役立たず令嬢に届いた修復依頼
朝になっても、王都には灯りが戻らなかった。
窓の外では、夜明けの薄青い空に、消えた街灯の柱だけが並んでいる。普段なら光脈の余熱が淡く残る時刻なのに、通りは冷えた灰色をしていた。人々は家の前に出て、声をひそめている。昨夜の騒ぎが夢ではなかったと確かめるように、誰もが空を見上げていた。
リセラはセルディ家の小さな工房で、母の針を布に並べていた。
銀、藍、透明。三本の針先に、それぞれ違う色の星糸を通す。星糸は光を含むほど細くなり、指先の熱だけでも切れてしまう。けれど、光脈の流れを読みながら綻びへ通せば、遠く離れた灯りにも力を分けられる。
昨夜、王都から流れ出していた光は、北西へ向かっていた。
母の手帳を開くと、古い地図の端に、何度も消された町の名が残っている。
――ベルナード。
王都から星脈をたどった先にある、鉱山跡の町。十年前の記録では、街路灯の修繕費が打ち切られたことになっていた。今も人が住んでいるのかさえ、王都の台帳には記されていない。
「お嬢様、灯路局から使いの方が」
工房の戸口から、家令のオルドが呼びかけた。
リセラは針を置き、手を洗った。婚約を解かれた翌朝に、王立灯路局から使いが来る理由などひとつしか思いつかない。
応接間に入ると、濃紺の外套を着た若い男が立っていた。胸元には灯路局の銀章がある。男は封蝋のついた書状を差し出し、形式ばった礼をした。
「リセラ・セルディ嬢ですね。王立灯路局、臨時修復案件の通知をお届けします」
「私に、ですか」
「はい。昨夜の異常流出を受け、北西辺境ベルナードの灯路を緊急に確認することになりました」
書状には、依頼内容と報酬が簡潔に記されていた。ベルナードの地下光脈を調査し、主要街路の灯りを三本以上復旧させること。期限は七日。成功すれば、王立灯路局の認可職人として登録する――。
最後の一文に、リセラの指が止まった。
星縫いとして仕事を得るには、資材商会の推薦か、灯路局の認可が必要だった。昨日までのリセラには、そのどちらもなかった。ローデン商会の後ろ盾を失った今、王都で工房を続けることすら難しい。
「なぜ、私を?」
使いの男は、ほんの少し目を伏せた。
「局の記録に、セルディ家の星縫いなら古い光脈にも対応できる、とあります」
「記録にあるのなら、もっと早く依頼をくださればよかったのに」
思わず口にすると、男は答えなかった。
代わりに、書状の裏面に添えられた小さな地図が目に入った。ベルナードへ続く光脈は、王都から北西へ伸び、途中で二つに分かれている。その片方は町へ、もう片方は地図にない施設へ向かっていた。
昨夜、空へ流れた銀の光は、まさにその方向だった。
「この依頼は、ベルナードの灯りを直すだけではありませんね」
リセラが尋ねると、使いの男は沈黙した。
「流用された光脈の行き先を、確かめたいのではありませんか」
「私は伝令です。詳しい事情は、現地で担当官にお尋ねください」
担当官。その言葉に、書状の隅にある署名が目に留まった。
測図官、レオン・ハルツ。
母の手帳に残る地図と同じように、ベルナードへの線だけが何度も引き直されている。誰かが長いあいだ、この町の灯りを見ようとして、見せてもらえなかったのだ。
「お父様には、私から話します」
リセラは書状を受け取った。
使いが帰ると、オルドが心配そうに眉を寄せた。
「北西辺境へおひとりで行かれるおつもりですか。ローデン商会との婚約がなくなったばかりです。先方が、今回の依頼を快く思うとは……」
「快く思うかどうかは、私の仕事ではありません」
言ってから、胸の内に残っていた昨日の痛みが、少しだけ形を変えた。
役立たずだと言われた。だからといって、針まで役立たずになるわけではない。必要としている灯りがあるなら、そこへ行けばいい。
父の寝室を訪ねると、病床の子爵は書状を読み、長い息を吐いた。
「ベルナードか。あそこは、王都が見捨てた町だ」
「だからこそ、行きます」
「セルディ家には馬車を出す余裕がない。旅費も、失敗すれば返ってこないぞ」
「報酬の前払いを求めます。針と糸は私が持っています。足りないものは、現地で調達します」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
父はしばらく黙り、それから机の引き出しを開けた。中から、母の工房印が押された古い木箱を取り出す。
「お前の母が、最後まで手放さなかったものだ。私には使い道が分からなかったが、持っていけ」
箱の中には、星糸を巻く小さな枠と、見覚えのない黒い針が一本入っていた。針の柄には、ベルナードの古い街章が刻まれている。
リセラはそれを手に取り、窓の外を見た。
消えた王都の灯りの向こう、北西の空には、まだかすかな銀の筋が残っている。
「行ってきます。ベルナードの灯りを、取り戻してきます」
婚約を失った令嬢としてではなく、星縫いとして。
その日の夕刻、リセラは修復依頼の書状と母の木箱を鞄に収めた。翌朝、王立灯路局の測図官と合流するために。




