67.女神リーベ
やっと正体が判明した憑依者だが、その受け入れがたい事実にマリエルたちは絶句する。
だが、国王夫妻だけはそのことを知っていたようで、唇を引き結び視線を床に落とした。
恐らく王家には、豊穣の女神がこのような邪神に落ちてしまったことが語り継がれていたようだ。
確かに国の象徴でもある女神が、そのような状態に陥っていればマリエルたちにも簡単には情報開示などできないだろう。
そして堕ちた女神の暴走を止めるための対策も王家は担わされていたらしい。
先ほどのリーベの話では、王家にはリーベの復活が近づくと何らかの方法で聖女の親となる者の名が、神託として告げられるらしい。
恐らくそのお告げは、女神リーベよりもさらに高位となる神からの救済措置なのだろう。
力の強い豊穣の乙女たちの婚姻を王家が調整していたのは、この神託が関係しているようだ。
豊穣の乙女が十五歳から成人するまでの十八歳になるまで自由に結婚相手を選べないのも、神託で名が挙がる可能性を考慮しての対応だったと思われる。
アバローナ侯爵家のミルドレッドが婚約調整の対象から外されたのは、マリエルの名が神託で上がって聖女を身ごもる人間が確定したからだ。
二年前のお茶席で、王妃がマリエルたちの婚姻調整について『婚姻が組まれたのは偶然で、王家の意志はない』と口にしていたのは、このことを意味していたようだ。
恐らくマリエルには、サイラスと婚約が確定した時点から王家の影をつけられていたはずだ。
しかし婚約確定と同時にマリエルが憑依されたことで、サイラスが王家に影の監視を依頼したということにされていたのだろう。
王家の本当の目的はマリエルの監視などではなく、聖女であるセアラを守るためだったと思われる。
もしあのままマリエルが憑依され続けていたら、王家に身柄を拘束されていた可能性もあったのだ。
王家がセアラに執着していたのは利用するためではない。
国の救世主となるセアラを保護したかっただけなのだろう。
そんな重い運命を背負って生まれてきたセアラだが、先ほどから警戒心をむき出しにして女神リーベを見つめていた。
「セアラ……大丈夫? 怖くない?」
「すごく怖い……。だってあの女の人、前にセアラに何回も意地悪してきた『黒い人』だよね? でもセアラ、わかんなかった……。前は黒い人、見えてたのに……」
それはマリエルも先ほどから気になっていたことだった。
セアラには、憑依状態のレオンハルトがいつも通りの姿にしか見えていなかったのだ。
その疑問になぜか女神リーベが、勝ち誇った笑みを向けながら答えてきた。
「今回その子供が見抜けなかったのは、私の肉体が復活間近だったからよ。それだけ今の私とその子供の力の差は大きいということなの。この意味がわかる? 役立たずの小さな聖女さん」
すると、セアラがギュッとマリエルの手を握りしめながら眉間に皺を寄せる。
「セアラ……聖女様じゃないもん……」
「あらあら、可愛そうに! 自分が背負わされている運命もわからないまま、私と対峙させられそうになっていたのね!」
大袈裟に同情する素振りを見せながらリーベは、チラリと国王たちに視線を向ける。
「こんな小さな子供にすがろうとするなんて、お前たち王家は本当に酷いことばかりをするのね?」
「黙れ! 女神崩れが!! 貴様こそ女神という身でありながら、慈愛の心を一切持っておらぬではないか!!」
するとリーベの顔つきが、凶悪な物へと変わる。
「お前たちに慈愛など与えるものか……。私の力を奪い、八百年も我が物顔で使い続けているくせに、その恩恵を私がもたらしたものだということを誰も知らない。お前たち王家は、私の力が消えることを恐れ、私の名で信仰心を維持させながら、祈りを捧げる対象をあの忌々しい銀髪女に挿げ替えたではないか!!」
真っ赤な瞳を見開きながら女神が叫ぶと、彼女を中心に黒い煙が波紋のように一瞬だけ広がる。
すると、その余波を受けた外の木々草花が、さらに広範囲で枯れはじめる。
その惨状にセアラが、怯えるようにマリエルにしがみついた。
セアラが女神リーベを恐れていたのは、何度も聖女として対峙してきた記憶が魂に刻み込まれているからだろう。
先ほどの話では、リーベが聖女の存在に気づいたのは今から五百年前である。
そこから現在にいたるまで、セアラの魂は何度もこの堕ちた女神に命を奪われ、心をへし折られてきたのだ。
二年前のセアラが『女神リーベ』の絵本を激しく拒絶していたのは、そんな魂の記憶がリーベは危険な存在だとセアラに知らせていたのかもしれない。
逆に対になっているセアラのお気に入りの『黒の魔女と聖女』は、堕ちた女神の撃退法が記された教本ということになる。
だが、ここで疑問になってくるのが、初代聖女は誰の子供なのかという部分だ。
豊穣の力を受けついているのであれば、リーベの血が入っていないとおかしい。
だが、聖女の髪の色は銀髪。
それはアバローナ侯爵家の特徴である。
仮に初代聖女が、八百年前の王太子とその婚約者とされるアバローナ侯爵家の女性との間にできた子供だった場合、なぜリーベの力を持っているのかが謎になってくる。
逆に初代聖女がリーベと王太子との間にできた子であれば、王家はリーベから子供を奪い、彼女を悪の存在のように広め、娘に母親を封印させたことになる。
その場合、いつリーベが力を失い、今のような姿になったかの経緯が思いつかない。
セアラが初代聖女の生まれ変わりである以上、八百年前の二人の関係がマリエルは気になった。
もしリーベが初代聖女の母親であった場合、それはとんでもない悲劇となるからだ。
「女神リーベ……どうしてもわからないことがあるから教えてくれない? あなたを最初に封印した聖女は誰の子? あなたの娘ではないの?」
その質問に国王と睨み合っていたリーベが、今度はマリエルに真っ赤な瞳をギロリと向ける。
あまりにも恐ろしい女神の形相に恐怖したマリエルは、ビクリと肩を震わせた。
すると、その視線から庇うようにサイラスが一歩前に出る。
「違うのか? 我々の間では聖女は『銀髪の女神リーベ』の娘だと言われている」
「ふふっ……あはははははは! そうそう! そうだったわね! そこの忌々しい王家の子孫が、そんな作り話をこの国に根づかせていたのをすっかり忘れていたわ!」
狂ったように高笑いをしたリーベが、再び国王夫妻を刺し殺しそうな視線で睨みつける。
「いいえ……娘なんかじゃないわ。私を最初に封印したのは、あの王妃の一族が産んだ子供よ……。私の愛するユランをたぶらかし、子まで宿した汚らわしい女……。私に成り代わり、何百年も豊穣の女神として祭り上げられている……エティカの娘よ!!」
そう叫んだリーベは、血走った目で王妃のほうへと突っ込んでいった。
その状況にまだ動ける王家の影と護衛の騎士が、すぐに反応した。
護衛の騎士は国王一家を自身の背後に庇い、守りに徹する。
影たちは二段階で攻撃を仕掛け、両手に持った鋭い先端の投げナイフのような暗器でリーベを切りつけようとした。
しかしリーベには縦に一回転をされ、あっさりと躱されてしまう。
そしてリーベは護衛騎士を飛び越え、真上から息子を抱えて座り込む王妃に向かって襲いかかった。
すると、国王が妻と息子を庇うように覆いかぶさる。
しかし、それは守ろうとした妻に拒絶された。
「ダメ!! あなた!!」
そう叫んだ王妃は、夫に息子を託しながら自らリーベの前へと躍りでる。
そんな王妃の首をリーベは片手で掴み、締め上げる。
「くっ……!」
「バレンティア!!」
「あら、自分から前に出るなんてバカな女ね。あのまま夫に庇われていれば、よかったのに」
「嫌、よ……そうしたら……あなた、夫に……憑りついて、いたで、しょ……」
現状、この室内でリーベが力の減少を気にせずに憑依できるのは、レオンハルトと同じ強さの豊穣の力を持つ国王のみだ。
瞬時にそのことを察した王妃は、敢えて自ら前に躍りでたのだろう。
豊穣の乙女の称号を持つ力の強い王妃では、リーベは憑りつくことができない。
そんな機転を見せた王妃の行動が面白くなかったのか、リーベの表情がストンと抜け落ちる。
「その目、本当に嫌な目だわ……。死ぬ直前のエティカも同じような目をしていた」
「そ、う……。それは……光栄、だわ……。彼女、一族の間では……英雄扱い、されて、いるの……」
「バレンティア!! 今助ける!!」
「ダ、メ……!! こない、でっ!!」
声を絞り出しながら訴えた王妃は生命力を奪われているようで、首を絞められているのに顔色が青白くなっていく。
だが、護衛や影たちとは違って、少しずつしか奪われていないようだ。
恐らくそれも豊穣の力の強さが影響しているのだろう。
だからといって危機的な状況なのは変わらない。
護衛の騎士は王妃を助けたくても国王と王太子を守らなければならないため動けない様子だ。
影たちも王妃が捕らえられている以上、下手に攻撃ができないのだろう。
マリエルも娘のセアラを守ることで精一杯で動けない状態である。
そんな絶望的な状況の中、夫のサイラスは一人だけ落ち着いた様子で女神に話しかける。
「女神リーベ、一つ聞きたい。先ほど名前が出てきた『ユラン』という人物は一体、誰だ?」
その空気を読まない夫の質問内容にマリエルがギョッとする。
だが、意外なことにサイラスの問いかけにリーベは興味を持ち、するりと王妃の首から手を離した。
解放された王妃が床に崩れ落ち咳き込むと、すぐに国王が息子を抱えたまま駆け寄る。
だが、リーベの興味はすっかりサイラスほうへと移っていた。
「ふふっ! ユランというのは、私が心の底から愛した人間よ。顔立ちも髪の色もあなたと、そっくりなの!」
サイラスの周りをくるりと一周したリーベは、ご機嫌な様子でサイラスの顔を覗き込む。
まるで恋する乙女のような様子を見せる女神にマリエルが嫌悪感を抱いていると、夫が後ろ手でマリエルたちに距離をとるように合図を送ってきた。
侯爵家の生まれであるサイラスは、必要最低限の護身術は身につけてはいるが武闘派というわけではない。
しかも相手は、近衛騎士や王家の影でも歯が立たないほどの強敵だ。
そんな夫の最大の武器は、頭の回転の速さと弁が立つところだ。
この緊迫した状況下でサイラスは冷静にリーベが興味を抱く話題を振り、一気に自分のほうへ意識を引きつけることで王妃を救おうと考えたのだろう。
それは見事に成功したらしく、リーベはすっかり王妃への怒りを忘れている。
もちろん、自分がリーベにそこそこ気に入られているという部分も計算済みのようだ。
普段はそんな夫の策士的なところに翻弄されがちなマリエルだが、今日ほど心強く感じたことはなかった。
夫の指示通りセアラを連れ立ってリーベから、そっと距離をとる。
「それは『女神リーベ』の絵本に出てくる王子と同一人物ということでいいか?」
「ええ、そうよ」
「なるほど。では彼は初代国王の息子の王太子ということだな。では、その王太子は、なぜ殺された?」
「えっ……?」
突然、投げかけられた予想外の質問にリーベの動きが止まる。
だが、サイラスは淡々とした口調で、もう一度同じ質問をした。
「先ほどあなたは心の底から深く愛した人間と言っていた。ならばあなたが彼を殺すとは思えない。だが伝承では、王太子は嫉妬に狂った女性に殺されたことになっており、実際に王位も継いでいない。では、彼を殺したのは一体、誰だ?」
先ほどまで甘い雰囲気だったリーベが一変し、険しい表情を見せる。
「あなたは……誰が殺したかを知っているくせに私にそれを聞くのね……」
「私は真実を知りたいだけだ。我々に伝わっているあなたの伝承は、王家が都合のいいように捻じ曲げたものなのだろう? ならば誰が、あなたの愛する王太子を、殺したんだ?」
敢えて細かく区切って質問をする夫から、決して女神に同情などしないという強固な意志をマリエルは感じた。
憑依者であった女神リーベに深い怒りを抱いているのはマリエルだけではない。
サイラスも五年間を滅茶苦茶にされ、妻と娘を何度も傷つけられているのだ。
すると、リーベのほうもサイラスに拒絶されていることを察したらしい。
「さっきの言葉、取り消すわ。あなたは見た目が似ていても中身はユランとは、まったく違う……」
「そうか、それはよかった」
「でも教えてあげる。誰がユランを……聖女の父親を殺したのか」
そう言ってリーベは一度、静かに目を閉じた。
だが、すぐにゆっくりと瞼を上げ、真っ赤で血のような瞳でサイラスを見据える。
「彼を殺したのは……この私よ」





