王都へ戻る、証拠を抱いて
眠り街を出る朝、空は薄い灰色をしていた。
けれど、通りの角に並ぶ街灯には、ひとつずつ淡い光がともっている。昨夜、灯祭りの最後に修復した灯路は、夜明けまで消えなかった。窓を開けた人々が手を振り、パン屋の女主人が焼きたての包みを馬車へ押し込んでくる。
「道中で食べて。王都の人たちにも、ここの灯りの味を教えてやっておくれ」
味は変わらないはずなのに、その言葉がうれしくて、リセラは何度も頭を下げた。
荷台には、封蝋を施した木箱が積まれている。光脈の流れを記した旧台帳の写し。母が残した修復記録。王都へ運ばれた光の量と、地方へ戻された量を照らし合わせたレオンの測図。そして、灯守だった老人たちの証言を綴じた冊子。
どれも一枚で商会を追い詰められるようなものではない。だが、重ねれば、偶然では片づけられない形になる。
「本当に、これを王立灯路局へ提出するのですか」
リセラが尋ねると、御者席の隣に座ったレオンが振り返った。彼はいつもの濃紺の外套を着ている。眠り街の泥が裾に残り、手には地図を巻いた筒が抱えられていた。
「提出する。記録の改ざんを疑うなら、記録を持っている者が声を上げるしかない」
「私の母の名前も、そこには書かれています」
「書かれている事実を消す必要はない」
迷いのない答えだった。
母の記録には、光脈を王都へ集めるために地方の分岐を細らせる計画が、何年も前から続いていたことが示されている。そして最後の頁には、母の筆跡でこう記されていた。
――灯りは、強い場所へ集めるためにあるのではない。必要な場所へ、同じように届くためにある。
その一文を見つけたとき、リセラは泣いた。母が技術を捨てなかった理由を、初めて知った気がしたからだ。
馬車が街道を進む。窓の外で、眠り街の人々が小さくなっていく。ミナは最後まで追いかけてきて、門のところで両手を口に添えた。
「リセラさん! 王都の灯りが変だったら、合図を思い出して!」
古い灯守から教わった、三つの短い点灯と、一つの長い点灯。街灯同士で異常を伝えるための合図だという。
リセラは胸元の針入れに触れた。ミナがくれた小さな青い糸玉が入っている。
「必ず戻ってくるわ!」
そう叫ぶと、ミナは笑った。戻る場所がある。そのことが、王都へ向かう胸の奥を少しだけ軽くした。
王都の城壁が見えたのは、夕暮れ前だった。
以前なら、空から降る光を受けて金色に輝く尖塔に、リセラは誇らしさを覚えただろう。だが今は、城壁の内側へ伸びる光脈の束が、まるで細い川を無理にせき止めているように見えた。
門をくぐると、街路の灯りは明るい。明るすぎるほどだった。白い光が石畳を照らし、店先の飾りまで昼間のように浮かび上がらせている。その一方で、外縁区へ向かう道には、灯りの途切れた場所がいくつもあった。
「戻ってきたな」
灯路局の前で馬車を降りたレオンが言った。
「はい。でも、王都は眠り街より明るいのに、暗く感じます」
「見えるようになったからだ」
その言葉に、リセラは彼を見た。レオンは箱をひとつ持ち上げる。彼女が運ぼうとした箱には、先に手をかけていた。
「それは私の証拠です」
「だから落とすな」
「自分で持てます」
「知っている。だが、二人で運んだほうが早い」
仕事の話なのに、耳が熱くなった。
局内へ入った途端、受付の職員たちがざわめいた。眠り街から帰還する予定は伝えてあったが、リセラがここへ来たときとは空気が違う。廊下の奥から、ギルベルトの声が響いた。
「その箱を、勝手に開けるつもりか?」
商会の徽章をつけた彼が、数人の従者を連れて立っていた。かつて婚約者だった男の顔には、怒りよりも計算が浮かんでいる。
「勝手ではありません。王立灯路局の調査資料として提出します」
リセラは箱の前に立った。
「地方の灯路に関する記録は、ローデン商会の管理下にある。君が持ち出せるものではない」
「では、なぜ商会の帳簿にない分岐まで、あなたが管理しているのですか」
レオンが静かに問うた。彼の手から、測図の写しが一枚差し出される。
廊下の空気が止まった。
ギルベルトの視線が紙へ落ちる。そこには王都へ流れ込む光脈の流量と、眠り街の灯が消えた日付が、正確に重ねられていた。
「測図官ごときが、商会の業務に口を出すのか」
「業務ではなく、街の安全の話です」
レオンは一歩も退かなかった。
リセラは箱の封蝋を見つめる。赤い蝋の中央には、彼女自身の印が押されている。誰かに許されるためではなく、自分が確かめたものを、自分の責任で差し出すための印だ。
「この記録は、明日の朝、局長立ち会いのもとで開封します」
声は震えなかった。
「そして、王都の職人と市民が見られる場所で、光脈の実演修復を行います。暗い街を明るくする方法を、商会の奥に隠したままにはしません」
誰かが息をのんだ。窓の外では、夕暮れの街灯が一斉にともり始めている。
その光の下で、ギルベルトは初めて言葉を失った。
リセラは隣のレオンを見上げた。彼は頷いただけだったが、その目には、眠り街で見たのと同じ信頼があった。
明日、門をひらく。
王都の人々の前で、針を持つ。
母から受け継いだ技術を、誰かの所有物ではなく、自分の仕事として示すために。
そして今度は、消えた灯りの数を、誰にも隠させないために。




