70.豊穣の女神
先ほどの国王の指示を聞いていたのか、リーベを庇うようにセアラが騎士たちに訴える。
だが、茨を燃やさなければ数年後に再びセアラがリーベと対峙することになってしまう。
残酷ではあるが、マリエルは心優しい娘を説得することにした。
「セアラ、かわいそうだけど仕方がないのよ……。今、この茨を燃やさないと、またすぐに黒い人が復活してセアラを襲いにきてしまうの……」
「違う! そうじゃないの! 燃やしたら黒い人、また逃げちゃう!」
「えっ?」
意味がわからずマリエルが首をひねると、セアラは手を引っ張りながら母を茨の前まで誘導する。
「あのね、黒い人をやっつけるには、セアラがこの茨にお花を咲かせないといけないの! でも……セアラの力じゃ足りないんだって……。だからお母様、セアラと一緒にこの茨にお花を咲かせるのを手伝って!」
「ま、待って、セアラ! 誰がそんなことを言ったの?」
「誰かはわかんない……。でもセアラの頭の中で知らないお姉様が、そう言ってた……」
「ええっ!?」
久しぶりに不思議な体験をしている娘にマリエルは困惑する。
すると、国王となにやら相談していたサイラスが二人に近づいてきた。
「もしかしたら過去に何度か聖女として黒の魔女と対峙した時の記憶が関係しているのかもしれない」
「過去の聖女の記憶……」
「陛下からは許可をいただいた。現状を把握している者以外は人払いもしてくれるそうだ。とりあえずセアラの言う通りにやってみないか?」
「は、はい。わかりました」
すると、三人のやり取りを見ていた王妃が声を上げる。
「よろしければわたくしにもお手伝いさせていただけないかしら。一応、豊穣の巫女の称号を持っているから」
すると、セアラが申し訳なさそうにうつむく。
「ごめんなさい……。この茨、セアラとお母様の力じゃないとお花咲かないの……」
「それも頭の中の知らないお姉様が教えてくれたの?」
「うん……。セアラの力、カンペキじゃないんだって。生まれてくる時、ちょっとだけお母様のお腹の中に置いてきちゃったみたいなの……」
セアラの話にマリエルたち三人は、思わず顔を見合わせる。
どうやら歴代の聖女たちがリーベを封印することで手一杯だったのは、黒の魔女と対峙する時、すでに彼女たちの母親が亡くなっていたことが原因だったようだ。
道理は不明だが、聖女は誕生する際に力の一部を母体に置いてきてしまうらしい。
その話から、王妃が過去の聖女たちを憐れむような言葉をこぼす。
「だからこれまでの聖女たちは封印するという対処法しかできなかったのね……」
「リーベは、そのことを知っていて聖女の母親を手にかけていたのでしょうか?」
「いや、恐らく偶然だろう。先ほどの話では、聖女に力をつけさせないためだと言っていた」
「でも今回はセアラちゃんが成長する前に肉体を復活させる目途がたったから、マリエルさんを手にかける必要はないと判断したのでしょうね……。そして、そのあなたがしっかりと愛情を注いでくれたから、セアラちゃんは幼い身でもリーベを封印することができた……」
その話にマリエルは、ゆっくりと王妃に目を向ける。
すると、今にも泣き出しそうな表情の王妃がそっとマリエルの両手をとった。
「ありがとう……。あなたが娘さんに深い愛情を注いでくれたから、この国はやっと黒の魔女から解放される。そして、本当にごめんなさい……。わたくしたちは、ただ傍観するだけで、あなたになにもしてあげられなかった……」
「そんなことはありません。王家はずっと影を護衛としてつけてくださったではありませんか……。娘だけでなく、私も護衛対象だったのですよね?」
「ええ……。性格はどうあれ、聖女を出産したあなたにも不幸が訪れる可能性があったから……。エティカの娘とセアラちゃんの間には五人の聖女がいるけれど、彼女たち全員が幼い頃に母親を事故や原因不明の病などで亡くしているの……」
「それもすべてリーベが仕組んだのでしょうか……」
「先ほどの話ではそうみたい。でもまさかリーベが人に憑依できるなんて知らなかったから、その環境が作為的に生み出されていただなんて、五百年近くも王家は気づけなかった……。挙句の果てに息子の変化にも気づけないなんて……本当に、本当にごめんなさい……」
ついには涙まで零しはじめた王妃の手をマリエルは、いたわるように撫でる。
「お顔をお上げください……。そもそも王妃陛下のご実家であるアバローナ侯爵家は、リーベの最初の被害者ではありませんか……。もうこのような負の連鎖、この日で終わりにいたしましょう!」
「マリエルさん……ありがとう……」
涙ぐむ王妃から手を放したマリエルは、ずっと会話が終わるのを待ってくれた娘に向かってしゃがみこむ。
「お待たせ、セアラ。それで……お母様は一体なにをすればいいの?」
「セアラと一緒に茨にお祈りをしてほしいの」
「わかったわ。ところで……セアラはいつから、そんなすごい力が使えるようになっていたの?」
「わかんない。さっき黒い人のせいで、お外のお花や木が枯れてかわいそうだったから、お母様のお祈りを真似したら、なんかできちゃった」
「そ、そうなのね……」
どうやらセアラは、頭で考えるよりも感覚で物事を学ぶタイプらしい。
その感覚で学ぶ姿勢は、確実にマリエル譲りの部分だろう。
日に日に娘が自分に似てくることに苦笑しながら、マリエルは改めて茨の塊をじっくりと観察する。
外から伸びた太い茨だけでなく、室内の切り花から伸びた茨もしっかりとその塊に絡みついている。
最初にリーベに絡みつきマリエルを救ってくれたその細い茨は、小さな体で必死に戦ってくれた娘を彷彿させた。
その茨をひと撫でしたマリエルは、セアラに声をかける。
「それじゃあ、聖女様。黒の魔女を退治しましょうか!」
「セアラ、聖女様じゃないよ? お母様の子だよ?」
「ふふっ! そうね! セアラはお母様の大切で自慢の娘だものね!」
「うん!」
元気に返事をしたセアラは、ゆっくりと茨の塊に向かって両手をかざす。
マリエルも両手を組み、いつも通りの豊穣の祈りを捧げる体勢に入る。
「セアラ……準備はいい?」
「いいよ!」
「それじゃあ……せーの!」
掛け声とともに豊穣の祈りを捧げると、茨の塊は根っこ部分の地脈を読み取る前に貪るようにマリエルの力を吸収してしまう。
明らかに通常の植物とは違う反応に戸惑いながら力を注いでいると、力の使いすぎかマリエルの体がグラリと傾いた。
だが、隣で二人を見守っていた夫が気づき支えてくれる。
「大丈夫か?」
「はい……。でもちょっと力の消費が激しくて……セアラは大丈夫?」
「セアラは平気よ? お母様、大丈夫?」
「え、ええ。お母様、頑張るから!」
「セアラも頑張る!」
互いに宣言し合い再び祈りを捧げると、ぷっくりと膨らみかけていた蕾の一つが淡いピンク色に変化する。
さらに祈り続けると、その蕾がゆっくりと開き愛らしいピンクのバラが咲いた。
それをきっかけに茨の塊のあちらこちらで、同じ色のバラがポコポコと開花する。
すると、最初に開いたバラの花びらが一枚、ひらりと舞い落ちた。
その花びらに促されるように残りのバラも一斉に散りはじめ、淡いピンクの花びらは窓から吹き込んできた風に乗って外へと舞い上がっていく。
その幻想的な光景にマリエルが目を奪われているとセアラに袖を引っ張られる。
すると、目の前の茨の塊がゆっくりと開きはじめていた。
「なっ……!」
「大丈夫! 黒い人、もう逃げられないから」
なにかを確信しているセアラの言葉を信じ、マリエルは固唾をのんで茨の塊を見つめる。
すると、中から黄金色の髪をなびかせた美しい女性が姿を現した。
年齢は十代半ばくらいといったところだろうか……。
透き通るような白い肌に淡いピンクの唇、髪と同じ色のまつ毛は長く量が多い。
セアラに負けないくらいの整った顔立ちの女性は、ゆっくりと目を開く。
すると、琥珀のような美しい瞳が現れた。
神々しいその女性の姿に室内にいる全員が息をのむ。
「あれが……豊穣の女神の本来の姿……」
思わずマリエルが呟くと女神はふわりと微笑んだ。
だが次の瞬間、その笑みは邪悪なものへと変わり、部屋中に彼女の高笑いが響く。
「ふふっ……あははははははは! 戻れた! やっと本来の私の姿に戻れたわ! 見て? これが本当の私の姿よ! とても神々しいでしょう? ふふっ! どうもありがとう、小さな聖女さん! お陰で私、神界に帰れるみたいだわ!」
勝ち誇るような女神の言葉にマリエルたちは愕然とする。
どんなに美しい見た目に戻っても中身は『黒の魔女』のままなのだ。
それを証明するように女神は不穏なことを口にする。
「でも……もうお前たちには私の豊穣の加護は与えない……。むしろここを草木一本すら生えてこない痩せた土地にしてやる!! 女神の私を拒んだことを一生後悔するがいい!」
そう息巻いたリーベだが、ふと自分の指先から光がこぼれていることに気づく。
「なに? この光……」
不思議そうな顔を浮かべながら、リーベは逆の手で光がこぼれ出ている指先に触れた。
すると、その片手は弾けるように光の粒となって飛び散った。
「えっ……?」
よく見ると彼女の髪も毛先から少しずつ光の粒となり、空気中に溶けはじめている。
「やだ! どうして!? せっかく元の姿に戻れたのに! これでやっと人間たちに私の偉大さを思い知らせてやれると思っていたのに!!」
動揺したリーベが激しく叫んだ瞬間、砂が零れ落ちるように彼女の膝下が光の粒となって崩れ落ちる。
その光の粒は、なぜかマリエルや王妃の体の中に吸い込まれていった。
それを目にしたリーベが憎悪に満ちた表情で二人を睨みつける。
「お前たち人間は……また私の力を奪うのか? 返せ!! それは私の力だ!! 女神である私の――」
凄まじい剣幕でマリエルに掴みかかろうとしたリーベだが、その手はマリエルに触れた瞬間、またしても光の粒となって弾け散る。
「あ……ああ……体が……私の体がぁぁぁぁぁ!」
室内に女神の悲痛な叫び声が響き渡る。
だが、誰も彼女に気遣うような言葉はかけない。
同情すらもしない。
全員が女神に冷たい目を向けながら、事の成り行きを見守った。
すると、なにを思ったのかリーベがわけの分からないことを口にしはじめる。
「わかったわ……。きっと、これは神界に帰るために必要な状態なのよ! こうやって一度溶けてから神界で、また体が元に戻って……」
「違うよ」
すでに両手足を失い上半身だけとなったリーベは正気を失ったのか、都合のいい解釈をしはじめた。
だが、それをセアラが真っ向から否定する。
「あなたは、もう元には戻れないの。消えたらそれで終わり」
「う、嘘よ!! だって私は女神なのよ!? 今この世界でもっとも尊い存在なのに!!」
「あなたは、もうセアラたちには必要ないんだって。だからあなたの力をセアラたちにあげることにしたって。本当は、もっと早くそうしたかったけど、あなたが女神でなくなっちゃったから今までできなかったんだって」
「だ、誰がそんな戯言を――」
「すごく偉い神様がそう言っているの」
その言葉にリーベが絶望するような表情を浮かべる。
「嫌よ……。嫌、嫌、嫌ぁぁぁぁぁぁ!!」
リーベが叫ぶと、さらに胴体の三分の二と顔半分が砂のように光の粒となって崩れ落ちる。
「き、消えたくない……。わ、私、ただ恋をしただけなのよ? 愛する人と一緒にいたいと思っただけなのに……どうして消滅させられるの!?」
サラサラと光の粒となって溶けていくリーベは、気づけば顔半分も残っていない状態になっていた。
「お願い……私……まだ消えたくないの……。もうこれで終わりだなんて……こんなの……酷すぎる……」
最後にそう口にしたリーベは一気に崩れ落ち、その光の粒は風に乗って窓の外へと流れ出ていった。
恐らく他の豊穣の乙女たちのところにも、あの光は降り注いでいると思われる。
そんなリーベの最後を目にしたマリエルだが、同情心など一切湧かなかった。
むしろ嫌悪感が込み上げてくる。
先ほどマリエルが母の死に目に会えなかったことを抗議した際、『死んだらそれで終わりだ』と訴えてもリーベは、その辛さや苦しみをまったく理解してくれなかった。
だが、自分が消滅する時は『酷すぎる』と口にした。
王子とその婚約者を殺し、歴代の聖女たちの母親やその身内を手にかけ、多くの人間の人生を『消滅』させてきたリーベは、自分が同じ目にあった時だけ『酷すぎる』と口にしたのだ。
リーベが人の心を持ち合わせていないのは十分理解している。
しかしマリエルの中のリーベに対する深い怒りは、ずっと燻ぶっている。
それはリーベが消滅したからといって簡単に消えるようなものではない。
自分はこの理不尽な怒りを一生抱えて生きていかなければならない。
そう思った瞬間、簡単に消滅したリーベに対して、物凄い怒りが込み上げてきた。
だが、その怒りは手を握りしめてきた小さな手によって一瞬で鎮まる。
「お母様……大丈夫? お祈り、疲れちゃった?」
心配そうに下から顔をのぞき込んでくる娘の優しさに自然と笑みがこぼれる。
「そうね……。少しだけ、疲れちゃったかも」
「そっかー。じゃあ、セアラのことをギュッとする? すぐに元気になるよ?」
そう言って両手を広げ、甘えようとしてくる娘のあからさまな口車にマリエルは素直にのることにした。
「じゃあ、お母様、セアラをギュッとして元気を貰おうかな?」
「うん! いいよー」
そう言ってしゃがみ込んだマリエルは娘の小さな体を抱きしめた瞬間、涙が溢れる。
失ってしまった過去に対する激しい怒りなんて早く捨て去りたい。
しかし深すぎる怒りは、ふとした瞬間にマリエルの心を刺々しいものにする。
だが、それをいつも鎮めてくれるのは娘のセアラなのだ。
セアラはこの小さな体で国だけでなく、マリエルの心も救ってくれる。
そのことを実感すればするほどマリエルの涙は止まらなくなる。
すると、セアラが困ったような笑みを隣で見守ってくれている父に向ける。
「お母様、強いのにやっぱり泣き虫なの……」
娘の言葉に苦笑したサイラスは、二人の無事を確認するように妻と娘をまとめて抱きしめた。





