新しい朝を縫う
朝の光が、工房の窓から細く差し込んでいた。
王都の南門近くにある、かつて荷車置き場だった建物。壁は古く、床には傷が残っていたけれど、屋根を直し、窓を増やし、長い作業台を置けば、そこはもう誰かに忘れられた場所ではなかった。
入口に掲げた木の看板には、まだ新しい文字でこう記されている。
――星継ぎ工房。
リセラは看板の端に、最後の一針を通した。淡い星糸が朝日に触れて、文字の周りに小さな光の輪をつくる。
「できました」
後ろから声がして振り返ると、ミナが両手を胸の前で握って立っていた。今日は町で集めた灯路の記録を持ってきたらしい。背が伸びたように見えるのは、髪を結んだせいだけではないだろう。
「見せて。昨日の続きね」
「うん。南の井戸の灯具は、雨の次の日だけ少し暗くなるの。灯守のおじいちゃんが、三年前から書いてた」
ミナが差し出した帳面を、リセラは丁寧に受け取った。材料の量だけではわからない、暮らしの中の変化。誰がいつ困り、どの灯りを頼りに夜道を歩くのか。そうした記録こそ、星縫いが最初に見るべきものだと、母の手帳は教えてくれていた。
「よく見つけたわ。午後に測図と照らし合わせましょう」
「私も照らし合わせていい?」
「もちろん。ここでは、記録を持ってきた人が仲間よ」
ミナは嬉しそうに頷き、帳面を開いた。
工房の奥では、三人の職人がそれぞれ別の灯路布を広げている。地方から送られてきた修復依頼は、もう王立灯路局と商会だけを通るものではない。新しくできた灯路監査組合が各地の記録を集め、町の人々と職人が必要な場所を相談して決める仕組みになった。
最初は、そんなやり方で本当に王都まで光が届くのかと疑う声もあった。けれど、眠り街で灯りを取り戻した人々が証人となり、ひとつの街で直した方法を次の街へ伝えてくれた。灯守は切り替え弁の変化を記し、子どもたちは暗い道を地図に描き、職人たちは互いの縫い目を確かめた。
灯りは、誰かが一方的に与えるものではない。
その当たり前を、町ごとに少しずつ形にしていく。それが、リセラの選んだ仕事だった。
「おはよう」
開け放した扉から、レオンが入ってきた。片腕には巻いた地図、もう片方の手には紙袋がある。
「おはようございます。今日は早いですね」
「君が開業初日から休まないと思った」
「初日ではありません。もう三か月です」
「なら、三か月記念の朝食だ」
紙袋から焼きたてのパンが現れると、ミナが歓声を上げた。レオンは地図を作業台の端へ置き、リセラの隣に立つ。
「西部三都市の光脈図を更新した。来月から、君の工房と局で共同の巡回を始める」
「局の仕事を、工房に任せてもらえるんですか?」
「任せるという言い方は正確ではない。組合の決定だ。君の工房も、局も、町の灯守も、同じ一票を持つ」
以前なら、許可をもらえたことだけで喜んだかもしれない。けれど今は、仕事の方法も、受ける依頼も、自分で選べる。リセラは地図の上に指を置き、細い青線をたどった。
「この街から始めましょう。井戸の灯具を直したら、次は北の通学路を。記録を持ってきた人たちと、順番を決めたいです」
「わかった」
レオンの返事はいつも簡潔だった。けれど、その短い言葉には、リセラの判断を信じて任せるという意味がある。
午前の作業が一段落した頃、彼は窓辺で足を止めた。外では、新しい灯柱に職人が星糸を張っている。昼の光の中では見えにくい糸が、夜になれば道筋を示すはずだ。
「リセラ」
呼ばれて、彼女は針を置いた。
「俺は、これからも君と働きたい」
「知っています。仕事の相棒として、でしょう?」
「それだけではない」
レオンは少しだけ視線を伏せ、それからまっすぐに彼女を見た。
「君がひとりで歩けることを知っている。君の選択を変えたいわけでも、守る名目で隣に立ちたいわけでもない。ただ、君が望むなら、仕事の後の時間も、その先の人生も、一緒に歩きたい」
胸の奥で、星糸が静かにほどけた。婚約を解かれたあの日から、ずっと締めつけられていた結び目が、今度は自分の手でやわらかく解かれていく。
「私も、レオンと歩きたいです」
言葉にすると、朝の光がいっそう明るくなった気がした。
「工房を大きくして、いろいろな街へ行って、失われた灯りをつないでいきたい。忙しくて、意見がぶつかる日もあるでしょうけれど」
「そのときは、地図を広げる」
「私は針を持ちます」
「なら、並んで歩ける」
レオンが手を差し出す。引き寄せるためではなく、歩幅を確かめるための手だと、もう知っている。
リセラはその手を取った。
その日の夕暮れ、工房の灯りが初めて一斉にともった。窓辺の星灯、作業台の小さな明かり、入口の看板に縫い込んだ光。通りを歩く人々が足を止め、口々に祝福を送る。
リセラは、母の手帳を棚の中央に置いた。そこには、まだ空白の頁がたくさんある。
これから、誰かの暮らしと、誰かの願いと、誰かの手が、その頁を埋めていくのだろう。
他人の言葉に価値を決められる人生は、もう終わった。
自分の針で選び、自分の足で進み、望む人と並んでつくる未来が、ここから始まる。
夜空から落ちた星の光を、リセラは新しい糸にした。
そして、まっさらな朝へ向かって、最初の一針を通した。




