第19話 二代目勇者
「笑ってください」
声に従い、レオニスは口元を持ち上げた。
「もう少し柔らかく」
少しだけ頬の力を抜く。
「視線は正面へ」
顔を上げる。
「顎を引きすぎないでください。勇者とは、民衆の不安を受け止める存在です」
レオニスは言われたとおりに顎を戻した。
「そうです。その表情を忘れないように」
鏡の中に、白と金の青年が立っている。
白を基調とした上着。
胸元と肩を飾る金色の刺繍。
風に広がりやすいよう、背中で分かれた長い外套。
腰には、第三聖剣エアリアル。
鏡の横には、一枚の古い肖像画が置かれていた。
華美な鎧を身につけた、黒髪の勇者。
アルト・レイヴァン。
教団が伝える、世界を救った英雄の姿だった。
「右手を剣の柄へ」
指導役の司祭が言う。
レオニスは右手をエアリアルへ添えた。
「位置が低いです」
手を上げる。
「もう少し」
さらに上げる。
「そこで止めてください」
肖像画の勇者と、同じ位置だった。
「民衆の前へ出るときは、必ずその形を意識してください」
「はい」
「声が小さい」
「はい」
レオニスは声量を上げた。
司祭が満足そうにうなずく。
「二代目勇者は、常に人々から見られています。疲労も迷いも見せてはなりません」
「分かっています」
「先ほど、帰還報告のため民衆の前へ出た際、少し俯いていましたね」
レオニスの手が止まる。
「風の制御に集中していました」
「民衆には、そのように見えません」
司祭は鏡越しにレオニスを見た。
「勇者が俯けば、人々は不安を抱きます」
「申し訳ありません」
「謝罪も必要ありません。次から正せばよいのです」
司祭はレオニスの外套へ手を伸ばした。
肩に生じていた小さなしわを整える。
「あなたは、セルディアの希望なのですから」
希望。
幼い頃から、何度も聞かされてきた言葉だった。
レオニスは再び鏡を見る。
明るく。
迷わず。
民衆を安心させるように。
笑う。
「そのまま待っていてください。最高司祭様がお呼びです」
司祭は一礼し、部屋から出ていった。
扉が閉じる。
笑顔を保つ必要がなくなった。
レオニスはゆっくりと息を吐いた。
頬の筋肉が痛い。
鏡に映る顔から、笑みが消えていく。
残ったのは、疲れの浮かんだ十九歳の青年だった。
肖像画の勇者とは似ても似つかない。
髪の色も。
顔立ちも。
身体の大きさも違う。
それでも、教団はレオニスを勇者へ近づけようとした。
髪型。
立ち方。
剣を持つ位置。
歩幅。
民衆へ向ける笑み。
演説するときの間の取り方。
すべて、教典と肖像画を参考に決められている。
幼い頃からそうだった。
「勇者は弱音を吐かない」
「勇者は痛みに耐える」
「勇者は誰よりも早く決断する」
「勇者は敵へ情けをかけない」
読み書きを習うより先に、勇者の振る舞いを教えられた。
剣を持てるようになれば、毎日訓練した。
足の置き方が違えば打たれた。
構えが崩れれば食事を減らされた。
泣けば、勇者は泣かないと言われた。
怖いと口にすれば、民衆を不安にさせるなと叱られた。
それでも。
レオニスは、勇者になりたかった。
誰かを救える存在になりたかった。
初めてエアリアルを握った日のことを、今でも覚えている。
封印施設の中央。
無数の司祭と騎士が見守る中。
台座へ突き立てられた、淡い緑色の聖剣。
剣へ触れた瞬間、風が身体を包んだ。
呼吸するよりも自然に。
手足を動かすよりも自由に。
空へ浮かび上がることができた。
教団の人々は歓声を上げた。
二代目勇者が生まれた、と。
その日から、レオニスは多くの人を助けた。
崖から落ちかけた巡礼者を、風で受け止めた。
魔物に襲われた商隊へ駆けつけた。
山を越えられなくなった伝令を、目的地まで運んだ。
崩れた橋の代わりに、風の道を作った。
嵐の中で遭難した子どもを捜したこともある。
助けた人々は、泣きながら礼を言った。
「勇者様」
「ありがとうございます」
「あなたがいてくださってよかった」
その言葉を聞くたびに。
厳しい訓練にも。
自分で選べない服にも。
決められた笑顔にも。
意味があると思えた。
勇者であることで人を救えるのなら。
自分の人生が最初から決められていても、構わない。
そう思っていた。
戦争が始まるまでは。
最初に命じられたのは、敵軍の伝令を止めることだった。
伝令を乗せた馬車の前へ降り立ち、車輪を風で壊した。
武器だけを吹き飛ばし、誰も殺さずに拘束した。
次に命じられたのは、前線の指揮官を暗殺することだった。
「指揮官一人を討てば、百人の兵士が戦わずに済みます」
そう説明された。
レオニスは風の刃を放った。
だが、首ではなく肩を狙った。
指揮官は倒れたが、命までは奪わなかった。
任務報告には、敵指揮官を戦闘不能にしたとだけ記した。
帰還後。
任務を完全に果たさなかったとして、教団の指揮官から叱責を受けた。
「命令は暗殺だったはずです」
「ですが、あの指揮官は戦場へ戻れません」
「命令を自分の判断で変えることが、勇者の役目ではありません」
レオニスは何も答えなかった。
敵軍の指揮系統を混乱させたという結果を理由に、それ以上の処罰はなかった。
最後に、指揮官は穏やかな声で言った。
「次は、勇者として迷わないように」
その次は、敵の補給拠点。
橋。
街道。
監視塔。
武器庫。
壊す対象は、少しずつ増えていった。
やがて。
教団の方針へ反対する、国内の司祭や領主を拘束する任務まで与えられた。
「彼らは争いを長引かせる者です」
教団の指揮官は、そう説明した。
「民衆を迷わせ、セルディアの結束を乱しています」
反対派と呼ばれた者たちは、武器を構えていなかった。
机の上に、戦争の中止を求める嘆願書が置かれていた。
それでも教団兵は、彼らを拘束するよう命じた。
レオニスは風で扉と窓を塞いだ。
逃げようとした者も、傷つけないよう床へ押さえつけた。
拘束された者たちは、教団兵によって連れていかれた。
「話し合いが終われば、戻れるのですか」
レオニスは尋ねた。
「彼らが正しき教えを受け入れれば」
指揮官は答えた。
それ以降。
連れていかれた者たちが、どこで何をしているのかは知らされなかった。
人を救うために与えられた風が。
いつから、人を黙らせるための力になったのか。
レオニスには、その境目が思い出せなかった。
◇
エアリアルの刃へ、淡い緑色の光が流れていた。
レオニスは自室の窓辺に立ち、剣を鞘からわずかに抜いた。
澄んだ風が室内を巡る。
机の上に置かれた紙が揺れた。
セルディア軍の戦果報告書。
ルミナス王都攻略作戦。
補給拠点、破壊。
街道三か所、使用不能。
監視塔四基、機能停止。
伝令拠点二か所、制圧。
王都結界、消耗を確認。
文字だけを見れば、作戦は成功している。
セルディア軍の損害は少ない。
敵国の戦力を効率的に削った。
正面から大軍をぶつけるより、犠牲も抑えられた。
教団の指揮官はそう説明した。
だが。
レオニスの記憶に残っているのは、数字ではなかった。
ルミナスの補給拠点。
風で倉庫の屋根を吹き飛ばしたとき。
崩れた木材の下に、一人の作業員が倒れた。
兵士ではない。
武器も持っていなかった。
食料袋を運んでいただけの、年老いた男だった。
レオニスは助けようとした。
だが、指揮官に止められた。
「作戦中です」
「あの人は兵士ではありません」
「敵軍へ食料を運ぶ者です」
「このままでは死にます」
「勇者が敵を救う姿を見せれば、兵の士気が下がります」
その間にも。
男の上へ、崩れた柱が落ちた。
レオニスは風を送った。
柱を少しだけ横へそらした。
直撃は避けられた。
それでも、助かったかどうかは分からない。
確認する前に、次の命令が下された。
王都へ風刃を放て。
アクアレギアを消耗させろ。
王都を守る結界へ向けて。
レオニスはエアリアルを振るった。
巨大な風の刃が空を裂いた。
遠く。
水の結界と衝突した。
青と緑の光が空へ弾けた。
兵士たちは歓声を上げた。
「二代目勇者レオニス様!」
「我らの勇者が敵を追い詰めている!」
その声を聞きながら。
レオニスは、倒れた作業員のことを考えていた。
それから数日。
同じことを繰り返した。
橋を壊し。
街道を断ち。
監視塔を攻撃し。
伝令を狙った。
効率的な戦争だった。
だからこそ。
そこにいた一人一人の顔が、記録から消えていった。
作戦成功。
損害軽微。
敵補給能力を低下。
報告書には、それだけが残る。
レオニスはエアリアルを鞘へ戻した。
風が止まる。
机の端。
別の報告書が目に入った。
アクアレギア消失。
ルミナス王都の水結界が解除された。
ガルディア方面への水源封鎖も解消。
聖剣を破壊したのは。
アルト・レイヴァンを名乗る男。
教団では、偽物と呼ばれている。
レオニスは、ルミナス王都でその姿を見ていた。
黒髪。
古びた剣。
華美な鎧も、白い外套もない。
レオニスを追おうとした際の動きは、教典に描かれた勇者とは違った。
それでも。
遠くで、あの青年が自分を追うために風の精霊力を集めた瞬間。
エアリアルの内部を流れる精霊力が揺れた。
拒絶するような荒い動きではなかった。
破壊者を警戒しただけとも思えない。
長く離れていた何かへ反応するような、静かな揺れだった。
レオニスは、柄へ手を置く。
「あなたは、あの人の何に反応したんだ?」
答えはない。
これまでは。
レオニスが命じれば、聖剣は必ず応じてきた。
風を生み。
敵を斬り。
空を飛ぶ力を与えた。
命令に従っているように見えた。
だが、言葉を返してはくれない。
レオニスは報告書をめくった。
新たな紙が挟まれている。
封には、二日前の日付が記されていた。
西部の巡礼都市から、風術による緊急伝達で聖都へ送られたものだった。
勇者を名乗る男が、勇者教典を公然と否定。
同行する銀白色の髪の女は、上位精霊を名乗った。
男は、自らをアルト・レイヴァンと主張。
教団兵が拘束を試みるも逃走。
現在、聖都方面へ向かっている可能性あり。
報告書には、目撃証言も添えられていた。
黒髪に灰色が混じった青年。
粗末な剣。
右腕を庇うような動き。
教典を否定し。
精霊は人間へ従う存在ではないと語った。
レオニスは、その一文を読み返した。
精霊は、人間へ従う存在ではない。
教典には、反対のことが記されている。
精霊は、世界を救う勇者へ忠誠を誓った。
聖剣も精霊も。
正しき勇者へ従う。
幼い頃から、そう教えられてきた。
だが。
自分がエアリアルを使うたび。
剣の中を流れる風は、本当に自分へ従っているのだろうか。
命令すれば動く。
それは忠誠なのか。
拒否できないだけではないのか。
レオニスは首を振った。
考える必要はない。
教典に答えは書かれている。
勇者は迷わない。
迷いは、悪に惑わされている証拠だ。
そう教えられている。
それなのに。
最近は、教典を読むほど問いが増えた。
◇
扉が三度、叩かれた。
「レオニス様」
外から声がする。
「最高司祭様がお待ちです」
「今行きます」
レオニスは報告書を閉じた。
鏡の前へ立つ。
外套の位置を直す。
右手を、決められた高さで剣の柄へ添える。
口元に笑みを作る。
鏡の中に。
二代目勇者が戻ってきた。
扉を開ける。
待っていた司祭が深く頭を下げた。
「こちらへ」
白い石の廊下を進む。
壁には、勇者アルトの生涯を描いた絵が並んでいた。
魔物から村を守る勇者。
炎、水、風の聖剣を掲げる勇者。
跪く精霊たちへ手を差し伸べる勇者。
魔王軍を一人残らず討ち滅ぼす勇者。
世界を一つにするよう、民衆へ命じる勇者。
レオニスは幼い頃から、この廊下を何度も通ってきた。
絵の中の勇者へ少しでも近づくために。
だが。
巡礼都市で現れた青年は、教典とは異なることを語った。
なぜ、聖剣の構造を知っているのか。
なぜ、エアリアルの力が反応したのか。
なぜ、上位精霊を名乗る者が同行しているのか。
教典だけでは説明できない疑問が残っていた。
レオニスは、すぐに打ち消す。
考えてはならない。
教典を疑えば。
自分がこれまで学んできたすべてを疑うことになる。
そして。
勇者である自分自身まで、疑うことになる。
廊下の先に、大きな扉が見えた。
二人の聖堂騎士が左右に立っている。
「二代目勇者レオニス・アステル様がお見えになりました」
司祭が告げる。
扉が開いた。
大聖堂の上層に設けられた謁見室。
高い窓から、白い光が差し込んでいる。
正面には、翼を広げた勇者の紋章。
その下に、一人の老人が座っていた。
最高司祭オルディス。
白い祭服の上へ、金色の肩衣を重ねている。
穏やかな顔。
柔らかな目。
国中の民衆から、聖父と呼ばれる人物だった。
「よく来ました、レオニス」
オルディスが微笑む。
「お呼びと伺いました」
レオニスは祭壇の前で片膝をついた。
「ルミナスでの働き、見事でした」
「ありがとうございます」
「あなたの力によって、敵国の補給網は大きな損害を受けた。セルディアの民も安心しているでしょう」
倒れた作業員の姿が浮かぶ。
レオニスは顔へ出さなかった。
「すべて、勇者様の教えに従った結果です」
「素晴らしい」
オルディスは満足そうにうなずいた。
「ですが、アクアレギアは破壊されました」
「はい」
「あの剣を壊した男が、セルディアへ入ったことは知っていますね」
「報告書を読みました」
「アルト・レイヴァンを名乗る冒瀆者です」
オルディスの口調は変わらない。
穏やかなままだった。
「彼はフレイムベルグを破壊し、アクアレギアも砕いた」
「はい」
「次に狙われるのは、エアリアルでしょう」
レオニスの腰で、聖剣がかすかに震えた。
風の気配が広がりかける。
レオニスは柄を押さえた。
「あの男は、なぜ聖剣の構造を知っているのでしょうか」
言葉が出た。
口にしてから、謁見室が静まり返ったことに気づく。
左右に控えていた司祭たちが、レオニスを見る。
オルディスだけは、笑みを崩さなかった。
「封印施設から、何らかの記録を盗んだのでしょう」
「ルミナスで彼を見ました」
「遠くからでしょう」
「エアリアルが反応しました」
「聖剣は、破壊者の力を警戒したのです」
「そうかもしれません」
「ほかに疑問が?」
レオニスは迷った。
勇者は迷わない。
そう教えられてきた。
だが。
ここで黙ることも、嘘をつくこともできなかった。
「巡礼都市で、彼は教典を否定したそうです」
「だからこそ冒瀆者なのです」
「教典に記された言葉を、言った覚えがないと主張しています」
「偽物であれば、そう言うでしょう」
「ですが、教典だけでは説明できないことがあります」
「レオニス」
オルディスが静かに名前を呼んだ。
声は穏やかだった。
それでも。
レオニスは、それ以上話せなくなった。
「あなたは、疲れているのですね」
「申し訳ありません」
「謝る必要はありません。長い作戦の後です。心が弱ることもあるでしょう」
「僕の心は――」
「誰にでも迷いは生まれます」
オルディスは立ち上がった。
祭壇を下り、レオニスの前へ来る。
肩へ手を置いた。
「重要なのは、その迷いへ正しい答えを与えることです」
「正しい答え」
「教典です」
予想していた言葉だった。
「教典には、勇者様の言葉が残されています」
「それでも、あの男が知っていることは――」
「すべて、盗まれた記録や悪しき精霊から得た知識で説明できます」
オルディスの笑みは、少しも変わらない。
「百年もの間、教団は勇者様の教えを守り続けてきました」
「……はい」
「対して、あの男は突然現れた」
オルディスはレオニスから離れ、壁の肖像画へ目を向けた。
「粗末な剣を持ち、敵を助け、聖剣を破壊し、人々の信仰を否定している」
「それでも、聖剣の内部にある核の性質まで知っています」
「記録を盗んだのでしょう」
「上位精霊を名乗る女性も一緒にいます」
「悪しき精霊が、勇者様の名を利用しているのかもしれません」
答えは用意されている。
どの疑問を口にしても。
オルディスは、迷うことなく教典の内側へ収めていく。
それでも。
説明のつかない違和感だけが、レオニスの胸に残っていた。
「怖いのですか?」
オルディスが尋ねた。
「……何がでしょうか」
「教典では説明できない者が現れたことが」
レオニスの胸が強く脈打った。
「違います」
「そうですか」
「僕は、事実を確かめたいだけです」
「事実は教典にあります」
「ですが――」
「レオニス」
再び、名前を呼ばれる。
「あなたは何のために生まれたのです?」
答えは、幼い頃から決まっている。
「二代目勇者となるためです」
「何のために剣を学んだのです?」
「人々を救うためです」
「エアリアルは、なぜあなたへ託されたのです?」
「勇者の使命を継ぐためです」
「ならば、迷う必要はありません」
オルディスは優しく微笑んだ。
「偽物を討ち、人々の信仰を守る。それが今のあなたの使命です」
「討つ……」
「心配はいりません」
オルディスは祭壇へ戻った。
「あの男が何者であろうと、戦えば明らかになります」
「戦えば?」
「正しき勇者が、勇者様の教えへ背く者に敗れるはずがない」
論理になっていない。
一瞬、そう感じた。
教典へ従う者が正しい。
教典へ逆らう者が間違っている。
勝った者が勇者で。
敗れた者が偽物。
だが。
強さと正しさは、本当に同じなのか。
レオニスは、その問いを口にしなかった。
「民衆の前で決着をつけなさい」
オルディスが言う。
「民衆の前?」
「はい」
「なぜ、公開する必要があるのですか」
「人知れず殺せば、彼の言葉を信じる者が現れるでしょう」
オルディスは穏やかな口調で続けた。
「消されたのは、教団にとって都合の悪い者だったのではないかと」
レオニスは顔を上げた。
「民衆の前で、偽物として敗れさせる必要があるのです」
言葉は柔らかい。
だが。
それが決闘ではなく、公開処刑として用意されていることを、レオニスは理解した。
左右に控えていた司祭の一人が、封の切られていない巻物を差し出した。
レオニスは受け取り、開く。
それは、まだ民衆へ公表されていない公開決闘の布告だった。
勇者を騙る冒瀆者へ。
聖都中央広場において、二代目勇者レオニス・アステルとの決闘を命じる。
逃亡した場合は、偽物であることを自ら認めたものとする。
勝利した場合のみ、教団へ異議を唱える権利を与える。
「夜明けとともに、聖都と主要都市へ掲示します」
巻物を渡した司祭が告げた。
「同じ文面を、聖都へ続くすべての関所と巡礼路にも送ります」
別の司祭が続ける。
「風術による告知も行います。あの者がどの道を通っても、布告を知らずに済むことはありません」
「教団兵が先に彼を捕らえる可能性は?」
レオニスが尋ねた。
「決闘の日までは、教団兵による一行への攻撃と拘束を禁じます」
オルディスが答えた。
「各関所へは、一行の人相書きと、聖都まで通行させるよう命令を送ります」
「本人たちが通行許可証を持っていなくても通すのですか?」
「こちらから招いた相手です」
オルディスは穏やかに答えた。
「身元を確認した後、聖都まで監視下で通行させなさい」
「ただし、決闘から逃げた場合や、民衆へ危害を加えた場合は、その限りではありません」
「逃げ道を与えるのですか?」
「いいえ」
オルディスは微笑む。
「民衆の前へ引き出すための道を与えるのです」
レオニスは布告を見る。
あの青年は。
勇者の名に執着しているようには見えなかった。
だが、教典の記述を公然と否定している。
民衆の前で話す機会が与えられるなら。
おそらく。
来る。
「この決闘で、セルディアの民は真実を目にします」
オルディスが告げる。
「教典に従う二代目勇者と」
「教典を否定する偽物」
「どちらが正しい勇者なのかを」
レオニスは布告を握った。
紙が小さく鳴る。
「命令を」
自分の声が、遠く聞こえた。
「アルト・レイヴァンを名乗る冒瀆者を討ちなさい」
オルディスは穏やかに言った。
「そして、あなたこそが正しき勇者であると証明するのです」
断るという選択肢はなかった。
十九年間。
二代目勇者として生きるためだけに育てられてきた。
人々を救うために。
教典の勇者へ近づくために。
それを失えば。
自分には何が残る。
レオニス・アステルという名前以外。
何一つ、思い浮かばなかった。
「承知しました」
レオニスは頭を下げた。
「二代目勇者として、偽物を討ちます」
その言葉に応えるように。
エアリアルの内部を流れる精霊力が、鞘の中で揺れた。
その揺れが何を意味するのか。
レオニスには分からなかった。
◇
謁見室を出る。
扉が閉じる直前。
左右に立っていた二人の聖堂騎士が、レオニスの後ろへ続いた。
「護衛は必要ありません」
「最高司祭様のご命令です」
右側の騎士が答えた。
「決闘までの間、勇者様の安全をお守りします」
「これまでの護衛で十分です」
「本日から、我々が常に同行いたします」
レオニスは二人を見る。
これまでも、外出時には護衛がつくことがあった。
だが。
自室へ戻るだけの廊下で、これほど近くに立たれたことはない。
守るためというより。
見張るための距離に思えた。
「分かりました」
レオニスは歩き出した。
二人の騎士も、一定の間隔を保って後ろへ続く。
廊下には、数人の子どもたちが待っていた。
白い衣服を着た、教団の養成院で暮らす子どもたち。
レオニスを見ると、目を輝かせた。
「レオニス様!」
「二代目勇者様!」
引率の司祭が慌てて頭を下げる。
「申し訳ありません。勇者様が通られるとは知らず」
「構いません」
レオニスは、教えられたとおりに笑った。
子どもたちの前へ膝をつく。
一人の少年が、木剣を抱えながら胸を張った。
「僕も、いつか勇者様のようになります!」
「僕も!」
「悪い敵を全部倒します!」
レオニスの笑顔が、わずかに固まった。
「どうして、勇者になりたいの?」
予定にない質問だった。
引率の司祭が怪訝そうに見る。
後方の聖堂騎士たちも、黙ってレオニスを見ていた。
少年は元気よく答える。
「勇者になれば、みんなを救えるからです!」
かつての自分と同じ答えだった。
「敵を倒せば、戦争が終わるって先生が言っていました!」
別の子どもが続ける。
「勇者様みたいに迷わず戦えば、世界は平和になります!」
レオニスは返す言葉を失った。
自分が示してきた姿。
敵の補給拠点を破壊し。
街道を断ち。
遠くから王都へ風刃を放つ姿。
それを子どもたちは、正しい勇者だと信じている。
「レオニス様?」
少年が首を傾げた。
レオニスは笑みを作り直した。
「剣を振るう前に、その先に誰がいるかを考えて」
引率の司祭の表情が変わる。
子どもたちは、意味が分からないように顔を見合わせた。
「敵がいるんですよね?」
「そうかもしれない」
「なら、倒さないと」
「敵と呼ばれている人にも、家族がいるかもしれない」
口にしてから。
それは教典の教えではないと気づいた。
後ろに立つ騎士たちの視線が、わずかに強くなった気がした。
子どもたちは黙っている。
引率の司祭が前へ出た。
「勇者様は、戦うことの重さを教えてくださっているのです」
レオニスの言葉を、都合よく言い換える。
「正しき敵へ剣を振るうため、心を鍛えなさいという意味です」
「はい!」
子どもたちは納得したように返事をした。
レオニスは否定できなかった。
廊下の向こうへ、子どもたちが去っていく。
木剣を振りながら。
勇者の真似をしながら。
「敵を倒す!」
「世界を救う!」
声が遠ざかる。
レオニスは廊下に立ち尽くした。
背後には、二人の聖堂騎士がいる。
以前のように、完全に一人になることさえ許されていなかった。
壁に描かれた勇者アルトが、迷いのない顔で剣を掲げている。
レオニスは腰のエアリアルへ触れた。
騎士たちに背を向けたまま、唇だけをわずかに動かす。
「僕は、本当に人を救えているのか?」
聖剣は答えない。
ただ。
高い窓から吹き込んだ風が、手の中の決闘布告を揺らした。
紙の上には。
二人の勇者の名が並んでいる。
アルト・レイヴァン。
レオニス・アステル。
一人は、百年前の英雄を名乗る正体不明の青年。
一人は、その英雄の姿を模して育てられた後継者。
教団は、決闘によって正しさを証明しろと命じた。
だが。
レオニスが本当に恐れているのは。
教典では説明できない相手と戦うことだけではなかった。
勇者でなくなった自分には。
何も残らないかもしれないことだった。




