65.拒絶する王太子
城に到着すると、三人はすぐに以前案内された会議室のような部屋に通される。
室内には国王夫妻だけでなく王太子の姿もあった。
サイラスが礼をとるのに合わせ、マリエルとセアラも最上級のカーテシーをおこなう。
「この度はお忙しい中、お話の機会を作っていただき、ありがとうございます」
「かなり深刻そうな文面から早急に話し合いの場を作らせてもらった。まずは座ってくれ」
国王に促され、三人は円卓になっているテーブル席に着く。
その間、セアラはずっとうつむいていた。
そんなセアラを王太子は無表情でジッと見つめてきた。
しかしマリエルに見られていることに気づくと、すぐに社交向けの笑みを浮かべる。
それが本来のレオンハルトの動きなのかどうか、マリエルには判断がつかない。
だが、少しでも憑依されているような動きがないか王太子を観察する。
すると、国王がさっそく本題に入りはじめる。
「婚約について早急に話し合いをしたいとのことだが、どういった相談だ?」
「率直に申し上げます。娘をレオンハルト殿下の婚約者候補から、今すぐ外していただきたのです」
すると、国王が怪訝そうに片眉を上げた。
「メディウム卿、その件に関しては貴殿も納得の上で承諾してくれたと記憶しているが?」
「ええ、おっしゃる通りです。ですが、王妃教育に女神リーベについて学ぶことが必須であるのなら話が変わってきます。娘は、女神リーベに対し過剰に拒否反応を見せます。そんな状態では王妃候補など無理です」
「その件に関しては免除すると伝えたはずだが?」
「ですが、先週の交流日に娘はレオンハルト殿下より女神リーベについて学ぶことは、王妃教育で必要不可欠なことだと言われたそうです」
すると、国王夫妻が驚きの表情で自分たちの間に座っている王太子に目を向ける。
だが、レオンハルトは動じることもなく真っ直ぐにセアラを見つめ続けていた。
その様子に少し不気味さを感じながら、サイラスは続きを口にする。
「さらに殿下は次回の面会日に女神リーベについてお話をされると宣言されており、娘はすっかり怯えおります」
「バカな! 息子には女神リーベの話はセアラ嬢にはしないよう重々伝えている! レオン! 今の卿の話は本当なのか!?」
父から責められたレオンハルトは、気持ちを落ち着けるようにゆっくりと瞳を閉じた。
だが、すぐに射貫くような視線をセアラに向け口を開く。
「本当です。この国は女神リーベより授かった豊穣の力で安定した生活を得ております。王妃となる女性は女神リーベの恩恵についてしっかり学ぶべきだと思い、セアラ嬢の女神リーベに対する嫌悪感を少しでも緩和したいと思い、そのような話をさせいただきました」
言っていることは正論ではあるが、この国ではそこまでリーベの信仰を推奨しているわけではない。
同時にこの王太子の言い分が二年前に憑依されていたジョアンナの言い分と重なる。
だが、現時点では王太子が憑依されているかの判断は難しい状況だ。
その確証がない限り、婚約を辞退する本当の理由を国王夫妻に告げることはできない。
もし王太子が憑依されていなかった場合、それは王族に対する不敬となる。
サイラスがセアラの婚約を辞退する理由としてそのことを指摘できないのは、そういった経緯がある。
すると、国王が盛大なため息をついた。
「レオン……私はお前にちゃんと伝えたはずだ。セアラ嬢には女神リーベの話はしないようにと」
「でも今のままではセアラ嬢は、ずっと女神リーベの名前が出るたびに怯えることになります。それでは彼女のためになりません」
「彼女のためになるかどうかは、お前が決めることではない!」
「でも彼女は私の婚約者候補です。将来、この国の王妃になるかもしれないのに国に加護をもたらした女神が苦手というのは問題だと思います」
父親に反論するレオンハルトの主張は真っ当なものだ。
だが、なぜレオンハルトは女神リーベについて学ぶべきだと強く主張するのかは謎だ。
そんな王太子の主張はサイラスにとっては、絶好の攻めどころとなる。
「殿下のおっしゃる通りでございます。王妃候補がこの国の象徴でもある豊穣の女神を敬えないことは大問題です。よって娘を殿下の婚約者候補から外していただきたい」
「メディウム卿、リーベの件は私からレオンにしっかりと説明し納得させる。だから婚約を辞退することは考え直してほしい」
「大変不敬になることを覚悟で申し上げますが、陛下のそのお言葉を私はどこまで信じればよろしいですか? 婚約はこちらが望んだものではございません。娘の豊穣の力が高かった結果、王家が一方的に望んだことです。その際にリーベの話題は控えていただきたいとお伝えいたしました。ですが、こうも簡単に約束を破られては婚約を続けることに不安を感じるのはご理解いただきたい」
サイラスの言い分に国王が黙り込む。
すると、今度は王妃が王太子を擁護しはじめた。
「メディウム卿のおっしゃることはよくわかるわ……。でもレオンは、まだ八歳よ。確かに約束を破ってしまったことは申し訳ないと思うけれど……今回はセアラちゃんの将来を考え、良かれと思ってした行動なの。たった一度の過ちで、婚約者候補から外してほしいという判断は少し極論すぎるのではないかしら」
「ですが、娘は殿下よりリーベの話題をふられるのではないかと不安がっております。たった一度とおっしゃいますが、娘にとって女神リーベの話題は心的負担が大きいのです。こんな繊細すぎる心の娘には、王妃という大役は荷が重すぎます。陛下には再度、娘と殿下の婚約を考え直していただきたいのです」
本来女神リーベについて学ぶことは、王妃教育の一環として確かに必須ではある。
だが、それを免除してまで王家はセアラを取り込みたがっているのだ。
夫の言い分がどこまで通用するかわからないが、今は国の象徴ともいえる女神をセアラが苦手としていることで押し切るしかない。
すると、サイラスの主張を聞きながら沈思していた国王が口を開く。
「確かに約束をたがえたことは、こちらに非がある……。だが、強力な豊穣の力を持つセアラ嬢を王家以外の家に嫁がせるわけにはいかないのだ」
「それは将来的に娘が嫁いた家に力が偏ることを懸念してのお言葉でしょうか?」
「もちろん、それもある。だが、一番はセアラ嬢の保護を目的に息子との婚約を提案している。まだリーベの血を得ていない家にとって、彼女は喉から手が出るほど手に入れたい存在だ。争いの火種になる」
「そうならないために王家が娘を囲ってくださると?」
「そうだ」
「その主張は、いささか説得力に欠けるかと。本当は別の理由があるのではないですか? たとえば……娘がある状態の人物を見分けることできることを重視されているとか」
「…………」
サイラスの指摘が図星だったようで国王が押し黙る。
「陛下……私たち夫婦にとっては、娘のセアラはなにものにも変えられない宝です。それは不思議な力を持っていなくても変わりません。そんな大切な娘を、明らかになにかに利用なさろうとしている王家に任せられるとお思いですか? もちろん、陛下のおっしゃることは一理あると思います。ですが、娘を望む本当の理由を教えていただけない状態では、王家にお任せすることはできません」
憑依者の件で情報を開示しないことへの不満をサイラスが遠回しに訴える。
すると、これまでずっと黙っていたレオンハルトが口を開いた。
「ごめんなさい……。僕、そこまでセアラ嬢を追い詰めてしまうなんて思わなかったんです……。もうリーベの話は二度としないと約束します。だから、婚約者候補はやめないでほしいです……」
瞳に涙を浮かべて後悔を口にする王太子だが、その様子にマリエルが違和感を抱く。
なぜなら、今のレオンハルトにはあまりにも年相応の子供らしさがありすぎるのだ。
少し前のレオンハルトであれば、こんな幼さを利用した泣き落としなどしない。
あの大人顔負けの社交性を垣間見せていた王太子なら、まずは一度こちらの要望を受け入れ、挽回の機会を伺うはずだ。
なによりも引っかかるのが、現在のレオンハルトの一人称がコロコロ変わることだ。
初めて言葉を交わした時のレオンハルトは自分のことを『僕』と称していた。
だが、今日は『私』を使っており、現在は『僕』に戻っている。
初対面の時に会話を交わした時のことを考えると、本来のレオンハルトの一人称は『僕』なのだろう。
その時の彼はとても大人びた隙のない印象を受けたが、今のレオンハルトは二面性が激しいずる賢い子供という感じだ。
どちらが本来のレオンハルトの人間性なのかは、マリエルには判断がつかない。
だが二回目の面会時まで彼は、セアラの喜びそうなもてなし方をしてくれていた。
そう考えると、この一人称がコロコロ変わるレオンハルトの人格は彼本来のものではない気がしてくる。
だが国王夫妻は、その違いに気づいていないようだ。
今度は国王が、シュンとうなだれた王太子の擁護をはじめた。
「メディウム卿……息子もかなり反省をしている……。できればもう一度、セアラ嬢との関係を修復する機会を与えてもらえないか?」
「申し訳ございませんが、我々は元より婚約に関しては後ろ向きの姿勢でした。婚約者候補として殿下との交流を受け入れただけでも、かなり譲歩したつもりです。それなのに陛下は、さらに我々に折れろとおっしゃるのですか?」
かなり強めの口調でサイラスが主張すると、国王が嘆息しながら片手で両目を覆う。
だが、すぐに意を決したようにサイラスを見据えた。
「先ほども伝えたが、息子とセアラ嬢の婚約は政略的な意味合いがあって提案している。私もこのようなことはしたくはないが……どうしても受けれてもらえないのであれば、王令として下すしかないと思っている」
「なるほど。では我々は爵位を返上し、一家総出で隣国に出国させていただきます」
「なっ……!」
「こちらもそのぐらいの覚悟を決め、本日は臨んでおりますので」
「なぜ、そこまでして婚約を拒……」
そう言いかけた国王だが、サイラスの視線の先に気づき言葉を失う。
その視線は無表情になっているレオンハルトに向けられていたからだ。
「そういうことか……。わかった。貴殿の要望を受け入れよう」
「陛下! それではレオンが!」
「出国する覚悟まで決められてしまえば、こちらが折れるしかない」
あっさりと申し出を受け入れる国王に、サイラスは入室前から手にしていた黒革のファイルから一枚の書類を取り出す。
そこには今後、王家がレオンハルトとセアラの婚約を一切強要しないことを約束させる内容が書かれていた。
「恐れ入りますが、口頭でのお約束では不安なので、こちらの書類にご署名をいただけますか?」
「ずいぶんと準備がいいな……」
そうぼやいた国王は、側に控えていた事務官に目配せをし、インクとペンを用意させる。
そして書類の内容を確認しながらペンをとった。
室内の殆どの人間が国王に注目している中、マリエルだけはレオンハルトに注目する。
無表情のまま父親の手元を眺めている王太子からは、何の感情も読み取れない。
先ほどまで瞳に涙を浮かべ、後悔を口にしていたとは思えないほど無感情に見えた。
だが国王がペン先をインクにつけた瞬間、レオンハルトが突然立ち上がる。
そしてサイラスが用意した書類の上に叩きつけるように両手を突いた。
王太子の予想外な動きに国王夫妻だけでなく、マリエルたちも唖然とする。
するとレオンハルトはうつむいたまま、なにかを呟く。
「……だ」
そして手をついたまま、その下の書類をぐしゃりと握り潰した。
「レオン!! なにを――――」
「嫌だ!! 僕は婚約をやめたくない!!」
レオンハルトが悲痛な叫びを上げると、その体から真っ黒な煙のようなものが勢いよく噴き出す。
その反動で室内の窓ガラスがすべて割れ、その破片が部屋の外側へと飛び散った。
マリエルは咄嗟にセアラを抱きしめて庇うと、自分も娘ごと夫に庇われる。
室内には黒い煙が充満し、夫の体で視界を塞がれていることもあって、なにが起こっているのかマリエルはまったく確認できない。
そんな中で数名の足音がバタバタと聞こえた。
恐らく側に控えていた護衛の騎士が国王を守ろうと動いたのだろう。
だが、室内に充満した黒い煙は一向に薄まる気配がない。
息苦しさはないが、まとわりつくような煙を不快に思っていると突然、体が軽くなった。
同時に黒い煙が部屋の上空で渦を巻きながら集まり、一塊となる。
その不可解な現象を呆然としながら眺めていると、煙の塊が渦を巻きながら弾けた。
そこから真っ黒で長い髪の女性が姿を現わす。
波打つ艶やかな黒髪に細身でシンプルな黒のイブニングドレスを着た女性は、少女のようなあどけなさと男性を惑わすような艶やかさを併せ持つ整った顔立ちをしていた。
突然、姿を現した宙に浮く女性に室内の全員が唖然としていると、女性はゆっくりと瞼を上げる。
すると、まるで血のように鮮やかな赤い瞳が現れた。
女性の不気味な瞳の色にセアラが怯え、マリエルにしがみつく。
マリエルも思わず身震いしてしまった。
そんな二人を嘲笑うかのように女性は、ゆっくりと口角を上げて意地の悪い笑みを浮かべる。
「これだから嫌だったのよ……。あの女の直系の一族の人間に憑りつくのは!」
そう言って自身の足下でうつ伏せで倒れているレオンハルトを一瞥する。
女性の行動に危機感を抱いた王妃が護衛を押しのけ、庇うように息子を抱きしめた。
そんな王妃に黒髪の女性は見下すような冷たい視線を浴びせる。
「本当に忌々しい銀髪の一族ね……。あの程度の力しか持っていない子供のくせに私をはじき飛ばすだなんて。それに私、子供って大っ嫌い!」
吐き捨てるように悪態をついた黒髪の女性は、今度はセアラのほうにグリンと顔を向ける。
その視線から守るようにマリエルは娘を深く抱きしめた。
すると、不気味な美しさを感じさせる黒髪の女性は口元に人差し指を添え、舌なめずりをするようにマリエルへと目線をずらす。
「ふふっ! 懐かしいわね。その体」
その瞬間、マリエルの中でずっと燻ぶっていた怒りが一気に膨れ上がった。





