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百年後に蘇った勇者は、自らが遺した三本の聖剣を破壊する  作者: situ725


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第21話 勇者でなくなったら

 風の音が聞こえない。


 大聖堂の奥に設けられた浄化室には、窓がなかった。


 白い石壁。


 白い床。


 天井から下がる、淡い光を宿した結晶灯。


 部屋の中央には、祈りを捧げるための石台が置かれている。


 レオニスは、その前へ片膝をついていた。


 腰からエアリアルは外されている。


 聖剣は部屋の隅。


 二人の聖堂騎士に守られた台座の上へ置かれていた。


「目を閉じてください」


 正面に立つ司祭が告げる。


 レオニスは従った。


「冒瀆者の言葉を思い出してはなりません」


「……はい」


「教典に記された勇者様の姿だけを、心へ思い描くのです」


 頭の中に、決闘場の光景が浮かんだ。


 巨大な勇者像。


 粗末な剣を持った黒髪の青年。


 教典どおりの構えを取った自分。


 観客席を埋める民衆。


 そして。


 教典に記された勇者剣技を、簡単にかわした青年の姿。


『そういう技を使った覚えがない』


 レオニスは、無意識に拳を握った。


「力を抜いてください」


 司祭が言う。


「心の乱れは、悪しき言葉が残っている証拠です」


「悪しき言葉……」


「偽物は、勇者様と教団のつながりを断とうとしています」


 司祭は祈祷書を開いた。


「自らの言葉を信じさせるため、教典にない話を作り上げたのでしょう」


 作り上げた。


 そう考えればよい。


 カイン・アステルが右肩を負傷したこと。


 そのために構えを変えたこと。


 最初は何度も転んだこと。


 勇者と喧嘩し。


 命令へ反対し。


 ときには殴ってでも止めようとしたこと。


 すべて、レオニスを惑わせるための嘘。


 教典に記されていないのだから。


 事実ではない。


 そのはずだった。


 だが。


 あの構えが、右肩の傷をかばうために作られたことを。


 レオニス自身も知らなかった。


 幼い頃から習ってきた剣だった。


 カイン・アステルが勇者へ仕えるために編み出した、忠誠の構え。


 そう教えられていた。


 歴代のアステル家に伝わり。


 教団の剣術師によって、レオニスへ受け継がれた技。


 それなのに。


 あの青年は、一目見ただけで構えの意図を言い当てた。


 左足の位置も。


 柄を下げる理由も。


 反撃へ移る瞬間も。


「レオニス様」


 司祭の声で、意識が戻る。


「何を考えておられましたか」


「教典の勇者についてです」


「それならば結構です」


 嘘だった。


 正確には。


 教典の勇者と、決闘場にいた青年の違いを考えていた。


「勇者様は迷いません」


 司祭が祈祷書を読み上げる。


「勇者様は常に正しい道を選びます」


「勇者様の命令に、仲間たちは喜んで従いました」


「勇者様は敵へ情けをかけず、世界の平和を乱す者を討ち滅ぼしました」


 何度も聞いた言葉だった。


 幼い頃から。


 寝る前にも。


 剣の訓練前にも。


 戦場へ向かう前にも聞かされた。


 一人の男の言葉より。


 百年間守られてきた教典の方が正しい。


 そう信じるべきだった。


『カインは、俺の命令に従う男じゃなかった』


 青年の声が消えない。


『俺が間違っていると思えば、何度でも止めた』


 レオニスは目を開けた。


「浄化を続けてください」


 司祭が言う。


「少し、休ませてください」


「最高司祭様からは、迷いが消えるまで祈りを続けるようにと」


「もう迷っていません」


 言葉が、思ったより強く出た。


 司祭が口を閉じる。


 室内にいた二人の騎士も、レオニスを見た。


「僕は二代目勇者です」


 レオニスは続ける。


「偽物の言葉へ惑わされたまま、次の決闘へ出るつもりはありません」


「でしたら――」


「だからこそ、一人で教典を読み直したいのです」


 司祭は少し考えた。


「教典室であれば、許可します」


「資料庫へ行きます」


「資料庫?」


「カイン・アステルについて調べたい」


「教典室にも、カイン様の記録はございます」


「決闘で使われた構えの由来を確認したいのです」


「剣術記録であれば、騎士団の訓練庫に――」


「百年前の原本を読みたい」


 司祭の表情が固まった。


 ほんの一瞬だった。


 だが。


 レオニスは見逃さなかった。


「何か問題がありますか」


「古い記録は、保存状態が悪いものも多くございます」


「読むことを禁じられているのですか」


「そのようなことは」


「では、案内してください」


 司祭はすぐには答えなかった。


 やがて。


「確認してまいります」


 そう言い残し、浄化室を出ていった。


     ◇


 許可が下りるまで、一時間近くかかった。


 その間。


 レオニスは浄化室から出ることを許されなかった。


 エアリアルも返されない。


 扉の前には騎士が二人。


 逃げるつもりなどなかった。


 それでも。


 なぜ、ここまで警戒されるのか。


 以前なら疑問にすら思わなかった。


 二代目勇者を守るため。


 聖剣を奪われないため。


 教団は、自分を大切にしている。


 そう考えていた。


 だが。


 決闘場で見た聖堂騎士の位置。


 レオニスの背後。


 敵から守るのではなく。


 逃げ道を塞ぐように立っていた。


 浄化室でも同じだった。


 レオニスは、自分の手を見る。


 剣を握るために作られた手。


 幼い頃から、毎日鍛え続けた。


 豆が潰れ。


 皮が裂け。


 血が流れても。


 勇者は剣を手放さないと言われた。


 エアリアルに選ばれた日。


 すべてが報われたと思った。


 自分は勇者になった。


 これで、人を救える。


 だが。


 勇者になった後も。


 何を救うかを決めたのは、教団だった。


 どこへ行くか。


 誰と戦うか。


 何を壊すか。


 誰を敵と呼ぶか。


 すべて、教団が決めた。


 扉が開いた。


「許可が下りました」


 司祭が入ってくる。


「ただし、閲覧できるのは、教団によって整理された第一保管区の資料のみです」


「未整理の記録は?」


「保存処理が完了していません」


「見ることはできない?」


「傷める可能性があります」


「分かりました」


 レオニスは立ち上がった。


 司祭が、部屋の隅に置かれたエアリアルへ目を向ける。


「聖剣はこちらでお預かりします」


「なぜです」


「資料庫では、精霊力を持つ武器の持ち込みが禁止されています」


「これまでも?」


「規則です」


「そうですか」


 レオニスは、エアリアルへ手を伸ばさなかった。


 聖剣を持たずに歩くのは。


 選ばれて以来、初めてに近かった。


 腰が軽い。


 それなのに。


 身体の一部を置いてきたような不安がある。


 同時に。


 わずかな解放感もあった。


     ◇


 大聖堂の東側。


 礼拝堂や執務室から離れた区画に、古文書資料庫はあった。


 窓の少ない細長い建物。


 白い石造りの外壁は、ほかの建物より古い。


 入口の上には、開かれた本と羽根ペンを組み合わせた紋章が刻まれている。


 中へ入る。


 乾いた紙。


 古い革。


 防虫用の薬草。


 わずかな埃。


 戦場にも。


 礼拝堂にもない匂いだった。


 高い棚が、奥まで並んでいる。


 棚には巻物や革表紙の本。


 木箱へ収められた石板。


 封印術を施された水晶板が並べられていた。


 入口の机に、一人の若い司祭が座っている。


 細い身体。


 茶色の髪。


 腕には、下級司祭であることを示す青い帯。


 机の上に積まれた記録を整理していた。


 レオニスたちが入ると。


 若い司祭は立ち上がり、深く頭を下げた。


「二代目勇者様」


「あなたが管理者ですか」


「管理補佐です。責任者は上位司祭ヘルマン様ですが、本日は会議へ出ております」


「名前は?」


「ノア・エルデンです」


 ノア。


 決闘場の端にいた、青い帯の司祭。


 アルトと自分を交互に見つめていた青年だった。


「カイン・アステルの記録を読みたい」


 レオニスが言う。


「どの時期でしょうか」


「魔王討伐の旅に同行していた頃です」


 ノアの目が、わずかに動いた。


「承知しました」


 付き添いの司祭が一歩前へ出る。


「第一保管区の整理済み資料のみです」


「聞いています」


 ノアは司祭へ頭を下げた。


「こちらへ」


 資料庫の奥へ進む。


 付き添いの司祭と二人の聖堂騎士も続いた。


 第一保管区には、比較的新しい本が並んでいた。


 百年前の原本ではない。


 原本をもとに、数十年前に書き直された写本だった。


 背表紙には、内容を示す題名が金文字で刻まれている。


『勇者アルト・レイヴァンの聖戦』


『忠誠の騎士カイン』


『勇者一行の正しき旅路』


『魔王討伐における勇者の決断』


 ノアが数冊を机へ運ぶ。


「カイン・アステル様について、閲覧を許可されている記録です」


 レオニスは、一冊目を開いた。


 カインの生涯。


 アステル家に生まれ。


 剣を学び。


 若くして勇者一行へ加わった。


 勇者の命令へ一度も背かず。


 盾となり。


 剣となり。


 魔王城への道を切り開いた。


 決闘場で聞いた言葉とは、まったく違う。


 次の本を開く。


 カインの剣術について記されていた。


 左足を後方へ引き。


 柄を低く構え。


 相手の攻撃を誘う。


 その由来は。


 勇者の前へ出すぎず。


 常に半歩後ろから支えるため。


 レオニスは、文章を読み返した。


 右肩の負傷については、どこにも書かれていない。


「これだけですか」


「第一保管区にあるものは、以上です」


 ノアが答えた。


「カイン様が負傷した記録は?」


「教典では、魔王討伐の旅において大きな負傷はなかったとされています」


「転倒した記録は」


 付き添いの司祭が顔をしかめる。


「そのような些細なことを、なぜお調べになるのです」


「決闘で聞いた」


「偽物の言葉です」


「確かめたいだけです」


「確かめる必要などありません」


 レオニスは司祭を見る。


「判断するのは、僕です」


 室内が静まった。


 二人の騎士が、わずかに姿勢を変える。


 レオニス自身も。


 言った後で驚いた。


 教団の司祭へ。


 これほど明確に意見を返したことはなかった。


 付き添いの司祭は、表情を整えた。


「勇者様のお心が、まだ乱れておられるようです」


「質問へ答えてください」


「閲覧を許可されている資料は、すべてお見せしました」


「許可されていない資料はあるのですね」


 司祭は答えなかった。


 レオニスはノアを見る。


 ノアは目を伏せている。


「ノア」


「はい」


「百年前の原本は、どこにある?」


「それは――」


「答える必要はありません」


 付き添いの司祭が遮った。


「二代目勇者様。浄化室へ戻りましょう」


「まだ読み終えていません」


「必要な記録は、すべて教典へまとめられています」


「教典では説明できないから、ここへ来た」


「冒瀆者の言葉を基準に、教典を疑ってはなりません」


「疑ってはいない」


 レオニスは、自分の言葉が嘘だと分かっていた。


 疑っている。


 だから。


 ここへ来た。


 だが。


 まだ、それを認めることはできなかった。


「ただ、事実を知りたい」


 付き添いの司祭は、しばらくレオニスを見つめた。


「十分後に戻ります」


「それ以上は許可できません」


 そう告げると。


 司祭は騎士の一人を残し、もう一人とともに入口へ向かった。


 上位司祭へ報告するつもりなのだろう。


 レオニスは机の上の本へ視線を戻した。


 同じ言葉が、何度も並んでいる。


 忠誠。


 命令。


 服従。


 正しき勇者。


 教典で読んだ内容と、ほとんど変わらない。


 原本を整理した記録ではなく。


 教典を別の文章へ書き換えただけに見えた。


「二代目勇者様」


 ノアが小さな声で呼んだ。


 残された騎士に聞こえないほどの声。


 レオニスが顔を上げる。


 ノアは机の下へ手を伸ばした。


「こちらへ」


 何事もなかったように棚の間へ歩き出す。


 レオニスは騎士を見る。


「ほかの資料を確認する」


「許可されている区画から出ないように」


「分かっている」


 ノアの後を追う。


 高い棚が、騎士から二人の姿を隠した。


 ノアは棚の奥にある細い扉を開けた。


 扉の先には。


 人一人が通れるほどの狭い作業室があった。


 破れた本。


 劣化した巻物。


 修復用の道具。


 床には、整理前の木箱が積まれている。


「ここは?」


「損傷した資料を修復する場所です」


「第一保管区ではない」


「はい」


 ノアは周囲を確認し。


 一つの木箱を開けた。


 中から、布に包まれた薄い冊子を取り出す。


「長くは見せられません」


「何の記録だ」


「百年前の遠征に同行した、補給担当者の日誌です」


 ノアが布を開く。


 表紙には題名がない。


 革は乾き。


 端が黒く変色している。


「なぜ、これを僕に?」


 ノアは、すぐには答えなかった。


「巡礼都市で、あの人の言葉を聞きました」


「あなたは、あの場にいたのか」


「はい」


「アルト・レイヴァンを信じている?」


「分かりません」


 ノアは正直に答えた。


「本物かもしれないと思っているのか」


「それも、まだ分かりません」


「なら、なぜ」


「記録が変えられていることは、分かるからです」


 ノアは冊子を開いた。


 かすれた文字。


 百年前の古い書体。


 日付。


 天候。


 食料の残量。


 負傷者。


 旅の途中で起きたことが、簡潔に書かれている。


「この記録は、現在の教典と一致しません」


 ノアが言う。


「おそらく、意図的に書き換えられています」


 レオニスは、開かれた頁へ目を落とした。


 そこには。


 魔王城へ向かう前日の出来事が書かれていた。


 勇者アルトは正面から城門を突破すると主張。


 騎士カインは無謀だと反対。


 魔術師エレナも別の道を探すべきだと主張。


 神官ミリアは、負傷者を連れて進めないと怒った。


 言い争いは長く続いた。


 カインは最後に。


 勝手に進むなら、脚を斬ってでも止めると言った。


 レオニスの指が止まる。


「脚を……」


 教典では。


 カインは勇者の命令を受け。


 誰より先に魔王城の門へ向かった。


 異論を唱えた記録などない。


 次の頁。


 翌朝。


 アルトは正面突破を諦め。


 エレナが見つけた地下水路から侵入する案を受け入れた。


 カインは、もっと早く聞けば殴らずに済んだと書かれている。


「殴った……」


 決闘場で。


 アルトは言っていた。


 カインは自分を殴って気絶させようとした、と。


 教典にはない。


 目の前の記録には残っている。


 レオニスは頁をめくる。


 別の日。


 食料の分配を巡って、アルトとカインが口論。


 三日間、カインはアルトと必要最低限しか話さなかった。


 これも。


 決闘場で聞いた話と同じだった。


「この記録を、あの男が読んだ可能性は?」


 レオニスが尋ねる。


「ないとは言い切れません」


 ノアは答える。


「ですが、この日誌は五十年以上、修復庫から出されていません」


「記録簿は?」


「閲覧者は、すべて記録されています」


「盗まれた可能性は」


「保管施設に侵入された形跡はありません」


「上位精霊が読み取った可能性は?」


「それも、否定はできません」


 ノアは、レオニスから目を逸らさなかった。


「ただし」


「ただし?」


「それですべて説明できるのなら、なぜ教団はこの記録を隠しているのでしょうか」


 レオニスは答えられなかった。


「誤った記録だからでは?」


「では、なぜ処分しないのでしょう」


「歴史資料だからだ」


「なぜ、勇者様にも閲覧を許可しないのでしょう」


「それは……」


「現在の教典が正しいと証明できるなら、古い記録と比較すればよいはずです」


 ノアの声は静かだった。


 教団を糾弾するような強さはない。


 むしろ。


 怯えているように見えた。


 それでも、話すことをやめなかった。


「僕は、資料を整理する仕事をしています」


 ノアが言う。


「古い記録を修復し、新しい写本と照らし合わせる」


「その中で、何度も見つけました」


「教典から消された会話」


「逆の意味へ書き換えられた言葉」


「名前ごと削られた人々」


 レオニスは冊子を見る。


「なぜ、これまで黙っていた」


「口にした者が、資料庫から消えたからです」


「消えた?」


「異動と説明されました」


「どこへ?」


「分かりません」


 ノアは手を握った。


「僕も、怖かった」


「今は怖くないのか」


「怖いです」


 即答だった。


「ですが、決闘を見ました」


「教典の勇者は、誰の言葉も聞かず、迷わず敵を倒す存在です」


「けれど、あの人はあなたへ答えを押しつけなかった」


 レオニスの頭に。


 アルトの言葉が蘇る。


『それを決めるのは、お前だ』


 偽物なら。


 自分を信じろと言えばよかった。


 教典は間違っている。


 教団を捨てろ。


 自分こそ本物だ。


 そう言えばよかった。


 だが。


 アルトは言わなかった。


 自分で決めろと。


 それだけを告げた。


 レオニスは、日誌の文字を見つめる。


「ほかにもあるのか」


「あります」


「見せてくれ」


 ノアは迷った。


 やがて。


 別の木箱へ手を伸ばした。


 その瞬間。


 作業室の外から、足音が聞こえた。


 複数。


 速い。


「戻ってきた」


 ノアが日誌を閉じる。


 布で包み、木箱へ戻そうとする。


 だが。


 扉が開いた。


「何をしている」


 低い声。


 灰色の髪をした上位司祭が立っていた。


 後ろには。


 先ほどの付き添いの司祭。


 二人の聖堂騎士。


 さらに資料庫の司祭が数人いる。


「ヘルマン様」


 ノアが頭を下げた。


「二代目勇者様から、カイン様の記録を求められ――」


「ここは閲覧を許可された区画ではない」


 上位司祭ヘルマンが、ノアの手元を見る。


「それを渡しなさい」


 ノアは動かなかった。


「ノア」


 声が強くなる。


「渡しなさい」


 ノアは、日誌を差し出した。


 ヘルマンは受け取り。


 表紙を確認する。


「誤った記録です」


「何が誤っているのですか」


 レオニスが尋ねた。


「百年前の混乱期に書かれた、信頼性の低い日誌です」


「書かれている内容が、決闘で聞いた話と一致している」


「冒瀆者は、何らかの方法でこの記録を知ったのでしょう」


「五十年以上、ここから出されていないと聞きました」


 ヘルマンがノアを見る。


「余計なことを」


「答えてください」


 レオニスが言う。


「この記録は、なぜ教典と違うのですか」


「教典は、多くの記録を精査し、正しい内容だけを後世へ残したものです」


「誰が正しいと決めた?」


「歴代の最高司祭様です」


「アルト本人ではなく?」


 室内が静まった。


 レオニスの胸が強く脈打つ。


 言ってしまった。


 アルト本人。


 あの青年を。


 一瞬でも、そう呼んだ。


「二代目勇者様」


 ヘルマンの声が冷たくなる。


「浄化が足りなかったようですね」


「質問へ答えてください」


「その必要はありません」


「僕は勇者です」


「だからこそ、誤った記録へ触れさせるわけにはいきません」


 ヘルマンは、聖堂騎士へ目を向けた。


「勇者様を浄化室へ」


「まだ――」


「最高司祭様のもとへお連れすることもできます」


 レオニスは動きを止めた。


 オルディスなら。


 答えを知っている。


 歴代の教団が、なぜ記録を変えたのか。


 現在の教典を、なぜ正しいと言い切るのか。


「分かりました」


 レオニスは答えた。


「最高司祭様へ会わせてください」


 ヘルマンの眉が動く。


「今すぐに」


「レオニス様」


「僕は、真実を知る必要があります」


 レオニスはノアを見る。


「彼をどうするつもりですか」


「規則へ反した者には、相応の処分があります」


「僕が記録を求めました」


「禁じられた資料を持ち出すよう命じたのですか」


 レオニスは答えられなかった。


 命じてはいない。


 ノア自身が選んだ。


「ノア・エルデンは、本日をもって資料庫担当から外します」


 ヘルマンが告げる。


「処遇が決まるまで、自室で待機しなさい」


 ノアは顔を伏せた。


「承知しました」


 一人の騎士が、ノアの隣へ立った。


 ノアは作業室を出る直前。


 レオニスを見た。


 何も言わない。


 ただ。


 小さく頭を下げた。


     ◇


 最高司祭オルディスは。


 謁見室ではなく、自室にいた。


 大きな机。


 柔らかな椅子。


 壁一面の本棚。


 窓からは、聖都の中央広場が見える。


 決闘場では、教団兵たちが壊れた石床を修復していた。


 次の決闘へ備えているのだろう。


「お入りなさい」


 オルディスが微笑む。


「浄化の途中と聞いていましたが」


「お聞きしたいことがあります」


「まず、座りなさい」


「立ったままで構いません」


「そうですか」


 オルディスは机の上の書類を閉じた。


「古文書資料庫へ行ったそうですね」


「はい」


「ヘルマンから報告を受けています」


「百年前の記録を読みました」


「誤った記録でしょう」


「なぜ、誤っていると判断できるのですか」


「現在の教典と一致しないからです」


「教典より古い記録です」


「古ければ正しいとは限りません」


「では、教典が正しい根拠は?」


「百年間、人々を導いてきたことです」


 オルディスは、迷わず答えた。


「教典は国をまとめ、争いを抑え、人々へ生きる指針を与えました」


「争いを抑えた?」


 レオニスの声が低くなる。


「セルディアは、今も戦争をしています」


「だからこそ、統一された教えが必要なのです」


「教典を守るために、敵国を攻撃するのですか」


「戦争を終わらせるためです」


「敵国の作業員を巻き込んでも?」


「すべての者を救える戦争などありません」


「反対した司祭を拘束しても?」


「国を内側から乱す者を放置すれば、より多くの犠牲が出ます」


 どの問いにも。


 答えが用意されている。


 迷いがない。


 以前のレオニスなら。


 その姿を、正しい指導者だと思っただろう。


 だが。


 今は。


 なぜ迷わないのかが、恐ろしく感じられた。


「カイン・アステルは」


 レオニスは言う。


「勇者の命令へ何度も反対していました」


「誤った記録です」


「あの男も、同じことを言った」


「記録を盗み見たのでしょう」


「五十年以上、誰も見ていない記録です」


「上位精霊の力を使ったのかもしれません」


「何でも、そうやって説明するのですか」


 オルディスの笑みが、ほんの少し薄くなった。


「何をお望みです、レオニス」


「真実です」


「真実なら、教典にあります」


「教典ではなく」


 レオニスは拳を握る。


「アルト・レイヴァンが、本当はどのような人間だったのかを知りたい」


 口にした。


 もう。


 取り消すことはできない。


「なぜです?」


「僕は、彼になるよう育てられたからです」


 立ち方。


 笑い方。


 剣の構え。


 話し方。


 命令への従い方。


 敵の倒し方。


 すべて。


 教典の勇者へ近づくためだった。


「僕が教えられてきた勇者が、本人と違うなら」


「僕は、何を目指してきたのですか」


「人々が必要とする勇者です」


 オルディスは穏やかに答えた。


「本人と違っていても?」


「本人である必要がありません」


 レオニスは言葉を失った。


 オルディスは立ち上がり。


 窓辺へ歩いた。


 広場に立つ巨大な勇者像を見る。


「民が信じる勇者こそ、本物の勇者だ」


 静かな声だった。


 だが。


 その言葉は。


 レオニスが信じてきたものを、簡単に切り分けた。


「本人が何を思っていたかなど、百年後の平和には関係がない」


「関係がない……?」


「アルト・レイヴァンという人間は、百年前に死にました」


 オルディスは勇者像を見上げる。


「残ったのは、勇者の名と教えです」


「人々は、迷わない英雄を必要とした」


「敵へ情けをかけず」


「正しい道を示し」


「民を一つにまとめる象徴を必要とした」


「だから、記録を変えたのですか」


「整えたのです」


「同じです」


「違います」


 オルディスはレオニスを見る。


「一人の人間の弱さや迷いを、そのまま後世へ残して何になるのです」


「人々が勇者を信じられなくなる」


「教えが揺らぐ」


「国が分裂する」


「そして、再び争いが始まる」


「今も争っている!」


 レオニスの声が、部屋へ響いた。


 扉の外で。


 騎士たちが動く気配がした。


 オルディスは片手を上げた。


 入ってくるなという合図。


「あなたは疲れている」


「その言葉で終わらせないでください」


「終わらせるつもりはありません」


「では、答えてください」


 レオニスは、オルディスを見つめる。


「僕は、誰なのですか」


「二代目勇者です」


「それは、僕の名前ではありません」


「レオニス・アステル」


「名前以外に、何があるのですか」


「勇者としての使命があります」


「使命を失ったら?」


 オルディスは答えなかった。


 レオニスは気づく。


 この人も。


 自分を一人の人間として見ていない。


 勇者。


 象徴。


 エアリアルの使い手。


 民衆を従わせるための姿。


 それだけ。


「偽物との決闘は、予定どおり再開します」


 オルディスが言う。


「それが答えです」


「戦えば、本物が決まる?」


「民衆は、勝利した者を信じるでしょう」


「僕が勝てば、僕が本物になる」


「あなたはすでに、本物の勇者です」


「彼が勝ったら?」


 オルディスの目から、笑みが消えた。


「そのようなことは起こりません」


「起きたら?」


「起こさせません」


 レオニスは。


 それ以上、何も尋ねなかった。


 答えは、十分だった。


 教団にとって。


 真実は、最初から決まっている。


 決闘も。


 教典も。


 勇者も。


 すべて。


 民衆へ見せるために作られた答えだった。


     ◇


 オルディスの部屋を出た後。


 レオニスは、浄化室へ戻されなかった。


 代わりに。


 大聖堂の西側にある、勇者専用の居室へ入れられた。


 扉の外には聖堂騎士が四人。


 窓の下にも教団兵がいる。


 外出を禁じるとは言われていない。


 だが。


 実際には、部屋から出られない。


 エアリアルは返された。


 腰へ下げる。


 いつもと同じ重さ。


 いつもと同じ風の気配。


 それでも。


 以前とは違う剣に感じられた。


「お前も」


 レオニスは柄へ触れる。


「僕を勇者だと思っているのか?」


 エアリアルは答えない。


 窓の外。


 広場の向こうに、教団指定の宿が見えた。


 アルトたちが留め置かれている場所。


 周囲には教団兵。


 屋根の上にも見張りがいる。


 会うことは許されない。


 決闘まで。


 話すことも。


 近づくことも禁じられている。


 レオニスは窓を開けた。


 風が室内へ入ってくる。


 高原の冷たい風。


 聖都を満たすエアリアルの気配。


 風は。


 扉も。


 壁も。


 監視の兵士も越えていく。


 レオニスは目を閉じた。


 エアリアルへ、力を求める。


 風が身体を包んだ。


 だが。


 空へ飛ぶのではない。


 音を遠くへ届けるため。


 細い風の流れを、宿へ向けて伸ばす。


 音を拾うだけではない。


 こちらの声も同じ流れへ乗せられるよう、風の道を往復させる。


 教団の監視術へ気づかれないよう。


 大聖堂に満ちる風へ紛れさせた。


 窓の外から。


 誰かの声が聞こえた。


「アルト、今日は外へ出ないでって言ったよね」


 少女の声。


 リナ。


「宿の前に出ただけだ」


「外だよ」


「屋根の下にはいる」


「そういう問題じゃない!」


 次に。


 女の声。


「部屋へ戻りなさい。右腕の輪郭がまだ安定していないわ」


 フィオナ。


「風に当たりたかっただけだ」


「窓を開ければ済むでしょう」


「見張りが窓の前に立っている」


「今も見張られているわよ」


「知ってる」


 三人の声。


 決闘の後だというのに。


 あまりにも普通の会話だった。


 勇者と。


 上位精霊と。


 同行者。


 教典に描かれたような。


 命令する者と、従う者ではない。


 互いに注意し。


 反論し。


 呆れながら。


 それでも、同じ場所にいる。


 レオニスは風を強めた。


 アルトの声が聞こえる。


「誰かが聞いてるな」


 レオニスの身体が固まった。


「教団兵じゃないの?」


 リナが尋ねる。


「少し違う」


「風の流れ?」


 フィオナが言った。


「エアリアルの力が混じっている」


 レオニスは、風を切ろうとした。


 アルトが風の流れへ向かって声を発した。


 レオニスが作った風の道が、その声を拾って戻してくる。


『待て』


『レオニスか?』


 名前を呼ばれた。


 レオニスは唇を開く。


「……はい」


 声を風へ乗せる。


 しばらくして。


『器用なことをするな』


「会うことを禁じられています」


『俺もだ』


「なのに、宿の外へ出ているのですか」


『屋根の下にはいる』


 先ほどと同じ答え。


 遠くから。


 リナが何かを言う声がした。


 レオニスは。


 わずかに口元を緩めた。


 だが。


 すぐに笑みは消えた。


「記録を読みました」


 風の向こうが静かになる。


「カイン様の日誌ではありません」


「旅へ同行した者の記録です」


「あなたとカイン様が、何度も争ったと書かれていました」


『そうか』


 アルトの声は、驚いていなかった。


「否定しないのですか」


『事実だからな』


「あなたは」


 レオニスは窓枠を握る。


「本当に、アルト・レイヴァンなのですか」


 言葉にした瞬間。


 胸の奥が冷たくなった。


 認めたわけではない。


 ただ。


 可能性を問うただけ。


 それでも。


 以前の自分なら、口にできなかった問いだった。


 風の向こうから。


 すぐに答えは返ってこない。


『俺は、アルト・レイヴァンだ』


 やがて。


 静かな声が届いた。


『でも、それを信じるかは、お前が決めればいい』


「また、それですか」


『また?』


「自分で決めろ」


「自分で確かめろ」


「あなたは、答えを教えてくれない」


『俺の答えを、そのまま信じたいのか?』


「教典は、答えを教えてくれました」


『それで納得できていたなら、俺に話しかけてないだろ』


 レオニスは言葉を失う。


「最高司祭様は言いました」


「民が信じる勇者こそ、本物の勇者だと」


 風が、わずかに揺れた。


「本人が何を思っていたかは、百年後の平和に関係ないと」


『そうか』


「怒らないのですか」


『腹は立つ』


 即答だった。


『でも、驚いてはいない』


「なぜです」


『俺の名前が、百年間そのまま残るとは思ってなかった』


「だからといって、言葉まで変えられているのですよ」


『それは困るな』


「困るだけですか?」


『今すぐ大聖堂へ乗り込んで、像を倒した方がいいか?』


「できるのですか」


『今は無理だな』


 レオニスは。


 自分でも気づかないうちに。


 小さく息を吐いた。


「あなたは、教典とまったく違う」


『よく言われる』


「勇者らしくない」


『それも、今日言われた』


「なのに」


 続く言葉を。


 すぐに出すことができなかった。


 なのに。


 教典に記された勇者より。


 目の前の青年の方が。


 カインの記録に残る勇者と一致している。


「僕は」


 レオニスは、エアリアルへ触れた。


「二代目勇者になるために育てられました」


『ああ』


「勇者として立つために、剣を学んだ」


「笑い方も」


「歩き方も」


「話し方も」


「すべて教えられた」


『そうみたいだな』


「もし」


 喉が詰まる。


 声が出ない。


 それでも。


 問いを止めることはできなかった。


「勇者でなくなったら」


 レオニスは目を閉じる。


「僕には、何が残る?」


 風の向こうが静まった。


 すぐに答えてほしかった。


 自由になれる。


 好きに生きればいい。


 勇者でなくても価値がある。


 そう言ってほしかったのかもしれない。


 だが。


 アルトは答えなかった。


「分からないのですか」


『ああ』


「あなたは、本物の勇者なのでしょう」


『だからって、他人の人生の答えまで分かるわけじゃない』


「なら、僕はどうすればいい」


『今は、答えられない』


 レオニスの胸に。


 失望が広がった。


 同時に。


 奇妙な安心もあった。


 オルディスなら。


 迷わず答えただろう。


 勇者として生きろ。


 使命を果たせ。


 教典へ従え。


 それがお前の価値だと。


 だが。


 アルトは。


 分からないと答えた。


 レオニスが望んでいる言葉を。


 勝手に選ばなかった。


『俺も』


 アルトの声が続く。


『勇者として戦うことしか知らなかった時期がある』


「あなたも?」


『魔王を倒せば終わると思ってた』


『でも、その後も争いは残った』


『傷ついた町を回って、人を助けて、聖剣を封印した』


「それで、答えは見つかったのですか」


『いや』


『勇者ではない自分が何をしたいのかは、最後まで分からなかった』


『そうしているうちに、三十歳で死んだ』


「……そうでした」


『だから、お前に簡単なことは言えない』


『勇者をやめれば自由になれるとか』


『何でも選べるとか』


『そんなことを言って、また別の答えを押しつけたくない』


 レオニスは。


 窓の外を見た。


 巨大な勇者像。


 迷いのない顔。


 正しい道を示すように掲げられた剣。


 あの像なら。


 迷わず答えるだろう。


 だが。


 像は。


 レオニスの問いを聞いてはいない。


『ただ』


 アルトの声が届く。


『お前が今まで助けた人間まで、全部なくなるわけじゃない』


「僕が助けた人……」


 崖から落ちかけた巡礼者。


 魔物に襲われた商隊。


 嵐の中で行方不明になった子ども。


 目的地へ急ぐ伝令。


 勇者として命じられたからではない。


 目の前に助けを求める人がいたから。


 手を伸ばした。


『それをやったのは、二代目勇者という名前じゃない』


『お前だ』


 レオニスは答えられなかった。


「それでも」


 声が震える。


「僕は、人も傷つけました」


『ああ』


「否定しないのですね」


『俺も傷つけた』


「同じだと言うのですか」


『同じじゃない』


『お前がしたことは、お前のものだ』


『俺がしたことは、俺のものだ』


『誰かと同じにして、軽くすることはできない』


 厳しい言葉だった。


 だが。


 責められているとは感じなかった。


「生きて責任を負えと?」


『それも、お前が決めることだ』


「本当に、答えをくれませんね」


『悪いな』


「謝るのですか」


『分からないことを、分かったふりはできない』


 風が弱くなる。


 長くつないでいたため。


 エアリアルの力が不安定になっている。


 廊下の向こうから。


 騎士たちの足音が聞こえた。


 風術に気づいたのかもしれない。


「もう切ります」


『レオニス』


「何ですか」


『青い帯をつけた若い司祭を知ってるか』


 レオニスの身体が固まる。


「……ノア・エルデンのことですか」


『そういう名前なのか』


「なぜ、彼のことを?」


『巡礼都市と決闘場にいた』


『何か言いたそうにしてた』


「彼は、記録が書き換えられていることを知っていました」


『そうか』


「僕へ古い記録を見せたため、資料庫から外されました」


 風の向こうで。


 アルトが息を吐く気配がした。


『無事なのか』


「処遇が決まるまで、自室待機を命じられています」


『そうか』


「何をするつもりです」


『今は何もしない』


「本当に?」


『監視が多すぎる』


 意外な答えだった。


「あなたでも、考えて動くことがあるのですね」


『俺を何だと思ってる』


「教典と違う人です」


 言ってから。


 レオニスは初めて。


 ほんの少しだけ笑った。


 風の向こうから。


 アルトの小さな笑い声が届いた。


『それは間違ってないな』


 扉が叩かれる。


「レオニス様」


 騎士の声。


「室内で精霊力の動きを確認しました」


「今行きます」


 レオニスは答えた。


 細い風のつながりを切る。


 最後に。


 アルトの声が届いた。


『また話せるといいな』


 風が消えた。


 部屋に静けさが戻る。


 扉の外には、騎士たちがいる。


 窓の外には、勇者像が立っている。


 腰には、エアリアル。


 何も変わっていない。


 それでも。


 何も疑わず、教典だけを信じていた頃へ戻る道は、少しずつ消え始めていた。


 アルトが本物だと。


 まだ、完全に信じたわけではない。


 教典がすべて嘘だと。


 断じることもできない。


 ノアが見せた記録も。


 アルトの言葉も。


 別の目的で作られたものかもしれない。


 だが。


 少なくとも。


 教団が語る勇者だけを、唯一の真実だと信じ続けることはできなくなっていた。


 レオニスは鏡の前へ立つ。


 白と金の衣。


 教えられた立ち方。


 右手を、決められた位置で剣の柄へ添える。


 口元へ。


 民衆を安心させる笑みを作ろうとした。


 だが。


 うまく笑えなかった。


 鏡の中にいるのは。


 教典の勇者でも。


 アルト・レイヴァンでもない。


 迷いを捨てられない。


 十九歳の青年だった。


 レオニスは。


 作りかけた笑みを消した。


 扉を開ける。


 騎士たちが、左右へ立っている。


「どちらへ?」


 一人が尋ねた。


「最高司祭様から、部屋を出ないようにと」


「出ません」


 レオニスは答える。


「ただ、風を止めてほしいと言われたので、扉を開けただけです」


 騎士は、レオニスを見つめる。


 やがて。


「室内へお戻りください」


「分かりました」


 扉を閉めようとした、そのとき。


 廊下の奥で。


 青い帯をつけた若い司祭が、一人の騎士に付き添われて歩いていく姿が見えた。


 手には何も持っていない。


 古い記録も。


 資料庫の鍵も。


 すべて取り上げられていた。


「ノア」


 レオニスが呼ぶ。


 若い司祭が振り返る。


 騎士は、足を止めなかった。


「彼をどこへ連れていくのです」


「自室です」


「勇者様には関係ありません」


 騎士はそのまま歩き続けた。


 以前なら、その言葉へ従っていた。


 教団には教団の判断があり。


 自分は勇者として、与えられた使命だけを果たせばよい。


 そう考えていた。


 だが、今は違う。


 関係があるかどうかまで。


 誰かに決めてもらう必要はない。


「ノア」


 レオニスが、もう一度名前を呼ぶ。


 付き添われて歩く青年は、今度は振り返らなかった。


 レオニスも追わなかった。


 今ここでエアリアルを抜けば。


 ノアがさらに重い罪へ問われる。


 教団へ反抗する口実も与えてしまう。


 だから、動かなかった。


 ただし。


 もう。


 教えられた答えへ無条件に従うつもりもなかった。


 誰かに正しいと言われたからではなく。


 自分で見て。


 自分で考え。


 自分で確かめる。


 レオニスは。


 初めて自分の意思で、そう決めた。


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