まほろば便利屋 第20話
カラン──。
郵便受けの音は、暗い夜道の奥から聞こえてきた。
真琴はびくっと肩を跳ねさせる。
「今の何!?」
「郵便ですね」
透が普通に答える。
「その反応もう慣れたな!?」
雪は静かに降り続いていた。街灯の灯りが白く滲む。
透は迷いなく坂道の奥へ歩き出す。
「桜丘は、昔あった住宅地です」
「“あった”?」
真琴が聞くと、透は頷いた。
「土砂崩れで、一部がなくなったんです」
ひよりが目を瞬く。
「うわ……」
「そのあと再開発で地名も消えました」
つまり、住所そのものがなくなった。
真琴は何となく理解する。
だから手紙が迷っているのだ。帰る場所がなくなってしまったから。
坂を上ると雪が深くなる。人の気配はもうほとんどない。やがて、古びた石段の前で、透は立ち止まった。
「ここです」
真琴は息を呑む。
石段の先には、廃墟みたいな住宅跡が広がっていた。
崩れた塀。雑草だらけの庭。半分埋もれたポスト。昔、ここに町があったのだと分かる景色。
だが今は、雪だけが静かに積もっている。
星乃が小さく呟く。
「……寂しい」
その言葉が妙にしっくり来た。
透は鞄を抱えたまま、ゆっくり歩く。迷いはない。まるで毎日通っていた道みたいだった。
真琴は後ろから聞く。
「相手、ここに住んでるのか?」
「今は別の場所です」
「じゃあ何でここに?」
透は少し笑った。
「ここで渡したかったので」
雪が積もる坂道。静かな夜。きっと、昔もこんな風景だったのだろう。
その時、風が吹いた。
次の瞬間、周囲に無数の白い影が現れる。
「うわっ!?」
真琴が後退る。
人影だった。ぼんやり透けた、昔の住人たち。買い物袋を持つ女性。走り回る子供。談笑する老人。雪の町の“記憶”みたいなものが、夜の中へ浮かんでいる。
ひよりが息を呑む。
「……すご」
怖いというより、切ない光景だった。消えた町が、一瞬だけ戻ってきたみたいで。
透は、その中を静かに歩いていく。誰かとすれ違うたび、軽く会釈する。昔の日常みたいに。
真琴は、その背中を見ながら気づく。
透はずっと、この町へ帰ってきていたのだ。もう存在しない町へ。
やがて透は、ある場所で立ち止まった。
古い桜の木だった。葉はもうなくなっていて、雪を被って静かに立っている。
「ここで、待ち合わせしたんです」
透は小さく笑う。
「手紙、渡そうと思って」
何十年も前の話なのに、その声は少しだけ緊張していた。
真琴は胸の奥が、少し痛くなる。
その時だった。石段の下から、誰かの足音が聞こえた。
コツ、コツ、と。ゆっくり近づいてくる。
全員が振り向く。
雪の向こう。杖をついた、小柄な老婦人が立っていた。
厚手のコートに、白いマフラーを巻いていた。
杖をつきながら、ゆっくりこちらを見ている。
真琴は小声で呟く。
「……誰」
透は、息を止めたみたいに動かなかった。
その目だけが、真っ直ぐ老婦人を見ている。
やがて。
「……澄江さん」
静かな声だった。
老婦人──澄江は、不思議そうに辺りを見回した。
「おかしいねぇ……誰かに呼ばれた気がしたんだけど」
彼女には、透が見えていない。
真琴は胸が詰まる。
透は少し笑った。寂しそうで、でも安心したような顔だった。
「……変わらないな」
「いやめちゃくちゃ変わってるだろ年齢!」
真琴が思わずツッコむ。
透は困ったように笑った。
「僕だけ変わってないので」
「その言い方やめろ……」
桜の木の下、雪が降る。消えた町の真ん中で。
透は静かに鞄から封筒を取り出した。
あの手紙だ。
何十年も届けられなかった、一通。
透の手が少し震えていた。
ひよりが小声で言う。
「緊張してる」
「そりゃするだろ……」
すると、星乃がそっと前へ出た。白い髪が雪に溶け込む。
彼女は澄江へ近づき、小さく声をかけた。
「……落としましたよ」
そう言って、透の手紙を差し出す。
澄江は目を瞬く。
「あら?」
封筒を受け取り、宛名を見る。その瞬間、彼女の表情が止まった。
長い、長い沈黙。震える指で、差出人欄へ触れる。
『冬川透』
掠れそうな声が漏れた。
「……透くん?」
真琴は、思わず透を見る。
透は何も言わない。ただ静かに、そこに立っていた。
澄江はゆっくり封を開ける。中には、一枚の便箋。古いインクの文字。
彼女はそれを読み始める。雪だけが静かに降っていた。
やがて。澄江の目から、涙が落ちる。
「馬鹿ねぇ……」
泣きながら、笑っていた。
「今さら……ほんと、今さらじゃない」
透は少し困った顔で頭を掻く。
「すみません、遅れて」
聞こえていないはずなのに、澄江は何故か、ふっと顔を上げた。
そして、まっすぐ透が立っている場所を見る。
真琴は息を呑む。
澄江は涙を拭きながら、小さく笑った。
「……ちゃんと届いたよ」
その瞬間だった。透の身体が、淡い光へ変わり始める。
真琴が目を見開く。
「え」
透自身も少し驚いた顔をした。だがすぐに、どこか納得したように笑う。
「終わったみたいです」
「いや待て待て待て!」
真琴は慌てる。
「消えるのか!?」
「たぶん」
「お前まで“たぶん”使うな!」
ひよりは少し泣きそうな顔をしていた。星乃も静かに透を見つめている。
透は最後に、町を見回した。消えた桜丘。雪の夜。古い郵便局。全部を懐かしむみたいに。
そして、深く一礼する。
「……配達完了です」
雪が舞う。次の瞬間、透の身体は、白い光になって夜空へ溶けていった。
あとには、静かな雪だけが残る。
澄江は大事そうに手紙を抱きしめていた。まるで、長い間待っていた宝物みたいに。
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