まほろば便利屋 第19話
雪を踏む音だけが、静かな夜道へ響いていた。
真琴の問いに、蒼士はすぐには答えなかった。
前を歩く透。街灯の灯り。白く煙る吐息。
その全部を眺めるみたいに、少しだけ目を細めて、やがて。
「……帰れなかったやつを、放っとけないからだ」
ぽつりと、蒼士は言った。
真琴は顔を上げる。
「帰れなかった?」
「人も、怪異もな」
その声はいつもより静かだった。
ひよりも珍しく黙っている。
蒼士は続けた。
「この町、そういうの多いんだよ」
雪町の古い建物を見回す。
「消えた場所とか、忘れられたもんとか。行き場なくしたやつが溜まりやすい」
真琴は思い出す。
夜光列車。星喰い。しろの神社。どれも“居場所”をなくしかけていた。
蒼士はポケットへ手を突っ込んだまま笑う。
「便利屋ってのは、その辺の面倒見る場所だ」
「適当すぎる説明だな……」
「間違ってないぞ」
真琴は少し迷ってから聞く。
「……お前も、何かあったのか」
蒼士は答えない。ただ、少しだけ空を見た。
雪が降っている。その横顔が、一瞬だけ遠く見えた。
「昔、帰れなかったやつがいた……」
真琴は息を止める。
「それで終わり?」
「終わり」
「絶対まだあるだろ!」
蒼士は笑って誤魔化した。でも、それ以上は話さない。
その空気を変えるように、ひよりが声を上げる。
「あ」
「今度は何だ」
ひよりが前を指差す。
坂の途中。古びた赤いポストが立っていた。だが、その周囲だけ妙だった。
白い封筒が、大量に宙へ浮いている。
「うわっ!?」
真琴が後退る。
封筒は風もないのに漂っていた。まるで行き先を探しているみたいに。
透の顔が曇る。
「……また増えてる」
「これ何なんだよ」
「“帰れない手紙”です」
透は静かに近づく。
「宛先が消えた手紙。届け先がなくなった手紙」
封筒たちは、ふわふわ漂いながら夜道を回っている。不気味なのに、どこか寂しかった。
星乃がそっと手を伸ばす。一通の封筒が、吸い寄せられるように彼女の手へ落ちた。
真っ白な封筒。宛名欄には、途中までしか文字がない。
『潮見町 雪——』
「住所が消えてる……?」
「再開発とか、区画整理で町名がなくなると、こうなることがあるんです」
透が言った。
「場所が消えると、手紙も迷うので」
真琴は思わず辺りを見る。
古い町並み。閉じた店。暗い窓。
雪町自体が、少しずつ消えかけている気がした。
その時だった。
カタン。
赤いポストが、ひとりでに揺れた。
次の瞬間、大量の手紙が、一斉に宙へ舞い上がる。
「うわぁ!?」
真琴は反射的にしゃがみ込んだ。
封筒たちは吹雪みたいに夜空を回り、町中へ散っていく。
その光景を見上げながら、透が小さく呟いた。
「……もう時間がないのかもしれません」
その声は、雪に消えそうなくらい弱かった。
舞い上がった手紙は、雪の中へ消えていった。
白い封筒。古い封筒。行き先をなくした想いたち。
真琴は呆然と空を見上げる。
「……何だったんだ今の」
「郵便事故です」
透が真顔で言った。
「規模がおかしいだろ!」
ひよりは一通だけキャッチしていた。
「すごい反射神経だった」
「写真部なめんな」
「関係ある?」
蒼士は散っていった手紙を見ながら、小さく息を吐く。
「雪町自体が消えかけてるな」
真琴は顔をしかめた。
「そんな簡単に町って消えるのか?」
「人が忘れると、案外あっさりな」
その言い方が妙に現実的で嫌だった。
透は、舞い落ちてきた数通を拾い集める。だがその表情は、どこか焦っていた。
「急がないと……」
「何を?」
真琴が聞くと、透は少し迷ったあと答える。
「最後の手紙を届けないと、この郵便局は終わるんです」
冷たい風が吹いた。雪が、さらさらと道を滑る。
真琴は眉をひそめる。
「最後って……お前の手紙か?」
透は静かに頷いた。
あの封筒。差出人が“冬川透”になっていた手紙。
まだ届けられていない一通。
ひよりが聞く。
「誰宛てなの?」
透は少し黙った。
それから、小さく笑う。
「好きだった人です」
一瞬、真琴とひよりの動きが止まる。
「……え」
「ラブレター!?」
ひよりだけ妙にテンションが上がった。
「青春!」
「お前空気読め!」
だが透は少し照れくさそうに目を逸らす。
「若かったので」
「いやお前今も見た目若いだろ」
「死んでますからね」
「さらっと重い!」
星乃が不思議そうに首を傾げる。
「……届けなかったの?」
「届ける前に事故に遭ったんです」
透は夜道を見つめる。
「だから、ずっと残っちゃって」
真琴は何となく分かってしまった。
この郵便局が消えない理由が、透が配達を続ける理由が。
全部、最後の一通を届けられていないからだ。
蒼士が静かに聞く。
「相手は?」
「まだ町にいます」
透は少し笑う。
「おばあちゃんになってますけど」
その笑い方が優しくて、少し寂しかった。
真琴は頭を掻く。
「……行くしかないじゃん、もう」
「お、やる気出たな」
蒼士が言う。
「誰のせいでこうなってると思ってんだ!」
透は少し驚いた顔をした。
「……手伝ってくれるんですか?」
ひよりが当然みたいに頷く。
「最後まで見たいし」
「理由が野次馬!」
星乃も小さく言う。
「ちゃんと届いてほしい」
透は、しばらく何も言わなかった。
やがて深く頭を下げる。
「……ありがとうございます」
雪が降る、静かな町だった。
その時、蒼士がふと古い地図看板を見上げた。
「……なるほどな」
「何だよ」
「届け先、“消えかけてる”」
「は?」
真琴も地図を見る。
そこには、昔の雪町の地図が描かれていた。だが一部だけ、文字が掠れている。まるで最初から存在しなかったみたいに。
蒼士が小さく呟く。
「再開発で区画ごと消えた地区か」
透の表情が曇る。
「昔は、桜丘って呼ばれてました」
その名前を口にした瞬間わ、周囲の街灯が、一斉に明滅した。
真琴の背筋に寒気が走る。
どこか遠くで、カラン、と郵便受けの鳴る音がした。
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