光を売る商会の抗議
眠り街に最初の灯がともってから、三日が過ぎた。
一本だけの街灯は、夜ごと淡い金色を放っていた。明るさは王都の大通りに並ぶ星灯には遠く及ばない。それでも、灯の下を子どもが駆け、店先の老人が戸を閉める時刻を読めるようになった。人の顔が見える。それだけで、街は少しずつ眠りから目を覚ましていた。
リセラが街灯の根元で光脈の揺れを確かめていると、通りの向こうから騒がしい車輪の音が聞こえた。
黒塗りの馬車が二台、砂埃を上げて広場へ入ってくる。車体に描かれた銀の天秤。その紋章を見た瞬間、リセラの指が止まった。
ローデン商会。
王都で星灯資材を一手に扱う、ギルベルトの家の紋章だった。
先頭の馬車から、濃紺の外套を着た男が降りた。四十代ほどで、整えられた口ひげの下に、笑っているのか怒っているのか分からない唇がある。男は広場に集まり始めた住民を見回し、胸元から封蝋の押された書面を取り出した。
「王立灯路局の許可なく、違法な星糸を街灯へ接続した者がいるとの通報を受けました」
声はよく通った。わざと聞かせているのだろう。
「当該灯路はただちに停止し、使用された星糸はローデン商会が検査のため回収します。危険な粗悪品であれば、損害の責任を負っていただくことになりますな」
ざわめきが広がる。
男は名乗った。商会の灯材監査役、ヴァルドというらしい。
リセラは書面に視線を落とした。王立灯路局の印はある。しかし、許可番号の欄が不自然に狭く切り取られている。そこへ、地図筒を抱えたレオンが人垣を割って進み出た。
「監査命令なら、局員である私にも提示を」
ヴァルドは眉を上げた。
「これは局から商会へ委託された正式な監査です。あなたは測図官でしょう。資材の安全性に口を挟む権限はないのでは?」
「灯路を止める権限も、商会にはない」
短い言葉だったが、広場の空気が変わった。
レオンは書面を受け取り、隅々まで目を通す。リセラは彼の横から紙面を覗いた。停止理由は「接続方法の不明な光脈異常」。けれど、彼女が使ったのは、王立局から支給された星糸だ。粗悪品だというなら、最初に糸束を渡した局の記録と矛盾する。
「この命令には、どの灯路を停止するかが書かれていません」
リセラが指摘すると、ヴァルドの笑みがわずかに歪んだ。
「街に一つしか灯がないのです。分かるでしょう」
「分かりません。灯路は街全体の設備です。一本を止める命令と、街の光をすべて管理する命令は別物です」
住民の間から、低い同意の声が上がった。
ヴァルドはリセラを見た。その目に、王都の婚約披露の席で向けられたものと同じ冷たさが浮かぶ。役に立たない古い技術を弄ぶ令嬢。そう値踏みしている目だった。
「お嬢様、でしたな。婚約を解かれたばかりだというのに、ずいぶん勇ましい。あなたの立場では、商会の資材を使ったと認めるだけで精一杯でしょう」
「私の立場と、星糸の性質に何の関係が?」
「ローデン商会は、星灯資材の流通を管理しています。許可なく扱った技術は、商会の営業秘密に抵触する可能性がある」
「技術まで、商会の所有物だと?」
問い返した声は震えなかった。
星縫いは、母から教わった手仕事だ。光の撚れを見つけ、一本ずつ針で戻す。誰かが値札をつける前から、彼女の指はその光を知っていた。
ヴァルドは肩をすくめた。
「所有物かどうかは、王都で決めることです。ここで揉めるより、灯を消していただきたい。商会なら、代わりに新しい灯材を有償でお貸しできます」
有償。
住民の顔が曇る。一本の灯をともすために、いくら払えというのか。しかも、その灯は商会の都合でいつでも取り上げられる。
リセラは街灯を見上げた。星糸は静かに光っている。糸の中を流れる光は、地下の脈からまっすぐ上がっていた。誰かが無理に引けば、周囲の脈まで裂ける。
「検査をするなら、私も立ち会います」
「あなたが?」
「この灯を縫ったのは私ですから」
リセラは針箱を開き、糸の結び目を示した。
「ここをほどけば検査はできます。ただし、今夜の灯は消えます。再接続には三日、いえ、商会の資材なら一週間はかかるでしょう。その間、街の人たちはまた暗闇へ戻ることになります」
「脅しですか」
「事実の説明です」
レオンが地図筒から測図紙を広げた。街灯の位置と地下の光脈が、細い線で正確に描かれている。
「この灯は既存の脈に沿っている。接続前に測った数値と、点灯後の数値にも異常はない。停止する理由は存在しない」
ヴァルドは紙を見て、ほんの一瞬だけ目を細めた。
「測図官の地図が、資材の安全を保証するわけではない」
「なら、資材の出庫記録を出してください」
レオンの言葉に、ヴァルドの手が止まった。
「何の話です?」
「支給された星糸が粗悪品でないなら、どの倉庫から、いつ、誰の承認で出たか記録があるはずだ。今回の糸束には、局の封印が残っている。商会が回収する必要はない」
ヴァルドは書面を折り、外套の内側へしまった。
「ずいぶん商会を疑われる」
「疑っているのは、あなたがたです。根拠もなく、この街の灯を危険だと言った」
レオンの声には怒気がなかった。それがかえって強かった。
結局、ヴァルドは灯を回収できなかった。代わりに、三日以内に正式な停止命令を持って戻ると言い残し、馬車へ乗り込んだ。
車輪の音が遠ざかると、ミナが街灯の柱の裏から顔を出した。
「あの人たち、前にも来たよ」
リセラは振り返った。
「いつ?」
「灯守のおじいさんが倒れる少し前。大きな箱を運んで、地下道へ入っていったの。帰るとき、箱は空っぽだった」
ミナはポケットから、小さな金属片を取り出した。銀の天秤が刻まれている。古びた封印板の一部らしい。
レオンが受け取り、裏返す。そこには薄い数字の列が刻まれていた。
「灯路台帳の番号だ」
「台帳?」
「街ごとの光脈、資材、修復履歴を記した記録。局と商会の双方が保管している」
リセラの胸に、母の作業机で見た古い紙片がよみがえった。途中で切れた日付と、消された街の名前。母は何かを見つけ、書き残そうとしていたのではないか。
「台帳を見れば、誰がこの街の光を動かしたのか分かる?」
「残っていれば」
レオンは金属片をリセラへ返した。
「商会が先に隠す可能性がある。明日、局の保管庫を調べる」
「私も行きます」
「抗議の相手は、あなたを名指しするかもしれない」
「だからです。私の針が粗悪品ではないと証明したい。それに、この街の灯を売り買いする人たちが何を隠しているのか、私自身の目で確かめます」
レオンはしばらく黙っていた。それから、地図を巻きながら言った。
「分かった。明朝、出発する」
街灯の光が、彼の横顔を照らした。地図の上に落ちた光は、細い糸のように見える。
リセラは針箱を閉じた。
灯を消させないためには、光だけでなく、光がどこから来て、誰の手を渡ったのかを知らなければならない。
明日、二人は消えた記録を探しに行く。




