婚約の席で、星灯が消えた
星灯の明かりは、夜の食卓を祝福するように揺れていた。
王都の貴族街にあるローデン商会の迎賓館。その大広間には、天井から吊られた十二の星灯と、壁際に並ぶ小さな灯籠があった。どれも銀色の光を湛え、磨き上げられた床に星屑のような影を落としている。
リセラ・セルディは、その光を見上げながら、膝の上で指を重ねた。
灯りの中心には、細い光脈が走っている。空から降った星のかけらを糸にして、硝子の芯へ縫い込んだものだ。近くで見れば、光の脈打ちにわずかな乱れがある。右から四番目の灯籠だけ、明滅の間隔が少し長い。
――明日の朝には、縫い直したほうがいい。
そう考えたところで、向かいに座るギルベルトが、わざとらしく咳払いをした。
「リセラ。今夜は灯りの検分に来たわけではないだろう」
「ごめんなさい。気になったものだから」
「そこが問題なのだ」
ギルベルトは淡い金髪を整え、集まった客たちに聞こえる声で言った。彼の父であるローデン商会会頭、セルディ家の親族、そして王都の星灯資材を扱う商人たちが、食事の手を止めてこちらを見ている。
「セルディ家の令嬢は、食事の席でも古びた技術のことしか考えられない。星縫いなど、もう必要のない仕事だ」
胸の奥が、針先でつつかれたように痛んだ。
「古びていても、光脈を整えるには――」
「整える? 君のお母上が残した手帳に、そう書いてあったのかもしれないね」
ギルベルトは笑った。親しげな笑顔ではなかった。値札を確認する商人の顔だった。
「だが今は、工房で機械が星晶を加工する時代だ。職人が一本ずつ糸を通す必要などない。まして、没落寸前の家が誇れるものでもないだろう」
セルディ家の領地には、かつて星縫いの工房があった。母が亡くなってから、注文は少しずつ減り、父の残した借財だけが増えた。それでもリセラは、母の針と記録を手放さなかった。
光は、機械で形を整えるだけでは長く保たない。地下を走る光脈の癖を読み、綻びに合わせて糸の張りを変える。母はそう言っていた。
「私の技術が必要かどうかは、灯路が決めることです」
声が震えないように、リセラはゆっくり言った。
何人かが小さく息を呑んだ。ギルベルトの眉が上がる。
「では、灯路に聞こう。リセラ・セルディとの婚約を、この場で解消する」
広間の空気が凍った。
彼は懐から一枚の書面を取り出した。ローデン商会の印章が押されている。婚約の解消に必要な手続きは、すでに整えられていたらしい。
「君には商会の妻として、利益を生む役目を期待していた。しかし役立たずの技術に執着する女性を迎える余裕はない」
「……役立たず」
その言葉が、広間じゅうの光よりも鮮明に耳へ残った。
リセラは書面を受け取らなかった。代わりに、卓上の燭台へ目を向ける。光の芯が、かすかに震えていた。
右から四番目の灯籠が、ひとつ瞬く。
次の瞬間、銀色の光が消えた。
誰かが声を上げた。
ひとつ消えた灯りを追うように、壁際の灯籠が順番に沈黙していく。天井の星灯も、ひとつ、またひとつと暗くなった。闇は波のように広がり、最後に残った中央の灯りが大きく揺れる。
リセラには見えた。
光脈が切れたのではない。どこかへ引かれている。地下の流れが、王都の中心から外へ向かって逆巻いていた。
「全員、動くな!」
会頭が叫んだが、椅子の倒れる音と人々の悲鳴がそれをかき消した。給仕が壁に手をつき、窓の外では遠くの街灯まで消えていく。大通りの角、噴水広場、王城へ続く橋。そのすべてが、夜の底へ落ちていった。
リセラは立ち上がった。胸の痛みは消えていない。それでも、目の前の綻びを見過ごすことはできなかった。
「糸を。細い星糸があれば、中央灯だけでも――」
「触るな!」
ギルベルトが腕をつかんだ。
「これは商会の設備だ。君が余計なことをして壊したら、責任を取れるのか」
「壊れているのは設備ではありません」
リセラは彼の手を見下ろした。
「誰かが光を、別の場所へ流しています」
言い切ったとき、窓の外で一筋の光が走った。星ではない。王都の地下から吸い上げられた銀の流れが、遠い北西へ向かって空を染めている。
会頭も、商人たちも、ただ呆然とそれを見ていた。
ギルベルトの指から力が抜ける。
リセラは腕を取り戻し、暗い窓辺へ歩いた。婚約を解かれた夜に、街の灯りまで奪われるなんて、あまりにも出来すぎている。
けれど、闇の中で見えた光脈の流れは、母の手帳に描かれていた古い図と同じだった。
まだ、終わっていない。
自分の針で直せる綻びが、きっとどこかにある。
その夜、王都のすべての鐘が、灯りの消失を告げるために鳴り始めた。




