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百年後に蘇った勇者は、自らが遺した三本の聖剣を破壊する  作者: situ725


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第5話 滅びたフェルナ

 フェルナへ続く街道には、焼けた荷車が何台も残されていた。


 車輪は外れ、荷台は黒く炭化している。


 道端には、踏み荒らされた麦袋と、割れた水瓶。


 持ち主がどこへ行ったのかは分からない。


 リナは短弓を肩へかけたまま、黙って歩いていた。


 少し前までは、この道を東へ逃げた。


 今は反対に、滅びた故郷へ戻ろうとしている。


「本当に行くの?」


 フィオナが尋ねた。


 リナは前を向いたまま答える。


「行く」


「町に何が残っているか、分からないわ」


「だから確かめるの」


「家族が先に逃げていた可能性もある」


「それも、確かめないと分からない」


 声が少し強くなった。


 フィオナはそれ以上言わなかった。


 先頭を歩くアルトも、振り返らない。


 昨日の戦いで負った左腕の火傷には、フィオナが応急処置を施していた。


 精霊術によって炎症は抑えられているが、まだ大きく動かすことはできない。


 それでもアルトは、何事もなかったように歩いていた。


「腕、大丈夫なの?」


 リナが尋ねる。


「動くようにはなった」


「そうじゃなくて」


「痛みも少し引いた」


「それも違う」


 アルトが振り返った。


「じゃあ、何を聞いてるんだ?」


「無理してないかって聞いてるの」


「してない」


 リナは無言で、包帯の巻かれた左腕を見る。


「少ししかしてない」


「してるんじゃない」


「歩けるから問題ない」


「そういうところ、本当に腹が立つ」


 アルトは困ったようにフィオナを見た。


「俺、何か悪いことを言ったか?」


「百年前からずっとそうよ」


「説明になってないな」


「説明しても直らなかったもの」


 リナは前へ向き直った。


 二人のやり取りを聞いていると、昨日の出来事が遠い昔のように思える。


 けれど、肩にかけた短弓の重さは現実だった。


 グレンが目の前にいた。


 故郷を焼いた男。


 それなのに、自分は何もできなかった。


 矢をつがえることすらできず、負傷兵を支えて逃げた。


 あのとき助けた兵士は、ルミナス軍の後送部隊へ引き渡した。


 別れ際、何度も礼を言われた。


 それでも、胸の中には何も残らなかった。


 助けられた命がある。


 その一方で、失ったかもしれない家族がいる。


 どちらを考えればいいのか、リナには分からなかった。


     ◇


 昼を過ぎた頃、街道沿いに小さな集落が見えた。


 石造りの家が十数軒。


 その半分は屋根を失い、壁へガルディア軍の旗が掛けられている。


 だが、兵士の姿はなかった。


 残されているのは、年寄りと子どもばかりだった。


「ここもフェルナ領だったの?」


 アルトが尋ねる。


「国境に近い村」


 リナは答えた。


「ガルディア軍が通る前は、もっと人がいた」


 井戸のそばで水をくんでいた老人が、三人へ気づいた。


 老人の視線が、リナの服と顔へ止まる。


「その髪……フェルゼンの娘か?」


 リナの足が止まった。


「私を知ってるの?」


「薬草屋のエレナの娘だろう。名前は……」


「リナ」


「そうだ。リナだ」


 老人は水桶を置いた。


 ゆっくりと歩み寄り、リナの顔を確かめる。


「生きていたのか」


「母を知ってるの?」


「知っているとも。わしの妻が熱を出したとき、薬を分けてもらった」


 胸の奥が大きく鳴った。


「母は、ここへ来なかった?」


 老人の表情が曇る。


 その変化だけで、嫌な予感がした。


「父と弟も一緒だったはず。三人とも、東へ逃げたの」


「リナ」


 フィオナが小さく呼ぶ。


「黙って」


 リナは老人だけを見る。


「会ったの?」


 老人はすぐには答えなかった。


 その沈黙が、何より残酷だった。


「教えて」


「町を出るところまでは見た」


 老人は静かに言った。


「だが、橋へ向かう途中でガルディア軍が来た」


「それから?」


「人が多すぎて、わしも妻と離れた。誰がどこへ逃げたのか、全部は分からん」


「じゃあ、生きてるかもしれない」


「……そうだな」


 老人の返事は、ひどく弱かった。


 リナは唇をかんだ。


「フェルナの町に、生き残った人はいる?」


「何人かはいる。町の北側に残った者が、今も焼け跡を片づけている」


「行く」


「待ちなさい」


 老人が腕を伸ばした。


「町はまだ危険だ。消えていない火もある。崩れかけた建物も多い」


「行かないと分からない」


「分かったところで――」


「分からないままよりいい!」


 老人は言葉を止めた。


 リナの声が、壊れた家々の間へ響く。


 近くにいた子どもたちがこちらを見た。


 アルトが老人へ頭を下げる。


「案内できるところまで、道を教えてもらえますか」


「お前さんたちは?」


「俺はアルト」


「アルト?」


 老人が目を見開いた。


 リナはすぐに口を挟む。


「勇者じゃないから」


「本人なんだけどな」


「黙ってて」


「はい」


 フィオナが小さくため息をついた。


 老人は三人を怪しむように見たものの、やがて町へ続く道を教えてくれた。


「北門は崩れている。西側の畑を回れ。川沿いから入れる」


 別れ際、老人はリナへ言った。


「何が残っていても、一人で抱え込むな」


 リナは答えなかった。


     ◇


 フェルナの町は、遠くからでも分かった。


 空へ伸びる黒い煙。


 焼け落ちた城壁。


 崩れた見張り塔。


 以前は白い石壁に囲まれた、小さく穏やかな町だった。


 春には門の近くに花が咲き、市場から焼き菓子の匂いが流れていた。


 今は、風が吹くたび灰が舞うだけだった。


 西側の畑は、すべて黒く焼けている。


 水路は土砂で埋まり、焦げた柵が斜めに倒れていた。


 リナは歩く速度を上げた。


「急がないで」


 フィオナが呼ぶ。


 聞こえていたが、止まれなかった。


 崩れた城壁の隙間を抜ける。


 町の中には、まだ熱が残っていた。


 石畳の隙間から細い煙が上がっている。


 家々は壁だけを残し、屋根も扉も失っていた。


 道端には、焼けた食器。


 砕けた玩具。


 溶けた金属片。


 人の生活だけが、途中で切り取られている。


「リナ?」


 誰かが呼んだ。


 振り返る。


 焼け跡の向こうから、一人の女性が歩いてくる。


 頭に布を巻き、右脚を引きずっている。


 顔に煤がついていたが、リナはすぐに分かった。


「マルタさん」


「本当にリナなの?」


 女性は足を引きずりながら近づいた。


 幼い頃、隣の通りでパン屋を営んでいた人だ。


 リナは駆け寄る。


「母たちは?」


 挨拶も忘れて尋ねた。


 マルタの顔が強張った。


「知ってるんでしょ」


「……リナ」


「お願い。隠さないで」


 マルタは視線を伏せた。


 リナの胸が締めつけられる。


「あなたのお父さんたちは、町の東門へ向かっていた」


「うん」


「でも、橋が人で詰まっていた。そこへ炎が来たの」


「逃げたんでしょ?」


「お父さんは、倒れた人を起こそうとしていた」


 リナの呼吸が止まる。


 逃げればよかったのに。


 どうして、誰かを助けようとしたの。


 そう思った直後、自分も同じことをしたと気づいた。


「お母さんと弟は?」


「一緒にいた」


「その後は?」


「橋が封鎖されたあと、三人は一度、家の方へ戻ったの」


「どうして?」


「裏道から町を出ようとしたんだと思う」


「それから?」


 マルタは息を詰まらせた。


「三人は家へ戻ったあと、逃げられなかったの」


「見たの?」


「私は、近くの水路へ落ちた。それで助かった」


「三人は?」


「炎が収まったあと、家の裏で見つかった」


「違う」


 リナの声が震えた。


「見間違いかもしれない」


「リナ」


「顔を見たの?」


「ひどく焼けていて、顔は分からなかった」


「だったら別の人かもしれない!」


「ごめんなさい」


「謝らないで!」


 叫び声が、焼けた町へ響いた。


 マルタの肩が震える。


 リナは息を荒らしながら、周囲を見回した。


 何かあるはずだった。


 逃げた証拠。


 生きている証拠。


「家は?」


「残っているのは壁だけよ」


「どこ?」


「案内する」


 マルタが歩き始める。


 リナはその後ろを追った。


 アルトとフィオナも、何も言わずについてくる。


 かつて市場だった広場を抜ける。


 広場の中央にあった噴水は砕け、水は流れていない。


 東へ曲がり、細い道へ入る。


 リナの家が見えた。


 正確には、家があった場所。


 外壁の一部だけが残り、その内側は黒い瓦礫で埋まっている。


 母が薬草を干していた棚も。


 父が道具を置いていた作業場も。


 弟が遊んでいた庭も。


 何も残っていなかった。


 マルタが、崩れた裏庭の方を見た。


「三人とも、裏庭へ続く勝手口のすぐ近くで見つかったの」


 リナは動けなくなる。


「三人……?」


「遺体を運び出すだけで精いっぱいだった。火も残っていて、家の中までは探せなかったの」


 マルタは焼け跡へ目を向ける。


「身元を確かめられる物が残っていないか、ずっと気になっていた」


「ここ……」


 リナは焼け跡へ足を踏み入れた。


「危ないわ」


 フィオナが止める。


「床が崩れるかもしれない」


「私の家だから」


「今は違う」


「分かってる!」


 強く返してから、リナは唇をかんだ。


 フィオナは怒らなかった。


「私が先に調べるわ」


「触らないで」


「でも――」


「自分で探す」


 リナはしゃがみ込み、黒く焼けた木片をどけた。


 灰が指へつく。


 一つ。


 また一つ。


 何を探しているのか、自分でも分からなかった。


 家族がここにいた証拠。


 ここにいなかった証拠。


 どちらを見つけたいのかも分からない。


 アルトも黙って瓦礫を動かし始めた。


「触らないでって言った」


「フィオナには言っただろ」


「同じこと」


「左腕はあまり使わない」


「そういう問題じゃない」


「一人で全部どけるつもりか?」


 リナは答えられなかった。


 アルトは右手だけで、崩れた柱を少しずつ動かす。


 フィオナも直接触れず、弱い風で灰を払い始めた。


 三人で、しばらく瓦礫を掘り返した。


 指先が灰で黒くなり、日が少し傾いた頃。


 最初に見つかったのは、勝手口に近い瓦礫の下へ埋もれていた布袋だった。


「リナ」


 フィオナが足元を示す。


 黒く焦げた板の下から、布の端が見えている。


 リナは慌てて手を伸ばした。


 焼けた木片をどけ、袋を引き出す。


 深い緑色の小さな袋。


 端は焦げているが、形は残っていた。


 表面には、母が縫った白い花の模様がある。


「母さんの……」


 薬草袋だった。


 中には乾いた葉と、砕けた薬瓶。


 母はいつも、腰へこの袋を下げていた。


 逃げるときにも、必ず持っていたはずだ。


「落としただけかもしれない」


 リナは言った。


 誰も答えない。


「急いでいたから、ここで落としただけ」


 自分へ言い聞かせる。


 さらに瓦礫を探る。


 少し離れた勝手口の内側で、指先が硬いものへ触れた。


 引き出したのは、短い刃だった。


 火で黒く変色し、鞘は半分焼けている。


 柄の端に、小さな傷が三本刻まれていた。


 父が作った短剣。


 リナが十二歳のとき、護身用に持たされたものと同じ型だった。


 父は自分の分にも、同じ傷を刻んでいた。


「父さん……」


 手が震える。


 母の薬草袋。


 父の短剣。


 二人とも、ここへ戻ってきた。


 けれど、まだ弟の物は見つかっていない。


 まだ。


 そのとき、アルトが裏庭の端で膝をついた。


「リナ」


 彼の声が低かった。


「何?」


 アルトは答えず、灰の中から何かを拾い上げる。


 小さな木製の鳥。


 片方の翼は焦げ、嘴が欠けている。


 それでも分かった。


 弟がいつも持っていた玩具だった。


 父が削り、リナが色を塗った。


 弟は寝るときまで手放さなかった。


「返して」


 アルトは木の鳥を差し出した。


 リナは奪うように受け取った。


「これも、落としただけ」


 声がかすれた。


「弟は、逃げる途中で落としたんだよ」


「リナ」


「だから、生きてる」


 マルタが目を伏せる。


 その表情を見た瞬間、何かが切れた。


「そんな顔しないで!」


「ごめんなさい」


「だから謝らないで!」


 リナは木の鳥を握りしめた。


 焦げた翼が掌へ食い込む。


「顔が分からなかったんでしょ? 本当に三人だったか、分からないんでしょ?」


「三人は同じ場所で見つかった」


 マルタは、リナの手にある遺品を見た。


「そこから三人の持ち物まで出てきた。もう、別の人だとは思えない」


「言わないで」


「リナ」


「言わないで!」


 叫んだ声が、途中で崩れた。


 膝から力が抜ける。


 灰の中へ座り込んだ。


 木の鳥を胸へ抱える。


 涙は出なかった。


 泣けば、認めることになる気がした。


 父も。


 母も。


 弟も。


 もう帰ってこないと。


「まだ、決まってない」


 声がうまく出ない。


「生きてるかもしれない」


 フィオナがそばへ座ろうとする。


 リナは顔を上げなかった。


「一人にして」


「でも」


「今だけ」


 フィオナは動かなかった。


 アルトが静かに言う。


「少し離れよう」


 二人の足音が遠ざかる。


 マルタも何も言わず、焼け跡の外へ出た。


 一人になった。


 静かだった。


 遠くで瓦礫が崩れる音がする。


 風が灰を運ぶ。


 かつて家族の声が満ちていた場所には、もう何もなかった。


「ただいま」


 リナはつぶやいた。


 返事はない。


「遅くなって、ごめん」


 木の鳥を握る。


「私、ちゃんと逃げたよ」


 声が震える。


「母さんに言われたとおり、怪我した人も助けた」


 何のために話しているのか分からない。


 それでも、止められなかった。


「父さんみたいに、見捨てられなかった」


 喉が詰まる。


「でも、家族のところに戻れなかった」


 ようやく涙が落ちた。


 一滴。


 灰の上へ染み込む。


「ごめん」


 次の涙が落ちる。


「ごめんなさい」


 木の鳥へ額を押しつけた。


 我慢していたものが、一気にあふれた。


 声を殺そうとしても、できなかった。


 息を吸うたびに胸が痛む。


 父の声。


 母の笑顔。


 弟が自分を呼ぶ声。


 忘れたくないのに、思い出すほど苦しかった。


     ◇


 日が傾き、焼け跡の影が長く伸び始めた頃。


 リナはようやく顔を上げた。


 涙は止まっていた。


 けれど、胸の奥には重いものが沈んだままだ。


 しばらくすると、アルトが戻ってきた。


 何も言わず、焼けた壁へ背を預けて座る。


「一人にしてって言った」


「十分待ったと思った」


「勝手に決めないで」


「悪かった」


 アルトはそれ以上話さなかった。


 沈黙が続く。


 風が吹き、灰が二人の間を流れていく。


「どうして、グレンを殺さなかったの?」


 リナが尋ねた。


「昨日も聞かれたな」


「答えてない」


「町が燃えていたからだ」


「そうじゃない」


 リナは木の鳥を握ったまま、アルトを見る。


「あの兵士たちも殺さなかった」


「ああ」


「グレンだって、殺すつもりがなかった」


「剣を奪えれば、それでいいと思っていた」


「それで何が変わるの?」


 声が強くなる。


「あいつは町を焼いた。父さんも母さんも弟も殺した!」


 アルトは黙って聞いている。


「剣を取り上げたって、したことは消えない」


「消えない」


「だったら殺すべきでしょ!」


「殺せば、君の家族が戻るのか?」


「戻らない!」


 分かっている。


 そんなことは。


 それでも、他にどうすればいいのか分からない。


「でも、あいつだけ生きてるなんておかしい!」


「そうだな」


「またそれ?」


「俺にも、何が正しいかは分からない」


「勇者なのに?」


「勇者だったからって、何でも分かるわけじゃない」


「じゃあ、何のために戻ってきたの?」


 アルトは、腰の無銘の剣へ目を向けた。


「百年前に残したものが、今の戦争へ使われている」


「聖剣のこと?」


「ああ」


「なら、グレンから奪って」


「そのつもりだ」


「奪うだけじゃなくて、あいつを殺して」


 アルトは答えなかった。


「私を連れていって」


「どこへ?」


「グレンのところ」


「戦いに?」


「フレイムベルグを止めるんでしょ」


「危険だ」


「ここに残って、何をすればいいの?」


 リナは焼けた家を見回した。


「帰る場所なんて、もうない」


 アルトはしばらく黙っていた。


「復讐のためか?」


 胸を見抜かれたような気がした。


「違う」


「そうか」


「フレイムベルグを止めるため」


「そうか」


「信じてないでしょ」


「君がそう言うなら、そういうことにしておく」


「何、それ」


 腹が立った。


 けれど、否定することもできなかった。


 自分ではグレンに勝てない。


 だが、アルトなら聖剣を奪えるかもしれない。


「連れていって」


 リナはもう一度言った。


「私、弓を使える。治療もできる。荷物だって運べる」


「兵士と戦った経験は?」


「ない」


「昨日、敵を前にして動けなくなっていた」


「次は動く」


「保証は?」


「ない」


「正直だな」


「嘘をついても仕方ないから」


 アルトはリナの顔をじっと見た。


 その目は、彼女の嘘を見抜いているようだった。


 それでも拒絶しなかったのは、ここへ置いていけば、一人でグレンを追うと思ったからかもしれない。


「フィオナは反対すると思う」


「あなたが決めるんじゃないの?」


「二人で旅をしてるからな」


「三人になるかもしれない」


「もう決まったみたいに言うな」


 リナは黙ってアルトを見る。


 アルトは小さく息を吐いた。


「条件が三つある」


「三つも?」


「一つ。戦うときは、俺かフィオナの見える場所から離れない」


「分かった」


「二つ。勝手に敵を追わない」


 リナの返事が止まる。


「特にグレンを見つけても、一人では追うな」


「……努力する」


「約束しろ」


「約束はできない」


「なら連れていけない」


 アルトの声は穏やかだったが、譲るつもりはないようだった。


 リナは木の鳥を握る。


「……分かった。勝手には追わない」


「三つ。危ないと思ったら、すぐ助けを求める」


「あなたも?」


「ああ」


「絶対?」


「できるだけ」


「絶対って言って」


「……分かった。絶対」


 信用できない。


 それでも、今はその言葉を受け入れるしかなかった。


「なら、約束する」


「分かった」


 アルトが立ち上がる。


 右手を差し出した。


「よろしく、リナ」


 リナはその手を見る。


 出会ったときは、同じように差し出された手を取らなかった。


 今回は、少し迷ってから握った。


「グレンを止めるまでだから」


「ああ」


 一人で追うつもりはない。


 けれど、いつかアルトがグレンと戦うとき、その場に自分もいる。


 そのときこそ、必ず矢を向ける。


     ◇


 日が傾き始めた頃、三人はフェルナの焼け跡を離れた。


 リナは母の薬草袋を腰へ下げていた。


 焦げた部分を切り取り、使えそうな薬草だけを袋へ戻した。


 補助兵として支給された作業用の短剣は荷物へしまい、代わりに手入れした父の短剣を腰へ差している。


 弟の木製の鳥だけは、布に包んで懐へしまった。


 町の外では、フィオナが待っていた。


「アルトから聞いたわ」


「反対?」


「してもついてくるでしょう」


「うん」


「なら、目の届くところにいた方がましね」


「それ、許可ってことでいい?」


「アルトの言ったことを守ること」


「分かった」


「それと、見知らぬ精霊や、精霊力の集まる場所へ勝手に近づかないこと」


「そんな場所、見ただけで分かるの?」


「分からないなら、私に聞きなさい」


「分かった」


「あと、アルトが無茶をしたら止めて」


「それが一番難しそう」


「二人なら、一人よりはましよ」


 アルトが首をかしげる。


「俺の扱い、少しひどくないか?」


「自覚がないのが一番ひどいのよ」


 三人は街道へ戻った。


 次に目指すのは、ガルディア軍が占領したフェルナ北部。


 グレンとフレイムベルグの行方を追うためだった。


 町を出てしばらく歩いたところで、前方に、北へ向かって荷車を引く一団が見えた。


 十人ほどの集団。


 服装は粗末で、軍人には見えない。


 先頭には、幼い子どもを背負った女性が一人いた。


 その隣を、痩せた老人が歩いている。


「難民?」


 リナが小声で尋ねた。


 アルトは荷車の側面へ目を向ける。


 そこには、帝国領で使われている山鷹の印が描かれていた。


「ガルディアの人間らしい」


 三人の足音に気づいたのか、集団が立ち止まった。


 老人が警戒するように振り返る。


 リナの指が、腰に差した父の短剣の柄へ触れた。


「我々は兵士ではない」


 老人が先に告げた。


「どこから来たの?」


 リナが尋ねる。


「北の山村だ」


「ガルディア領の?」


「そうだ」


 老人の後ろで、子どもが怯えた顔をのぞかせる。


 リナの胸へ、冷たいものが広がった。


 ガルディアの人間。


 グレンと同じ国の人々。


 自分の故郷を焼いた側の人間。


「どうしてフェルナにいるの?」


「食料の受け取りに来た」


 老人の言葉に、リナの眉が動いた。


「食料?」


「帝国軍が占領した村の倉庫を、臨時の配給所にしている」


 老人は荷車を示す。


 中には麦袋と干し肉が積まれていた。


「輸送隊が足りないから、各村から代表者が取りに来るよう命じられた」


「子どもまで連れて?」


「村に残っているのは病人だけだった。置いてくることはできなかった」


 老人の後ろでは、女性が背中の子どもを抱き直している。


「山では作物が育たず、若い者は軍へ取られた。この食料がなければ、子どもたちは冬を越せない」


 リナは荷車を見つめた。


 袋の一つに、見覚えのある印がついている。


 フェルナ南部の農場で使われていた、小麦の印。


 あれは、リナの国で育てられた食料だ。


 焼かれた畑。


 奪われた倉庫。


 逃げた人々が持っていけなかった穀物。


 それが今、ガルディアの村人へ配られている。


「それを返して」


 気づけば、口にしていた。


 老人が戸惑う。


「何?」


「その食料はフェルナのもの」


「我々は、軍から受け取っただけだ」


「奪ったものを受け取ったんでしょ」


「リナ」


 アルトが静かに呼ぶ。


「黙ってて」


 リナは老人を睨む。


「その麦を作った人は、家を焼かれた。殺された人もいる」


「我々が焼いたのではない」


「同じ帝国の人間でしょ」


 その言葉は、どこか自分自身へ言い聞かせるように響いた。


 同じ帝国。


 その軍に守られ、奪った食料を受け取っている。


 なら、同じ罪。


 そう思わなければ、怒りの向け先がなくなる。


 老人の後ろで、子どもが泣き始めた。


 母親が背中をなでる。


「返せば、あなたたちが困るだけ」


 リナは言った。


「でも、それは元々、こっちの人が生きるための食料だった」


「分かっている」


 老人が答えた。


「分かっていて、受け取った」


「だったら――」


「受け取らなければ、孫が死ぬ」


 老人の後ろにいた少年が、祖父の服を握った。


 リナの言葉が止まる。


 弟と同じくらいの年だった。


 頬がこけ、腕も細い。


 十分に食べているようには見えない。


「だから、他の国から奪っていいの?」


「いいとは言っていない」


「でも受け取ってる」


「ああ」


 老人は否定しなかった。


「わしは国のためではなく、家族を生かすために受け取った」


 その言葉が、胸へ刺さった。


 家族を生かすため。


 それはリナも同じだった。


 もし父や母や弟が飢えていて、目の前に奪われた食料があったなら。


 自分は拒めただろうか。


 敵国の誰かが死ぬと分かっていても、家族へ食べさせなかっただろうか。


「だからって……」


 リナは短剣から手を離した。


「許せるわけじゃない」


「許してくれとは言わない」


 老人は頭を下げた。


「だが、この子たちまで憎まないでくれ」


 リナは子どもたちを見る。


 怯えた目。


 痩せた身体。


 自分たちが何を奪ったのか、理解しているようには見えない。


 それでも、この子たちは奪われた食料で生きている。


 腹が立った。


 悲しかった。


 憎みたかった。


 だが、弟と同じくらいの子どもへ、その怒りを向けることはできなかった。


「行って」


 リナは道を空けた。


 老人が顔を上げる。


「食料は取らない」


「……ありがとう」


「感謝しないで」


「それでも、ありがとう」


 村人たちは、再び荷車を引いて北へ向かい始めた。


 荷車の車輪が、乾いた土を軋ませる。


 最後尾の少年が、リナを振り返る。


 その手には、小さな干しパンが握られていた。


 弟の木製の鳥が、懐の中で重く感じられた。


「納得できない」


 集団が遠ざかってから、リナは言った。


「自分の国が奪った食料で助かってるのに」


「そうだな」


 アルトが答える。


「でも、あの子たちを飢えさせればよかったとも思えない」


「そうだな」


「何で、さっきから同じことしか言わないの?」


「俺にも答えがないからだ」


「勇者なのに?」


「さっきも言っただろ。勇者は何でも知っているわけじゃない」


 リナは唇をかんだ。


「グレンは敵。あいつを許すつもりはない」


「ああ」


「でも、あの子まで同じ敵なのかは……分からない」


「なら、今はそれでいい」


「分からないままでいいの?」


「分かったふりをするよりはいい」


 アルトは歩き出した。


 フィオナもその隣へ並ぶ。


 リナは少し遅れて、二人を追った。


 グレンへの憎しみは変わらない。


 それでも、帝国の子どもまで同じように憎めるのか。


 答えは出なかった。


 リナは母の薬草袋へ触れた。


 父の短剣。


 弟の木製の鳥。


 失ったものの重さを抱えたまま、二人の背中を追う。


 三人になった旅は、焼けた国境を北へ進んでいった。


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