まほろば便利屋 第4話
「……見えてるよな?」
真琴は乾いた声で言った。
「見えてるね」
ひよりも珍しく真顔だった。
線路の先。海沿いの闇の中を、青白い光がゆっくり近づいてくる。
カン、カン、カン──。
踏切の音だけが、不気味に響く。
「おい蒼士」
真琴が隣を見る。だが蒼士は、光をじっと見つめたまま動かなかった。
その横顔は妙に静かだった。
「……本当に出るんだな」
ぽつりと呟く。
「知ってたのか?」
「昔、一回だけ見たことがある」
「は!?」
初耳である。
「今それ言う!?」
「タイミング逃してた」
「もっと前に話せ!」
そんなやり取りをしている間にも、列車は近づいてくる。
音はしない。ただ、青白い光だけが暗闇を滑っていた。
やがて、それが列車の形を取る。古い電車だった。昭和のローカル線みたいな車両。窓の中にはぼんやり灯りがついている。
だが。
「……誰も乗ってない?」
真琴は目を細めた。
車内に人影は見えない。無人列車。なのに、走っている。
列車は速度を落とし、海鳴駅へ入ってきた。
キィィ……。
金属音だけが静かに響く。
そして。プシュー、と扉が開いた。
「うわ、普通に乗れるやつだ」
ひよりが引いている。
蒼士はホームを見回した。
「弟さん、これに乗った可能性が高いな」
「……追うのか?」
「依頼だからな」
蒼士は当然みたいに言った。
「いや待て待て!」
真琴は慌てる。
「幽霊列車だぞ!?」
「でも行方不明者いるし」
「正論!」
逃げ道がない。
蒼士は先に車内へ乗り込んだ。
「ほら」
「軽いんだよ毎回!」
真琴とひよりも恐る恐る続く。
車内は妙に綺麗だった。古い木目調の床。吊り革。柔らかいオレンジ色の照明。
まるで時間が止まったみたいだ。
「……なんか、怖いっていうより不思議」
ひよりが小声で言う。
その時。
ガタン。
扉が閉まった。
「え」
次の瞬間、列車が動き出す。
「うわ、うわうわうわ!」
真琴はつり革にしがみついた。
窓の外を見る。だが景色がおかしい。夜なのに、海が青く光っていた。
月明かりとも違う、淡い蒼色。
「……綺麗」
ひよりが呟く。蒼士は黙ったままだ。
やがて車掌アナウンスのような声が響く。
『次は──』
ザーッ、とノイズ。
聞き取れない。
『──にご注意ください』
「肝心なとこ聞こえねえ!」
真琴がツッコんだ瞬間。
車両の奥に、人影が立っていることに気づいた。
「……!」
制服姿の少年。高校生くらいだ。
窓際に立ったまま、こちらを見ている。
「君!」
蒼士が声を掛ける。
「もしかして、依頼人の弟か?」
少年は数秒黙っていた。
それから、小さく口を開く。
「……戻れなくなった」
ぞくり、と背筋が冷えた。
「どういう意味だ?」
蒼士が一歩近づく。
だがその瞬間。車内の照明が、バチバチッと明滅した。
少年の姿が消える。
「えっ!?」
次の瞬間。
真琴のすぐ後ろから声がした。
「降りないと」
振り返ると、目の前に少年がいた。
「うわぁぁぁ!?」
真琴は盛大に飛び上がった。
少年は無表情のまま、窓の外を指差す。そこには、線路が途中で消えていた。
「線路がないぃぃぃ!?」
真琴の絶叫が車内に響いた。
窓の外。月明かりみたいな青い海。
その上へ向かって、線路が途中で途切れている。
普通なら列車ごと海へ真っ逆さまだ。
「ちょ、止まれ止まれ止まれ!」
真琴は慌てて非常停止ボタンを探す。
だが見当たらない。
「落ち着け」
蒼士は意外なほど冷静だった。
「いや無理だろ!」
「こういうのは慌てた方が危ない」
「こういう状況を経験したことあるみたいに言うな!」
ひよりは窓に張り付いている。
「でも本当に線路ないよ……?」
列車は減速しない。
ガタン、ガタン、と静かに進み続ける。
そして、線路の終点へ到達した。
「終わったぁぁぁ!」
真琴は目を閉じた。
……だが。
衝撃は来なかった。
「……あれ?」
恐る恐る目を開ける。
列車は海の上を走っていた。
「は?」
意味が分からない。線路もない、なのに列車だけが、青い海面を滑っていく。
「夢?」
ひよりが呟く。
「だったら俺今すぐ起きたい」
真琴は真顔だった。
制服姿の少年がぽつりと言う。
「ここ、“向こう側”だから」
「向こう側?」
蒼士が聞き返す。
少年は頷く。
「夜光列車は、迷った人を連れていくんだ」
車内の空気が冷える。
「連れていくって、どこへ?」
真琴が聞くと、少年は少し困ったように笑った。
「帰りたくなくなった場所」
「……は?」
「つらい人とか、疲れた人とか。そういう人が乗る」
真琴は言葉を失う。
少年の目は、どこか寂しかった。
「僕も、最初は少し休むだけのつもりだった」
「でも戻れなくなった?」
ひよりが静かに聞く。
少年は頷く。
「降りる駅を間違えたから」
その時。ガタン、と列車が揺れた。
窓の外に、ぼんやり光る駅が見える。海の上に浮かぶ、小さなホーム。
看板にはこう書かれている。
『終着』
プシューと音を立て、扉が開く。
外には誰もいない。
ただ、青白い灯りだけが揺れている。
「……嫌な予感しかしない」
真琴が後ずさる。
だが少年は、ホームを見つめたままだ。
「ここで降りると、戻れない」
「なら何で止まるんだよ」
「降りたい人がいるから」
その瞬間。
別の車両から、足音が聞こえた。
コツ、コツ。
誰かが歩いてくる。真琴たちは息を呑む。やがて現れたのは、一人の男だった。
スーツ姿でボサボサの髪。死んだ魚みたいな目。
「あ」
真琴は見覚えがあった。
「坂巻さん!?」
以前、幽霊騒ぎで会った広告会社の社員である。
坂巻はふらふらした足取りでホームへ向かう。
「やっと休める……」
「待て!」
蒼士が腕を掴んだ。坂巻はぼんやり振り返る。
「……九条さん?」
「降りるな」
「でも……もう疲れたんです」
その声は、ひどく弱かった。
「毎日終電まで働いて、家帰って寝るだけで……何のために生きてるのか分かんなくて……」
真琴は胸が詰まる。
あの時の笑顔より、ずっと危うい顔だった。
ホームの灯りが揺れる。まるで。
『おいで』
と誘うみたいに。
蒼士は静かに言った。
「……帰るぞ、坂巻」
「でも」
「チャーハン食いに行く約束しただろ」
「え?」
「まだ奢ってもらってない」
一瞬。坂巻がぽかんとした。
そして。
「……そんな約束でしたっけ」
「俺が今決めた」
ひよりが吹き出した。
真琴も思わず笑ってしまう。その笑い声が響いた瞬間。
青白いホームの灯りが、ふっと揺らいだ。
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