まほろば便利屋 第1話
海沿いにある小さな町、潮見町には、妙な便利屋がある。
商店街のはずれ、古びた喫茶店の二階。看板には達筆すぎて読めない字で『まほろば雑務請負所』と書かれていた。
「……読めん」
高校二年生の朝倉真琴は、今日も看板を見上げてそう呟いた。
「だから言ってるじゃん。“まほろば”だって」
後ろから声が飛ぶ。
振り返ると、同級生の柚木ひよりが呆れ顔で立っていた。片手にはコンビニ袋。中から肉まんの匂いがしている。
「真琴、今日バイト初日なんだから遅刻しないでよ」
「いや、俺まだ正式に働くって言ってない」
「昨日、家賃払えないって泣いてたじゃん」
「泣いてない。あれは目にゴミが入っただけ」
「財布の中もゴミみたいな額だったけど?」
ぐうの音も出ない。
真琴は観念して、ギシギシ鳴る階段を上った。二階の事務所は、想像以上にカオスだった。
古い木棚。山積みの書類。観葉植物。招き猫。何故か壁に貼られた巨大なタコの写真。
そして、その中央。こたつに入ったままみかんを食べている男がいた。
「お、来たか新人」
年齢不詳。黒髪ぼさぼさ。ジャージ姿。
だが顔だけは妙に整っている。
「所長の九条蒼士。二十八歳。独身。彼女募集中」
「最後の情報いる?」
「大事だろ。人生設計に関わる」
蒼士は真顔だった。
真琴は小声でひよりに聞いた。
「……この人、本当に大丈夫なのか?」
「腕は確か。生活能力は終わってる」
「聞こえてるぞー」
蒼士はみかんを投げてきた。反射的にキャッチしてしまう。
「ナイス」
「いや何これ」
「採用試験」
「軽っ」
その時、入り口のベルが鳴った。
小柄なおばあさんが、ぺこりと頭を下げる。
「あのぉ……依頼をお願いしたくて」
蒼士が姿勢を正した。
さっきまでだらけていた空気が、一瞬で変わる。
「どうぞ。まほろば便利屋、どんなお困りごとでも承ります」
おばあさんは困ったように笑った。
「実は、うちの猫が帰ってこなくて……」
十分後。
「よし、猫探しだ」
「便利屋ってそんな感じなんだな」
「まあ八割そんな感じ」
外は小雨だった。
商店街のアーケードを抜け、三人は住宅街へ向かう。
依頼主のおばあさん曰く、猫の名前は“だいふく”。
白くて丸いから、らしい。
「絶対太ってるだろその猫」
「写真あるよ」
ひよりがスマホを見せてくる。
「……思った三倍だいふくだった」
ほぼ餅だった。
真琴は少し笑った。
すると蒼士が横目で言う。
「お前、最近ちゃんと笑ってなかったな」
「え?」
「いや別に」
蒼士はそれ以上言わなかった。
だが、不思議だった。初対面のくせに、妙に人を見る。
「所長ー!」
ひよりが路地を指差した。
植木鉢の並ぶ塀の上。白い塊がいた。
「いた」
「早っ」
だいふくは三人を見下ろした。
「にゃあ」
と鳴いたあと、逃げた。
「待てコラー!」
雨の商店街を、三人は全力で駆け出す。
八百屋のおじさんが笑う。
「また九条んとこか!」
「猫は右だー!」
「情報感謝!」
蒼士が片手を上げた。
真琴は走りながら、少しだけ思った──悪くないかもしれない。
この町も、この便利屋も。そして、退屈じゃない毎日も。
逃げる猫は速い。特に太っていても速い。
「なんであの体型であんな俊敏なんだよ!」
真琴は息を切らしながら叫んだ。
だいふくは商店街を縫うように走っていき、魚屋の前を抜け、クリーニング店の看板を飛び越え、最後にはパン屋の軒先へ着地した。
「おおー」
周囲のおばちゃんたちが拍手している。
「大道芸みたいになってる!」
ひよりが笑った。蒼士だけは冷静だった。
「真琴、右回れ。ひよりは裏手」
「え、俺!?」
「新人だからな」
「雑!」
とはいえ、言われた通り動く。
だいふくはパン屋の裏路地へ飛び込んだ。
真琴も追いかける。だが曲がった瞬間。
「うわっ!?」
足を滑らせた。
雨で濡れた地面に盛大に転ぶ。
「痛っ……」
最悪だ。制服は泥まみれ。膝も擦れた。
しかも視界の先では、だいふくがこちらをじっと見ている。
「お前……助けろよ」
「にゃー」
完全に他人事の顔だった。
その時、だいふくが、急に真琴へ近づいてきた。
「……え?」
猫は真琴の足元を一周すると、ぽすん、と膝の上に座った。
「は?」
「捕まえたー!」
ひよりが飛び込んできた。
「いや何で!?」
「真琴、動物には好かれるタイプなのかも」
蒼士も後から歩いてくる。
「そんなことある?」
「知らん。でも懐かれてる」
だいふくは喉を鳴らしていた。
完全にくつろいでいる。
「さっきまで全力疾走だったのに……」
「猫って気分屋だからなあ」
蒼士はしゃがみ込むと、真琴の膝を見た。
「擦りむいてる」
「これくらい平気」
「消毒はしろよ。あと破傷風は地味に怖い」
「急にちゃんとしてる」
「普段どう見えてるんだ俺」
「ダメ人間」
「ひより」
「事実だし」
蒼士はため息をついた。だが少し笑っていた。
そのまま三人は、だいふくを抱えて依頼主の家へ戻る。
おばあさんは猫を見るなり泣きそうな顔になった。
「だいふくぅ……!」
「にゃあ」
だいふくは一瞬だけ返事をし、そのまま腕の中で丸くなる。
「本当にありがとうございました」
何度も頭を下げるおばあさんに、蒼士は軽く手を振った。
「困った時はまたどうぞ」
帰り道。
雨はすっかり止んでいた。商店街には夕方のオレンジ色が差している。
「で、どうだった?」
蒼士が聞く。
「何が」
「初仕事」
真琴は少し考えた。
たかが猫探し。なのに、変に充実していた。
誰かに感謝されるのも、久しぶりだった。
「……まあ、思ったより悪くなかった」
「お、デレた」
「デレてない」
「じゃあ明日も来る?」
「……まあ、家にいても暇だし」
蒼士がにやっと笑う。
「採用」
「え、今ので!?」
「うち人手不足なんだよ」
「雑すぎるだろこの職場!」
その時だった。
商店街の向こうから、誰かが走ってくる。
「九条さん!」
スーツ姿の若い男だった。
顔面蒼白である。
「助けてください……!」
蒼士の表情が変わる。
「何があった?」
男は震える声で言った。
「うちの会社……幽霊が出るんです」
真琴は思った。
──今、何て?
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