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百年後に蘇った勇者は、自らが遺した三本の聖剣を破壊する  作者: situ725


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第25話 終わらせるための会談

 第二聖剣アクアレギアが失われてから。


 ルミナス王都では。


 雨の音が、以前より大きく聞こえるようになった。


 かつては。


 王都の上空を覆う水の結界が、雨粒さえ受け止めていた。


 風が強ければ弱め。


 雨が多ければ水路へ流し。


 乾燥すれば。


 聖剣の力で雲を呼んだ。


 王都に暮らす者の多くは。


 天候を恐れる必要がなかった。


 だが今は。


 窓へ直接、雨が当たっている。


 一粒。


 また一粒。


 やがて無数の音が重なり。


 王城の執務室を満たしていく。


「東の農地で、用水路が決壊しました」


 机の前に立つ官吏が報告した。


「復旧に必要な人員は?」


「少なくとも二百名です」


「国境から戻した工兵を向かわせてください」


「しかし、南側の堤防補修も遅れています」


「そちらは王都の職人へ協力を求めます」


「資材が不足しています」


「壊れた監視塔の木材を使って」


「ですが、軍事施設の再建が」


「今は農地が先です」


 セレスは机に広げられた地図へ視線を落とした。


 王都周辺の河川。


 農地。


 破壊された街道。


 セルディア軍の攻撃を受けた監視塔。


 水を失って混乱する都市。


 アクアレギアがあった頃なら。


 剣を振るうだけで解決できた問題も多い。


 崩れた水路へ水を戻し。


 氾濫を押さえ。


 王都の貯水槽を満たす。


 それが。


 自分にはできた。


 今は。


 一つずつ。


 人の手で直さなければならない。


 時間がかかる。


 費用もかかる。


 失敗もある。


 それでも。


 これが本来の国の姿なのだろう。


「王女殿下」


 官吏が呼んだ。


「聞いています」


「失礼しました」


「南の堤防には、王都の職人を送ります」


「不足する木材は、北部の倉庫から運ばせてください」


「北部の備蓄を使えば、冬の修繕が」


「今、堤防が崩れれば」


「冬を迎える家そのものが失われます」


「……承知しました」


 官吏は書類をまとめ。


 深く頭を下げた。


「ほかには?」


「難民への食料配給についてです」


「ガルディア方面から、さらに三百人ほどが国境へ到着しました」


「受け入れてください」


「帝国民です」


「分かっています」


「王都の備蓄にも余裕がありません」


「それでも、国境で追い返せば死にます」


 セレスは顔を上げた。


「軍人と民間人を分けて確認し」


「民間人には、これまでと同じ条件で滞在を認めます」


「反発が起きます」


「起こるでしょう」


「ルミナスの民から見れば、敵国の人間です」


「はい」


「だからこそ」


 セレスは一度、言葉を止める。


 以前の自分なら。


 同じ判断ができただろうか。


 敵国へ流れる水を止め。


 その先にいる農民や子どもを。


 戦争の一部として扱っていた自分が。


「誰を受け入れるのか」


「国民へ説明する必要があります」


「隠さないでください」


「帝国の民を助けると、正式に公表します」


「よろしいのですか」


「反対されるからといって、黙って行う方がよくありません」


「承知しました」


 官吏が退室する。


 扉が閉まる。


 執務室へ。


 雨音だけが残った。


 セレスは椅子の背へ身体を預けた。


 机の端には。


 破損した青い鞘が置かれている。


 アクアレギアの鞘。


 剣本体は。


 アルトによって破壊された。


 内部へ蓄えられていた精霊力は解放され。


 干上がっていた川も。


 本来の流れを取り戻した。


 その結果。


 ガルディア方面の村では。


 人々が水を得た。


 一方。


 ルミナス王都では。


 結界を失い。


 多くの者が不安を抱えている。


 どちらかだけを見れば。


 正しいとも。


 間違っているとも言える。


 セレスは鞘へ手を伸ばさなかった。


 今さら握ったところで。


 剣は戻らない。


 戻すべきでもない。


 そう思おうとしている。


 それでも。


 王都で問題が起こるたび。


 あの力があればと考えてしまう。


「聖剣のない国を」


 誰へ向けるでもなく。


 小さくつぶやく。


 その先を。


 まだ言葉にできなかった。


 扉が叩かれた。


「入ってください」


 現れたのは。


 王国軍の将軍と。


 外交官を務める老女だった。


 二人とも。


 表情が硬い。


「何がありました」


「セルディア聖教国から、使者が到着しました」


 外交官が答えた。


「教国から?」


「はい」


「軍事通告ですか」


「いいえ」


 老女は。


 封印された書状を差し出した。


 白い紙。


 金色の紋章。


 勇者教団の印。


「和平会談の提案です」


     ◇


 書状には。


 三国の戦争を終わらせるため。


 セルディア聖都で、正式な和平会談を開催したいと記されていた。


 招待されるのは。


 ガルディア軍事帝国の皇帝ヴァルガス。


 ルミナス王国の代表者。


 セルディア聖教国の最高司祭オルディス。


 三国の代表が。


 同じ円卓へ着く。


 戦争を始めてから。


 一度も実現しなかったことだった。


「信用できません」


 王国軍の将軍が言った。


「セルディアは、つい先日まで王都を攻撃していました」


「補給路を破壊し」


「監視塔を落とし」


「国民を地下へ避難させた」


「その国が突然、和平を求めるなど」


「私も同じ考えです」


 セレスは書状を机へ置く。


「何か目的があります」


「断るべきです」


「簡単には決められません」


「なぜです」


 外交官が別の書類を出した。


「招待状は、王国だけへ送られたものではありません」


「同じものが、ガルディア帝国にも届けられています」


「帝国の返答は?」


「まだ正式には届いていません」


「ただ」


「皇帝ヴァルガスが、参加へ前向きだという情報があります」


 将軍が顔をしかめる。


「罠だと分かっていて、参加するつもりか」


「帝国側の目的が和平とは限りません」


 セレスは言った。


 第三聖剣エアリアル。


 現在残っている。


 最後の聖剣。


 それは、セルディアが保有している。


 フレイムベルグを失ったヴァルガスが。


 エアリアルを欲しがらないはずがない。


「会談の混乱へ乗じて」


「エアリアルを奪うつもりかもしれません」


「ならば、なおさら参加すべきではありません」


 将軍が答える。


「セルディアとガルディアが勝手に争うなら」


「我々は王国の再建に集中すればよい」


「そうなればいいのですが」


 外交官が首を振った。


「ルミナスだけが欠席した場合」


「教団は、王国が和平を拒否したと宣伝するでしょう」


「その程度の宣伝など」


「王国外では、その程度では済みません」


 老女は地図へ指を置いた。


 ガルディア。


 セルディア。


 ルミナス。


 三国の位置。


「アクアレギアを失った今」


「周辺国の多くは、王国がいつまで持ちこたえられるかを見ています」


「会談を拒否すれば」


「和平を望まない国として、外交的に孤立する可能性があります」


「それだけではありません」


 セレスが続ける。


「ガルディアとセルディアが、ルミナスを共通の敵として協定を結ぶかもしれない」


「ヴァルガスとオルディスが?」


「互いを信用しなくても」


「今だけ手を組むことはできます」


 聖剣を失った王国。


 残る二国が。


 先に話をまとめる。


 その可能性を。


 無視することはできない。


「ですが、殿下を聖都へ送るなど」


「危険すぎます」


「私が行くとは、まだ言っていません」


「王国の代表者は、殿下以外におりません」


 将軍の言葉。


 それは事実だった。


 父王エドガルドは病床にある。


 王国の政務と軍事を担ってきたのは。


 セレス自身だ。


 名代を送ることはできる。


 だが。


 ヴァルガスとオルディスが直接出席するなら。


 王国だけが代理人を送れば。


 発言力は弱くなる。


「書状には」


 セレスが尋ねる。


「安全について、何と書かれていますか」


「別紙があります」


 外交官が。


 厚い羊皮紙を差し出した。


 表面には。


 現在使われているものとは形の違う。


 三国の古い紋章が刻まれていた。


 ガルディアの山岳。


 ルミナスの大河。


 セルディアの環状光。


「神聖契約です」


「三国共通の?」


「はい」


「魔王戦争以前から伝わる」


「代表者同士の協議に用いられた儀式です」


 神聖契約。


 王家の記録にも残っている。


 契約を結んだ者が。


 定められた行為を故意に破れば。


 紋章が反応し。


 契約者本人へ術式が返る。


 古代の王たちは。


 停戦交渉や捕虜交換の際。


 この契約を使ったという。


「内容を読ませてください」


 セレスは羊皮紙を受け取った。


 契約の条文。


 古い言葉。


 その下に。


 現在の言葉へ置き換えた説明が記されている。


 第一条。


 三国聖堂内において。


 第三聖剣エアリアルを鞘から抜いてはならない。


 第二条。


 会談へ参加する三国の代表者を殺害してはならない。


 第三条。


 代表者へ毒を使用してはならない。


 第四条。


 代表者へ武器または魔術による直接攻撃を行ってはならない。


「エアリアルを抜くことは禁止されています」


 将軍が言う。


「ならば、聖剣による襲撃は防げます」


「エアリアルだけは、です」


 セレスは第四条へ視線を移した。


「代表者への直接攻撃も禁止されている」


「十分ではありませんか」


「ですが、拘束することは?」


 将軍が口を閉じる。


「契約には記載されていません」


 外交官が答えた。


「聖堂全体を結界で封鎖することは?」


「代表者への直接攻撃とは断定できません」


「意識を奪うことは?」


「術式の性質次第では、直接攻撃と判断される可能性があります」


「ですが」


「明確ではありません」


「通信を遮断することも」


「聖堂の外にいる軍隊を攻撃することも」


「禁止されていない」


 将軍の顔が険しくなる。


「契約の意味がありません」


「いいえ」


 セレスは首を振る。


「契約に書かれたことだけは保証されます」


「エアリアルを抜かない」


「代表者を直接殺さない」


「毒を使わない」


「剣や魔術で直接攻撃しない」


「ですが」


「それ以外は、何も保証されていない」


「意図的な抜け道ですか」


「そう考えるべきです」


 神聖契約そのものは。


 偽物ではない。


 だからこそ厄介だった。


 オルディスは。


 契約を破るつもりがない。


 破らずに。


 自分の目的を達成できる形へ。


 条文を作っている。


「参加できません」


 将軍が言った。


「この内容では、殿下の身を守れない」


「こちらから、条文の追加を要求します」


 セレスは羊皮紙を机へ置いた。


「結界による拘束の禁止」


「会談中の通信遮断の禁止」


「聖堂周辺に配置された軍への攻撃禁止」


「代表者を人質として利用しないこと」


「会談終了後、安全に帰国できること」


「受け入れるでしょうか」


 外交官が尋ねる。


「すべては受け入れないでしょう」


「それでも要求します」


「拒否されたら?」


 セレスは答えられなかった。


 拒否されたから欠席する。


 それで終わるなら簡単だった。


 だが。


 会談そのものは。


 ルミナスが参加しなくても進む。


 ガルディアとセルディアが。


 王国を除いたまま。


 戦後の形を決める可能性がある。


「返答の期限は?」


「明日の正午です」


「短すぎる」


「セルディア側は」


「戦闘を早期に終わらせるためだと説明しています」


「王国へ考える時間を与えないためでしょう」


 セレスは立ち上がった。


 窓の外。


 雨に濡れる王都が見える。


 結界はない。


 人々は。


 外へ張り出した布を片づけ。


 水路へ詰まった落ち葉を取り除き。


 雨漏りする屋根へ板を打ちつけている。


 以前なら。


 アクアレギアが防いでいたこと。


 今は。


 国民自身が行っている。


「会談へ出席する方向で準備を進めてください」


「殿下」


「まだ最終決定ではありません」


「ですが」


「欠席だけを前提に考えることはできません」


「護衛は?」


「最小限にします」


「危険です」


「大部隊を連れていけば」


「会談ではなく進軍と受け取られます」


「それでも」


「神聖契約がある以上」


「オルディスも、表立って私を殺すことはできません」


「表立っては、です」


「分かっています」


 セレスは。


 契約書を見下ろす。


「だから」


「何をしようとしているのか」


「聖都で確かめます」


     ◇


 王城の東側。


 王族の居住区。


 その最も奥に。


 父王エドガルドの寝室がある。


 扉の前には。


 二人の衛兵が立っていた。


「父上は?」


「先ほど、お目覚めになりました」


「医師は?」


「薬を飲まれた後、隣室に控えております」


「入ります」


 衛兵が扉を開く。


 薬草の匂い。


 小さく燃える暖炉。


 雨に濡れた窓。


 寝台では。


 エドガルドが身体を起こしていた。


 以前より。


 さらに痩せている。


 頬は落ち。


 手の甲には血管が浮いている。


 それでも。


 瞳だけは。


 かつて王として立っていた頃と変わらなかった。


「セレスか」


「はい」


「こんな時間に来るとは」


「お話があります」


「悪い知らせか」


「和平会談の招待が届きました」


 エドガルドの表情が変わる。


「セルディアからか」


「はい」


「オルディスが」


「三国の代表を聖都へ集めるつもりです」


「ヴァルガスも出るのか」


「参加へ前向きだという情報があります」


「和平のためではないだろうな」


「エアリアルを奪う機会と考えている可能性があります」


「そうだろう」


 エドガルドは咳き込んだ。


 セレスが水を差し出す。


 父は一口だけ飲み。


 枕へ身体を預けた。


「お前は、どうするつもりだ」


「参加しようと考えています」


「罠だと分かっていて?」


「はい」


「理由を聞こう」


 セレスは。


 父の前に椅子を置いた。


「欠席すれば」


「ルミナスが和平を拒否したと宣伝されます」


「ガルディアとセルディアが」


「先に協定を結ぶ可能性もある」


「アクアレギアを失った今」


「王国が孤立することは避けなければなりません」


「国を守るためか」


「はい」


 答えた直後。


 胸の奥に。


 小さな引っかかりが生まれた。


 国を守る。


 その言葉を。


 自分は何度使ってきただろう。


 川を止めたときも。


 敵国の村を見捨てたときも。


 アルトを捕らえようとしたときも。


 同じ言葉を使った。


「父上」


「何だ」


「私は」


 セレスは膝の上で手を握った。


「国を守ったつもりでした」


 父は。


 すぐには答えなかった。


 雨音が響く。


 窓を流れる水滴。


 暖炉で薪が割れる音。


「分かっている」


 エドガルドが言った。


「お前が、何を守ろうとしていたのか」


「私は知っている」


「国民を飢えさせないため」


「王都を攻撃から守るため」


「兵士を帰還させるため」


「お前は剣を握った」


「でも」


 セレスは顔を上げる。


「他国の人間を見ないふりをしました」


 エドガルドは黙っている。


「アクアレギアで、川を止めました」


「その先に村があると知っていました」


「農民がいることも」


「子どもがいることも」


「分かっていた」


「それでも」


「敵軍を止めるためだと」


「考えないようにしました」


「セレス」


「もしアルトが剣を壊さなければ」


「私は、さらに水を奪っていたかもしれません」


「それで王国を守れたとしても」


「私は」


 言葉が止まる。


 守ったと。


 胸を張って言うことができない。


 アクアレギアが壊れたとき。


 干上がっていた土地へ。


 水が戻った。


 敵国の民が。


 川へ駆け寄っていた。


 その姿を見た。


 自分が止めていたものが。


 兵士だけではなかったと。


 初めて直視した。


「お前だけの責任ではない」


 エドガルドが言った。


「ですが、命じたのは私です」


「その立場へ、お前を置いたのは私だ」


「父上は病に」


「病だからといって」


 弱い声。


 それでも。


 王の言葉だった。


「すべてを娘へ押しつけてよい理由にはならない」


 エドガルドは。


 自分の手を見る。


 剣を握る力も。


 書類へ署名する力も。


 今はほとんど残っていない。


「私は平和を望みながら」


「何も選ばなかった」


「父上は、私へ王権を」


「形式の話ではない」


「国境から報告が届くたび」


「私は判断をお前へ任せた」


「戦争を続けるのか」


「退くのか」


「水を止めるのか」


「民を避難させるのか」


「すべてだ」


「それは、私が王女として」


「お前が王女だからではない」


「私が怖かったからだ」


 セレスは言葉を失った。


 父が。


 自らの恐怖を口にしたことは。


 これまで一度もなかった。


「間違えることが怖かった」


「私の命令で兵士が死ぬことも」


「国民から責められることも」


「王国を失うことも」


「だから私は」


「病を理由にして」


「決断をお前へ渡した」


「その重さを」


「お前一人に背負わせた」


 エドガルドは。


 ゆっくりと息を吐く。


「すまなかった」


「謝らないでください」


「謝らなければならない」


「父としても」


「王としても」


「私は、お前へ任せすぎた」


 セレスは。


 握っていた手を開いた。


 爪の跡が。


 掌に残っている。


「私は」


「正しい判断をしたかった」


「そうだろう」


「ですが」


「何が正しいのか、分からなくなりました」


「聖剣を残せば」


「王国を守ることができた」


「でも」


「その力は他国の民を苦しめた」


「聖剣を失えば」


「他国の民は救われた」


「でも」


「王国の国民は不安にさらされている」


「どちらを選んでも」


「誰かが傷つきます」


「そうだな」


「父上は」


「どうすればよいと思いますか」


 エドガルドは。


 すぐには答えなかった。


 セレスも。


 答えを急がせなかった。


 かつてなら。


 王としての判断を求めただろう。


 正しい道を。


 示してほしいと。


 だが今は。


 父が一つの答えを持っているとは思わなかった。


「正しい方を選べとは」


 やがて。


 エドガルドが言った。


「私には言えない」


「私も」


「正しさを理由に、何も選ばなかったからだ」


「では」


「一つだけ言える」


 父は。


 窓の外を見る。


 結界を失った王都。


 雨の中で。


 人々が自分たちの手を動かしている。


「勝つためではなく」


「終わらせるために行け」


 セレスは。


 父を見る。


「終わらせる?」


「戦争をだ」


「セルディアに勝つことでも」


「ガルディアを屈服させることでもない」


「王国だけが損をしない条件を得ることでもない」


「三国が」


「これ以上、聖剣を理由に争わなくてよい形を探せ」


「そんな形が」


「簡単には見つからないだろう」


「会談も罠だ」


「ヴァルガスも」


「オルディスも」


「自分の国と権力を守るために動く」


「お前一人で、すべてを変えることはできない」


「それでも行けと?」


「お前が」


「行くべきだと思うならな」


 命令ではない。


 王の決定でもない。


 選ぶのは。


 セレス自身だった。


「アクアレギアは、もうありません」


「そうだ」


「王都を覆う結界も」


「川を操る力も」


「一振りで軍を止める力もありません」


「そうだ」


「その状態で」


「王国を守れると思いますか」


 エドガルドは。


 少しだけ笑った。


「守れないかもしれない」


「父上」


「聖剣があっても」


「すべては守れなかった」


 セレスは。


 何も言えなかった。


 王都は守った。


 だが。


 国境の村は傷ついた。


 兵士は死んだ。


 敵国の民は水を失った。


 そして。


 聖剣を持つことで。


 戦争そのものが長引いた。


「これまでは」


 エドガルドが続ける。


「聖剣を失わないことが」


「王国を守ることだと考えていた」


「私もです」


 エドガルドは。


 椅子の背に掛けられた濃紺の外套へ目を向けた。


 王として公の場へ立つとき。


 長年身につけてきた外套だった。


「なら」


「これからは」


「聖剣のない国を作れ」


 セレスも。


 父の視線を追った。


「軍だけではない」


「交易」


「外交」


「食料」


「水路」


「周辺国との約束」


「人の手で作れるものを使え」


「剣ほど早くはない」


「剣ほど強くもない」


「失敗もする」


「それでも」


「聖剣一つへ国のすべてを預けるよりは」


「きっと、長く残る」


「私に、できるでしょうか」


「できるとは言わない」


 父は答えた。


「できるかどうかを決めるのは」


「これからのお前だ」


 セレスは立ち上がった。


 寝台のそばへ歩み寄る。


 父の手を握る。


 冷たい。


 以前より。


 ずっと細い。


「和平会談へ行きます」


「ああ」


「罠だと分かっていても」


「ああ」


「王国だけが勝つ条件ではなく」


「戦争を終わらせる道を探します」


「ああ」


「そして」


 セレスは。


 濃紺の外套を見る。


「聖剣のない国を」


「これから作ります」


 エドガルドは。


 静かにうなずいた。


     ◇


 翌朝。


 雨は上がっていた。


 王都の上空には。


 厚い雲が残っている。


 それでも。


 東の空から差し込む光が。


 濡れた屋根を照らしていた。


 セレスは執務室へ戻る。


 机の前には。


 将軍。


 外交官。


 王国の書記官。


 神聖契約へ詳しい宮廷術師が集まっている。


「返答を決めました」


 全員がセレスを見る。


「ルミナス王国は」


「セルディア聖都で行われる和平会談へ参加します」


 将軍が息を吸う。


「殿下ご自身が?」


「はい」


「再考を」


「考えた結果です」


「危険は承知しています」


「ですが」


「王国だけが円卓から離れることもできません」


 セレスは。


 修正を加えた契約案を机へ置く。


「こちらから追加条項を要求します」


「拘束」


「通信遮断」


「聖堂外にいる軍への攻撃」


「代表者の人質利用」


「これらを禁止する内容です」


「セルディアが拒否した場合は?」


 外交官が尋ねる。


「拒否した事実を記録してください」


「それでも、会談には?」


「参加します」


「危険が増します」


「欠席しても、会談は行われます」


 セレスは。


 机に広げられた三国の地図を見る。


「その場にルミナスがいなければ」


「ヴァルガスとオルディスだけで、戦後の形を決められる」


「王国の領土や民の行方さえ」


「ルミナスの代表がいない場所で決められるかもしれません」


「ですが」


 将軍が言う。


「罠があると分かっている場所へ、あえて入るのですか」


「罠があるからこそです」


 セレスは顔を上げた。


「王国の意思を伝えられる者が」


「円卓にいなければなりません」


「参加しなければ」


「安全かもしれない」


「ですが」


「王国の未来を選ぶ権利まで、二人へ渡すことになります」


 外交官が。


 静かに息を吐いた。


「分かりました」


「追加条項とともに、参加の返答を送ります」


「お願いします」


「護衛部隊は」


「聖都外に待機させます」


「聖堂へ入る人数は、契約で認められる最小限」


「王都には、守備隊を残します」


「万が一」


「私が戻らなかった場合の指揮系統も決めてください」


「殿下」


「必要です」


 言葉を遮る。


「私一人が戻らないことで」


「王国全体が止まってはいけません」


 以前なら。


 自分がすべてを背負うことが。


 責任だと思っていた。


 だが。


 一人が倒れれば動けなくなる国は。


 聖剣一つが失われれば崩れる国と同じだ。


「宰相を政務の代行に」


「軍事は、あなたへ任せます」


 セレスは将軍を見る。


「私から連絡が届かなくても」


「王都を離れないでください」


「救出部隊を送るなと?」


「状況によります」


「ですが」


「王国の全軍を、私一人のために動かしてはいけません」


 将軍は。


 納得していない表情を浮かべた。


 それでも。


 深く頭を下げる。


「承知しました」


「外交官は」


「周辺国へ会談参加を伝えてください」


「ルミナスが和平を拒否していないこと」


「ただし」


「セルディアの条件を全面的に信用しているわけではないことも」


「公表するのですか」


「はい」


「罠を疑っていると知られます」


「隠して参加すれば」


「何か起きた際、王国が何も備えていなかったと思われます」


「すべてを公表する必要はありません」


「ですが」


「安全条項の追加を要求したことは残してください」


「承知しました」


「宮廷術師は」


「神聖契約の原文を再確認してください」


「古い言葉の解釈に」


「ほかの抜け道がないか調べます」


「時間が足りません」


「分かっています」


「それでも」


「見つけられるだけ見つけてください」


 指示を出す。


 一つずつ。


 アクアレギアのように。


 一振りですべてを解決することはできない。


 それでも。


 人へ任せ。


 言葉を交わし。


 備えることはできる。


 外交官が。


 新たな報告書を差し出した。


「もう一つ、先ほど届いた情報があります」


「何ですか」


「ガルディア帝国が」


「和平会談への参加を正式に表明しました」


 室内の空気が変わる。


「ヴァルガス本人が?」


「はい」


「皇帝自ら、聖都へ向かうとのことです」


「随行する将軍は」


 セレスは。


 答えを予想しながら尋ねた。


「グレン・ヴァルハルトです」


 フレイムベルグの元使用者。


 フェルナを焼いた将軍。


 聖剣を失った後も。


 帝国軍に残っている男。


「軍の規模は?」


「会談への随行としては」


「明らかに多い兵力を動かしています」


「やはり」


 将軍が言う。


「和平など考えていません」


「ヴァルガスは」


「聖都で何かを起こすつもりです」


 セレスも同じように考えた。


 ヴァルガスが。


 言葉だけで戦争を終わらせるとは思えない。


 フレイムベルグを失った帝国。


 最後に残ったエアリアル。


 皇帝が狙うものは。


 おそらく一つだ。


「エアリアルを奪うつもりでしょう」


「では」


「会談へ向かえば」


「三国すべての思惑が、聖都へ集まります」


 オルディス。


 ヴァルガス。


 そして。


 自分。


 同じ場所に集まっても。


 望むものは違う。


 だからこそ。


 和平会談は。


 戦争を終わらせる場ではなく。


 新たな争いが始まる場になるかもしれない。


「それでも行かれますか」


 将軍が尋ねた。


 セレスは。


 窓の外を見る。


 雲の隙間から。


 朝の光が王都へ落ちている。


 結界はない。


 聖剣もない。


 雨に濡れた人々が。


 自分たちの手で。


 町を直している。


「行きます」


 セレスは答えた。


「勝つためではありません」


 父の言葉を思い出す。


「この戦争を」


「終わらせるために」


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