71.元悪妻侯爵夫人は奪われた幸せを取り戻す
リーベが消滅してから二週間後。
やっと平穏を実感できるようになったメディウム侯爵家では、侯爵夫人のマリエルが中庭で手紙の山を睨みつけながら、眉間に皺を寄せていた。
先ほど執事のオネストから渡された大量の手紙は、差出人のほとんどが付き合いのない家名ばかりだった。
なによりも厄介なのが、宛名がすべてセアラで届いていることだ。
そのことに深いため息をつくと、ふっと自分に影がかかる。
見上げると、小脇に封筒を抱えた夫が手紙の山に怪訝そうな目を向け、片眉を上げていた。
「なんだ……この過去最多の手紙の量は……」
「令嬢のみでおこなわれるセアラ宛のお茶会の招待状です……」
マリエルの返答にサイラスも深いため息をついたあと、テーブル席に着く。
すると、側に控えていたフェニアが、すぐにサイラスの分のお茶も用意してくれた。
「淑女向けのお茶会か……。まだ参加させたくないな」
「同感です。幼くても淑女は淑女。セアラが王太子殿下の婚約者候補として、やっかみを受けるのは目に見えております!」
「君がはじめて参加した淑女のお茶会はどうだったんだ?」
「私ですか? まだ婚約者もいなかったので幼馴染たちと平穏で楽しい時間を過ごしておりました」
「なるほど?」
「ただ友人の一人が、とある伯爵令嬢に絡まれてしまったので少しだけ応戦しましたけれど……」
「少しだけではないな。全力で応戦したんだろう?」
「さぁ、どうでしょうか? なんせ子供の頃のことなので記憶が曖昧で」
マリエルがとぼけるとサイラスが白い目を向けてきた。
その視線から逃れるように明後日の方向に目を向けると、少し離れたところで中庭を一生懸命歩く息子のルイスを今日はメイド長のテレーズがみてくれている。
ちなみにいつもルイスをみてくれるレスリーは、現在セアラとともに外出中だ。
「そういえば……朝食後からセアラの姿が見当たらないのだが……」
「本日はレオンハルト殿下に呼ばれ、登城しております」
その返答にサイラスが顔をしかめる。
リーベの件の後に王家と話し合った結果、セアラの王太子の婚約者候補という立場は継続されることになったのだ。
「王家は我々にあれだけの借りがあるのに、抜け抜けと婚約者候補の継続を希望するとは図々しいな」
「サイラス様、今の発言は不敬になりますよ? 大体、その件はセアラ本人が承諾したではありませんか……」
「セアラが承諾したのは、王太子に同情的になっているからだろう?」
そう言って不機嫌な様子を見せる夫にマリエルは苦笑する。
王家としては本来無関係であるマリエルたちを巻き込んでしまった負い目もあり、セアラとレオンハルトの婚約は一度白紙に戻すという流れになりかけていた。
しかしレオンハルトから婚約者候補という形でも構わないので継続して欲しいと、熱心に粘られてしまったのだ。
「なぜレオンハルト殿下は、あそこまでセアラを気に入っているんだ……」
「王妃陛下のお話では殿下の一目惚れだったらしいです」
「一目惚れ!? 豊穣の乙女の鑑定の時にか……?」
「いえ、その二年前の王妃陛下に三人でお茶席にご招待いただいた時だそうです」
「待ってくれ……。確かレオンハルト殿下とはお会いしていないはずだが?」
「そうなのですが……あの時、王城の中庭の一角にお茶席が用意されていましたよね? その際、中庭を散歩中の殿下がセアラを目にされたそうで……」
「それは……かなり遠目だったよな?」
「そうだと思いますが、セアラはあの通りサイラス様譲りの整った顔立ちなので殿下のお目にとまったようで……」
妻の言い分にサイラスはテーブルに肘を突きながら、盛大に頭を抱える。
「今日ほど自分のこの顔が煩わしいと思ったことはない……」
「そんなことをおっしゃらないでください。私は、サイラス様のお顔立ちは大変好ましく感じておりますよ?」
「そんなことを言えるのは今だけだからな。歳をとれば顔なんてどうでもよくなる」
「サイラス様は、内面も大変素敵な性格をなさっているので好ましい部分が多いですよ」
「それは褒め言葉として受け止めていいのか? 遠回しに性格が悪いと言われているような気がする……」
「そんなことはございません。ただ……私に対して策士的な部分を発揮されるのは、少し控えていただきたいですけど」
「無理だな。君はからかうととても楽しいので、それは控えられない」
清々しいほど言い切った夫にマリエルが抗議するような視線を送る。
だがサイラスは、妻から受けるその視線に慣れきっているのでサラリと受け流した。
「まぁ、殿下も成長する過程で女性の好みが変わる可能性が高い。今はそこまで身構える必要もないか……」
「それは……どうでしょうかね?」
「なぜ、そんな不穏な返答をするんだ? なにかあるのか!?」
「実は……殿下は早くもセアラの囲い込みをはじめられています。レスリーの話では交流日は必ずセアラの好きなお菓子や玩具が用意されているそうです。特に最近のセアラはボードゲームに夢中になっているようで、殿下が嬉々として珍しいゲームを取り寄せているとか」
「セアラは完全に物で釣られているじゃないか……」
「サイラス様もよくセアラを物で釣っていますよね?」
「…………」
先ほどの仕返しと言わんばかりの妻の反撃にサイラスが押し黙る。
普段は冷静で合理的な考えをする夫だが、意外なことに娘が婚約するかもしれない相手には他の父親と同じ反応をしている。
本人は気づいていないようだが、サイラスのレオンハルトに対する評価は常に辛口なのだ。
「なんにせよ、最近のレオンハルト殿下はセアラを城に呼びすぎじゃないか? 確か三日前も登城していただろう」
「ですが、毎回セアラが自主的に呼び出しに応じているので、なんとも……」
「そ、そうなのか!? まさか……殿下に恋心を抱いたんじゃ……」
「いえ、それはまだないと思います。セアラの話だと、今回は三日前に遊んだボードゲームの勝負がつかなかったので、その続きやると言ってました」
マリエルの話にサイラスが片手で両目を覆いながら落胆する。
「セアラは完全に殿下の手中に落ちているじゃないか! どうせわざと勝負がつかないギリギリの状態にして今日の約束に繋げたんだろう! あの殿下ならそれぐらいはやってのける!」
「意外です。サイラス様は随分とレオンハルト殿下を買っていらっしゃるのですね」
「買ってなどいない! むしろこの場合、危険分子として見ている! セアラが心配だ……。このままでは殿下にいいように丸め込まれ、正式な婚約者にされてしまう……」
「大丈夫だと思いますよ? セアラはサイラス様に似て頭の回転が速い子です。そう簡単に殿下の策略に落ちたりしないはずです」
「だが、性格は完全に君譲りじゃないか! そう思うとセアラも殿下のようなタイプに弱いんじゃないか?」
「サイラス様……私と初顔合わせの時にご自身がしたことをお忘れですか?」
「それは……」
「覚えていらっしゃるのであれば、レオンハルト殿下を咎めることはできないと思います」
「……君、最近やけに切り返しが鋭すぎやしないか?」
「気のせいです」
妻に突き放されたサイラスが深いため息をつく。
少し前まで緊迫した状況だったことが嘘のように、現在のメディウム侯爵家は平穏そのものだ。
特にマリエルにとってこの二年間は、いつ憑依者が子供たちの前に現れるかわからないという緊張と隣り合わせだったので、やっと心の休まりを感じている。
それは夫のサイラスも同じである。
そんな夫は、先ほどから小脇に抱えてる封筒から書類の束を取り出し、それをマリエルに差し出してきた。
「これは?」
「これまでのリーベの件について、王家が後世に伝えるために記録としてまとめたものの写しだ。昨日、別件で登城した際、国王陛下より直々に手渡された」
「今さら情報開示ですか?」
「私も同じことを陛下に訴えた……。陛下もバツが悪そうな顔をなさっていたが、今回酷い巻き込まれ方をした我々には知る権利があると、用意してくれたらしい。二週間前のことも書かれているので、事実と異なっている部分がないかも確認もしてほしいそうだ。それは私より君やセアラのほうが詳しいだろうから頼めるか?」
「かしこまりました。ちなみにサイラス様は、もうお読みになられたのですか?」
「ああ。昨日確認した。ただ君が憑依されていた期間は、王家が見当違いな警戒をしている内容が書かれていたので苛立ちを覚えたが……。それでもこのこの八百年間、どれだけ王家がリーベに手を焼いていたかは理解できた。だが、歴代の聖女の生い立ちについては、胸が痛くなる内容ばかりだ……。君は二週間前の記録以外は無理に読まなくてもいい。自分が知りたいところだけ目を通してくれ。閲覧後はすぐに焼却処分をするように言われているので、そのつもりで」
「わかりました」
そういって真っ先にマリエルが確認したのは、自分が憑依されている期間の部分だった。
内容的には以前王妃が言っていた通り、マリエルが苛烈な性格で聖女に危害を加える可能性があると記されていた。
ただ最初の教育係を使った虐待の件に関しては、詳細は書かれていなかった。
恐らく王家も教育係が訴えたあとにその状況を把握したのだろう。
マリエルが階段から転落後は人格の見直しがされ、セアラと同等の最優先護衛対象となっていた。
王家の影はマリエルの婚約が確定した際に三人、嫁いでからはクラムとレスリーも追加され、この二年間のマリエルたちは王族と同じくらい厳重警備対象になっていたようだ。
その後、ジョアンナの件で王家はやっとリーベが人間に憑依できることを知り、この直後に行方をくらましたデイジーの調査をレスリーにさせている。
今思い返すと、当時のレスリーは実家に帰省したと言って三日ほど休みをとっていた。
恐らくこの間、デイジーの行方を秘密裏に調べていたのだろう。
そう考えるとリーベは五百年間も憑依できることを隠し、王家を欺いていたことになる。
聖女周辺の人間に憑依し、偶然を装い母親を死に追いやる。
聖女には心が折れそうな嫌がらせを憑依した人間の体でリーベが直接おこなった。
過去の聖女たちの生い立ちの殆どは、母親が死んだあとに一時的に引き取られた親戚から虐待されたり、父親の再婚相手から嫌がらせをされている。
その状況を使用人に扮した影が内部告発し、聖女はすぐに王家で保護されていた。
恐らくこの間にマリエルと同じように憑依され、状況がのみ込めないまま加害者となり、泣き寝入りした人間が必ず存在している。
だが、憑依された人間のその後のことは記録には書かれていなかった。
この時、王家はリーベが生き物の体を乗っ取れることを知らなかったのだから仕方がない。
ちなみに歴代の聖女の母親の結婚前の豊穣の力の数値は、全員七十以上である。
つまりマリエルは、この五百年間で初となるリーベが憑依可能な聖女の母親だった。
今回リーベはその状況を好機と捉え、身ごもる前のマリエルに憑依し肉体の復活を優先させたが、皮肉なことにその選択が女神に消滅する運命をもたらした。
それがたまたまの偶然か、最高神による人間たちへの救済措置としての采配だったのかは分からない。
だが、今回マリエルが聖女の母として選ばれたことで風向きが変わったことは確かだ。
同時に考えてしまうのが、もしリーベが階段から転落しなければマリエルは憑依され続け、最後は歴代の聖女の母親たちのようにリーベによって殺されていたということだ。
当時、夫のサイラスが虐待の件でマリエルに扮したリーベに抗議してくれたことが、マリエルの運命の分かれ道だったのだろう。
サイラス自身はあまり意識していないようだが、マリエルからすると夫のその誠実さは今回最大の武器であったと思えた。
改めて夫がサイラスであって良かったと感じながら書類をめくり進めると、今度は八百年前の記録が書かれた部分に目が留まる。
リーベによって殺された王太子ユランとその婚約者だったエティカのもとに駆けつけた第二王子は、兄と義姉の仇としてリーベを切り殺そうとしたようだ。
だが逃げられたため、義姉の宿した赤ん坊の救助を優先したらしい。
絶望的な状況の中で義姉の腹から子を取り上げた第二王子の悲痛な嘆きが、そこにはビッシリと書かれていた。
その後、兄に代わって王位を継いだ第二王子は姪である初代聖女を立派に育て上げ、当時の宰相の息子と婚約させた。
その間、リーベが国中の作物を枯らしたため初代聖女に一時的に封印される。
聖女は結婚した宰相の息子との間に男の子を一人、女の子を三人設けた。
そして男の子は元第二王子から王位を譲り受け三代目国王に、長女はエティカの実家であるアバローナ侯爵家の一族に嫁がせ、次女はメディウム侯爵家の一族に、三女はフジューム侯爵家の一族に嫁がせたのだ。
この時点で男の子にはリーベの力が半分しか受け継がれないことは判明していた。
だが、第二王子は敢えて受け継ぐ力が半分だった男の子を王家に入れた。
その理由は、王家にはリーベの強い力を受け継がせたくなかったからだ。
それだけ二代目の国王となった第二王子は、兄と義姉を殺したリーベに深い憎しみを抱いていたのだ。
リーベ信仰を正式に国教にしなかったのも、このことが影響しているのだろう。
ここで気になるのが、そこまで憎んでいたリーベ信仰をなぜ禁教にしなかったかだ。
そのことも百年後の記録にしっかりと書かれていた。
当時、王太子夫妻の悲劇は事故死という扱いで発表したようだが、生前のエティカに対するリーベの暴挙が知れ渡っていたため、リーベによる殺害説があっという間に広まってしまったらしい。
そのため国民たちの豊穣の女神に対する信仰心は薄れていったようだ。
だが、ここである問題が発生する。
エティカの娘から派生した豊穣の力を維持するには、リーベへの信仰心が必要不可欠だったのだ。
この影響で豊穣の乙女たちの力は、百年間で一時的にかなり衰えたようだ。
そこで王家は当時のことを知る者が少なくなった百年後に女神リーベの髪の色を、王太子と添い遂げたエティカの銀髪と同じにし、大々的に女神リーベの伝承を広めた。
そして『女神リーベ』の絵本も作り、子供たちにも浸透させたのだ。
もちろん、アバローナ侯爵家の一族からは不満の声があがっただろう。
だが、リーベの髪の色を銀髪にすることで、アバローナ侯爵家に特別な印象を根づかせることを理由に受け入れてもらったようだ。
以来、王家はアバローナ侯爵家とは深い繋がりにを持つようになるが、この件に関しては王家のみにしか語り継がせないという誓約が交わされたため、現アバローナ侯爵家の人間には伝わっていないようだ。
それだけ王家は豊穣の女神リーベの信仰を維持させることに対して葛藤したのだろう。
当時、王位についていた四代目国王は、祖母であるエティカの娘から曾祖父母たちの悲劇を聞かされており、王位を継承する際に第二王子だった二代目国王の悲痛な思いが綴られた手記なども目にしていたらしい。
国民の安定した暮らしを維持するにはリーベの力は必要不可欠である。
だが、一族の者を手にかけた女神を信仰することには、どうしても抵抗があった。
そんな四代目国王が苦肉の策としておこなったのが、リーベの名で信仰心を維持しつつも、その容姿を曾祖母エティカに差し替えることだった。
七百年前に突如として豊穣の女神が名前で呼ばれるようになったのは、こんな経緯があったからだ。
そんな王家の葛藤記録の中でマリエルは、どうしても目を留めてしまう部分があった。
それがエティカの娘でもある初代聖女の名前だ。
その部分について戸惑いながらマリエルは夫に声をかける。
「あの、サイラス様……この初代聖女の名前ですが――」
すると夫は困惑したような笑みを見せる。
「驚いただろう。私も昨夜、この記録を目にした時、真っ先に気になったのがその部分だ」
「もしやサイラス様は、このことをご存じだったですか?」
「いいや? ただの偶然だ。そもそもあの子の名前は母が考えてくれた名を採用したんだ」
「お義母様が?」
「もちろん、母もこのことは知らなかったと思う。本当に……偶然なんだ」
苦笑しながら答えた夫は、どこか寂しげな表情を見せる。
恐らく亡くなった母親のことを思い出してしまったのだろう。
マリエルの記憶にある義母の姿は、一度しか会ったことがない優しい雰囲気の美しい女性である。
その義母が娘に授けてくれた名前。
それは今、マリエルが目にしていた記録に頻繁に出てきた。
「初代聖女は……『セアラ』という名前だったんですね……」
マリエルが呟くと、サイラスが何とも言えない笑みを向けてくる。
「もしかしたら私と母が、あの子に大きな使命を背負わせてしまったのかもしれないな……」
「どうでしょうか……。そもそも私がサイラス様の伴侶として選ばれたことが原因かもしれませんよ?」
「そうなると私たち二人の連帯責任ということになるな」
「ふふっ! そうですね!」
「ならば我々は、なにがなんでもあの子を幸せにしなければならない責任がある」
「ええ……」
「もちろん、ルイスもだ」
「はい」
すると、サイラスはマリエルの手から書類の束を引き抜き、その左手を大きな手で包み込んだ。
そしてルイスが誕生した際、改めて妻に贈ったエメラルドの結婚指輪を親指の腹で何度か撫でる。
「だからマリー……この先、私の命が続く限り、共にあの子たちの幸せのために奮闘してくれないか?」
『命が続く限り』
それが『一生』という意味であると察したマリエルの視界が一気に歪む。
「返事はもらえないのか?」
頬を撫でながら催促してきた夫に応えるように、マリエルはボロボロと涙をこぼしながら何度もうなずいた。
以上で『記憶を失くした悪妻侯爵夫人は冷遇していた娘を溺愛する』は一度、完結させていただきます。
今作は連載開始から完結させるまで作者が毎日即興執筆更新していたため現在燃え尽き状態になっているので、八月いっぱいまでちょっと休憩を挟まさせてください。(^_^;)
それまで番外編を書き溜めておきます。(番外編は八月に追加更新予定)
そして恒例の別枠でのあとがきを更新したのでURLをあげておきます。
(ご興味ある方はコピペでどうぞ~)
【記憶を失くした悪妻侯爵夫人は冷遇していた娘を溺愛する】のあとがき
https://ncode.syosetu.com/n0517gu/18
なお本作はかなりミステリー要素があるため、全部真相がわかった上でもう一度読み返すと、また違った楽しみ方ができるように作者は作品を書いております。
よろしければ読み返し時に作者が張った伏線探しなどで二度お楽しみくださいねー。
今作は71話もある長いお話にお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
そしてブクマ、評価、いいねボタン、本当に大感謝です!
番外編を書き溜めたら、また少し更新させていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
<(_ _)>





