星は壊れていなかった
祭りの翌朝、眠り街には薄い霧が降りていた。
夜通し灯っていた三本の街灯は、朝の光の中でも消えずに残っている。太陽が昇れば役目を終えるはずなのに、灯芯の奥には小さな金色の粒が浮かんでいた。
「消えないんです」
ミナが両手で口元を覆い、声をひそめた。
「朝になったら、いつも消えるものだと思っていたのに」
「本来なら、昼のあいだは眠るように光を落とします。けれど、この灯は夜に送られるはずだった光を、まだ抱えているのでしょう」
リセラは街灯の硝子に指を近づけた。熱はない。光脈の流れも乱れていない。昨夜、彼女が通した星糸は、古い糸としっかり結び合わされていた。
壊れていたわけではない。
その事実が、胸の内側で何度も形を変えた。ならば、これまで暗闇の中で暮らしてきた人々は、壊れたものを見捨てられたのではない。ともるはずの光を、どこかへ持っていかれていたのだ。
レオンは街灯の根元に測図盤を置き、昨夜の記録を確認していた。眠っていないのか、目の下にわずかな影がある。それでも線を引く手は正確だった。
「三本の枝脈は、今朝も西へ向かっています」
「光が戻ったのに、まだ流れているのですか」
「戻ったからこそ、流れの全体が見えます。商会の細工は、光を消すためではなく、行き先を変えるためのものだった」
彼は地図の上に小さな黒点をいくつも打った。北の井戸、広場、西の角。その先で枝脈は地中深く潜り、眠り街の外へ延びている。
「この先に、古い集光塔があります」
町長が背後から口を挟んだ。昨夜の祭りで誰よりも長く灯を見つめていた老人だった。
「昔は、星降りの夜にあそこへ光を集めたものです。今は扉も土に埋もれている。ローデン商会が来るようになってから、塔の話をする者はいなくなりました」
「案内していただけますか」
レオンが尋ねると、町長はしばらく黙り、杖の先で霧の向こうを指した。
「案内はする。ただし、見つけても口外しないと約束してほしい。昔、灯守が塔へ入ったあと、王都から役人が来た。記録を全部渡せと言われて、それから灯守の家は閉じられた」
リセラの指が、胸元の帳面を押さえた。母の記録にも、何度か同じ時期の頁が抜け落ちている。書かれていないことが、書かれた言葉より重く感じられた。
三人は町の西外れへ向かった。ミナもついてくると言い張ったが、レオンが足を止める。
「塔の中は危険かもしれない。ここで待っていてください」
「でも、灯守の合図を知っているのは私だよ」
ミナは結び目のついた糸を掲げた。リセラはレオンを見る。彼は困ったように眉を寄せ、それからミナに予備の鉛筆を渡した。
「記録係を頼めますか。見たものを、順番どおりに書いてください」
「任せて」
土に埋もれた集光塔は、丘の斜面に口を開けていた。扉の上には、星を縫い合わせた意匠が残っている。リセラが手袋を外して紋様に触れると、微かな震えが指先に返ってきた。
「ここにも星糸が使われています」
「まだ生きている?」
「はい。古いけれど、切れていません」
レオンが周囲の石壁を照らした。扉の脇に、削り取られた銘板がある。残った文字を、リセラは一つずつ読み取った。
『光は所有されるものではなく、道を照らすもの』
その下に、かすかな署名が残っていた。
セルディ。
息が止まった。母の姓だった。
「お母さまが、ここを知っていたのですね」
レオンの声は静かだった。驚きを隠そうとも、急かそうともしていない。
「ええ。でも、私には何も話してくれなかった」
言葉にした途端、寂しさがこみ上げた。母は何かを守ろうとしていた。その守ったものが、今、商会の手で使われている。
扉の内側から、かすかな音がした。
遠くで糸を引くような、金属の震え。
レオンは剣の柄に手を添え、リセラの前へ半歩出た。けれど彼女は、その肩越しに扉を見つめた。
「待ってください。敵がいる音ではありません」
「分かるのですか」
「星糸が、呼ばれています」
リセラは針箱から検査針を取り出し、扉の継ぎ目へ差し込んだ。光が一本、針先へ集まる。壊れていたなら、この反応は起こらない。
星は壊れていなかった。
壊されたのは、星が人の暮らしへ届くための道だった。
彼女が針を回すと、扉の奥で古い仕掛けが動いた。石の壁に、地下へ続く階段が現れる。階段の先からは、淡い光と、紙をめくる音が聞こえた。
レオンが地図を閉じ、彼女の隣に並ぶ。
「行きましょう。今度は、誰にも光の行き先を隠させない」
「はい」
リセラは母の帳面を抱え直した。失われた記録の先に、母が沈黙した理由がある。けれどまずは、ここで何が起きているのかを確かめなければならない。
階段を下りるたび、壁の星糸が一つずつ目を覚ましていく。
眠り街の灯は、故障していたのではない。
誰かが、夜空から落ちた光を、帰るべき場所へ返さなかっただけだった。




