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キャラ文芸短編集  作者: 倉木元貴


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2/12

紅葉に消える恋 第2話

 それからの日々、紗夜の暮らしは穏やかに流れていた。


 朝はまだ少し冷たい空気の中で目を覚まし、学校から帰れば宿題を済ませ、夕方には畑に出て母と一緒に土に触れる。夕陽が傾くころ、野菜籠を抱えて家へ戻り、台所では味噌と煮物の匂いが立ち上る。

 そんな、これまでと何一つ変わらない日常。


 ──けれど、紗夜の心だけは、どこか上の空だった。


 鉛筆を走らせていても、鍬を握っていても、気づけば森の奥を思い浮かべている。

 彼に会う時間が近づくたび、胸の奥がそわそわと落ち着かなくなった。


 まるで胸の中に小さなことりが巣を作り、今にも羽ばたこうとしているような感覚。

 彼に会えば、ふっと肩の力が抜ける。

 けれど別れると、その安心よりもずっと大きな寂しさが、波のように押し寄せてくる。


「……私は、どうしてこんなに」


 夕餉の支度の途中、思わず零れた独り言は、鍋の中に溶けて消えた。


 自分の気持ちに戸惑いながらも、夕暮れの森へ向かう足は、今日も自然と動いてしまう。

 止めようと意識するほど、足取りは早くなった。


 その日の森は、特別に美しかった。


 赤、橙、黄──幾重にも重なる色彩が、木々を染め上げている。

 西日が差し込むたび、葉の縁が透け、光を受けてきらきらと瞬いた。

 風が吹けば、乾いた葉音が一斉に鳴り、色づいた葉が舞い落ちていく。


 その中心に、彼は立っていた。


 紗夜はその姿を見つけた瞬間、胸の奥がふっと温かくなるのを感じた。


「今日も来てくれたんだね」


 柔らかな声。

 それだけで心臓が跳ね、鼓動が早まる。


「……来ないわけ、ないから」


 小さく、けれどはっきりとそう言うと、青年は一瞬きょとんとした表情を浮かべ、それから静かに笑った。

 どこか照れたようで、嬉しさを隠しきれない笑顔だった。


 風が吹くたび、彼の髪が揺れる。

 その揺れ方は人のものよりも軽やかで、まるで風と一緒に存在しているかのようだった。

 強い風が吹けば、そのまま溶けて消えてしまいそうな──そんな危うさを帯びている。


 紗夜はふと、胸に小さな違和感を覚えた。


 ──この人は、どうしてこんなにも儚く見えるのだろう。


「君は、村の祭りが楽しみなのかい?」


 青年が、紅葉を見上げたまま尋ねる。


 紗夜は少しだけ考え、言葉を探した。


「楽しい、とは思う。……でも今年は、なんだか胸がザワザワしてる。理由は、よくわからないけど」


「ザワザワ……」


 青年はその言葉を、ゆっくりと繰り返した。

まるで、何か懐かしいものを確かめるように。


「それは、多分……季節が、終わりの気配を連れてくるからだよ」


「季節の……終わり?」


 青年は答えず、しばらく紅葉の海を見つめていた。

 夕暮れの光が彼の横顔を照らし、長い影を地面に落とす。


「紅葉が散りきる頃、森は一度、息を止めるんだ。人とあやかしの世界の境も、その時だけ少し軋む」


 その言葉の意味を、紗夜は理解できなかった。

 けれど、青年の表情があまりにも寂しげで、理由もなく胸が痛んだ。


「……ねえ」


 紗夜は意を決して、声をかける。


「あなたは、どこから来たの?」


 青年は一瞬、動きを止めた。

 風の流れすら静止したような錯覚が走る。


 やがて、ゆっくりと口を開いた。


「遠くから。……いや、近いのかもしれない。君たちが気づいていないだけで、僕らはすぐそばにいるんだ」


「僕ら……?」


 思わず聞き返すと、青年は困ったように眉を下げて笑った。


「ごめん。わかりにくいよね。……でも、今はまだ言えないんだ」


「言えないって……どうして?」


 青年は視線を落とす。

 足元に積もった落ち葉を、そっと踏みしめながら。


「言ってしまえば、終わってしまう気がするから」


 その言葉が、鋭く胸に刺さった。

 紗夜は何かに気づきかけるが、霧に包まれたように掴みきれない。


 風が吹き、紅葉が一斉に舞い落ちる。

 その中で、青年の輪郭がふっと揺らいだ。


「……っ」


 紗夜の心臓が大きく跳ねる。


 ──今、何かが。


 けれど青年はすぐに元の姿へ戻り、紗夜は必死に「見間違いだ」と自分に言い聞かせた。


 二人並んで腰を下ろし、落ち葉の上に手を伸ばす。

 一枚の赤い葉が、ひらりと紗夜の掌に落ちた。


 それを見て、青年が静かに言う。


「紅葉って、散る時が一番綺麗なんだ。……人の心も、きっと同じだよ」


「それ……どういう意味?」


「散りゆくからこそ、光るものがある。終わりの気配が近づくからこそ、強く感じられる想いもある」


 胸が、ぎゅっと締めつけられる。

 彼の言葉は、まるで自分の気持ちを見透かしているようだった。


「……あなたは、誰なの?」


 小さく零れた問いは、知らず別れを予感させる響きを帯びていた。


♢♢♢


 秋は、祭りの準備で村全体がそわそわと色めき立っていた。


 夕方になると、どこからともなく笛の練習の音が聞こえてくる。

 太鼓の低い響きが山に反射し、空気を震わせる。

 提灯が軒先に吊るされ、夜の気配が少しずつ濃くなっていく。


 その音を聞くたび、紗夜の胸はざわついた。


 ──青年が夜を避ける理由。

 ──輪郭が揺らいだ、あの一瞬。

 そして、紅葉が散りきるまでは会えるという、不思議な約束。


 すべてが一つに繋がりそうで、けれど決定的な答えには辿り着けない。


 夕暮れ、紗夜は再び森へ向かう。


 青年は、いつものように紅葉の下に立っていた。

 だがその姿は、これまで以上に淡く、どこか今にも消えてしまいそうだった。


「紗夜」


 名前を呼ばれたのは、これが初めてだった。

 胸が強く揺れ、息が詰まる。


「祭りが……もうすぐだね」


「うん。明日の夜だよ」


 青年は、ほんの少し目を伏せる。


「……そうか。明日が、最後になるのかもしれない」


「最後って……どういうこと?」


 問いかける声は、震えを隠せなかった。


 青年は答えず、ただ落ちていく紅葉を見つめている。

 その横顔には、言葉では言い尽くせない切なさが、静かに滲んでいた。

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