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百年後に蘇った勇者は、自らが遺した三本の聖剣を破壊する  作者: situ725


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第20話 伝説と本人

 聖都へ続く最後の関所には、アルトたちの人相書きが掲げられていた。


 黒髪の青年。


 銀白色の髪を持つ女。


 弓を背負った少女。


 三人の特徴は、驚くほど正確に描かれている。


 ただし、アルトの顔だけは相変わらず実物より険しかった。


「また悪人みたいに描かれてる」


 リナが人相書きとアルトを見比べた。


「前のものよりは似ている」


「そうかな」


「傷が消えている」


「そこだけ?」


 関所の前には、白い法衣をまとった教団兵が並んでいた。


 アルトたちが近づいても、剣を抜く者はいない。


 その代わり。


 十人近い兵士が、三人を取り囲むように位置を変えた。


「アルト・レイヴァンを名乗る者だな」


 隊長らしき男が尋ねる。


「ああ」


「同行者は、上位精霊を名乗る女と、フェルナ出身の少女」


「名前まで調べたんだ」


 リナが嫌そうに答えた。


「命令により、決闘の日まで攻撃と拘束は行わない」


 隊長は感情のない声で続けた。


「ただし、聖都まで監視下で通行してもらう」


「随分と親切だな」


 アルトが言う。


「最高司祭様の慈悲だ」


「俺には、逃げないよう見張っているだけに見えるが」


「どう受け取ろうと自由だ」


 隊長が道を開ける。


「武器は預からないの?」


 リナが尋ねた。


「公開決闘へ招いた者から武器を奪えば、教団の威信に関わる」


「信用されてるわけじゃないんだね」


「当然だ」


 隊長はアルトの腰へ視線を落とした。


「ただし、決闘の場所以外で剣を抜けば、その時点で保護は失われる」


「分かった」


「街中では、我々の指示に従ってもらう」


「それも分かった」


 アルトが素直に答えると、リナが横から顔をのぞき込んだ。


「今日はやけに聞き分けがいいね」


「街へ入る前から騒ぎを起こしたくない」


「昨日までは、騒ぎを起こすつもりがあったみたいに聞こえるけど」


「起こす必要があればな」


「ないからね」


「今のところは」


「最後の一言、必要だった?」


 フィオナが小さく息を吐く。


「二人とも静かにして」


 兵士たちに囲まれながら、三人は関所を抜けた。


 白い石で舗装された道が、高原の奥へ伸びている。


 その先。


 切り立った岩山に囲まれるように、巨大な都市が築かれていた。


 白い城壁。


 空へ伸びる無数の尖塔。


 街の中央には、翼を広げたような大聖堂。


 さらにその背後には、山の頂へ突き立つ細長い塔が見えた。


 塔の上空だけ、風の流れが違う。


 雲が渦を巻き。


 大気の中へ、淡い緑色の光が混じっている。


 アルトは左手首へ触れた。


 翠色の契約印が、わずかに温かくなった。


「感じる?」


 フィオナが尋ねる。


「ああ」


 第三聖剣。


 エアリアル。


 百年前。


 アルトが最後まで手にしていた剣の気配だった。


 フレイムベルグのような熱も。


 アクアレギアのような重さもない。


 だが。


 聖都全体を満たす風の奥に、巨大な力が潜んでいる。


「思っていたより強い」


 フィオナが低い声で言った。


「二本よりも?」


「蓄えられている精霊力だけなら、同じくらい。でも、気配が広すぎる」


「広すぎる?」


「聖剣がある場所だけではなく、聖都全体に風の力が満ちている」


 フィオナは遠くの大聖堂を見つめた。


「今は、それ以上分からないわ」


「近づけば分かるか?」


「もう少しは。ただし、決闘が先よ」


「そうだな」


 リナは二人の間へ割って入った。


「それより、アルトの身体は?」


「今は安定している」


 フィオナが答える。


「でも、戦える状態とは言えないわ」


「決闘するんだよね?」


「ああ」


「やめる選択肢は?」


「ある」


 アルトは答えた。


「決闘から逃げれば、偽物だと認めたことにされるだけだ」


「それでいいじゃない」


「よくない」


「どうして?」


 リナの声が強くなる。


「偽物だと思われたって、アルトがアルトであることは変わらないでしょ」


「俺だけの問題ならな」


 アルトは、聖都へ続く道を見た。


 街道沿いには、勇者教典を手にした巡礼者たちが歩いている。


 子どもたちは木剣を掲げ。


 大人たちは勇者像へ祈りを捧げていた。


「教典に逆らう者は敵だと、あの街では教えられている」


「だから?」


「俺が逃げれば、教典が正しいと証明されたことになる」


「でも、戦ったら身体が――」


「分かっている」


 アルトは右手を開いた。


 指先には、まだ痺れが残っている。


 輪郭は戻っているが。


 光の角度によっては、皮膚の向こうが透けて見えた。


「長くは戦わない」


「相手はエアリアルを持ってるんだよ」


「だから、早く終わらせる」


「そういう意味じゃない!」


 リナが立ち止まる。


 周囲の兵士たちも足を止めた。


「聖剣を壊すために進むのは、もう止められないって分かってる」


 リナはアルトの右腕を見る。


「でも、その前に決闘で倒れたら、何の意味もないでしょう」


「倒れるつもりはない」


「そう言って、アクアレギアを壊した後に右腕が消えかけた」


「今回は壊さない」


「戦うだけなら安全だと思ってる?」


 アルトは答えなかった。


 リナの言うとおりだった。


 二本の聖剣を失った今。


 精霊術を使うだけでも、身体への負担は大きい。


 フィオナから借りられる力にも限界がある。


 何より。


 エアリアルと正面から戦うなら、力を使わずに済ませることはできない。


「俺が止める」


 アルトは言った。


「聖剣を壊す前に、あの使い手と話したい」


「決闘しながら?」


「話し合う場所としては、少し騒がしいな」


「少しじゃない」


「でも、向こうが用意した機会だ」


 アルトは再び歩き出す。


「俺も、あいつが何を考えているのか知りたい」


     ◇


 聖都の門をくぐった瞬間。


 無数の視線が、三人へ集まった。


 大通りの左右には、白い石造りの建物が並んでいる。


 窓から顔を出す住民。


 店先へ集まる商人。


 教典を胸へ抱いた巡礼者。


 誰もが、アルトたちを見ていた。


「偽物だ」


 どこかから声が聞こえた。


「勇者様の名を騙った男だ」


「聖剣を二本も壊した」


「精霊を惑わせているらしい」


「その銀髪の女が悪しき精霊だ」


 フィオナの頭巾は、すでに意味を失っていた。


 巡礼都市で露見した特徴は、聖都まで伝わっている。


 それでも彼女は、銀白色の髪を頭巾の内側へ隠したまま歩いた。


「随分と歓迎されているな」


 アルトが言う。


「石を投げられていないだけ、ましだと思って」


 フィオナが答えた。


「投げられたら避ける」


「避けるのは、あなたじゃなくてリナの方よ」


「私?」


「あなたなら先に殴り返しそうでしょう」


「殴らないよ」


 リナは少し間を置いた。


「たぶん」


「たぶんか」


 教団兵に誘導され、三人は中央広場へ向かった。


 広場は、前に訪れた街のものとは比べものにならないほど広い。


 数千人の民衆が、円形に設けられた観覧席を埋めている。


 中央には、白い石で作られた決闘場。


 その奥。


 階段の上に、巨大な勇者像が立っていた。


 聖剣を天へ掲げ。


 迷いのない目で、前だけを見ている。


 アルトは、その像を見上げた。


「また大きくなっているな」


「何が?」


「俺が」


 像は、巡礼都市にあったものよりさらに巨大だった。


「百年前より成長したのかも」


 リナが言う。


「死んだ後にか?」


「伝説の中で」


「随分と食べたらしい」


 フィオナがアルトの腕をつかんだ。


「冗談を言っている場合ではないわ」


「緊張しているのか?」


「あなたが心配なの」


「大丈夫だ」


「その言葉を信用できたことが、一度でもあったかしら」


「百年前には何度か」


「ないわ」


 即答だった。


 決闘場の反対側。


 大聖堂へ続く階段から、白と金の青年が姿を現した。


 観客たちが立ち上がる。


「レオニス様!」


「二代目勇者様!」


「偽物を討ってください!」


 歓声の中。


 レオニスは、ゆっくりと階段を下りてきた。


 白い上着。


 金色の装飾。


 背中で二つに分かれた長い外套。


 腰には、淡い緑色の光を宿すエアリアル。


 アルトは、初めて近くでレオニスの顔を見た。


 二十歳には届いていないように見える。


 リナより、少し年上だろう。


 整った顔立ち。


 民衆へ向けた穏やかな笑み。


 だが。


 目だけが笑っていなかった。


 レオニスの後ろには、二人の聖堂騎士が立っている。


 護衛にしては距離が近い。


 アルトはその配置を一度見てから、レオニスへ視線を戻した。


「アルト」


 フィオナが呼ぶ。


「ああ」


「右腕を」


 フィオナが手を重ねる。


 淡い翠色の光が、アルトの腕へ流れ込んだ。


「これ以上は送れないわ」


「十分だ」


「精霊術は、できるだけ使わないで」


「努力する」


「約束して」


 アルトは少し考えた。


「必要以上には使わない」


「必要の基準を、あなた一人で決めないで」


「難しい注文だな」


 リナがアルトの前へ立つ。


「絶対に戻ってきて」


「ああ」


「軽く返事しないで」


「必ず戻る」


 リナは、それでも不安そうにアルトを見た。


「剣を壊す戦いじゃないんだよね?」


「今日はな」


「なら、命を懸けないで」


「分かった」


 今度は、迷わず答えた。


 アルトは一人、決闘場へ入った。


 決闘場の外周には、半透明の風の膜が張られていた。


 戦いの余波を観客席へ届かせないための防護結界らしい。


 風の流れをたどれば、その力の源もエアリアルだった。


 聖剣の力を使う決闘を。


 同じ聖剣の力で観客から隔てている。


 アルトは、その光景にわずかな違和感を覚えた。


     ◇


「勇者を名乗る冒瀆者、アルト・レイヴァン」


 大聖堂前の壇上から、司祭が声を上げた。


「二代目勇者レオニス・アステル」


 アステル。


 その姓に、アルトはわずかに眉を動かした。


 百年前の仲間だった騎士も、同じ姓を持っていた。


 カイン・アステル。


 だが、百年も経っている。


 同じ姓というだけで、彼の子孫だと決めつけることはできない。


 アルトは疑問を胸に残したまま、正面の青年を見た。


「両者は、勇者の名と教えの正当性を懸け、ここに決闘を行う!」


 司祭は広場全体へ聞こえるように声を張り上げる。


「決闘は、いずれかが降伏するか、戦闘不能となった時点で終了する!」


「また、審判役が続行不能と判断した場合も、直ちに中断されるものとする!」


 民衆から歓声が上がる。


 アルトは決闘場の中央へ進んだ。


 正面から、レオニスが歩いてくる。


 二人の間には、十歩ほどの距離があった。


「初めまして」


 レオニスが言った。


「ルミナスで会っている」


「遠くから姿を見ただけです」


「なら、初めましてでいいか」


 レオニスはエアリアルの柄へ手を添えた。


 肖像画と同じ位置。


 広場のどこから見ても、美しく見えるよう計算された立ち方だった。


「あなたが、アルト・レイヴァンを名乗る者ですね」


「ああ」


「本物だと証明できますか」


「百年前の俺を知っている人間を連れてくればいい」


「そのような人間は、もう生きていません」


「一人いる」


 レオニスの視線が、フィオナへ向く。


「上位精霊を名乗る女性ですか」


「フィオナは、百年前から俺を知っている」


「彼女が本当に上位精霊である証拠もありません」


「本人の言葉は、証拠にならないか」


「教典と異なる言葉を語る者です」


 アルトは小さく息を吐いた。


「なら、ここで何を言っても無駄そうだな」


「剣なら、真実を示せます」


「剣が強い方が本物の勇者か?」


「正しき勇者には、勝利が与えられます」


「便利な考え方だ」


 レオニスの眉が、わずかに動いた。


「あなたは、すべてを軽く考えている」


「そう見えるか?」


「聖剣を二本壊し、多くの国を混乱させた」


「剣が人を殺すために使われていたからだ」


「フレイムベルグを失ったガルディアでは、国境の守りが弱くなった」


「その剣で、国境の外まで焼いていた」


「アクアレギアを失ったルミナスは、王都を守る結界を失った」


「その結界を維持するために、別の国から水を奪っていた」


「それでも、国民を守る力でした」


「守られる人間と、殺される人間を分けていただけだ」


 広場から、低いざわめきが起こる。


 レオニスの表情は崩れない。


 だが。


 エアリアルを握る指へ、少しだけ力が入った。


「あなたは、百年前の人間です」


「ああ」


「今の国々が、どのように成り立っているかを知らない」


「知らないことは多い」


「なら、なぜ正しいと言い切れるのです」


「言い切っていない」


 レオニスが目を見開いた。


「俺は、自分の選択が正しかったとは言っていない」


「では、なぜ――」


「間違った結果が残ったから、終わらせようとしている」


 アルトは無銘の剣の柄へ手を置いた。


「それだけだ」


 壇上の司祭が片手を上げた。


「これ以上の問答は不要!」


「教典を否定する者と、教典を守る勇者!」


「どちらが正しいかは、剣が示す!」


 司祭の手が振り下ろされる。


「始め!」


 レオニスがエアリアルを抜いた。


 淡い緑色の光が、広場を照らす。


 風が巻き上がり。


 白と金の外套が、翼のように広がった。


 観客たちが歓声を上げる。


 レオニスは、剣を頭上へ掲げた。


「勇者剣技――天翔一閃!」


 振り下ろされたエアリアルから、巨大な風の刃が放たれた。


 決闘場の石床を削りながら、アルトへ迫る。


 アルトは無銘の剣を抜いた。


 風をまとわせることはしない。


 身体を半歩だけ横へずらす。


 風刃が外套の端を切り裂き。


 そのまま後方の防護結界へ衝突した。


 半透明の膜が大きく揺れる。


 それでも、観客席まで風は届かなかった。


 観客たちから、驚きの声が上がる。


 レオニスは間を置かず、地面を蹴った。


 足元に風が集まる。


 一瞬で距離を詰め。


 空中で身体を回転させた。


「旋翼連斬!」


 左右から連続して放たれる斬撃。


 淡い緑色の軌跡が、翼のように広がる。


 美しい。


 遠くから見ても、何が起きているか分かる。


 技の始まりと終わりが明確で。


 観客が歓声を上げる間まで計算されているようだった。


 だが。


 剣が届くまでに、動きが大きすぎる。


 アルトは一撃目を受け流した。


 二撃目の下をくぐり。


 三撃目が振られる前に、レオニスの懐へ入る。


 無銘の剣の柄で、胸当てを軽く突いた。


 鈍い音。


 レオニスの身体が後ろへ下がる。


「何を――」


「技の名前を言っている間に近づける」


 広場の一部から、笑い声が上がった。


 すぐに教団の司祭たちが睨み、声は消える。


 レオニスの顔が強張った。


「勇者剣技を侮辱するつもりですか」


「そういう技を使った覚えがない」


「教典には、あなたが魔王軍を討った技として記されています」


「誰かが後から考えたんだろ」


「そんなはずはありません」


 レオニスが再び踏み込む。


 今度は技名を口にしなかった。


 エアリアルが斜め下から振り上げられる。


 アルトは剣で受ける。


 刃同士が触れた瞬間。


 強い風が、腕から肩へ突き抜けた。


 アルトの右手が痺れる。


 無銘の剣を握る指が、一瞬だけ透けた。


「アルト!」


 リナの声が聞こえる。


 アルトは剣を離さなかった。


 エアリアルの力を正面から受けず。


 刃を滑らせ、横へ逃がす。


 レオニスの体勢が崩れる。


 アルトは足を払おうとした。


 だが。


 レオニスは左足を、わずかに後ろへ引いた。


 重心を落とし。


 柄を腰の位置まで下げる。


 防御から、反撃へ移る構え。


 アルトの足が止まった。


 見覚えがあった。


 百年前。


 魔王軍の騎兵へ囲まれたとき。


 背中を守っていた男が、何度も取っていた構え。


「その構えを、誰に教わった?」


 レオニスの剣が止まる。


「何を――」


「左足を半歩引く。柄を下げて相手を誘い、斬り込まれた瞬間に刃を跳ね上げる」


 アルトはレオニスの足元を見る。


「カインの構えだ」


 レオニスの目が揺れた。


 観客席がざわつく。


「なぜ、その名を……」


「俺の仲間だった」


「教典に記されているから知っているだけでしょう」


「教典には、あいつの構え方まで書いてあるのか?」


 レオニスは答えなかった。


「右肩を負傷した後に作った構えだ」


 アルトは続けた。


「剣を高く構えると傷が痛むから、柄の位置を下げた」


 百年前。


 魔王城へ向かう途中で。


 カインは右肩を深く斬られた。


 治療後も痛みが残り。


 それまでの構えを使えなくなった。


 弱くなったと落ち込むカインへ。


 アルトは、休めばいいと言った。


 カインは聞かなかった。


 ならば痛まない戦い方を考えようと。


 二人で何度も剣を合わせた。


「最初は、左足を引きすぎて転んでいた」


 アルトは言った。


「転んだ?」


「ああ。三回くらい」


「カイン様が、そのような失敗をするはずがない!」


「した」


「彼は、勇者へ忠誠を誓った無敗の騎士です!」


「無敗ではない。俺との稽古では、よく負けていた」


「嘘だ!」


「俺も、よく負けた」


 レオニスが言葉を失う。


「俺が朝に弱いから、寝台ごとひっくり返したこともある」


「カイン様が?」


「食料の分配で揉めたときは、三日くらい口を利いてくれなかった」


「そんなことは、教典のどこにも――」


「書かれていないだろうな」


 アルトは小さく笑った。


「英雄の従者が、勇者と喧嘩した話なんて都合が悪い」


「カイン様は、勇者様の命令へ絶対に従ったと――」


「違う」


 アルトの声から笑みが消えた。


「カインは、俺の命令に従う男じゃなかった」


 風が止まった。


 エアリアルの光が、わずかに揺らぐ。


「俺が間違っていると思えば、何度でも止めた」


「そんな……」


「魔王城へ正面から入ろうとしたときも、最初に反対したのはあいつだ」


「教典には、カイン様が勇者の命令を受け、誰より先に門を開いたと」


「その前に、俺を殴って気絶させようとした」


「殴った?」


「本気だった」


 アルトは昔を思い出す。


 怒鳴るカイン。


 無謀だと言い張るミリア。


 冷静に別の侵入路を探すエレナ。


 面白そうに眺めていたフィオナ。


 誰一人。


 アルトへ盲目的に従ってはいなかった。


 だからこそ。


 最後まで進むことができた。


「カインは、俺の後ろを歩くために剣を持っていたんじゃない」


 アルトは言った。


「自分が正しいと思ったものを守るために戦っていた」


 レオニスの剣先が、少し下がる。


 壇上の司祭が声を上げた。


「耳を貸してはなりません!」


「偽物は、教典に記された英雄まで侮辱している!」


 観客席からも声が上がる。


「カイン様を愚弄するな!」


「偽物を討て!」


「レオニス様!」


 歓声が広場を満たしていく。


 レオニスは、エアリアルを握り直した。


「僕は」


 声が震えていた。


「カイン・アステルの子孫です」


 アルトは、短く息を吐いた。


「やはり、そうだったのか」


「気づいていたのですか」


「姓を聞いたときに、少しな」


 アルトはレオニスの顔を見る。


 髪の色も。


 目の形も。


 カインとは似ていない。


 だが。


 剣を握るときに、親指だけを少し前へ出す癖。


 迷ったとき、左足へ重心を移す仕草。


 確かに。


 百年前の仲間の面影が残っていた。


「カインは、その構えを子どもへ残したんだな」


「勇者へ仕える騎士の技として」


「違う」


「何が違うのです!」


「自分より強い相手にも、引かないための構えだ」


 アルトは無銘の剣を下げた。


「誰かに従うためじゃない」


「僕は、勇者の使命を継ぐために――」


「それは、誰が決めた?」


 レオニスの言葉が止まる。


「教団です」


「お前は?」


「何を……」


「お前自身が、それを選んだのか?」


 風が揺れた。


 レオニスの外套が、大きく広がる。


「僕は、エアリアルを託された」


「それを聞いているんじゃない」


「人々は僕を必要としている!」


「お前は、どうしたい?」


「僕は――」


 答えは出なかった。


 代わりに。


 壇上から、鋭い声が響く。


「決闘を続けなさい!」


 司祭が叫ぶ。


「偽物の言葉へ惑わされてはならない!」


 レオニスの後方にいた聖堂騎士たちが、一歩前へ出る。


 アルトはそれを見逃さなかった。


 決闘場の外。


 レオニスを守るためではない。


 逃がさないために立っている。


「レオニス」


 アルトが名前を呼ぶ。


「黙れ」


 声は小さかった。


「もう、話さないでください」


 レオニスがエアリアルを両手で構える。


 風が激しく渦巻いた。


 決闘場の石床へ亀裂が走る。


「あなたが本物なら」


 レオニスの目には、怒りではなく恐怖が浮かんでいた。


「僕が信じてきたものは、何だったんですか」


 アルトは答えなかった。


 簡単に答えてよい問いではなかった。


 レオニスが生きてきた年月。


 積み重ねてきた訓練。


 救った人々。


 傷つけた人々。


 そのすべてを。


 偽物だったと切り捨てることはできない。


「俺には分からない」


 アルトは正直に答えた。


 レオニスが息を止める。


「分からない?」


「ああ」


「あなたは勇者なのでしょう!」


「勇者だからって、何でも分かるわけじゃない」


「教典の勇者は――」


「それは俺じゃない」


 アルトは巨大な勇者像を見上げた。


 迷いのない顔。


 華美な鎧。


 天へ掲げられた聖剣。


「俺は迷った」


 アルトは言った。


「何度も間違えた」


「仲間と喧嘩した」


「逃げたこともある」


「怖くて、剣を握れなかったこともある」


 民衆が静まっていく。


「それでも」


 アルトはレオニスを見る。


「俺一人ではできないことを、仲間に助けてもらった」


「俺は、そうやって勇者をやっていた」


 レオニスの構えが揺らいだ。


 ほんの一瞬。


 剣先が下がる。


 その瞬間。


 壇上の司祭が手を上げた。


「二代目勇者様に、冒瀆者の言葉による精神干渉の疑いがある!」


 教団兵たちが、一斉に決闘場へ入ってくる。


 観客席から、驚きの声が上がった。


「精神干渉?」


 アルトが眉を寄せる。


「俺は話しただけだ」


「冒瀆的な言葉によって、決闘の公正が損なわれた!」


 司祭はアルトを指差した。


「審判権限により、決闘を一時中断する!」


「なぜです!」


 レオニスが振り返る。


「僕は戦えます!」


「勇者様は、ご自身が影響を受けていることに気づいておられないのです」


「違う!」


「大聖堂で浄化を受けていただきます」


 二人の聖堂騎士が、左右からレオニスへ近づく。


「レオニス様」


「大聖堂へお戻りください」


「まだ終わっていない!」


「最高司祭様のご命令です」


 レオニスの顔が強張る。


 握られたエアリアルから、風が漏れ出す。


 それでも。


 レオニスは、騎士へ剣を向けなかった。


「僕は……」


 彼の視線がアルトへ戻る。


「あなたを、信じたわけではありません」


「分かってる」


「カイン様のことも」


「ああ」


「教典が間違っているとは、まだ……」


「自分で確かめればいい」


 レオニスの目が揺れる。


「どうやって?」


「それを決めるのは、お前だ」


 レオニスは答えなかった。


 聖堂騎士たちに囲まれ、決闘場を離れていく。


 白と金の外套が、風に揺れる。


 民衆は、二代目勇者へ歓声を送らなかった。


 代わりに。


 何が起きたのか理解できないように、互いの顔を見ている。


 教典では。


 勇者は迷わない。


 正しき勇者は、偽物を倒す。


 だが。


 目の前の二代目勇者は剣を止め。


 偽物と呼ばれた青年は、誰も傷つけなかった。


 その光景は。


 教典に書かれた物語とは違っていた。


 壇上の司祭が、ざわめきを押さえるように声を張り上げる。


「再決闘の日程は、追って布告する!」


「それまで、冒瀆者一行への通行保証は継続する!」


 アルトは司祭を見る。


「ただし、聖都からの退出を禁じる!」


「さらに、教団が指定した区域以外への立ち入りも認めない!」


 民衆へ向けた宣言であると同時に。


 アルトたちへ向けた命令だった。


「一行には、教団兵を監視として同行させる!」


「命令へ背いた場合、通行保証は即座に失われるものとする!」


 アルトは、小さく息を吐いた。


 決闘は中止された。


 だが、自由になったわけではない。


 聖都そのものが。


 三人を閉じ込める檻へ変わっただけだった。


     ◇


 アルトが決闘場から戻ると。


 リナが胸元へ飛び込んできた。


「痛い」


「生きてる?」


「今のところは」


「今のところって言わないで!」


 リナが離れ、アルトの右腕を確認する。


 指先の輪郭が、わずかに薄くなっていた。


「使わないって言ったのに」


「精霊術は使っていない」


「身体の方!」


「少し無理はした」


「少しじゃない」


 フィオナがアルトの右手を取る。


 翠色の光を流し込み。


 険しい表情を浮かべた。


「しばらく剣を握らないで」


「どれくらい?」


「最低でも、今日一日」


「短いな」


「本当なら三日と言いたいところよ」


「それは困る」


「だから、一日で我慢しているの」


 アルトは、連れ去られていくレオニスの背中を見た。


「カインの子孫か」


「姓を聞いた時点で気づいたの?」


 フィオナが尋ねる。


「可能性は考えた」


「顔は似ていないものね」


「髪も目も違う」


「でも、構えは同じだった」


 百年前。


 何度も隣で見た構え。


 勇者へ従うためではなく。


 自分の意思で戦うために、カインが作った剣だった。


「レオニスはどうなるの?」


 リナが尋ねる。


「教団へ戻されたけど」


「すぐに処罰はされないだろう」


「どうして分かるの?」


「あいつは、教団にとって必要な勇者だからだ」


 アルトは、広場を囲む民衆を見た。


 人々はまだ立ち去っていない。


 勇者像。


 教典。


 決闘場。


 三つを何度も見比べている。


「だからこそ、自由にはされない」


 レオニスの左右にいた聖堂騎士。


 あれは護衛ではなかった。


 勇者を守るためではなく。


 教団が必要とする勇者から、外れないよう監視する者たちだった。


「次はどうするの?」


 リナが尋ねる。


「今は、勝手に動けない」


 アルトは広場の外を見る。


 すでに教団兵たちが、三人を囲むように配置されている。


「決闘が延期されたから、俺たちは聖都へ留め置かれる」


「宿へ戻れるの?」


「指定された場所ならな」


「大聖堂を調べるのは?」


「簡単にはできなくなった」


 百年前の記録。


 第三聖剣エアリアル。


 どちらも、大聖堂に関わる場所にあるはずだった。


 だが。


 指定区域外への立ち入りは禁止された。


 無理に動けば、通行保証を失う。


 それでも。


 レオニスの中へ疑問を残すことはできた。


 今は、それで十分だった。


「まずは休む」


 アルトが答えた。


 フィオナが少し意外そうに見る。


「素直ね」


「俺だって、休むべきときくらい分かる」


「今まで何度も分かっていなかったでしょう」


「今回は分かっている」


「珍しいこともあるんだね」


 リナが言った。


「決闘のせいで、頭まで弱った?」


「心配の仕方が失礼だな」


 そのとき。


 広場の端にいた一人の若い司祭と目が合った。


 腕には、細い青色の帯。


 巡礼都市で。


 群衆がアルトを罵る中、一人だけ教典を見つめていた青年だった。


 若い司祭は。


 アルトと、連れ去られていくレオニスを交互に見ていた。


 その腕には、記録用と思われる紙束が抱えられている。


 何かを言いたそうに。


 青年の唇が、わずかに動いた。


 だが。


 周囲の司祭たちが近づくと。


 彼は視線を伏せ、その場を離れていった。


 青い帯が、人混みの向こうへ消えていく。


「知り合い?」


 リナが尋ねた。


「いや」


「ずっと見てたけど」


「前の街にもいた」


「あの人も、教典を疑っているのかな」


 アルトは、青年が消えた方向を見る。


「まだ分からない」


 何かを伝えたかったのか。


 ただ、決闘の内容に動揺していただけなのか。


 今のアルトには判断できなかった。


「行きます」


 監視役の教団兵が声をかける。


「指定された宿まで案内する」


「寄り道は?」


「認められない」


「そうか」


 アルトが歩き出そうとする。


 だが。


 フィオナが外套の裾をつかんだ。


「今日は休む」


「分かっている」


「勝手に抜け出さないで」


「監視がいる」


「監視がいなくても抜け出さないと約束して」


 アルトは少し考える。


「必要がなければ」


「その言い方は禁止」


 リナがアルトの反対側の腕をつかむ。


「宿へ戻るよ」


「自分で歩ける」


「逃げるから駄目」


「逃げない」


「信用できない」


「随分と疑われているな」


「日頃の行いだよ」


 二人に左右からつかまれながら。


 アルトはもう一度、大聖堂を振り返った。


 巨大な勇者像は。


 相変わらず、迷いのない顔で剣を掲げている。


 だが。


 その足元で。


 人々は初めて、教典とは異なる勇者の姿を目にした。


 そして。


 二代目勇者もまた。


 自分が信じてきた伝説と。


 百年前を知る本人との間にある違いを知った。


 まだ。


 何かが壊れたわけではない。


 教典も。


 勇者像も。


 教団の支配も、残ったままだ。


 それでも。


 レオニスの中に生まれた小さな疑問は。


 エアリアルでも切り払えない亀裂となっていた。


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