灯祭りは小さな町から
その日の昼から、眠り街は久しぶりに人の声で満ちた。
広場には、物置の奥から運び出された古い街灯が三本並べられている。どれも傘はへこみ、支柱には蔦の跡が残っていたが、灯芯を守る硝子だけは奇跡的に割れていなかった。
「本当に、今夜ともるのかい」
集まった住民の一人が、不安そうに尋ねた。
リセラは街灯の根元にしゃがみ、露出した光脈へ検査針を当てた。冷たい。けれど、完全に死んでいるわけではない。地下のどこかから、ごく細い光が脈打っている。
「ともります。ただし、三本を同時には無理です。まず一本を整え、流れが安定したら次へ移ります」
「祭りなのに、一本ずつか」
「小さな灯りを、確実に増やします」
隣で地図を広げていたレオンが、街路の線を指でなぞった。
「この三本は、北の井戸から同じ枝脈につながっています。順番を間違えると、先に直した灯から光が逆流する可能性がある」
「なら、北から南へ」
「ええ。その順で測図します」
彼は住民に指示を出した。古い灯台を洗う者、足場を組む者、広場に卓を並べる者。誰もが最初は戸惑っていたが、やることが決まると手を動かし始めた。
ミナは、灯守の家から見つけた合図の糸を持って、子どもたちに結び方を教えている。三つの結び目を短く、ひとつを長く。昔の灯守が、離れた街灯へ異常を知らせるための合図だという。
「祭りの飾りにしては、ずいぶん真剣ね」
リセラが声をかけると、ミナは胸を張った。
「灯りのことなら、真剣でいいんだよ」
その言葉に、リセラは母の帳面を思い出した。地方の光は壊れているのではない。夜ごと中央へ送られている。母はそう記していた。
一本目の街灯を開くと、予想どおり星糸の端が不自然に細くなっていた。切れたのではない。誰かが糸を抜き取り、代わりに質の悪い銀線を結びつけている。
「これでは光が逃げます」
リセラが銀線を外そうとしたとき、広場の入口から乾いた声が飛んだ。
「王立灯路局の許可なく、資材を外すのは違法だ」
振り返ると、黒い外套の男が二人立っていた。胸元には、銀の天秤をかたどった商会章がある。男たちの後ろには、見覚えのある馬車が止まっていた。
「その灯街の資材は、ローデン商会が納入したものだ。勝手に触るなら、損害を弁償してもらう」
住民の間にざわめきが広がった。せっかく集まった手が、いくつも止まる。
レオンは地図を巻かずに立ち上がった。
「私は王立灯路局の測図官レオン・ハルツ。今回の修復は局の臨時命令に基づいている」
「命令書を見せてもらおう」
レオンが懐から書面を出すと、男は一瞥しただけで鼻を鳴らした。
「測図の許可だ。修復の許可ではない」
「修復が必要かどうかを測るための現場だ。危険な状態を放置しろというなら、あなたの署名で命じてください」
男は言葉に詰まった。住民の視線が一斉に集まる。リセラはその間に、抜き取った銀線を掌で折った。中は黒く変色していた。光を通すための線ではなく、流れを一方向へ逃がすための細工だ。
「この線は商会の資材ですね」
「だから触れるなと言っている」
「違います。これは灯りをともすための線ではありません」
リセラは折れた線を広場の卓へ置き、近くの住民にも見えるようにした。
「ここに細い溝があります。光を受けたまま、南の灯へ渡さず、地下の別の枝へ送るための溝です。これが三本とも同じ向きに入っている」
誰かが息を呑んだ。
「じゃあ、故障じゃなかったのか」
「ええ。戻す方法はあります」
リセラは針箱を開いた。母の記録を読んでから、星糸を扱う指先にはいつもより強い震えがあった。けれど、レオンが隣に膝をつき、地図の上に正しい流れを示す。
「北の井戸から、ここへ。次に西の角。最後に広場です」
「分かりました」
リセラは新しい星糸を取り出した。王都から持ってきたものは多くない。一本の長さを節約するため、切れた部分だけをつなぐ。針先が古い糸の端をすくい、細い光が縫い目に沿って走った。
最初の灯芯が、かすかに明るくなる。
住民から、低い歓声が上がった。
「まだです。ここで手を離さないで」
リセラが告げると、レオンは灯柱の側面に手を当てた。光の揺れを測っているのだろう。彼の指が、彼女の指先からほんの少し離れたところに重なる。
「安定しています」
「では、次へ」
二本目、三本目と修復を進めるたび、眠り街の道に金色の輪が増えていった。日が沈むころには、広場から北の井戸まで、三つの灯が途切れずに並んでいる。
祭りと呼ぶには、飾りも音楽も足りなかった。それでも、女将が焼いた小さな菓子が卓に並び、子どもたちは灯の下を走り、大人たちは何度も空を見上げた。
ミナが合図の糸を引く。短く三度、長く一度。
すると、広場の灯が一度だけ明滅した。続いて、北の井戸の方角から同じ明滅が返ってくる。
「返事が来た……?」
レオンが地図を開いた。明滅の間隔を記録し、地下の枝脈を一本書き足す。
「広場から西へ流れて、その先で王都方面の主脈に合流しています」
「光が流用されている道筋ですね」
「その可能性が高い。今夜、街灯を戻したことで、隠されていた流れが見えた」
祭りの灯を見つめながら、リセラは胸の奥が熱くなるのを感じた。母の記録は奪われた。台帳もまだ王都の地下にある。それでも、灯りをともせば、消された線の代わりに人々の目が証拠を見つけてくれる。
「リセラ」
レオンの声に振り向く。
「あなたが来るまで、この街は暗いままだった」
「私一人ではありません。みんなが手を貸してくれました」
「ええ。だから、あなたが最初の糸を通したことを忘れないでください」
不器用な言葉だった。けれど、彼が仕事の成果を誰か一人の功績にせず、それでも彼女の技術を曖昧にしないことを、リセラは知っていた。
「忘れません。あなたが測った道も」
レオンはわずかに目を細めた。灯りのせいかもしれない。頬に浮かんだ色まで、金色に見えた。
そのとき、商会の男たちが去った方角で馬車の音がした。広場の灯が照らした路面には、銀の天秤の印が押された紙片が落ちている。
リセラが拾うと、裏面に数字が一つだけ記されていた。
三百十七。
王都地下保管庫の番号と同じだった。
小さな町の灯祭りは、失われた光を喜ぶ夜で終わらなかった。眠り街から返された明滅が、王都へ続く隠し道を確かに示している。
リセラは紙片を帳面にはさみ、灯の列を振り返った。
「次は、王都の地下ですね」
「戻る前に、今夜の証人を記録します」
レオンが微笑んだ。
「灯りを見た人の数は、台帳の数字より多い」
小さな町から始まった灯祭りは、暗闇に隠された罪を、ひとつずつ照らし出していた。




