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59.一家団らん

 第二子妊娠が発覚してから約一年半後。

 マリエルは侯爵邸の中庭で優雅にお茶を堪能していた。


 そんなマリエルの生活は、この一年半でかなり変化していた。

 だが、この間に憑依者がマリエルたちに接触してくることは一度もなかった。

 

 そのためこの一年半のマリエルは、多忙ながらも充実した日々を過ごしていた。

 特に家族が一人増えたことで、マリエルの生活は信じられないほど色鮮やかなものへと変化した。

 その幸せを噛み締めるようにマリエルは、中庭の一角に目を向ける。


「あぅー。あっ、ねぇー、あーっ!」

「ルー、あれはにゃんにゃんですよー。名前はプルプルです。シュルトがお世話してます」

「プー、にゃー?」

「はい! プルプルはにゃんにゃんです」

「にゃー」


 猫を指さしながらヨチヨチと歩く幼子に、プラチナブロンドの美少女が説明してやる。


 ルーと呼ばれた男の子は、昨年の夏に生まれたマリエルとサイラスの待望の第二子ルイスだ。

 母譲りの少し癖のあるこげ茶色の髪に父と同じ濃いエメラルド色の瞳を持つ息子は、全体の雰囲気はマリエル似だが、顔立ちは完全にサイラス譲りだった。

 まだ赤ん坊の域を脱していないが、将来が楽しみになるほどの整った顔立ちをしている。

 セアラとは、ひと月違いの誕生日で来月で一歳になる。


 そしてその後ろをすぐに支えられるようについてまわっている美少女は、つい最近六歳になったばかりの姉のセアラである。

 父譲りのサラサラのプラチナブロンドの髪は背中の真ん中まで伸びたが、トレードマークのカチューシャは未だに健在だ。

 ただこの一年半でかなり大人びた印象となったセアラは、黙っていれば深窓の姫君のようなおっとり美少女に成長していた。


 だが性格は母マリエル寄りなので、頑固でやや気が強い。

 しかも父親の頭の回転の速さまで受け継いでいるので口も立つ。

 普段はおっとりとした話し方なのだが、自分が納得できないことに関しては納得するまで、けして考えを曲げない。

 その癖、限界まで頑張りすぎてしまうことが多いので、辛い状況でもなかなかそれを口に出せないところもある。

 現状では負けず嫌いな母親の要素を濃く受け継ぐ性格になりつつあった。


 それでもセアラの天使のような愛らしさは、今でも健在である。

 娘だけでなく息子というもう一人の天使を得たマリエルは、フェニアが淹れてくれたお茶とともにこの幸せな時間を堪能する。


「セアラは、すっかりお姉さんが板についてきたわねー」

「はい。最近ではルイス坊ちゃまに絵本の読み聞かせなどもしてくださるんですよ」

「待って。その絵本って……」

「ご安心ください。セアラお嬢様が読み聞かせている絵本は、クマが主役の物語です」

「あー……あのアベルっぽいクマのお話の絵本……」

「はじめは『黒の魔女と聖女』の読み聞かせをなさろうとしていたので、すぐにお止めいたしました」

「よく阻止してくれたわ……。ありがとう、フェニ!」


 どうやら今でもセアラのお気に入りの絵本は『黒の魔女と聖女』であるらしい。

 そんなセアラだが、現在は自分の考えをしっかりと言葉にすることができる。

 だが『女神リーベ』の絵本を怖がっていた理由は、未だに謎のままだった。


 大分言葉を使いこなせるようになってから理由を聞いてみたのだが、セアラ自身もなぜ怖がっていたのか、わからないらしい。

 ただ現在でも『女神リーベ』の絵本は、あまり好きではないそうだ。

 絵本を目にすると、なぜかゾワゾワしてお話を楽しめないらしい。

 以前のように放り投げるほどの拒絶はないが、できれば絵本には触りたくないと言っている。


 逆に息子のルイスは、リーベの絵本は平気なようである。

 しかし姉のセアラが『危険な物』と教えているようで、絵本を目にすると「たぁー!」と怒ったような反応をする。

 どうやら小さいながらも姉を守ろうとしているようだ。

 たまにセアラがサイラスに叱られている時にも、父親に向かって「たぁー!」と叫んでいる。


 そんな仲良し姉弟の様子をニコニコしながらマリエルが眺めていると、仕事を終えた様子の夫がやってきた。


「サイラス様、本日分のお仕事はもう終えられたのですか?」

「ああ。午前中の分は終わった。だが、午後にもう少しだけ処理しなければならない書類が残っている」

「最近、領内の各地域からトラブルの報告が多いように感じるのですが……」

「うちに限らず他の領地でもそうみたいだな。一昨年がかなり豊作だったからか、その反動で今年はハズレ年かもしれない。まぁ、うちは君が強力な豊穣の祈りができるので報告さえ上がってくれば、すぐに対応はできるが……。力の強い豊穣の乙女がいない領地では、かなり苦戦を強いられているらしい」


 そういってサイラスが席に着くと、すぐさまフェニアがお茶を用意する。

 午前中は処理する案件が多かったのか、お茶を口にした夫は少しホッとするような表情を浮かべた。


「本日も豊穣の祈りの要望案件がかなり上がっていたご様子ですね……」

「そうだな……。だが、頻繁に君の力に頼るのは良くない。作物には本来、自ら育つ力があるのだから。それに君が力の使いすぎで倒れでもしたら、それこそ元も子もない」

「私は、そんなに軟弱ではありませんよ?」

「そう口にする人間ほど、いきなりガクンと倒れるんだ。特に君の場合、負けず嫌いな性格から無理をしがちだ。そこは夫である私がしっかり見極め、体調管理をさせてもらう」


 過去に何度か前科のあるマリエルは、気まずそうに苦笑を返す。

 すると、ヨタヨタしながら弟を抱えるセアラがマリエルたちのほうへとやってきた。


「お父様~、もうお仕事終わったの~?」

「ああ。午前中の分はね」


 そう答えたサイラスは、セアラからルイスを受け取るように抱き上げる。


「ルイスは、ずいぶん歩けるようになったみたいだなー」

「ルーね、すごいの! 今日はこのテーブルから、あそこのバラが咲いているところまで一人で歩けたの!」

「それは凄いな。そういえば、セアラも歩きはじめたのが早かったな」

「セアラ、それ、覚えてないなー……」


 今ではすっかり自分の名前も正しく発音できるようになったセアラだが、家族と話している時だけ一人称が『セアラ』になってしまう。

 現在も教育係を担当してくれているジョアンナの話では、無意識に両親へ甘える癖が出てしまっているだけなので時間が経てば直るとのことだった。


 だがマリエルは、可愛いのに直ってしまうのは勿体ないと親バカなことを思ってしまう。

 成長する子供たちの変化を嬉しく思う反面、寂しさも感じてしまうのだ。

 今も席に着いてテーブルの上のケーキをジッと見つめている娘の様子から『そういえば昔のセアラは、ほっぺにクリームをたくさんつけて頬張っていたなー』などと昔を懐かしんでしまう。

 だが、そんな気の緩んだ状態でいたら娘から気まずい質問が飛んできた。


「お母様は、セアラが初めて歩いた時のこと覚えてる?」

「えっ!?」


 その頃は憑依者に体を奪われていたため、覚えているどころか記憶自体がマリエルにはない。

 返答に困り言葉を詰まらせていると、夫が助け舟を出してくれた。


「セアラ、その頃のお母様は『おでかけ』してたから、知らないはずだよ」

「え~? お母様、その時もおでかけしてたのー?」

「そ、そうなの!」

「そっかー……じゃあ、覚えてないかー……」


 現状のセアラは、自分が三歳の頃に口にしていた『おでかけしてた』がどういう状態を指すのか、自分でもわからないそうだ。

 五歳の誕生日が過ぎた頃に改めてセアラに聞いてみたのだが、その返答は「セアラ、そんなこと言ってた?」というものだった。

 だが、マリエルがしばらく不在だったという記憶はうっすら残っているらしい。


 そして『黒い人』に関しては、しっかりと覚えているそうだ。

 現在のセアラの話では、黒い人はときどきセアラの前に現れて意地悪をしにくる人物だったという認識らしい。

 その際、マリエルたちにも意地悪をしていたと言うのだが、具体的な意地悪内容までは覚えていないそうだ。


 だが『黒い人』がジョアンナと犬に憑依して接触してきたことは、鮮明に記憶に残っているらしい。

 そのためセアラの中のマリエルは、『強くて勇敢な母』という印象が根づいてしまっている。

 そんな母に憧れるように今のセアラは「セアラもみんなを守る!」と言って、朝食後から勉強時間までの空いている時間で毎日屋敷内をうろつき、『黒い人』が屋敷内に侵入していないか確認するのが日課となっている。


 今思うとジョアンナと初めて会った時に四歳のセアラが口にしていた「わるい人がいないか、みままりしている」という言葉は、憑依者が屋敷に侵入していないか確認するための行動だったようだ。

 あの頃のセアラも、幼いながら家族や使用人たちを憑依者から守ろうとしていたのだろう。


 だが、その記憶も成長とともに今のセアラの中では大分うすれてしまっている。

 話せるようになったら詳しく聞きだせると思っていたマリエルたちだったが、三歳児の記憶が曖昧ですぐに消えてしまうということを失念していた。

 それでも娘が憑依者の侵入を自主的に警戒してくれている状況は、とても心強い。


 その問題の憑依者だが、不気味なことにここ二年近くまったく動きがない。

 メディウム侯爵邸に現れた形跡もなければ、マリエルたちの周辺で急に性格が豹変した人物などの情報も特に入ってこなかった。


 誰かに憑依してなりを潜めているのか、あるいは長期的に憑りつける相手を探しさまよっているのか。

 そもそも憑依者には、常に誰かに憑りついていなければならないという縛りがあるかどうかもわからない。

 実際にマリエルの体から抜け出てカレンに憑依するまでの間、憑依者の動きは確認できていないのだ。


 あの後、サイラスが視察から戻ったシュルトに侯爵邸を去った時の状況をカレンに確認させているが、当人は一カ月ほど記憶がない時期があるのは気になったが、原因がわからなかったため、気にしないようにしているとのことだった。

 周囲の人間も服の趣味が悪くなったのは気になったようだが、元々カレンが苛烈な性格であったため人格の違いには気づかなかったらしい。


 ただ当時のカレンの記憶は荷物をまとめ侯爵邸を出ようとした直前で一度、途切れているそうだ。

 つまり、マリエルが自我を取り戻してからカレンが侯爵邸を去るまでの一週間、憑依者がどのような動きをしていたのかが不明なのだ。


 カレンに憑りつくまでの一週間、その場しのぎで別の誰かに憑依していたのか。

 あるいは、カレンが侯爵邸を出る直前まで機会を伺い、空中をさまよっていたのか。

 憑依者が単独でも動けるのか、それとも誰かに憑依していないと動けないのか、それすら未だにわかっていない。


 このような状況なので、今は憑依者が動き出すのを待つしかないというのが現状である。

 マリエルにしてみれば、このまま二度と自分たちの前には現れないでほしいと思う。

 だが、あれだけ何度も侯爵邸に舞い戻ってきたのだから、そう簡単には諦めてはくれないだろう。


 それでもこの二年近くは、いたって平和な時間をマリエルは過ごせていた。

 そのことを象徴してくれる存在が、昨年の夏に生まれたルイスである。

 妊娠発覚直後は母マリエルを悪阻(つわり)で悩ませたルイスだが、その後はなんの問題もなく、すんなりとお腹から出てきてくれた。


 その後もすくすくと育ち、生後十一カ月でつかまり立ちから歩けるようにもなった。

 特定の単語を彷彿させる言葉も発するようになり、両親と姉の呼び方は習得しつつある。

 そんなルイスは、姉のセアラのことが大好きらしい。

 現在も自分を抱きかかえる父親の手をパチパチと叩き、姉のほうへと手を伸ばしている。

 そんな息子の様子にサイラスが苦笑しながら呟く。


「ルイスは、本当にセアラが大好きだな……」

「とーしゃ! ねぇー!」

「でもダメだ。お姉様は、さっきまでお前の相手をたくさんして疲れているから、今はお父様で我慢しなさい」

「ぶぅー!」


 言葉の意味はわかっていないはずなのだが、ルイスが不満そうな声を上げる。

 そんな息子の様子に思わずマリエルが噴き出す。

 すると、ケーキを物色していたセアラが声を上げる。


「お母様、セアラもケーキ食べてもいい?」

「もちろん! どれが食べたい?」

「セアラねー、このピンクのと……あと黄色いのがいい!」

「フェニ、取り分けてあげて」

「かしこまりました」


 公の場では一人称が『私』に変わり丁寧語で話すセアラだが、家族の前では年相応の六歳児でいてくれる。

 ジョアンナの教育の賜物か、セアラは上手にありのままの自分と、よそ行きの自分を切り替えられるようになっていた。


 そんなセアラだが、今から一週間後にある大イベントを控えていた。

 それを思い出すようにサイラスが憂鬱な表情であることを報告してくる。


「そういえば……一周間後に登城する際のセアラの着る服が仕上がったようで、プリエール工房から届いていたぞ……」

「かしこまりました……。この後、確認いたします……」


 深いため息をつく両親とは裏腹にその話を聞いた娘のセアラは瞳を輝かせる。


「お洋服できたの!? お母様! セアラ、このあと着てみてもいい?」

「ええ。ちゃんとサイズが合っているか確認しないといけないから、ケーキを食べ終わったら衣裳部屋に行きましょうね」

「うん! セアラ、楽しみー!」


 ご機嫌な様子で再びケーキを食べはじめた娘になんともいえない笑みを向けたマリエルが、ボソリと呟く。


「やはり受けなければなりませんかね? 豊穣の乙女の鑑定……」

「女の子が生まれた以上、受けさせるのは親の義務だからな……」

「私の予想では、セアラはとんでもない力の数値を叩き出しそうで怖いのですが……」

「奇遇だな、私もだ……」


 途方にくれている両親を尻目に、当のセアラは一週間後の鑑定日を心待ちにしている様子だ。

 だが、出産後にマリエルの豊穣の力が大幅に上がったことを考えると嫌な予感しかしない。


 義姉の話では、その逆で母親の力が減る場合もあるようだが……。

 改めて医師のグレードルに確認してみると、豊穣の乙女が女の子を妊娠した場合、妊娠期間中に豊穣の力が赤ん坊と母体間を循環するような状態になるそうだ。


 その際、まだリーベの血が入っていない一族に豊穣の乙女が嫁ぐと、その力の九割を受け継いだ子供が今後その一族で生まれるようになる。

 恐らくこの状態が、義姉の言っていた力が下がるケースに該当するようだ。

 ちなみにリーベの子孫の男の子が婿入りした場合は、その家には男の子の母親の半分くらいの力しか受け継がれないらしい。

 王家に受け継がれている豊穣の力が三大侯爵家よりも弱いのは、これが関係しているようだ。


 逆に嫁ぎ先にもリーベの血が入っていた場合は、夫の家の力のほうが優先的に子供に受け継がれるそうだ。

 マリエルの場合、サイラスの家の力が優先的にセアラに受け継がれたことで、妊娠中のマリエルにもその影響が出たという状況である。

 ただ今回のように母親の力が大幅に上がったケースでは、その子供が持つ力が強大である可能性が高いようだ。


 実際にセアラが豊穣の乙女の鑑定を受けてみなければ、結果はわからないのだが……。

 医師のグレードルからは、セアラが国にとって貴重な豊穣の乙女になる可能性があることを覚悟しておいたほうがいいと言われてしまっている。


「豊穣の乙女の鑑定……受けさせたくないなー」

「セアラは、早く受けたいのー」


 真逆なことを口にする夫と娘の様子にマリエルは、つい噴き出してしまった。

【※7/5に追記】

マリエルの息子の『ルイス』ですが、『ルイン』になっている個所がかなりありました……。(泣)

(実はこの子、土壇場まで全く違う名前だったため作者がうろ覚えでした……)

完結後に拾って修正はしているのですが、もしまだ修正できないない場所があれば、誤字報告頂けると助かります!

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瞬殺された断罪劇の後、殿下、
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  ISBN:9784434361166
 発行日:2025年7月25日
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