まほろば便利屋 第5話
坂巻はしばらく呆然としていた。
だが。
「……ふっ」
小さく笑った。
「何ですか、それ」
「知らん。勢いで言った」
蒼士は真顔だった。
「適当すぎません?」
「でも、お前笑っただろ」
坂巻は言葉を詰まらせる。
ホームの青白い光が、少しずつ弱くなっていく。まるで幻が薄れていくみたいに。
制服姿の少年が静かに呟いた。
「……笑うと、戻れるんだ」
「え?」
真琴が振り返る。
少年は窓の外を見ていた。
「ここに来る人って、みんな疲れてるから。ずっと一人で、苦しくて、帰れなくなる」
その声は妙に大人びていた。
「でも、誰かが呼び止めると、戻れる時がある」
蒼士は少年を見た。
「お前は?」
「僕は……」
少年は少し黙った。
それから、困ったように笑う。
「もう長いから、忘れちゃった」
その笑顔が寂しくて、真琴は胸が痛くなった。
列車が再び動き出す。
プシュー、と扉が閉まり、終着駅が遠ざかっていく。
坂巻は座席へ崩れるように座った。
「……俺、寝てたんですかね」
「半分くらいは」
ひよりが言う。
「かなり危ない顔してた」
「うわぁ……」
坂巻は頭を抱えた。
蒼士は窓の外を見ながら言う。
「人間、疲れすぎると変な場所に迷い込むんだよ」
「経験談?」
真琴が聞く。
蒼士は少しだけ笑った。
「まあな」
またそれだ。
この人、時々すごく遠い顔をする。その時だった。
ガタン。
列車が大きく揺れる。車内の灯りが明滅した。
バチッ、バチバチッ。
「うわっ!?」
真琴がつり革を掴む。
制服姿の少年が顔を上げた。
「……まずい」
「何が!?」
「もう時間がない」
次の瞬間。
車掌アナウンスが響く。
『間もなく──終点──』
ノイズ混じりの声。
だがさっきより近い。
「終点って、さっき通っただろ!?」
「違う」
少年は青ざめていた。
「本当の終点が来る」
窓の外を見る。海が消えていた。代わりに広がっていたのは、真っ暗な闇。
星もない。月もない。ただ黒い世界。
「……何だよこれ」
真琴の喉が乾く。
列車の速度が上がっていく。
ガタンガタンガタン!
激しく揺れ始めた。
「蒼士!」
ひよりが声を上げる。
蒼士は低く呟いた。
「……やっぱりか」
「だから何知ってんだよ!」
「説明は後!」
蒼士は少年へ向き直る。
「戻る方法は!?」
「海鳴駅に着く前に降りるしかない!」
「この速度で!?」
「普通に死ぬ!」
真琴が叫ぶ。
その時、少年が窓の外を指差した。遠くに、小さな灯りが見える。
潮見町の港だ。
「出口……!」
少年が言う。
「今ならまだ戻れる!」
列車はさらに加速する。車内の電灯が次々消えていく。
一両、また一両、闇が迫ってくる。
蒼士が叫んだ。
「次の扉が開いた瞬間、飛ぶぞ!」
「はぁ!?」
「大丈夫、海だ!」
「その理論で安心できるか!」
だが、列車はもう止まりそうにない。
そして前方に、海鳴駅のホームが見えた。
青白い光の中。
プシュー──。
扉が開く。
「行けぇぇぇ!!」
蒼士が真琴の背中を押した。
「うわぁぁぁぁ!?」
真琴は夜の海へ放り出された。
「冷たぁぁぁぁぁっ!?」
真琴は海へ落ちた瞬間、叫んだ。
全身に氷水みたいな冷たさが突き刺さる。
息ができない。
ばしゃばしゃと暴れながら、何とか顔を上げた。
「ぷはっ!」
「真琴こっち!」
少し離れた場所で、ひよりが手を振っている。
どうやら無事らしい。
蒼士も海面から顔を出した。
「全員いるか!?」
「雑な脱出方法すぎるだろ!」
「勢いは大事!」
「命が軽い!」
真琴は必死に犬かきする。
すると近くで別の水音。
「た、助け……!」
坂巻だった。
「うわ、沈む!」
「坂巻さん泳げないの!?」
「運動音痴だからぁ!」
蒼士が即座に近づき、襟首を掴んだ。
「暴れるな、余計沈む!」
「すみませぇぇん!」
何とか全員で岸へたどり着く。
真琴は砂浜へ倒れ込んだ。
「……死ぬかと思った」
「青春だったね」
ひよりが平然と言う。
「どこが!?」
服はびしょ濡れ。髪から海水が垂れている。
最悪だった。だが。真琴はふと海を振り返る。
さっきまで走っていた夜光列車は、もうどこにもいなかった。
波の音だけが静かに響いている。
「……消えた」
坂巻が呆然と呟く。
蒼士は黙って海を見つめていた。
「所長」
真琴が呼ぶ。
「結局あれ、何だったんだ?」
蒼士は少し考える。
「さあな」
「またそれか」
「でも、多分──」
蒼士は夜の海へ目を向けた。
「帰りたくない人を集める列車なんだろ」
真琴は思い出す。
制服姿の少年。“戻れなくなった”と言っていた。
「……あの子は?」
ひよりも小さく聞く。
蒼士は答えなかった。ただ静かに目を伏せる。その時、真琴のポケットで何かが震えた。
「ん?」
取り出す。
見覚えのない古い切符だった。
『海鳴駅→潮見』
青白く光る文字。
「え……」
真琴が顔を上げた瞬間、海風が吹く。
すると切符は、さらさらと光の粒になって消えた。
「うわ」
「……お土産かな」
ひよりが言う。
「怖いお土産だな」
その後、三人は震えながら事務所へ戻った。
深夜二時。びしょ濡れ。疲労困憊。なのに。
「腹減った」
真琴が呟く。
「分かる」
ひよりも頷く。
蒼士は笑った。
「よし、ラーメン食い行くか」
「この時間に?」
「夜更かしの背徳感込みで美味い」
十五分後。
三人は深夜営業のラーメン屋にいた。湯気の立つ醤油ラーメン。身に染みた。
「……生き返る」
真琴はしみじみ呟いた。
「人間、結局うまい飯食えば大体戻れる」
蒼士が言う。
「それ便利屋の信条?」
「割と本気」
ひよりが笑う。
坂巻も少し遅れて笑った。
「……明日、有給取ります」
「取れ」
「絶対取れ」
三人の声が重なる。
店内に笑い声が響いた。その時だった。店のテレビニュースが流れる。
『本日未明、海沿いで謎の発光現象が──』
画面には、青白い海が映っている。だが、映像の端に一瞬だけ、古い列車の影が映り込んでいた。
真琴は黙ってラーメンをすすった。
そして思う。この町には、まだまだ変なものがいる。でも──悪くない。
少なくとも、一人でいるよりずっと。
おもしろかったら評価、ブックマークよろしくお願いします




