66.憑依者の正体
「よくもぬけぬけと……」
鋭い視線で黒髪の女性を睨みつけたマリエルは、夫にセアラを託し立ち上がる。
「まぁ! 怖い顔! マリエル、あなた、なぜそんなに怒っているの?」
「なぜ怒っているかですって……? 私はあなたに五年間、体を奪われたせいで人生をめちゃくちゃにされたのよ!?」
マリエルが怒鳴ると、黒髪の女性は意味が分からないという表情を向けてきた。
その反応がさらにマリエルの怒りを爆発させる。
「あなたのせいで私は階段から転落して死にかけた……。体を奪われている間に周囲からは嫌われ、義姉の子供を危うく流産させかけた! そのせいで父と兄とは絶縁状態になり……母のことは看取ることができなかった!!」
最後は悔しさでボロボロと涙がこぼれてしまったマリエルだが、女性に向ける視線は鋭いままだった。
だが、そんなマリエルの怒りの声に黒髪の女性はキョトンとした顔を浮かべる。
「それがなんだっていうの? そもそもあなたの『兄』とかいう男……私が大好きなワインを飲もうとすると、文句ばかり言ってきて鬱陶しかったのよ。ちょうどその時、その番の女が子供を宿していたから嫌がらせにワインを飲ませようとしただけよ?」
「なっ……!」
「あとあなたの母親? あれは私があなたの体を奪った時には、もう死にかけていたわ。すぐに消える人間に会う意味なんてないじゃない」
「なにを……なにを言っているの!? 死んだらそれで終わりなのよ!? それなのに……私は……私はあなたのせいで母と最後の別れがしたくてもできなかった!! そのせいで父と兄とも絶縁状態になったのに!!」
声が枯れんばかりの怒声で怒りを訴えても黒髪の女性は、不可解そうに首をひねるだけだった。
その反応がますますマリエルを心を踏みにじってくる。
「なぜ、そんなに怒るの? 人間なんてすぐに増えるじゃない。あなただって、その目障りな子供をすぐに腹に宿して増やしたでしょ? でも人間って面白いわよね。数を増やす時にあんなに気持ちのいい行為をするなんて。特にサイラスは私の愛する人と顔が同じだったから、その行為がとても楽しかったわ!」
その瞬間、言葉を失ったマリエルが怒りで顔を真っ赤にしながら震えだす。
そして黒髪の女性に飛びかかろうとした。
その状況に妻の危険を感じたサイラスが、後ろから羽交い絞めにして止める。
「マリー!! 落ちつけ!! 近づくのは危険だ!」
「嫌ぁぁぁ!! 放してぇぇぇ!! あの女、絶対に許さない!! 殺してやる!!」
半狂乱になって叫ぶ妻をサイラスが必死に抑え込む。
だが、怒りで我を忘れたマリエルは手が付けられないほど暴れた。
その状況を止めようとセアラがマリエルの腕に勢いよくしがみつく。
そのことで我に返ったマリエルは、ゆっくりと娘に目を向けた。
すると、大きな水色の瞳に涙を溜めたセアラがフルフルと首を振る。
「……っ、セアラぁ……ごめんね……ごめんねぇ……」
「大丈夫よ。セアラ、お母様の味方だから……だから大丈夫なの……」
娘の前で『殺してやる』などという暴言を吐いてしまったマリエルは、悔しさでボロボロと涙をこぼす。
セアラのほうも大粒の涙をこぼして母親を慰めるように抱きついた。
その様子を眺めていた黒髪の女性が不快そうに悪態をつく。
「人間って本当にわけがわからない生き物ね……。勝手に怒りだしたかと思えば、急に泣き――」
そう言いかけた女性だが突然、窓から現れた三人組のせいで最後まで口にすることができなかった。
王家の影だと思われる三人はロープを使って上の階から部屋に突入し、一斉に黒髪の女性に襲いかかる。
だが、黒髪の女性は浮遊しながらその攻撃を華麗に躱した。
そして最後に襲いかかってきた男性の首を片手で掴む。
すると、男性の顔色が見る見るうちに青白くなり、頬が一瞬で痩せこけていく。
男性の目が虚ろになりはじめると黒髪の女性は、共に襲ってきた影たちに向かって、その男性を放り投げた。
「ふふっ! 肉体が復活したから、触れるだけで相手の力が奪えるようになったわ! でも、あまり質の良い生命力ではないから吸い尽くすのはやめたほうがいいわね」
黒髪の女性の言葉で、サイラスの背筋に嫌な汗が流れる。
力を奪われた男性は干からびるような状態にはなっていなかったが、病み上がりのように一瞬で痩せこけ、目が虚ろになっていた。
「まさか……この五年間のマリーも憑りつかれている間にこの女から生命力を奪い取られていたのか!?」
その問いに被害者だったマリエルがセアラを抱きしめた状態のまま、ビクリと肩を震わせた。
すると、黒髪の女性は妖艶な笑みをサイラスに向ける。
「安心して。マリエルからは生命力ではなく、別の力をたくさん吸い取らせてもらったから」
「別の力……?」
「あなたたちの言葉で言うなら『豊穣の力』かしら? 私はこの力を大量に集めないと肉体を復活させられないの。でもこの力は厄介なことに常に吸収していないと、どんどん減っていってしまうのよね」
「それでマリーに憑依を……」
「ええ、そうよ。でもね、憑りついた相手の力が低すぎると逆に私の力が奪われてしまうの。その点、マリエルは最高だったわ! 憑りついても力が減ることはないし、その後はとっておきの力の供給源をお腹に宿してくれたのだもの!」
嬉しそうに語る黒髪の女性の話にマリエルとサイラスの血の気が一気に引く。
「私は知っていたの。マリエルがそこの目障りな子供を産むことを。だから、その前に憑りついた。子供を宿した後では、二人の力が強すぎて私は憑りつけなくなるから。そしてすぐに子を孕んでほしかったから、あなたと子供を作ったのよ? でも、まさか子供を作る行為があんなにも快楽的で楽しいものだったなんて知らなかったわ!」
そう言って高笑いする黒髪の女性にマリエルたちは、禍々しいものでも見るような目を向ける。
先ほどからことあるごとに女性が口にする『人間が』という言い回しに底知れぬ不気味さを感じていたからだ。
この女性は明らかに『人』ではない。
そのことを二人が確信していると、これまで静観していた国王が驚愕の表情を浮かべながら叫んだ。
「なぜだ……なぜ、そのことを知っている!?」
すると、黒髪の女性がニンマリと嫌な笑みを浮かべた。
「お前たち王家が『聖女』と称する存在を産み落とす者を神託という形で予測し、子が誕生するように動いていたことを知っているからよ」
「だから、なぜそのことを知っている!」
「簡単よ? 神託を受ける者の周囲にいる人間に憑りつけば、その情報は手に入る。もう五百年も前からその方法で、お前たちが『聖女』と称する忌々しい存在に近づいて力が弱まるように動いていたの」
「なっ……!」
「でもお前たち王家は本当に愚かね。八百年間も私が人に憑りつき、力を溜めていたことに一切気づかないなんて。これまで『聖女』と呼ばれていた者たちは、常に不幸な生い立ちだったでしょう? あれね、すべて私が周囲の人間に憑りついて不幸にさせていたの。あの忌々しい銀髪女の娘の魂を持つ者の心を折るために!」
黒髪の女性の話に国王が愕然としながら床に膝をつく。
「では……これまで歴代の聖女たちが幼少期に家族を失ったり、周囲に虐げられていたのは……」
「ぜ~んぶ私がそうなるように仕向けていたの! そこの子供に関してもそうよ? だって、お前たちのいう『聖女』とやらは愛情が受けられなければ、十分な力が発揮できないようだから。でも今回はそれを孕む前の母体に憑りつけば、もっと効率よく力が集められると思って、やり方を変えたみたの。そうしたら大正解だったわ! マリエルから腹の中の子の力を大量に奪うことができたから、今回は『聖女』とやらが成長しきる前に私は肉体を復活させることができたわ!」
自分の計画が上手くいったことを嬉々として語る黒髪の女性の話に、今度はマリエルとサイラスが愕然としながら絶句する。
今の話が本当であれば、マリエルは王家のいう『聖女』という存在を産み落とす母体として選ばれたことで、完全に巻き込まれた形になる。
夫のサイラスが憑依されたマリエルに三回も襲われたことも、ただの快楽目的ではなく、セアラという存在を早々に誕生させ、その心を弱らせることが目的だったのだ。
「あなたは……早くセアラの心を傷つけたかったから、私にあの子を産ませたの?」
やり場のない怒りはとうに沸点を超え、マリエルの体を小刻みに震えさせた。
だが、その怒りの対象である黒髪の女性は、そんなマリエルを嘲笑うかのように真っ赤な唇で妖艶な笑みを浮かべる。
「ええ、そうよ。『聖女』とやらは殺しても、すぐに新たな生を受けて誕生してくるから。その度に私はせっかく取り戻した力を奪われ、また一から集め直さなければならないの。だから今回は肉体の完全復活と、聖女とやらの力を弱体化させることに集中した。だって私がこの国を亡ぼせば、もう二度と聖女は生まれてこないもの」
そういって黒髪の女性は、なにかを放つように片手で大きく空を切る。
すると、先ほどの黒い煙が部屋中を駆け抜けるように流れ、室内に飾られていた花瓶の花は一瞬で枯れた。
そのことに驚いていると、真っ青な顔色のセアラに袖を引っ張られ、外に目を向けるように促される。
先ほど放たれた黒い煙の影響なのか、外の草木までも一部が枯れて変色していた。
それは、まるで『黒の魔女と聖女』の絵本の一場面を彷彿させる光景だった。
「本当は、もう少しマリエルの中にいて完全に肉体を復活させてから、あなたを殺そうと思っていたの……。でもマリエルったら、階段から落ちただけで死にかけてしまうんだもの。憑りついている時に死なれたら、せっかく集めた力が一気に減ってしまうから、その前に体から出ていくしかなかったのよね」
憑依中に自分の不注意で階段から転落したことについては非はないという考えなのか、あまりにも酷い言い分にマリエルは怒りを爆発させることさえできなくなる。
『人の道理が通じない』
そんな相手に激しい怒りをぶつけたところで理解されることはないのだ。
やっと自分を苦しめた元凶と対面できたが、相手がまともな考えを持っていない以上、マリエルの怒りの声はまったく届かない。
そんな理不尽すぎる現実に放心状態になっていると、サイラスがマリエルたちを庇うように一歩前にでた。
「この二年、なんの動きも見せなかったのは、その力を溜めるためか?」
「ええ、そうよ。その後に憑りついたジョアンナとかいう女もよかったけれど、マリエルがすぐに気づいてしまうのだもの……。仕方がないから別の人間に憑りつこうとしたけれど、その後は力の弱い者しか見つけられなかったの」
「だから今度は犬に憑依して……セアラを殺そうとしたのか!?」
サイラスが感情的になって怒鳴りつけると、黒髪の女性が興ざめだと言わんばかりに無表情になる。
「ええ。だってその時の私の肉体は復活直前だったの。だから完全復活を待つよりも、その子供を殺した方が次にその魂が生を受けてくる前に私がこの国を亡ぼせると思ったのよ。それなのに……またマリエルが邪魔をするんだもの! しかもあの犬、本当に最悪だったわ! 憑りつくだけで力をたくさん奪われてしまうのに憑りついている最中に死んでしまうのだもの。また力を溜めるのに二年もかかってしまったわ!」
不満を訴える黒髪の女性に今度は王妃が静かな声で口を挟む。
「だから今度は……わたくしの息子に憑りついたというの……?」
すると、黒髪の女性の表情が一瞬で鋭いものへと変わった。
「ええ……。本当はお前の一族の人間にだけは憑りつきたくなかったのだけれど……そこの目障りな子供の心をズタズタにするには打ってつけだったから、仕方なく憑りついたの。あの女の直系でも男の血筋なら、受け継がれる力は半分程度。ちょうど憑りつく前のマリエルと同じくらいの力だったから、私にとっては力を温存できて、ちょうどよかったのよ……」
不快そうにそう語る黒髪の女性に今度は王妃が瞳に涙を溜め、マリエルのような激しい怒りを見せる。
「ふざけないで!! もとはと言えば、あなたがわたくしの先祖を殺したことで、そのような状況に陥ったのでしょう!? あなたのせいでわたくしの一族は一時的に不名誉な汚名をきせられたのに……それなのになぜ、あなたが被害者ぶるのよ!! 自業自得じゃない!!」
すると、黒髪の女性は真っ赤な瞳をカッと見開き、王妃に向かって突っ込もうとした。
それを護衛の騎士と影が盾となるように阻む。
だが、黒髪の女性の怒りは収まらなかったようでそのうちの一人の首を素早く掴み、生命力を奪ったあとに部屋の隅に放り投げた。
その状況で部屋が静まり返ると、女性は室内がビリビリするような怒声で叫んだ。
「私の力を奪い、その力で豊かになっているお前たちにそのようなことを口にする資格などない!!」
その瞬間、マリエルはなぜこの女性が人の心を持っていないのかを理解する。
この女性は人ではなく、もっと高次元の存在であるのだと。
その正体をすでに察している様子のサイラスが、声を震わせながら女性に問う。
「お前は……一体、誰なんだ……?」
すると、女性は真っ赤な唇をの口角をあげ妖艶な笑みを浮かべた。
「私が誰かですって?」
そしてゆっくりと宙を漂いながら、サイラスの目の前までやってくる。
「私の名前はリーベ……。あなたたちが毎日祈りを捧げ、その恩恵に感謝の言葉を述べている豊穣の女神、リーベよ」





