費悪いよね」
ひよりも餃子を頬張る。
気づけば、さっきまでの恐怖は消えていた。
オフィスには笑い声がある。坂巻も少し元気を取り戻していた。
「……ありがとうございます」
ぽつりと彼が言う。
「幽霊騒ぎだけじゃなくて、なんか色々救われました」
蒼士は軽く肩をすくめた。
「便利屋だからな」
帰り道。夜風が気持ちよかった。
真琴はふと思う。
この仕事は、ただの雑務じゃない。困ってる誰かを、少し楽にする仕事なんだ。……まあ今日は、ほぼチャーハン食べに来ただけな気もするが。
「で、明日も来るよな?」
蒼士が聞いた。
「……まあ」
「よし。じゃあ朝七時集合」
「は?」
「海」
「海?」
「次の依頼、漁師だから」
真琴は空を見上げた。
──この便利屋、仕事内容の幅が広すぎる。
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