救われるのではなく、並んで歩く
王宮の謁見の間は、眠り街の灯路よりも明るかった。
天井から吊られた星灯が、磨き上げられた床に白い光を落としている。けれど、その光を見上げるほど、リセラの胸には、あの街の暗闇がはっきりと思い出された。
灯りのない通りで、ミナが小さな手を握っていたこと。井戸のそばで、古い灯守が「三つ、間を置いて二つ」と、遠い昔の合図を教えてくれたこと。そして、母の記録に残されていた、光脈の流れを示す細い線。
すべてが、今日ここへ来るための糸だった。
「セルディ嬢は、ローデン商会の資材を無断で使用し、許可のない技術で灯路を改変した」
広間の中央で、ギルベルトが声を張った。以前なら、その声を聞くだけで背筋がこわばっただろう。今は違う。彼の言葉は、古びた布に残った染みのように、もうリセラの形を決める力を持っていなかった。
「技術の所有権は商会にあります。彼女が修復できたのも、商会が管理する星糸を使ったからです」
「では、商会が管理する星糸を、どの地方のどの灯路へ、どれだけ流したのか。台帳を見せてください」
レオンが一歩前へ出た。声は静かだったが、広間の隅までよく届いた。
ギルベルトの顔から、わずかに色が引く。
レオンは王立灯路局の大判の地図を、床に広げた。青い線が地方都市から王都へ向かい、いくつもの箇所で不自然に細くなっている。隣に置かれたのは、商会が提出していた流量台帳と、リセラの母が残した修復記録だった。
「こちらは局の測図です。こちらは商会の申請記録。そして、これが現地で確認した光脈の状態です」
レオンの指が、王都へ向かう一本の線をたどる。
「申請上は、地方の灯路を維持するための流量が確保されている。しかし実際には、地方へ戻るはずの光が王都側へ流されていた。帳簿の数字は、切り替え弁を動かした日付ごと改ざんされています」
「測図官ひとりの推測でしょう」
ギルベルトが吐き捨てる。
そのとき、広間の後ろから小さな足音が響いた。
「推測じゃないよ」
ミナが、古い革袋を両手で抱えて歩いてきた。隣には、眠り街の灯守と、灯路局の若い記録官がいる。
「おじいちゃんの小屋の床下にあったの。灯りを消した日を、ずっと書いてた帳面。三つ消えて、間を置いて二つ戻る。そういう日は、いつも王都の祭りの日だった」
少女が差し出した帳面を、記録官が受け取った。震える手でページをめくり、記された日付を台帳に重ねる。何度照らし合わせても、同じ結果になった。
「証人は、ほかにもおります」
レオンの合図で、眠り街から来た人々が順に前へ出た。灯りが戻った夜のこと、切り替え弁に刻まれた商会の印、修復前には決して動かなかった古い灯具。ひとりひとりの話は小さかったが、集まると、改ざんの輪郭を崩しようのない形にした。
最後に、リセラは母の記録を開いた。
「母は、星縫いの技術を商会へ売り渡したのではありません。灯りを使う人のために、誰がどこを直したかを残しました。だからこの記録には、材料の数だけでなく、井戸の水位や、子どもが帰宅する時間まで書かれています」
彼女は懐から針を取り出した。星糸を通し、床に広げた地図の上、光脈が途切れた箇所を示す。
「技術を持つ人間だけで、灯りの行き先を決めてはいけない。灯路は、帳簿の数字ではなく、そこで暮らす人の生活につながっているからです」
広間が静まった。
やがて、王の代理として出席していた灯路監査官が立ち上がった。
「提出された証拠を受理する。ローデン商会の地方流量管理権は、調査が終わるまで停止。王立灯路局には、地方の灯守と職人を含む監査組合を設置する。星縫いの許可制度も、単独の商会に技術を帰属させない形へ改める」
その言葉が落ちた瞬間、リセラの指先から力が抜けた。勝った、と思うより先に、長く張り詰めていた糸がほどけていく感覚があった。
ギルベルトは何か言いかけたが、もう誰も彼の言葉を待ってはいなかった。
謁見の間を出ると、王宮の回廊には夕暮れの風が流れていた。レオンが、少し離れたところで足を止める。
「これから、どうする」
「工房を開きます」
答えは、驚くほど自然に出てきた。
「セルディ家の名を借りるのではなく、私の名前で。地方の職人が記録を持ち寄れて、星縫いを学びたい人が学べる工房を」
「王立灯路局からの誘いもある。監査組合の技術顧問という話だ」
「それも、私が選びます」
リセラが言うと、レオンはわずかに目を細めた。
「そうだな。君が選ぶべきだ」
以前の彼なら、危険だからやめろと止めたかもしれない。けれど、今のレオンは決める権利を奪わず、ただ選択肢を並べてくれる。
「レオンは?」
問いかけると、彼は回廊の窓の外を見た。王都の灯りが、ひとつ、またひとつと点っていく。
「地図を描く。君の工房が、どの街のどの灯りにつながるのか、正確に残したい」
「それは、顧問として?」
「いや」
レオンはリセラへ向き直った。
「仕事の相棒として。……その先も、君が望むなら」
胸の奥で、星糸がかすかに光った気がした。
「私、救われたいわけではありません」
「知っている」
「ひとりで歩けるようになったから、誰かと歩くのを選びたいんです」
レオンは頷いた。差し出された手は、引っ張るためではなく、歩幅を合わせるためのものだった。
リセラはその手を取った。
王宮の外へ出ると、夜の街路に星灯が連なっていた。まだ、すべての灯りが戻ったわけではない。けれど、どの灯りをどこへつなぐのかを、今度は誰かひとりに決めさせない。
二人は並んで歩き出した。
その先に待つ、新しい工房と、新しい朝へ向かって。




