まほろば便利屋 第9話
「……いた」
真琴は固まった。
階段の上。白いワンピースの少女が、じっとこちらを見下ろしている。
長い黒髪。裸足。
年齢は小学校高学年くらいだろうか。
ホラー映画なら完全にアウトな見た目だった。
「ひっ……」
加奈が蒼白になる。
だが少女は、小さく首を傾げただけだった。
「……お客さん?」
「え?」
思ったより普通に喋った。
真琴は少し混乱する。
少女はぺたぺたと階段を降りてきた。足音が妙に軽い。
「久しぶり」
にこり、と笑う。
怖いというより、不思議な感じだった。
蒼士が静かに聞く。
「君の名前は?」
「美波」
「……やっぱり」
加奈が呟く。
「行方不明になった子?」
美波はこくりと頷いた。
真琴の喉が乾く。
本人確定である。
「え、えっと……」
何て話せばいいんだ。
だが美波は気にした様子もなく、ひよりの顔を見た。
「その髪飾りかわいい」
「ありがと」
ひよりも自然に返す。適応力が高い。
美波は楽しそうにロビーを歩き回る。まるで旅館の子供みたいだった。
「……あれ?」
真琴は違和感を覚えた。
「普通だな」
「何が?」
「いや、もっとこう……恨み言とか言うのかと」
蒼士が肩をすくめる。
「幽霊にも性格あるからな」
「雑な説明!」
その時、美波が窓の外を見た。海が見える。青い夏の海。
彼女は小さく呟いた。
「……帰りたいな」
空気が静かになる。
加奈が俯いた。
「美波ちゃん……」
蒼士が聞く。
「どこへ?」
美波は困ったように笑った。
「分かんない」
「は?」
「思い出せないの」
その声は、少し寂しそうだった。
「気づいたらここにいて、ずっと海見てた」
真琴は胸がざわつく。この子は多分、ずっと一人だったのだ。十年間。この旅館の中で。
「……誰か迎えに来なかったのか?」
美波は首を振る。
「みんな私のこと忘れちゃったから」
その言葉が妙に刺さった。
加奈が震える声で言う。
「そんなことないわ……!」
「でも旅館、閉めるんでしょ?」
「それは……」
加奈は言葉を失う。
客が減った。幽霊騒ぎも広まった。経営はかなり厳しいらしい。
美波は責める様子もなく笑った。
「いいよ。私、怖いもんね」
「いや」
真琴は思わず口を開いていた。
「そこまで怖くない」
「え?」
「びっくりはしたけど」
正直、最初は死ぬほど怖かった。
でも今は違う。目の前にいるのは、ただ寂しそうな女の子だ。
ひよりも頷く。
「むしろ放っとけない系」
「それ褒めてる?」
「多分」
美波は少しだけ笑った。
その時だった。
ゴォォォ……。
突然、窓の外で風が強くなる。海が荒れ始めていた。
蒼士の顔つきが変わる。
「……来るな」
「何が?」
次の瞬間、旅館全体が大きく揺れた。
ドン!!
「うわっ!?」
照明が消える。真っ暗だ。
海の方から、低い唸り声みたいな音が聞こえる。
美波の顔色が変わった。
「だめ」
「え?」
「来ちゃう」
窓ガラスの向こう。荒れる海の中に、巨大な黒い影が浮かび上がっていた。
停電した旅館は真っ暗だった。聞こえるのは波の音、それと。
ゴォォォ……。
海の底から響くみたいな低い唸り声。
「な、何あれ」
真琴は窓へ近づく。
だが次の瞬間。
「近づくな!」
蒼士が真琴の肩を掴んで引き戻した。
ほぼ同時に。
バァン!!
窓ガラスへ大量の海水が叩きつけられる。
「うわぁぁぁ!?」
ガラスにヒビが入った。
ひよりが懐中電灯を向ける。その光の先、海の中に、“目”があった。
巨大だった。人の頭なんて比べ物にならない。
青白く光る、魚みたいな目。
「…………」
「…………」
真琴は数秒思考停止した。
「デカくない!?」
「デカいね!」
ひよりが妙にテンション高い。
蒼士は舌打ちした。
「海坊主系か」
「系で分類するな!」
影はゆっくり海面から浮かび上がる。
黒い身体。ぬめるような質感。長い腕。どう見ても怪異だった。
加奈は完全に腰を抜かしている。
「な、何なんですかあれぇ……!」
美波が震える声で言った。
「……あの子」
「あの子?」
「私を呼んでる」
真琴が振り返る。
美波は海を見つめていた。
「事故の日、海で聞こえたの。“おいで”って」
空気が冷える。
蒼士が低く聞く。
「つまり、お前を海へ引き込んだ原因か」
美波は小さく頷いた。
その時。
ドン!!
再び旅館が揺れる。
巨大な影が建物へ体当たりしているらしい。
「普通に壊しに来てる!」
「美波ちゃん狙いだね」
ひよりが冷静に分析する。
「冷静だな!?」
蒼士は窓の外を睨んだ。
「面倒だな……」
「勝てるのかあれ!?」
「知らん」
「頼りにならねぇ!」
だが蒼士は妙に落ち着いていた。
懐中電灯を床へ置く。そしてポケットから、何か小さな紙を取り出した。
「……え」
札だった。
黄色い和紙みたいなやつ。
「お前、そういうの持ってるタイプ!?」
「便利屋だからな」
「便利屋の範囲超えてる!」
蒼士は札を窓へ貼り付ける。
すると。
バチッ!!
青白い光が走った。
海の怪異が低く唸る。
「効いた!?」
「多少は」
蒼士は肩を回した。
「真琴」
「な、何」
「美波ちゃん連れて二階行け」
「は!?」
「こっちは時間稼ぐ」
「いやいやいや!」
相手は巨大怪異である。
高校生へ任せる内容じゃない。だが美波は真琴の袖を掴んでいた。
「……怖い」
その小さな声に、真琴は言葉を失う。
「……分かった」
気づけば頷いていた。
真琴は美波の手を引く。
「ひよりも来い!」
「りょーかい」
三人は階段を駆け上がる。
後ろで、蒼士の声が響いた。
「旅館壊すなよー!」
「今その心配!?」
直後。
ドゴォン!!
一階から爆音が響いた。
「うわ何した!?」
「所長テンション上がってる!」
二階の廊下へ逃げ込む。
窓の外では嵐みたいに海が荒れていた。
美波は震えながら呟く。
「……また連れていかれる」
「大丈夫だ」
真琴は反射的に言った。
「今回は一人じゃないから」
美波が目を見開く。その瞬間。廊下の奥の窓が、バァン!! と割れた。
「うわっ!?」
大量の海水が流れ込む。
そして、黒い腕が、闇の中から伸びてきた。
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