↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キャラ文芸短編集  作者: 倉木元貴


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
40/69

忘れもの預かり処 第1話

 その店には、看板がない。

 古い商店街の一番奥。もう何年も前にシャッターを閉めた八百屋と、昼間でも薄暗い喫茶店の間に、小さな木戸だけがある。

 その木戸を見つけられる人は少ない。

 もっと正確に言えば──必要になった人しか見つけられない。


 ♢♢♢


「ここ……かな」


 雨上がりの夕方、三十六歳の真壁遥《まかべはるか》は、スマートフォンの地図と何度も見比べながら立ち止まった。

 地図には何も表示されない。住所もない。ただ、一枚だけ送られてきた写真。木戸。白い暖簾。そして、忘れられないものを、お預かりします。という一文。


「怪しい……」


 口に出してみると、余計に怪しかった。

 三日前、祖母が亡くなった。九十歳だった。大往生と言われればその通りだ。泣くほどではないと思っていた。なのに、葬儀が終わった翌日から、胸の中に小さな石が落ちたような重さが残った。


 理由は一つ。最後まで見つからなかったのだ。祖母が大切にしていた、「青いがま口」が。祖母は亡くなる一週間前まで「あれだけはなくしたらあかん」と繰り返していた。

 中身は誰も知らない。現金でも通帳でもないらしい。

 家中を探した。施設にも問い合わせた。それでも見つからなかった。

 そんな時、従妹がぽつりと言った。


「昔、おばあちゃんが変な店の話をしてたよ」忘れものを探してくれる店。

 そんな馬鹿げた話を信じるほど疲れていたのだろう。


 遥は木戸を開けた。鈴が一つ鳴る。


 からん。


 店の中は古本屋のようでもあり、骨董店のようでもあった。棚いっぱいに、木箱や瓶や封筒が並んでいる。全部、札が付いている。


『泣けなかった卒業式』

『言えなかった好き』

『返せなかった五百円』

『母の最後の電話』


 品物ではない。文字ばかりだった。


「いらっしゃい」


 声がした。奥から現れたのは、三十歳くらいにも五十歳くらいにも見える男だった。白いシャツに黒い前掛け。

 髪は少し長く、眠そうな目をしている。


「忘れものですか」


「ええ……まあ」


「それは物ですか」


「青いがま口です」


「なるほど」


 男は帳面を開いた。


「では確認します」


 さらさらと筆を走らせる。


「探しているのは、がま口ですか」


「はい」


「違います」


「え?」


 男は顔を上げた。


「あなたが探しているのは、がま口ではありません」


 遥は少し腹が立った。


「でも私は──」


「いいえ」


 男は静かに笑った。


「この店は、物を探す店ではありません」


「では何を?」


「忘れものを預かる店です」


 意味が分からない。


「お客様は皆さん、『失くした物』を探しに来ます」


 男は棚を見回した。


「でも、本当に失くしているのは、たいてい別のものなんです」


 その時だった。店の隅で、小さく鈴が鳴った。


 ちりん。


 振り向くと、一匹の猫が座っていた。真っ白なのに、尻尾だけが墨を流したように黒い。

 不思議なのは、その猫が遥を見る目だった。

 初対面とは思えない。

 まるで──「やっと来たね」そう言われた気がした。


 猫は一度だけ鳴くと、棚の奥へ歩き出す。

 男はため息をついた。


「今日は珍しい」


「何がですか?」


「あの子が、お客様を案内するそうです」


 男は帳面を閉じ、静かに立ち上がる。


「真壁さん」


「……名前、言いました?」


「言ってませんよ。でもわかるんです」


 男は少しだけ困ったように笑った。


「だから、この店は少しだけ不思議なんですよ」


 猫は振り返ることなく、暗い廊下の奥へ消えていく。

 その先には、さっきまでなかったはずの、もう一枚の扉が現れていた。

 扉には、小さな真鍮の札が掛かっている。

 そこには、たった一行だけ書かれていた。『開けると、一つだけ思い出します。』


 遥は、知らず知らずのうちに息を止めていた。

 扉の前まで来ると、猫が立ち止まった。白い身体に、墨を落としたような黒い尻尾。

 猫は振り返り、遥を見上げた。


「……入れってこと?」


 返事の代わりに、尻尾が一度だけ揺れた。

 遥は扉に手をかけた。

 冷たい。木製のはずなのに、妙にひやりとしている。


「待ってください」


 後ろから店主の声がした。


「一つだけ、約束があります」


「何ですか?」


「思い出したものを、必ず取り戻さなければならないわけではありません」


「……?」


「人は、ときどき『思い出すこと』と『取り戻すこと』を同じだと思ってしまいます。でも、この二つは違います」


 店主はそれ以上言わなかった。

 遥は少し考えたあと、扉を開いた。


 そこは、祖母の家だった。


「……え?」


 六畳ほどの和室。畳の匂い。綺麗に張られた障子。古い柱時計。そして窓際に置かれた、見慣れた座椅子。

 間違いない。子供の頃、何度も遊びに行った祖母の家だ。


「なんで……」


 遥は一歩、部屋へ入った。

 すると、「遥ちゃん」と声がした。


 心臓が跳ねた。振り返るが誰もいない。けれど、声は確かに祖母だった。


「遥ちゃん、こっちおいで」


 記憶の中の声。まだ祖母が元気だった頃の声。

 遥は唇を噛んだ。

 こんなものを見せられるとは思わなかった。


「……ずるいよ」


 目が熱くなる。すると、部屋の隅に何かが落ちた。


 ころん。


 青い布の小さな塊。遥は駆け寄った。


「これ……!」


 青いがま口。


 探していたものだ。

 手に取ろうとした瞬間──「遥ちゃん」また声がした。


「それ、こっちに持ってきて」


 遥は動きを止めた。

 祖母の声。けれど、何かがおかしい。

 記憶の中では、祖母はいつもこう言っていた。


「遥ちゃん、こっちおいで」


 なのに今は、「それ、こっちに持ってきて」だった。


 遥はがま口を見つめた。


「……違う」


 何が違うのかは分からない。でも、これは祖母の記憶ではない。

 その時だった、背後から猫の鳴き声がした。


「にゃあ」


 振り返ると、あの猫が座っている。

 猫はがま口を見て、そして遥を見る。


「……これ、あなたが見せてるの?」


 猫は答えない。ただ、がま口を前足で軽く叩いた。


 ぱちん。


 蓋が開いた。中に入っていたのは、小さな紙切れだった。

 遥は震える手で取り出した。紙には、祖母の字で一行だけ書かれていた。


 ──遥ちゃんへ。


 それだけ。


「……私に?」


 紙の裏を見る。


 何もない。遥は何度も眺めた。すると、記憶が突然よみがえった。


 十歳の夏。祖母の家の縁側で蝉の声がしていた。泣いている遥。学校で友達と喧嘩したのだ。祖母は何も聞かなかった。ただ隣に座って、冷たい麦茶を渡した。


 しばらくして遥が、『私、悪くないもん』と言った。


 祖母は笑った。『そうかもしれんなあ』


 そして、こう続けた。『でもな、悪くないことと、寂しくないことは別なんじょ』遥は目を閉じた。


 忘れていた。ずっと忘れていた。青いがま口を探していたはずなのに。


 自分が本当に忘れていたのは──祖母と最後に話した日のことだった。


「おかえりなさい」


 店に戻ると、店主がそう言った。遥はがま口を握っていた。


「これ……本物です」


「そうでしょうね」


「どうして?」


「この店にあるものは、全部本物ですよ」


 店主は笑った。


「ただし、持ち主が探していたものとは限りません」


 遥はがま口を開いた。紙はまだそこにある。


「これ、もらっていいんですか?」


「もちろん」


「でも……祖母は、なんで最後までこれを?」


 店主は少し黙った。


「もしかしたら、渡すタイミングを待っていたのかもしれません」


「亡くなる前に渡せばよかったのに」


「人は、そう簡単にはいかないものです」


 その言葉に、遥はふと顔を上げた。


「あなたは……何者なんですか?」


「店主です」


「そういうことじゃなくて」


「では、忘れものを預かる人です」


「……名前は?」


「風待《かぜまち》です」


「下の名前は?」


「ありません」


「そんなわけ──」


「ありますよ」


 風待は穏やかに笑った。


「この店では、名前を一つ置いていく人もいますから」


 遥には意味が分からなかった。でも、もう聞かなかった。


 帰ろうと木戸を開ける。外は夕暮れだった。商店街は、来た時と何も変わっていない。

 ただ一つだけ、遥の手には、青いがま口がある。


「ありがとうございました」


 振り返ると風待は店の奥に立っていた。その足元には、あの猫。猫が一度だけ鳴いた。


「……また来てもいいですか?」


「必要になったら」


 風待はそう答えた。

 木戸が閉じる。遥はしばらくその場に立っていた。そして、がま口の中の紙をもう一度開いた。裏側には、さっきまでなかった文字が増えていた。


 震えるような祖母の字。


 そこには、


 ──遥ちゃん。

 ──ちゃんと笑って暮らしなさい。


 と書かれていた。


 遥は泣いた。商店街の真ん中で、子供みたいに泣いた。でも、不思議と悲しくはなかった。涙が止まった頃には、空が少しだけ明るく見えた。


 その日から三日後。遥は会社帰りに、商店街へ寄った。けれど、あの木戸は見つからなかった。

 何度探しても、写真と同じ場所を歩いても、見つからない。


「……まあ、そうだよね」


 遥は少し笑った。きっと、必要がなくなったのだ。そう思って帰ろうとした。


 その時、どこからか、


 ちりん。


 鈴の音が聞こえた。

 遥は振り返った。商店街のずっと先。見知らぬ女性が、一人で立っている。


 その足元には──一冊の古い日記帳が落ちていた。女性は日記帳を拾い上げると、途方に暮れたように呟いた。


「……これ、誰のだろう」


 遥は知らなかった。その女性が次に風待の店を訪れることも。そしてその日記帳が、風待自身の過去につながることも。


 ただ、その時の遥は、「困ってるなら、手伝いましょうか」と声をかけていた。


 風待の店に関わる人間は、こうして少しずつ増えていく。


 忘れものを探すためではなく。


 誰かの忘れものを見つけることで、自分自身の何かを見つけるために。

おもしろかったら評価、ブックマークよろしくお願いします

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。