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婚約を解かれた星縫い令嬢は、消えた街の灯をつなぐ  作者: 銀細工ナギ


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7/20

消えた台帳を探して

 翌朝、空が白み始めるより早く、リセラは宿を出た。


 眠り街の広場には、昨夜と同じ一本の灯がともっている。夜明けの薄明かりに負けまいとするように、街灯は淡い金色を柱の周りへこぼしていた。


 その下で、レオンが地図筒を背負って待っている。


「眠れましたか」


「少しだけ。あなたは?」


「台帳の保管場所を三度確認していました」


 いつもの実務的な返事に、リセラは小さく笑った。彼が眠れなかった理由が、商会への警戒だけではない気がしたからだ。


 二人は街の北端にある、古い灯路局の出張所へ向かった。石造りの建物は長く使われていないらしく、扉の蝶番には赤錆が浮いている。けれど、鍵は新しかった。


 レオンが局員証をかざすと、鍵の表面に青い光が走った。扉は開いたが、中の空気は冷たく、紙と油の混じった匂いがした。


「ここに街路台帳が?」


「本来なら、現地保管分があるはずです。修復履歴、資材の搬入、光脈の測定値。街灯一本につき一冊か、少なくとも数枚の綴りが」


 窓のない記録室には、棚が六列並んでいた。レオンが持参した一覧表と棚の札を照らし合わせる。リセラはその隣で、指先に残る星糸の感覚を頼りに、紙の束を一つずつ確かめていった。


 帳面はあった。


 ただし、肝心の眠り街の分だけがない。


「第三区画から第七区画まで、まとめて欠落しています」


 レオンは空いた棚を見つめた。埃の積もり方から、帳面が抜かれたのは昨日や今日ではない。それでも、棚札だけは新しく差し替えられていた。


「誰かが、最初から無かったように見せた」


 リセラは棚の奥へ手を伸ばした。指先に、細い金属の縁が触れる。引き出すと、古い索引板が一枚出てきた。端に、昨日ミナが拾ったものと同じ銀の天秤が刻まれている。


「この番号……」


 レオンが金属片を取り出し、索引板の刻印と重ねた。


「同じ台帳を示しています。けれど、移管先の欄が削られている」


 削り跡は深く、文字を読み取れないよう故意に潰されていた。リセラは針箱から細い検査針を取り出し、刻印の溝へそっと差し入れる。光脈を縫うときと同じように、残った凹凸を指先で追った。


「王都、ではありません」


「分かるのですか?」


「文字は消えても、削った順番は残ります。最初の線は『中央』、次が……『地下』。そのあとに、数字が三つ」


 レオンは黙って数字を書き写した。


「王都中央灯路の地下保管庫、三百十七番。そこへ移された可能性がある」


「どうして地方の台帳を王都へ?」


「異常があった記録を、中央で再審査することはあります。ですが、移管には局の承認印と、理由の記載が必要です」


 彼は一覧表をめくった。眠り街の欄には、移管の印も理由もない。代わりに、鉛筆で引かれた細い線が、街の名前を横切っていた。


 そのとき、外で馬車の止まる音がした。


 レオンが窓のない壁を振り返る。足音が二つ、三つ。続いて鍵を差し込む音が聞こえた。


「商会です」


「なぜ、ここが分かったのでしょう」


「昨日の抗議で、私が局の保管庫を調べると言ったからでしょう」


 レオンは索引板を地図筒へしまった。リセラは削り跡を写した紙を折り、胸元の内側へ入れる。


 扉の向こうで、男の声がした。


「記録の確認に来た。開けなさい」


 レオンは扉の前に立った。


「局員として命令書を確認する」


「こちらにも局の許可がある」


「なら、扉越しでなく提示してください」


 沈黙が落ちた。やがて舌打ちが聞こえ、足音が遠ざかっていく。


 レオンはすぐには動かなかった。外の気配が消えるまで待ち、それから裏口へ続く細い通路を示した。


「出張所の裏は、旧灯守の住居につながっています。記録を持ち出すなら、こちらのほうが安全です」


「まるで、最初から逃げ道を知っていたみたいです」


「測図官は、道を知る仕事です」


 裏口の先には、蔦に覆われた小さな家があった。ミナの話に出てきた、倒れた灯守の住居だった。レオンが戸口の板を調べていると、リセラは軒下に細い光の筋を見つけた。


 星糸ではない。古い合図のための糸だ。


 針を抜き、ほつれた結び目を一つだけ直す。光が三度またたいた。


 背後から、ミナの声が飛んできた。


「それ、灯守さんの合図だよ。『灯を抜いた者は、北の井戸を見よ』って意味」


 少女は息を切らしていた。宿の女将から二人の行き先を聞き、追いかけてきたらしい。


「井戸の中に、台帳があるの?」


「分からない。でも、灯守さんは何かを隠すとき、いつもそう言ってた」


 三人は家の裏手へ回った。崩れかけた井戸の縁には、銀の天秤の印が薄く残っている。レオンが石蓋を持ち上げると、底から乾いた金属音が返った。


 縄を使って降ろした籠の中には、油紙に包まれた薄い帳面が入っていた。


 表紙には、眠り街の古い名前と、母印のような星形の印。


 リセラの呼吸が止まる。


 その印を、彼女は知っていた。母の裁縫箱の底に、同じ形の焼き印があった。


「これは……母の記録です」


 レオンは何も言わず、帳面を彼女の手へ渡した。


 最初の頁には、光脈の測定値が並んでいる。次の頁には、街灯を修復した日付。そして最後の数行だけが、乱暴に切り取られていた。


 残った文字を、リセラは一つずつ読んだ。


『地方の光は、壊れているのではない。

 夜ごと、中央へ送られている。

 送出先の名を記す前に、記録を奪われた』


 帳面の隅には、三百十七という数字があった。


 王都地下保管庫の番号だ。


 リセラは帳面を胸に抱いた。母が遺したのは、失われた街の記録だけではない。誰かが光を奪っているという、消されかけた証拠だった。


「王都へ行けば、続きを見つけられます」


「その前に、この街で灯を増やす」


 レオンの言葉に、リセラは顔を上げた。


「証拠を守るだけでは、商会の言い分を覆せません。住民に、光が戻るところを見てもらう必要がある」


「灯祭りの準備を?」


 ミナが目を輝かせる。


 リセラは、眠り街の向こうに見える暗い通りを見つめた。まだ消えた灯は多い。けれど、一本目をともしたときと同じように、縫い直せる光は残っている。


「ええ。台帳を奪った人たちが戻ってくる前に、街の灯を一つでも多く」


 レオンが地図を広げた。リセラはその上に針先を置く。


 消えた記録を探す手は、失われた灯を探す手と同じだった。


 暗闇の中で、まだ切れていない光の糸が、確かに次の場所へ伸びている。

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