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キャラ文芸短編集  作者: 倉木元貴


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忘れもの預かり処 第11話

 切符を見つめたまま、風待は動かなかった。

 古びた紙。二十二年前の日付。行き先は東京。そして、裏側に書かれた文字。

 ──冬香は、東京にいる。


「……本当に、余計なことをする猫だね」


 遥が言うと、猫は知らん顔で毛づくろいを始めた。


「風待さん」


「はい」


「東京に行くの?」


「分かりません」


「今度の『分かりません』は、ちょっと違う気がする」


 風待は切符を指で撫でた。


「行きたい、とは思っています」


「じゃあ、行けばいいじゃん」


「簡単に言いますね」


「だって、二十二年間探してたんでしょう?」


「そうですが……」


 風待はそこで言葉を止めた。


「怖いんです」


 遥は黙った。


「もし、本当に冬香がいたら」


「うん」


「私は、何を言えばいいのでしょう」


「……」


「『久しぶり』なのか。『ごめん』なのか。それとも──」


 風待は切符を握った。


「『どうしていなくなった』と聞くべきなのか」


「それは、会ってから考えればいいんじゃない?」


「会ってから?」


「うん」


 遥は笑った。

「会う前に全部決めなくてもいいよ」


 風待は少し考えて。


「……そうですね」


 と答えた。


 ♢♢♢


 その日の午後。店に一人の女性がやってきた。三十代半ばくらいで黒いワンピースを着ていた。

 髪を後ろで一つにまとめている。


「ここが……」


 女性は店内を見回した。


「忘れもの預かり処ですか?」


「はい」


 風待が答える。


「何をお預けでしょう?」


 女性は鞄から、小さな箱を取り出した。手のひらに乗るほどの木箱。


「これです」


 遥が覗き込む。


「中身は?」


「開けられません」


「鍵がないんですか?」


「あります」


 女性は小さな鍵を見せた。


「でも、開けたくないんです」


 風待は箱を受け取った。


「なぜです?」


「父の遺品です」


「……」


「父は先月亡くなりました」


 女性は椅子に座った。


「生前、何度もこの箱を捨てようとしていたんです」


「それを、あなたが?」


「はい」


「どうして?」


「気になったから」


 女性は少し笑った。


「でも、父が死んだあと、怖くなって」


「何が入っているか?」


「それもあります」


 女性は箱を見る。


「父が、最後まで捨てられなかったものが何なのか知るのが怖いんです」


 風待は頷いた。


「分かりました」


「預かってくれますか?」


「はい」


 箱を棚に置く。

 札を書く。

 ──『開けられなかった箱』

 女性はほっとしたように息を吐いた。


「ありがとうございます」


「こちらこそ」


 女性が帰ったあと遥は箱を見た。


「開けないの?」


「開けません」


「でも、鍵はあるよ」


「持ち主が開けたくないと言っているものを、勝手に開ける理由はありません」


「なるほど」


 遥は頷いた。


「じゃあ、持ち主が開けたいと思う日まで預かるんだ」


「はい」


「この店らしいね」


 風待は笑った。その時だった。


 カチ。


 棚の奥から音がして二人が振り返る。風待の視線が止まった。


「……え?」


 冬香の札が、少しだけ揺れている。その下から一枚の紙が落ちた。

 それを遥が拾う。東京の住所だった。


「また?」


「……はい」


 風待は紙を見つめる。


「今度は、かなり具体的ですね」


「住所まであるよ」


「ええ」


「行く?」


 風待は答えなかった。その代わり、スマートフォンを取り出した。画面をしばらく見つめてから。


「明日、行きます」


 そう言った。

 

 ♢♢♢


 翌朝。風待の店は臨時休業になった。

 遥は店の前に立ち、札を掛ける。

 本日休業


「本当に行くんだね」


「はい」


「私も行っていい?」


 風待は少し驚いた。


「東京まで?」


「うん」


「どうして?」


「一人で行かせると、途中で帰ってきそうだから。それに」


 遥は笑った。


「ここまで一緒に見てきたから」


 風待はしばらく黙っていた。


「ありがとうございます」


 二人は駅へ向かった。

 新幹線の中。風待はずっと窓の外を見ていた。


「緊張してる?」


「しています」


「珍しい」


「私だって緊張します」


「そうだよね」


 しばらく沈黙が続く。

 やがて風待が言った。


「遥さん」


「うん?」


「もし冬香に会えたら私は、謝ると思います」


「何を?」


「全部です」


「全部?」


「私が忘れたこと。探せなかったこと。探すのを諦めたこと」


「でも」


 遥は窓の外を見た。


「風待さんは、諦めてなかったよ。だって、店を作ったんでしょう?」


 風待は少し笑った。


「そうでしたね」


 やがて東京駅に着く。駅を出て住所の場所へ向かう。そこは、駅から少し離れた住宅街だった。

 古いアパート。二階。二〇三号室。

 風待が立ち止まる。


「……ここです」


 遥も息を呑む。


「冬香さん、いるかな」


「分かりません」


 風待が呼び鈴に指を伸ばす。

 しかし押す前に、扉が開いた。中から一人の女性が出てきた。

 四十代くらい。短い髪。白いシャツ。片手にゴミ袋を持っている。

 風待と女性の目が合った。

 女性の手から、ゴミ袋が落ちた。


「……兄ちゃん」


 風待は何も言えなかった。ただ、女性を見つめている。

 遥にも分かった。写真の中の少女と、同じ目だった。

 女性は震える声で言った。


「どうして……今さら」


 風待の唇が動く。


「……冬香」


 女性は目を伏せた。


「その名前、もう捨てたの」


 風待の顔が歪む。 

 そして女性は、遥を見る。


「あなたは?」


「遥です」


「そう」


 冬香は少し笑った。


「じゃあ、あなたが兄ちゃんの忘れものなんだね」


 遥は息を呑んだ。

 その言葉は、以前、春樹にも言われた。


「……どういう意味?」


 冬香は答えなかった。

 ただ、部屋の中を指差す。


「入って」


「いいの?」


「うん」


 風待が一歩踏み出す。

 その瞬間部屋の奥から猫の鳴き声がした。

 遥と風待は同時に顔を見合わせた。


「……まさか」


 冬香が笑う。


「この子?」


 奥から出てきたのは──風待の店にいるはずの、あの白黒猫だった。

 遥の顔が青ざめる。


「なんで……」


 猫は何事もなかったように冬香の足元へ歩いていく。

 冬香は猫を抱き上げた。


「この子、昔から私のところに来るの」


「……昔から?」


 風待が尋ねる。

 冬香は猫の頭を撫でながら答えた。


「うん」


 そして。

 風待をまっすぐ見た。


「兄ちゃんが、私を探していることも知ってた」


 遥は息を呑む。


「じゃあ、どうして──」


 冬香が言った。


「会わなかったのかって?」


「うん」


「会えなかったの」


 冬香の笑顔が消える。


「私は、兄ちゃんに会う資格がないから」


 風待が眉を寄せる。


「……何をした?」


 冬香は答えない。

 代わりに、部屋の奥を指差した。そこには、一枚の古い写真が飾られていた。

 三人の子供。そして、その写真の隣に見知らぬ少年の写真がもう一枚。

 風待が近づく。


「……誰だ?」


 冬香は静かに言った。


「春樹」


「違う」


「え?」


「春樹は、あの写真の子だ」


「ううん」


 冬香は首を振った。


「それは、春樹じゃない」


 風待の顔から、血の気が引いた。

 冬香は、淡々と告げる。


「私たちがずっと春樹だと思っていた子は──春樹じゃなかったの」

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