表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
百年後に蘇った勇者は、自らが遺した三本の聖剣を破壊する  作者: situ725


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/17

第8話 一つ目の終焉

 ノーゼンの南門が見えたとき、空はすでに赤く染まり始めていた。


 夕焼けではない。


 街道の向こうから迫る、フレイムベルグの光だった。


「まだ着いてない」


 リナが息を切らしながら言った。


「グレンたちの旗が見えない」


 細い農道を抜けた三人は、南門へ向かって走り続けていた。


 足元を包む風が、身体を前へ押している。


 だが、フィオナの顔色は明らかに悪かった。


 銀白色の髪が汗で頬へ張りつき、呼吸も浅い。


「フィオナ」


 アルトが速度を落とす。


「止まらないで」


「顔色が悪い」


「走りながら言わないで」


「休め」


「町が焼かれるのに?」


 フィオナはアルトを睨んだ。


「あなたこそ、左腕を使わないで」


「努力する」


「信用できないわ」


 そのやり取りを聞きながら、リナは南門を指さした。


「門が閉まってる!」


 ノーゼンの城壁は、それほど高くない。


 元々は交易の町だった。


 軍事拠点として作られたわけではなく、城壁も盗賊や魔物の侵入を防ぐ程度のものだった。


 門の上では、フェルナの古い紋章をつけた兵士たちが弓を構えている。


「止まれ!」


 門上から声が飛ぶ。


「何者だ!」


「フェルナ出身よ!」


 リナが叫んだ。


「北の街道からガルディア軍が来る! 町を焼くつもりよ!」


 兵士たちの間に動揺が走る。


「ガルディア軍なら、すでに斥候が確認している!」


「なら、どうして避難させてないの!」


「町を捨てれば、ルミナス軍が入れなくなる!」


 リナの表情が固まった。


「何を言ってるの?」


「ノーゼンは、ルミナス軍の補給拠点になる!」


 門上の兵士が答える。


「先遣隊は、もう西の街道まで来ている! あと少し持ちこたえれば合流できる!」


「町の人はどうなるの!」


「ルミナス軍が来れば守ってもらえる!」


「間に合わなかったら?」


 返事はなかった。


 アルトは門の上を見上げる。


「責任者と話したい」


「誰だ、お前は」


「アルト・レイヴァン」


 一瞬、城壁の上が静まり返った。


 やがて、別の兵士が吐き捨てるように言った。


「勇者を名乗る偽物か」


「本物かどうかは後でいい」


 アルトは北の街道を見る。


「ガルディア軍は、フレイムベルグで町を焼くよう命令されている」


「だからこそ、ルミナス軍を待つ!」


「避難を始めろ」


「町を捨てろと言うのか!」


「町より先に、人を守れ」


「ここを失えば、フェルナを取り戻す機会が消える!」


 リナが門へ詰め寄る。


「取り戻すって、誰のために?」


「フェルナの民のためだ!」


「その民を町に残したまま?」


「黙れ!」


 門上の兵士が弓を引いた。


「お前たちは、ガルディアの回し者かもしれない!」


 アルトは北の空を見る。


 赤い光は、先ほどよりも強くなっていた。


 力ずくで入れば、町の兵士たちから敵と見なされる。


 それでも、門の外で説明を続けている間にグレンが到着すれば、避難する時間そのものが失われる。


 アルトは小さく息を吐いた。


「話している時間がないな」


「どうするの?」


 リナが尋ねる。


「門を開けてもらう」


「聞いてくれそうにないけど」


「そうだな」


 アルトは無銘の剣へ手をかけた。


「壊すの?」


「なるべく壊さない」


「なるべく?」


 アルトは門の蝶番を見る。


 古い鉄。


 城壁へ埋め込まれた留め具。


 門自体を破壊すれば、町の防御を失う。


 だが、閂だけなら。


 アルトは人ではなく、閂だけを壊すことを選んだ。


「フィオナ」


「分かってる」


 フィオナが指先を門へ向ける。


 細い風が木板の隙間へ入り込んだ。


 門の内側を探り、巨大な閂の位置を確かめる。


「右側。上から二つ目の金具」


「助かる」


 アルトが剣を抜いた。


 門上の兵士たちがざわめく。


「構えろ!」


 矢が放たれた。


 アルトは走る。


 飛来する矢を無銘の剣で払う。


 一歩。


 二歩。


 門の直前で踏み込み、剣を突き出した。


 風をまとった切っ先が、木板の隙間へ入り込む。


 硬い音。


 内側の金具が砕けた。


 巨大な閂が傾く。


 アルトは剣を引き、もう一度突く。


 二本目の留め具が壊れた。


 門が内側へわずかに開く。


「押して!」


 リナが隙間へ身体を入れた。


 フィオナも風を送る。


 三人で押し込むと、重い扉が軋みながら動いた。


「侵入者だ!」


 町の兵士が駆け寄ってくる。


 アルトは剣を構えたが、斬りかからなかった。


「戦うつもりはない」


「門を壊しておいて何を言う!」


「閂だけだ。後で直せる」


「今すぐ捕らえろ!」


 数人の兵士が槍を向ける。


 その向こうには、町の人々が集まっていた。


 荷物を抱えた女性。


 杖をつく老人。


 泣いている子ども。


 避難の準備をしている者もいる。


 だが、多くは何が起きているのか分からず、門前の騒ぎを見つめていた。


「聞いてくれ!」


 アルトが声を張る。


「ガルディア軍が、この町を焼くために来る!」


 人々の間にざわめきが広がる。


「嘘だ!」


 兵士が叫ぶ。


「敵は町を奪うために来る! 焼けば利用できなくなる!」


「だから焼くんだ」


 アルトは北を指した。


「ルミナス軍に使わせないために」


 誰かが息をのんだ。


「今からでも南へ逃げろ」


「家はどうなる!」


「店は!」


「畑は!」


「残れば死ぬかもしれない」


 アルトの言葉に、町の人々は黙った。


 迷うのは当然だった。


 家を捨てろと言われて、すぐに動ける者などいない。


 アルト自身も分かっている。


 だからこそ、時間が必要だった。


「リナ」


「何?」


「避難できる道は?」


「南門を出た先の農道。そのまま東へ行けば、古い石切り場がある」


「何人くらい入れる?」


「町全員は無理。でも、子どもと怪我人なら」


「先にそっちへ」


「分かった」


 リナは町の中央へ向かって走り出した。


「子どもと動けない人を集めて! 荷物は必要なものだけ!」


 人々はすぐには動かなかった。


 リナは近くにいた女性の腕を取る。


「その子を連れて南門へ!」


「でも、夫が――」


「どこにいるの?」


「北側の倉庫に」


「私が探す。先に行って!」


 女性は迷った末、幼い子どもを抱き上げた。


 それを見て、別の者も動き始める。


 フィオナがアルトの隣へ立った。


「町全体を守る結界は張れないわ」


「分かってる」


「移動に力を使いすぎた」


「休んでいろ」


「あなた一人でフレイムベルグを止めるつもり?」


「そのつもりはない」


「嘘ね」


「ばれたか」


「百年前から変わらないわ」


 アルトは北の空を見る。


 赤い光が強くなっている。


「来る」


 地面がかすかに震えた。


 蹄の音。


 鎧の擦れる音。


 帝国軍の旗が、街道の向こうに現れる。


 黒地に赤い獅子。


 その先頭に、グレンがいた。


 アルトを取り囲んでいた町の兵士たちも、北から迫る軍旗を見て武器を下ろした。


「そいつの拘束は後だ!」


 指揮官が叫ぶ。


「全員、北壁へ回れ!」


 今は侵入者を捕らえるより、城壁の防衛を優先するしかない。


 ノーゼン北門の兵士たちが慌ただしく動き始める。


「弓兵、配置につけ!」


「油を運べ!」


「ルミナス軍はまだか!」


 アルトは兵士たちに続き、城壁へ上がった。


 遠く、西へ続く道にも目を向ける。


 軍旗らしきものは見える。


 だが、町へ到達するには、まだ時間がかかる距離だった。


「先遣隊はいる」


 フィオナがつぶやく。


「でも、間に合わないな」


「ああ」


 グレンたちは町の北側で停止した。


 帝国兵が隊列を作る。


 盾兵。


 弓兵。


 その中央で、グレンがフレイムベルグを抜いた。


 炎が立ち上る。


 城壁の上で、フェルナ兵たちが息をのんだ。


 伝令役の帝国兵が一人、白旗を掲げて前へ出る。


「ノーゼンに告ぐ!」


 拡声の魔道具を通した声が町へ響く。


「ルミナス軍への協力を直ちに停止せよ!」


「町の武装を解除し、すべての兵士は城外へ出よ!」


「従うならば、住民の命は保証する!」


 城壁上の指揮官が前へ出る。


「ここはフェルナの町だ!」


「侵略者の命令に従う理由はない!」


 伝令は続けた。


「拒絶する場合、皇帝陛下の命により、町を焼却する!」


 住民たちの悲鳴が上がった。


 城壁の兵士たちにも動揺が走る。


「脅しだ!」


 指揮官が叫ぶ。


「町を焼けば、帝国も利用できない!」


「ルミナス軍へ渡すよりはましだと判断された!」


 アルトは指揮官を見る。


「住民を逃がせ」


「黙れ!」


「ルミナス軍はまだ遠い」


「あと少し持ちこたえれば来る!」


「その少しが間に合わない」


「我々が時間を稼ぐ!」


「何人死ぬ?」


「フェルナを取り戻すためだ!」


「残ったフェルナ人を殺して?」


 指揮官が剣へ手をかけた。


「貴様に何が分かる!」


「故郷を取り戻したい気持ちは分かる」


 アルトは静かに答えた。


「だからこそ、人がいなくなるまで守れ」


「町を捨てろと?」


「町は建て直せる」


「国は?」


「生きている人間がいれば、やり直せる」


 指揮官は歯を食いしばった。


 そのとき、町の内側から声が上がった。


「避難を始めます!」


 リナだった。


 老人を背負った青年たち。


 子どもを抱えた女性たち。


 負傷者を載せた荷車。


 南門へ向かって、少しずつ人の流れができている。


「勝手なことを!」


 指揮官が怒鳴る。


「勝手じゃない!」


 リナが城壁を見上げた。


「この町の人が、自分で決めたの!」


「ルミナス軍が来れば守れる!」


「来なかったら全員死ぬ!」


 リナの声が震える。


「フェルナのためって言いながら、フェルナの人を置いていかないで!」


 指揮官は何も言えなかった。


 帝国側から、再び伝令の声が響く。


「返答を!」


 沈黙。


 グレンがフレイムベルグを構えた。


 アルトは城壁を駆け下りる。


「アルト!」


 フィオナの声を背中で聞きながら、北門へ向かった。


「門を開けてくれ」


 門番たちは迷った。


 だが、アルトが一人で帝国軍の前へ出ようとしていると分かると、重い門を開いた。


 アルトは北門から町の外へ出る。


 帝国軍の前へ、一人で歩いていった。


「止まれ!」


 帝国兵が槍を向けた。


 グレンが手を上げる。


 兵士たちが道を開けた。


「また会ったな」


 グレンが言う。


「さっき別れたばかりだ」


「町は明け渡すのか?」


「住民を避難させている」


「質問に答えろ」


「ルミナス軍はまだ来ていない」


「いずれ来る」


「来る前に住民を逃がす」


「その時間は与えられない」


「与えろ」


「断る」


 グレンはフレイムベルグをアルトへ向けた。


「お前たちの拘束命令も出ている」


「知ってる」


「剣を捨てろ」


「それも断る」


「なら、力ずくで従わせる」


「町を焼く前に?」


「邪魔をするならな」


 アルトは無銘の剣を抜いた。


 背後の町では避難が続いている。


 必要なのは時間だ。


 グレンを倒すことではない。


 住民が逃げるまで、炎を町へ向けさせないこと。


「一つだけ聞く」


 アルトが言った。


「何だ」


「本当に焼くのか?」


 グレンの目が揺れた。


「命令だ」


「あなたの答えを聞いている」


「帝国の民を守るために必要だ」


「そうじゃない」


 アルトはグレンを見る。


「あなた自身は、この町を焼きたいのか?」


 グレンの手へ力が入る。


「私個人の意思など関係ない」


「関係ある」


「私は帝国軍人だ」


「剣を振るうのはあなた自身だ」


「黙れ」


「町を焼いたあと、皇帝の命令だったと言えば済むのか?」


「黙れ!」


 フレイムベルグから炎が噴き上がった。


 アルトは剣を構える。


「あなたが選べ」


「私の選択は、帝国を守ることだ!」


 グレンが踏み込んだ。


 炎の刃が迫る。


 アルトは風をまとわせた無銘の剣で受け流す。


 赤い軌跡が地面を走る。


 帝国兵が後退する。


 二人の剣が続けてぶつかった。


 一撃。


 二撃。


 三撃。


 グレンの力は、先ほどよりも強い。


 怒りと焦り。


 皇帝命令。


 帝国の民を守るという使命。


 そのすべてを、フレイムベルグが吸い上げている。


「退け!」


「退かない」


「町を守れば、ルミナス軍が進軍する!」


「だからといって住民を焼くな!」


「敵を止めるためだ!」


「敵以外まで巻き込んでいる!」


「必要な犠牲だ!」


 グレンが剣を振り抜く。


 アルトは身を沈めた。


 炎が頭上を通過する。


 髪の先が焦げる。


 懐へ入り、無銘の剣の柄をグレンの胸当てへ叩き込む。


 重い音。


 グレンが後ろへよろめく。


 アルトはさらに踏み込む。


 だが、左腕に激痛が走った。


 火傷の傷が開いた。


 一瞬、動きが止まる。


 グレンの拳がアルトの頬へ入った。


 視界が揺れる。


 続けて、フレイムベルグの柄が脇腹へ叩き込まれた。


 アルトは地面へ転がる。


「アルト!」


 町の城壁から、フィオナの声が聞こえた。


 アルトはすぐに起き上がる。


「まだ動くか」


 グレンが息を吐く。


「昔から、しつこい方でな」


「英雄の余裕か」


「余裕があるように見えるか?」


 口の中に血の味が広がる。


 無銘の剣の亀裂も増えている。


 正面から打ち合い続けることはできない。


 アルトはフレイムベルグを見る。


 刀身の奥。


 赤い光の中心。


 核はまだ幾重もの炎の循環に守られている。


 破壊する方法は分かっていた。


 最大出力を放った直後だけ、核を守る炎の循環が薄くなる。


 外へ放出した力を補うまでの、ほんの短い時間。


 その瞬間なら、核へ刃を届かせることができる。


 問題は、その最大出力をどこへ放たせるかだった。


 アルトは背後の町を見る。


 住民たちは南門へ向かっている。


 まだ半分も逃げていない。


 町へ向けさせれば、核へ届く前にノーゼンが消える。


「どうした」


 グレンが尋ねる。


「怖くなったか?」


「考えていた」


「何を」


「その剣の壊し方を」


 グレンの表情が変わった。


「まだ言うか」


「さっき決めたばかりだからな」


「フレイムベルグは帝国の希望だ!」


「誰かを焼いて成り立つ希望なら、残せない」


「お前に決める権利はない!」


「そうだな」


 アルトは剣を構え直した。


「だから、責任だけは俺が取る」


 グレンが叫び、斬りかかる。


 再び二人の剣が交わった。


 アルトは意図的に後退する。


 一歩ずつ。


 町から離れる方向へ。


 グレンは気づかない。


 怒りに任せ、攻撃を重ねる。


「逃げるな!」


「逃げてない」


「なら打ち返せ!」


「急かすな」


 アルトは炎をそらしながら、北へ進む。


 町との距離が開いていく。


 帝国兵たちも、二人を追って隊列を移動させる。


 城壁から離れた。


 さらに。


 もう少し。


「アルト!」


 フィオナの声が風に乗って届く。


「何をするつもり!」


「最大出力の直後に、核を狙う!」


「町へ撃たれたら終わりよ!」


「だから引き離してる!」


 グレンの眉が動いた。


 ようやく意図へ気づいた。


「私を町から引き離したつもりか」


「気づくのが遅かったな」


「小細工を!」


 グレンが足を止める。


 そして町へ振り返った。


 アルトの胸に嫌な予感が走る。


「グレン!」


「お前を倒す必要はない」


 グレンはフレイムベルグを両手で握った。


 剣先を町へ向ける。


「町を焼けば、すべて終わる」


 炎が集まり始める。


 先ほどまでとは違う。


 周囲の空気が一気に乾く。


 地面から熱が立ち上り、遠くの草が触れてもいないのに燃え始める。


 フレイムベルグの刀身が、白に近い赤へ変わっていく。


「全員、射線から退避しろ!」


 副官が叫んだ。


 帝国兵たちが左右へ分かれる。


 グレンとノーゼンを結ぶ直線上から、人影が消えていく。


「止めろ!」


 アルトが走る。


 射線の左右へ退いていた盾兵が、横から回り込んできた。


「将軍を守れ!」


 アルトは止まらない。


 無銘の剣へ風をまとわせ、盾の縁へ斬撃を当てる。


 兵士を斬らず、盾だけを跳ね上げる。


 隙間へ身体を滑り込ませる。


 横から槍が迫る。


 剣の腹で払う。


 一人。


 二人。


 三人。


 グレンまでの距離が遠い。


「フィオナ!」


「分かってる!」


 町の城壁に立つフィオナが両手を広げた。


 南門へ向かう人々の足元へ風を送りながら、残った力を無銘の剣へつなぐ。


 アルトの左手首の契約印が強く光った。


 だが、足りない。


 炎はすでに巨大な塊となっていた。


 フレイムベルグの周囲で、空間そのものが揺らいでいる。


「グレン、やめろ!」


 リナの声が町から響く。


 グレンの目が一瞬だけ動く。


 城壁の向こう。


 逃げ遅れた人々。


 子どもを抱く母親。


 負傷者を運ぶ兵士。


 その姿が見えているはずだった。


 グレンの手が震える。


 炎が揺らぐ。


「将軍!」


 帝国の副官が叫んだ。


「ルミナス軍の先遣隊を西方に確認!」


 グレンの迷いが消えた。


「今止めなければ、帝国領へ進路が開く」


 誰に言うでもなく、つぶやく。


「ここで終わらせる」


 フレイムベルグを振り上げた。


「やめろ!」


 アルトの声は届かなかった。


「焼き払え!」


 グレンが剣を振り下ろす。


 巨大な炎の斬撃が放たれた。


 空を覆う赤い奔流。


 町の城壁など、触れた瞬間に消し飛ぶ。


 アルトは炎と町の間へ走り込む。


「アルト!」


 フィオナの悲鳴。


 リナの声。


 すべてが熱にのみ込まれる。


 正面からは止められない。


 水だけでは吸収される。


 風だけでは勢いを増す。


 なら。


「フィオナ、水を!」


「でも、吸われる!」


「一瞬でいい!」


 アルトは無銘の剣を構えた。


 左手首の契約印が強く輝く。


 フィオナが周囲の水脈へ呼びかけた。


 町の井戸。


 地下の細い水流。


 避難者が運んでいた水桶。


 そこに宿る小さな水の精霊たちが、アルトの剣へ集まる。


 水そのものが消えたわけではない。


 その中に宿る精霊たちが、わずかな力を分け与えている。


 刀身を青白い光が包んだ。


 アルトは炎へ向けて振るう。


 水の斬撃が赤い奔流へ衝突する。


 蒸気が爆発した。


 炎は消えない。


 水の精霊力を吸い上げ、大きく膨らもうとする。


「今だ!」


 アルトは水の力を切った。


 直後、風へ切り替える。


 フィオナが息をのむ。


「交互に……」


 水によって一瞬だけ冷えた炎。


 その表面へ、横から風を叩き込む。


 正面から押し返すのではない。


 流れそのものを変える。


 巨大な炎の斬撃が、わずかに上を向いた。


「足りない!」


 フィオナが叫ぶ。


「もう一度!」


 アルトは水をまとわせる。


 冷やす。


 すぐに風へ切り替える。


 そらす。


 水。


 風。


 水。


 風。


 力を貸す小さな精霊たちの気配が、一度切り替えるたびに弱くなっていく。


 アルトは、離れようとする精霊を無理に引き止めなかった。


 力を使い切った者が去れば、新たに応じてくれる者へ呼びかける。


「あと少しだけ、力を貸してくれ」


 小さな光が集まり、再び無銘の剣を包んだ。


 刀身へ新たな亀裂が走る。


 刃先が大きく欠けた。


 刀身の中央まで、深い亀裂が伸びていく。


 腕の感覚が消えていく。


 それでも止めない。


 炎の進路が少しずつ上を向く。


 城壁の上を越えた。


 町の屋根すれすれを通過し、空へ昇っていく。


 赤い奔流が雲を突き破った。


 轟音。


 空が燃えた。


 熱風が町へ押し寄せた。


 屋根瓦が飛び、窓硝子が砕ける。


 何軒かの屋根へ火が移った。


 悲鳴が上がり、熱にあおられた人々が地面へ倒れる。


 それでも、町は残っていた。


 町を覆うはずだった炎は、誰かをのみ込む前に空へ抜けていった。


 ノーゼンは、まだそこにあった。


 アルトは剣を支えに片膝をついた。


「そらした……?」


 グレンが呆然と空を見上げた。


 フレイムベルグの炎が弱まっている。


 最大出力を放った直後。


 核を覆っていた炎の循環が消えていた。


 赤い刀身の中心。


 白く光る小さな核が、むき出しになっている。


 アルトは顔を上げる。


「見つけた」


 グレンも気づいた。


 剣を胸元へ引く。


「近づくな!」


 アルトは立ち上がった。


 足が震える。


 左腕は動かない。


 右手の剣も崩れかけている。


 それでも走る。


 射線の左右へ退いていた帝国兵たちが、核へ向かうアルトの前へ再び回り込んだ。


 アルトは風をまとわせ、地面を蹴る。


 兵士たちの頭上を越えた。


 着地。


 グレンまで、あと数歩。


「フレイムベルグ!」


 グレンが剣へ精霊力を注ぎ込む。


「動け!」


 だが、空になった循環路へ炎は戻らない。


 最大出力によって失われた炎の流れは、まだ再構築されていなかった。


 グレンは祈るように叫び、さらに精霊力を注ぎ込む。


「帝国を守れ!」


 それでも刀身を覆う炎は戻らない。


 アルトが踏み込む。


 グレンはフレイムベルグそのものを盾にした。


 無銘の剣と赤い刀身がぶつかる。


 火花。


 核が目の前にある。


 アルトは剣を引き、角度を変えた。


「やめろ!」


 グレンが叫ぶ。


「それを壊せば、帝国の民が――!」


「剣がなくても救える道を探せ!」


「そんなものはない!」


「今ないからって、奪い続けていい理由にはならない!」


「なら、どうしろと言う!」


「剣に頼らない道を作れ!」


 アルトは無銘の剣を振り下ろした。


 切っ先が、フレイムベルグの核へ突き刺さる。


 白い光が弾けた。


 時間が止まったように、すべての音が消える。


 グレンの目が見開かれる。


 核へ細い亀裂が走った。


 一本。


 二本。


 蜘蛛の巣のように広がっていく。


「やめろ……」


 グレンの声がかすれる。


「この剣がなければ……」


 アルトは剣をさらに押し込んだ。


「終わりだ」


 核が砕けた。


 フレイムベルグの刀身全体へ亀裂が走る。


 赤い光が隙間から漏れ出した。


 核が完全に崩れる直前。


 アルトは無銘の剣をひねった。


 解放されようとする力の流れを、町ではなく上空へ向ける。


 次の瞬間。


 第一聖剣は、無数の欠片となって砕け散った。


 爆発するように、炎が空へ噴き上がる。


 衝撃が大地を揺らした。


 アルトとグレンの身体が、反対方向へ吹き飛ばされる。


 アルトは地面を転がり、無銘の剣を突き立てて止まった。


 グレンも数歩先へ叩きつけられた。


 仰向けに倒れたまま、それでも砕けた柄を離さなかった。


 解放された力の大部分は空へ昇っていく。


 先ほどまでの赤黒い炎ではなかった。


 澄んだ橙色。


 金色。


 白。


 百年間閉じ込められていた炎の精霊力が、光の粒となって解放されていく。


 空へ。


 大地へ。


 焼けた草原へ。


 町の暖炉へ。


 消えかけていた小さな火の精霊たちへ。


 奪われていた力が、本来の場所へ戻っていく。


 燃えていた草原の炎が弱まった。


 赤黒かった火が、普通の色へ戻っていく。


 水を浴びても消えなかった炎が、今はただの火として風に揺れていた。


 町では、住民たちが水桶を運び、屋根へ移った火を消し始めている。


 かけられた水が炎を弱めた。


 百年前の聖剣の炎は消えた。


 そこに残ったのは、人の手でも消すことのできる普通の火だけだった。


 遠くの森からも、かすかな精霊の声が聞こえた。


 だが、失われた精霊たちが戻るわけではない。


 焼けた森も。


 崩れた町も。


 奪われた命も、元には戻らない。


 それでも。


 これ以上、フレイムベルグに力と命を奪われることだけは止まった。


 グレンは砕けた柄だけを握ったまま、地面に横たわっていた。


 鎧の一部が割れ、右腕には深い傷がある。


 だが、胸はわずかに上下していた。


「フレイムベルグ……」


 力のない声が漏れる。


 指の間から、最後の赤い欠片がこぼれ落ちた。


 グレンの瞼が閉じる。


 意識を失った。


 アルトもその場に膝をつく。


 無銘の剣の刃先は大きく欠け、刀身の中央まで深い亀裂が走っていた。


「アルト!」


 フィオナが町から駆けてくる。


 リナも続いていた。


 帝国兵たちは動けずにいる。


 自分たちの象徴が砕かれた。


 目の前で起きたことを、まだ受け入れられていないのだろう。


 アルトは息を吐いた。


「何とかなったな」


 フィオナがアルトの前へ膝をつく。


「どこがよ!」


「町は残った」


「あなたの剣は壊れかけてる!」


「まだ折れてない」


「そういう問題ではないわ!」


 フィオナは無銘の剣へ手をかざした。


 修復を始めるのではなく、亀裂の深さと内部の流れを確かめる。


 しばらく調べたあと、わずかに表情を緩めた。


「形は戻せるわ」


「直るのか?」


「今夜、落ち着いて補修すれば、使える状態には戻せる」


「なら十分だ」


「十分ではないわ」


 フィオナは深い亀裂を指でなぞった。


「聖剣の核を砕いたときに生じた内部の損傷までは消せない」


「次も使えるなら問題ない」


「今までと同じ使い方をすれば、次は本当に折れるかもしれない」


「気をつける」


「その言葉も信用できない」


 フィオナがアルトの左腕をつかみ、傷を確認する。


 包帯は焼け落ち、傷口が開いている。


 右手も熱で赤く腫れていた。


 フィオナが治療を始めようとした、そのとき。


 弓弦の張る音がした。


 アルトが振り返る。


 リナがグレンへ矢を向けていた。


 倒れたグレンは動かない。


 意識を失っている。


 鎧は砕け、右腕にも深い傷がある。


 だが、生きている。


 胸がわずかに上下していた。


「リナ」


 アルトが呼ぶ。


「退いて」


「矢を下ろせ」


「退いて!」


 リナの手が震えている。


 矢先はまっすぐ、グレンの胸へ向いていた。


「今なら殺せる」


「そうだな」


「こいつがフェルナを焼いた」


「ああ」


「私の家族を殺した」


「ああ」


「さっきだって、また町を焼こうとした!」


「分かってる」


「なら、どうして止めるの!」


 アルトは立ち上がり、グレンとリナの間へ入った。


「退いて」


「退かない」


「あなたには関係ない!」


「ある」


「何が!」


「一緒に旅をしてる」


 リナの目が揺れた。


「それだけで、私の邪魔をするの?」


「それだけじゃない」


 アルトは倒れたグレンを見る。


「剣を壊したからといって、こいつがしたことが消えるわけじゃない」


「なら――」


「だから、生きて責任を取らせる」


「帝国が引き渡すと思う?」


「分からない」


 アルトは町の方を見る。


「それでも、こいつ一人の死で終わらせていいことじゃない」


「生かしておいたら、また誰かを殺すかもしれない!」


「そうかもしれない」


「だったら!」


「それでも、今ここで意識のない相手を殺せば、リナが一生それを背負う」


「背負える」


「本当に?」


「背負える!」


「俺には、そうは見えない」


 リナの指が震える。


 矢羽が小さく揺れる。


「分かったようなことを言わないで」


「分からない」


「なら黙って!」


「分からないから止めてる」


「何それ……」


「復讐を果たしたあと、リナがどうなるのか分からない」


 アルトは静かに言った。


「だから、取り返しのつかないことをする前に止める」


「こいつがしたことは、もう取り返しがつかない!」


「ああ」


「私の家族は戻らない!」


「ああ」


「だったら、こいつだけ生きてるなんておかしい!」


 リナの頬を涙が流れた。


 アルトは否定しなかった。


「おかしいな」


「なら――」


「それでも、生きて責任を負わせる」


 リナは歯を食いしばった。


 矢先が下がりかける。


 また上がる。


 ここで矢を放てば、家族の仇を討てる。


 ずっと望んでいたはずだった。


 だが、それで本当に何が終わるのか。


 自分はそのあと、何を背負って生きるのか。


 リナには、まだ答えを出すことができなかった。


 アルトに命じられたからではない。


 許したからでもない。


 自分自身で選びきれなかったから。


 リナは、ゆっくりと弓弦を緩めた。


 矢先が地面へ向く。


「納得してない」


「分かってる」


「許したわけでもない」


「それでいい」


「いつか、やっぱり殺すかもしれない」


「そのときは、また止める」


「嫌な人」


「よく言われる」


 リナは弓を握ったまま、顔を背けた。


 帝国兵たちがようやく動き始めた。


「将軍を収容しろ!」


 副官が叫ぶ。


「全軍、北へ撤退する!」


「ルミナス軍が来る前に隊列を立て直せ!」


 数人の兵士がグレンへ駆け寄る。


 アルトは止めなかった。


 帝国へ戻れば、グレンが正しく責任を問われる保証はない。


 敗北の責任だけを問われ、フェルナを焼いた罪は見過ごされるかもしれない。


 だが、ここで帝国兵と再び戦えば、傷ついた住民たちを置き去りにすることになる。


 南門の向こうでは、まだ負傷者が運び出されていた。


 熱風で倒れた者もいる。


 燃え移った屋根の消火も終わっていない。


 今、優先するべきことは追撃ではない。


 アルトは無銘の剣を下ろした。


 副官が警戒するようにアルトを見る。


「将軍は帝国へ連れ帰る」


「連れて帰るなら、生かせ」


「当然だ」


「敗北の責任だけで処刑するな」


 副官の目が鋭くなる。


「こいつには、フェルナの生き残りへ答える責任がある」


「それを決めるのは帝国だ」


「なら、この件は終わりにはしない」


 副官は答えなかった。


 グレンを担がせ、隊列の中央へ運ばせる。


 帝国兵たちは北へ撤退していった。


 その姿が街道の向こうへ消えると、フィオナは改めてアルトの傷を治療した。


 開いていた左腕の傷を塞ぎ、焼け落ちた包帯を新しく巻き直す。


 完全には治せなかったが、出血は止まった。


 そのとき、城壁の上から見張りの声が響いた。


「西のルミナス軍、進軍を停止しています!」


「空へ解放された精霊力を警戒しているようです!」


 西の街道に見えていた軍旗も、それ以上近づいてこない。


 聖剣の破壊によって解放された膨大な力が、まだ空と大地を巡っている。


 どのような現象が起きるか分からず、前進を控えたのだろう。


 その日は、どの軍もノーゼンへ進まなかった。


     ◇


 夜。


 町の外に、小さな焚き火があった。


 ノーゼンの住民たちは、城壁の外に設けた避難場所へ集まっている。


 帝国軍もルミナス軍も一度退いた。


 明日以降、何が起きるかは分からない。


 それでも今夜、ノーゼンが焼き尽くされることはなかった。


 アルトは焚き火の前に座っていた。


 右手には、木の椀。


 中には、野菜と干し肉を煮たスープが入っている。


「食べないの?」


 隣に座ったリナが尋ねた。


「食べてる」


「ずっと同じところをすくってる」


 アルトは椀を見る。


 確かに、ほとんど減っていない。


「考え事をしてた」


「嘘」


「厳しいな」


「口に合わない?」


「いや」


 一口飲む。


 温かい。


 喉を通る感覚もある。


 だが。


 味がしなかった。


 塩気も。


 肉の旨味も。


 野菜の甘さも。


 何も感じない。


「どう?」


 リナが尋ねる。


「うまい」


「本当に?」


「ああ」


 答えながら、椀を置いた。


 リナは何も言わなかった。


 ただ、ほとんど中身の減っていない椀を、しばらく見つめていた。


 少し離れた場所では、フィオナが無銘の剣を補修している。


 欠けた刃へ指を滑らせる。


 淡い翠色の光が刀身を包んだ。


 鉄の芯を覆う大樹の繊維が震え、欠けた刃へ向かって細く伸びていく。


 何本もの繊維が絡まり合い、失われた刃の輪郭を少しずつ埋めていった。


 戻っているのは、失われた鉄そのものではない。


 精霊力を帯びた木の繊維が、刃として使える形を一時的に補っているだけだ。


 やがて、欠けていた刃は元の形に近い姿へ戻った。


 だが、鉄の芯と刀身の奥に刻まれた亀裂までは修復されていない。


 表面の形を整えることはできても、内部に蓄積した損傷は残り続ける。


「直らないのか?」


 アルトが尋ねる。


「使える状態には戻せるわ」


 フィオナは亀裂へ力を流し、補強を続けた。


「でも、なかったことにはできない」


「人間と同じだな」


「剣の話をしているのよ」


「分かってる」


「分かっていない顔ね」


 フィオナは小さく息を吐いた。


 応急修復を終えると、無銘の剣をアルトの隣へ置く。


「手を出して」


「治療なら、もう終わっただろ」


「いいから」


 アルトは左手を差し出した。


 フィオナが手首を握る。


 翠色の契約印が、薄く光っている。


 その指が、アルトの掌へ触れた。


 フィオナの表情が変わる。


「どうした?」


「冷たい」


「夜だからな」


「そういう冷たさじゃない」


 フィオナはアルトの胸へ手を当てた。


「何をしてる」


「黙って」


 目を閉じる。


 精霊力を流し込み、アルトの身体を確かめる。


 仮初めの肉体。


 フィオナ自身の精霊核の一部。


 アルトの遺品。


 魂の痕跡。


 左手首の契約印。


 それらをつなぎ合わせて作った身体。


 蘇生した直後から、完全ではないことは分かっていた。


 だが、何かが変わっている。


 身体の内側に、空白がある。


 本来流れていたはずの力が、一つ失われている。


 フィオナはまず、フレイムベルグが砕けた場所へ意識を伸ばした。


 何もない。


 アルトと聖剣の間にあった細い流れは、完全に途切れている。


 次に、ルミナス王国の方角へ意識を向ける。


 細い。


 だが、確かに何かが流れている。


 さらに、セルディア聖教国の方角。


 そこからも、かすかな力が届いている。


 フィオナの呼吸が止まった。


「どうした?」


 アルトが尋ねる。


「何でもない」


「その顔で?」


「少し疲れただけよ」


 フィオナは手を離した。


 アルトは納得していないようだったが、追及しなかった。


「休め」


「あなたもね」


「俺は死んでるから、多少無理しても平気だ」


 冗談のように言う。


 フィオナは笑えなかった。


 本来、切れているはずだった。


 アルトが百年前に手放した三本の聖剣。


 そこに残る彼の魔力は、魂を呼び戻すための道標として使っただけ。


 蘇生後には、つながりなど残らないはずだった。


 だが。


 フレイムベルグとの接続は、破壊と同時に完全に消失している。


 残る二本。


 アクアレギア。


 エアリアル。


 そこには今も、アルトの魂へつながる細い接続が残っている。


 フィオナは無銘の剣を見る。


 表面は形を取り戻している。


 だが、その奥には消せない傷が残っている。


 アルトの身体も、同じなのかもしれない。


 冷たい身体。


 失われた味覚。


 弱くなった心音。


 偶然ではない。


 フレイムベルグが砕けた直後から、アルトの身体は弱っている。


 残る二本との接続は、今も切れていない。


 もし、その接続がアルトを現世へつなぎ止めているのだとしたら――。


「そんな……」


 小さな声は、焚き火の音に消えた。


 蘇生に必要な生命力が足りなかった。


 フィオナは自らの精霊核を使った。


 古い腕輪を触媒にした。


 三本の聖剣に残るアルトの魔力を、魂への道標にした。


 そのとき。


 道標として使ったはずのつながりを、蘇生術は知らないうちに、仮初めの身体を支える柱として利用していたことになる。


 三本の聖剣が、アルトを現世へつなぎ止める支柱になっている。


 そう考えれば、すべての異変に説明がついた。


 一本を壊した。


 だから、一つの支えが失われた。


 フィオナはアルトを見る。


 焚き火の向こうで、彼はリナと何かを話している。


 いつものように穏やかな顔。


 何も気づいていない。


 自分が聖剣を壊すほど、この世界から消えていくかもしれないことを。


 あと二本。


 アクアレギアとエアリアル。


 すべて壊せば。


 アルトの身体は、おそらく――。


「フィオナ?」


 アルトがこちらを見る。


「さっきから変だぞ」


 フィオナは表情を整えた。


「あなたに言われたくないわ」


「俺はいつも通りだ」


「それが一番問題なのよ」


「ひどいな」


 アルトは笑った。


 百年前と変わらない笑い方だった。


 フィオナは拳を握る。


 言わなければならない。


 すぐに。


 聖剣を破壊すれば、アルトが消えるかもしれないと。


 だが、まだ確証はない。


 フレイムベルグとの接続を失ったことが、本当にアルトの異変の原因なのか。


 別の理由がある可能性も残っている。


 聖剣の代わりに、別の力で身体を支えられるかもしれない。


 フィオナ自身の力を使えば。


 契約印を強化すれば。


 自然界の精霊力を別の形でつなげれば。


 何か方法があるかもしれない。


 それを探す前に伝えれば、アルトは何と答えるだろう。


 きっと、笑う。


 そして言うのだ。


 それでも壊す、と。


 フィオナには、それが分かってしまった。


 だから今だけは。


 せめて、別の方法が存在しないと確かめるまでは。


 ただし、方法が見つからなければ、そのときは話さなければならない。


 無期限に隠し続けることだけは、できない。


 フィオナは、ほんのわずかな間だけ黙ることを選んだ。


 焚き火が小さく揺れる。


 解放された炎の精霊たちが、夜空を金色の光となって漂っていた。


 その美しい光の下で。


 フィオナは、一つ目の聖剣が壊れた代償に気づいてしまった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ