58.立ち向かう決意
問診でほぼ確定している状況ではあったが、念のため尿検査を行ったところ完全にマリエルが妊娠しているという結果が出た。
その間、マリエルとサイラスは呆然としながら検査の結果を眺めていた。
そんな中、部屋にはフェニアから報告を受けた使用人たちが続々とやってきた。
だが、祝いの言葉を伝えても放心状態で反応が薄い侯爵夫妻を心配しはじめる。
「お二人とも……いくら二人目とはいえ、もう少し反応があってもよいのでは?」
呆れ気味で最初に口火を切ったのは副料理長のクラムである。
すると、マリエルとサイラスは気まずそうにその心境を語る。
「いや、そうなんだが……その、驚きすぎてどう反応していいのか……」
「じ、実は私もです……」
「奥様はともかく、旦那様は一人目のお嬢で伴侶の妊娠は経験済みですよね?」
「あの頃は、マリーが妊娠した経緯が特殊だったから、喜ぶとかそういう流れではなかった。だが、今回は自分の意志で子供を授かったという状況だから……」
その話からマリエルが、この三カ月の夫のある行動には理由があったのだと気づく。
「やはりサイラス様は、早く二人目が欲しかったのですね?」
「私がというよりも、君が言ったんじゃないか……。家督を継ぐのはセアラでもいいが、やはり男の子はいたほうがいいと」
「そ、それでここ三カ月間、サイラス様は子作りに前向きだったのですか?」
「いや、そのことを意識していたのは最初の三日間くらいだ。それ以降は完全に己の欲望のままに行動していた」
清々しいまでの本音を暴露した主にテレーズが呆れた表情を見せる。
「旦那様……今のお言葉ですべてが台無しです……」
「事実そうなのだから仕方ないじゃないか。そもそも私とマリーは、やっと半年前に夫婦としてやり直しをはじめたばかりなんだぞ? 現状は、まだ新婚みたいなものだ」
「ご結婚されて五年目で、それはいかがなものかと……」
父オネストとともに駆けつけたシュルトが、なんともいえない表情で感想を述べる。
ちなみにフェニアは、現在も屋敷中にマリエルの懐妊をふれまわっているようだ。
先ほど部屋を出たきり、未だに戻ってこない。
そんな屋敷全体でマリエルの妊娠を祝福する雰囲気の中で、当人であるマリエルは未だに呆然としていた。
体自体は妊娠も出産もセアラで経験している。
だが、マリエルにはその記憶が一切ないため今回が初産という感覚なのだ。
妊娠期間中から出産まで、どのような変化が自分の体に起こるのか想像がつかない。
今、自身のお腹の中にもう一つ命があると言われても実感がわかず、喜びよりも先に不安がきてしまう。
だが、それ以上にマリエルの喜びの感情を押さえつけているものがあった。
セアラへの罪悪感だ。
マリエルがセアラを身ごもっていた時、憑依者はお腹の中のセアラに対して配慮など一切していなかっただろう。
セアラが受けられなかった愛情を、今お腹にいる子供は無条件で受けることができる。
第二子を授かったことはとても喜ばしいことだが、その複雑すぎる状況がマリエルの嬉しいという感情に歯止めをかけていた。
同じような反応をしているサイラスも、恐らくそんな心境に陥っているのだろう。
セアラの時は喜びに満ちた状況で出迎えられなかった過去が、マリエルたちの感情を抑え込んでいる。
だが、それは室内の扉が盛大に開け放たれたことで一変した。
「おかあしゃまぁぁぁ~! シェアラ、おねえしゃまになるって、ほんとう~!?」
ここ最近で淑女らしい振る舞いを身につけはじめていたセアラだが、母の妊娠を耳にし、大興奮で部屋に突撃してきた。
その背後には、ものすごい速さで後を追ってくるレスリーと、優雅に歩いてくるジョアンナの姿も見える。
だが、三人の中で誰よりも先に部屋に飛び込んできたセアラは、そのまま寝台の上の母親に抱きつこうとした。
しかし、寸でのところで父サイラスに掬い上げられる。
「やぁーん! はなしてぇー! シェアラ、おかあしゃまにお話あるのぉー!」
「ダメだよ、セアラ。今、お母様のお腹の中には赤ちゃんがいるんだ。セアラが飛びついたら、赤ちゃんがびっくりして出てくるのが遅くなってしまうかもしれないよ?」
父親の言葉でセアラの表情が一瞬で輝きはじめる。
「やっぱり! シェアラ、おねえしゃまになるの!?」
瞳をキラキラさせながら喜びの反応を見せる娘に、マリエルとサイラスが驚くように大きく目を見張る。
それは、まるでマリエルたちに「喜んでもいいんだよ」と言ってくれているような反応だった。
弟か妹ができることをセアラは、こんなにも喜んでくれている。
その瞬間、二人の喜びの感情がやっと動き出す。
「うん……。来年の夏ぐらいにはセアラに弟か妹ができているかな?」
「わぁ~! しゅごい! シェアラおねえしゃまなの!」
「嬉しいかい?」
「うん! シェアラねー、妹がいいのー」
「弟は嫌かな? 弟もかわいいよ」
「でもね、弟だといっしょにお人形あそびできないの……」
「そうだね。でも弟なら、大きくなったらセアラのことを守ってくれるよ?」
「シェアラより小さいのに?」
「子供の頃は小さいけれど、大きくなったらお父様と同じくらい大きくなるから」
「おとうしゃまみたいになるの!? じゃあ、シェアラ弟でもいいよ!」
「それはよかった。でもお父様は弟でも妹でもセアラには可愛がってほしいかな」
「大丈夫よ! シェアラ、おねえしゃまだから、どっちもかわいがる! だからね、おかあしゃま、早く……あっ!」
マリエルのほうへ目を向けた瞬間、セアラが悲しげな表情をする。
「おかあしゃま、泣いてる……。なんで? おとうしゃま、またいじわるした?」
「どうして『また』になるんだ……。お父様はなにもしていないよ。お母様を泣かせたのは……多分、セアラだ」
「ええっ!? シェアラ、なにもしてないよ!?」
抱きかかえている父親の手をペチペチと叩いて寝台の上に降ろしてもらったセアラは、両手で顔を覆って涙している母の頭を優しく撫ではじめる。
「おかあしゃま……どうして泣いちゃったの? シェアラ、いじわるしちゃった?」
すると、マリエルは顔を覆ったまま、フルフルと首を振る。
感極まって言葉を失っている妻の代わりにサイラスが苦笑しながら、その心境を代弁する。
「お母様は悲しくて泣いているんじゃないんだよ。赤ちゃんができたことをセアラがすごく喜んでくれたから、嬉しくて泣いちゃったんだ……」
「おかあしゃま、また嬉しくて泣いちゃったの?」
「うん。セアラが赤ちゃんができたことを喜んでくれたのが、すごく嬉しかったんだ……」
「そっかー……。おかあしゃま、強いのに泣き虫しゃんだもんね……」
「そ、そうだね。お母様はとても強いのに……すぐに泣いちゃうからね」
娘の的確すぎる言い分に苦笑しながら、サイラスはセアラを寝台から降ろすとそのままテレーズに託した。
「もう少ししたらお母様は泣き止んでくれるから、それまでセアラは、今日の分のお勉強をしながら待っていてくれないかな?」
「おかあしゃま、一人じゃもっと泣いちゃうからシェアラが一緒にいてあげるよ?」
「大丈夫だよ。セアラの代わりにお父様が一緒にいるから……。セアラのお勉強が終わったら、側にいてあげる役をお父様と交代してくれるかい?」
「うん! シェアラ、がんばって今日のお勉強おわらせてくる! おかあしゃま、待っててね!」
サイラスが目配せをすると涙目のテレーズが頭を下げ、レスリーとジョアンナとともに下がっていった。
それに続き、クラムたちも二人を見守るような眼差しを向けながら、静かに退室していく。
すると、先ほどまで賑やかだった部屋が静まり返る。
未だに両手で顔を覆って泣く妻を慰めようと、サイラスは寝台に腰掛け呼びかける。
「マリー……」
「ご、ごめんなさい……。本当は子供ができて嬉しかったのに……セアラのことを思うと、喜んでいいのか、わ、わからなくなってしまって……」
泣きじゃくりながら胸の内を口にするマリエルの肩をサイラスは優しく抱き寄せた。
「私も同じだ……。君がセアラを身ごもっていた間は自分のことで手一杯で……。憑依状態だった君の監視を使用人や王家の影に丸投げしていたし、セアラが生まれた後は君から引き離すことにもなんの疑問も持たなかった。あの子が話すようになって『自分には母親がいない』と口にするまで、私は子供を母親から引き離すことの残酷さに気づいていなかった……」
「でも、それは……」
「事情はどうあれ、あの子はずっと母親を恋しがっていたんだ……。だが、当時の私は君の分まで自分が愛情を注げば、それで十分だと思っていた。君の姿絵を見て大喜びするセアラを目にして、自分の無神経さを痛感したんだ……」
マリエルからすると、サイラスは十分すぎるほどセアラ優先で動いていたように見えていたが、それはセアラが誕生するまでの間、なにもしてあげられなかったことへの償いもあったようだ。
「それでもサイラス様は……私の分までしっかりとセアラに愛情を注いでくれました」
「当然だ。私は君と違って体の自由が利いたのだから。君のように愛情を注ぎたくても、その期間を理不尽に奪われていたわけじゃない。それでも……もっとあの子に寄り添っていれば、君のことを過剰に怖がっていた本当の理由に気づけたんじゃないかと、今でも考えてしまうんだ……」
「そんな……あんな状況、誰でもその異変になんて気づけないと思います」
「ああ。なんせ王家ですら、君が憑依されている状態だと気づけなかったようだからな。もちろん、頭では仕方のない状況だったと理解している。それでも……自分はもっと上手く立ち回れたんじゃないかと思ってしまう……」
恐らくサイラスもマリエルと同じくらい、セアラに理不尽な思いをさせてしまったという罪悪感があるのだろう。
だが、その元凶はすべてマリエルに憑依した忌々しい存在のせいである。
未だに正体がわからないその存在は今もどこかに潜伏し、この侯爵邸に舞い戻ってくる機会を狙っている。
その目的もわからないまま、マリエルは世間的には守るべき存在とされる妊婦になってしまった。
セアラを守るだけでも必死だったのに、もう一つ守らなければならない存在が増えてしまったのだ。
本来なら子供を授かったことは喜ばしいことなのに、現況を思うと不安しか抱けない自分にマリエルは情けなくなってしまう。
「憑依者は……またここに戻ってきますよね……」
「ああ……。なぜかわからないが、奴はこのメディウム家に執着しているようだから」
「私は……セアラだけでなく、この子も守りきることができるでしょうか……」
「君も含め、子供たちはなにがなんでも私が守る。現状、王家の影は私たちの監視ではなく、護衛に徹するよう指示されているとクラムが言っていた。もちろん、私のほうでも屋敷の警備強化はおこなっているが、君たちを守ることに使えるなら、王家の影だろうがなんでも利用してやる。使用人には豊穣の乙女の認定を受けていない者しか雇わないようにしているし、なによりもうちには憑依者をすぐに見抜けるセアラがいる。だから、君は……」
そこで一度、言葉を切ったサイラスはマリエルと向かい合い、そのまま深く抱き寄せる。
「また授かることができたお腹の子を無事に産むことだけに集中してくれ……」
夫の『また』という言葉で、再びマリエルの視界が涙で歪む。
今お腹に宿っている命は、マリエルが離縁の道を突き進んでいたら授かることはできなかったものだ。
サイラスは、それを暗に仄めかしている。
自分たちの意志とは関係なく、憑依者によって婚約者から無理矢理夫婦にされたマリエルたちは、半年前までは関係をやり直すことが難しい状況まで陥っていた。
だが、その半年間で互いのことを少しずつ理解し合い、今度は自分たちの意志で新たな命を授かることができたのだ。
それが自分たちにとって、どれだけ大きな一歩であるかをマリエルは知っている。
「私、絶対にこの子を無事に産みたいです……」
「ああ……」
「この子だけでなく……セアラも、サイラス様も守りたいです……」
「それは私も同じだ。君も子供たちも私がなんとしてでも守りぬく」
「もうよくわからない存在に私たちの幸せを壊されるなんて……我慢なりません!」
そう口にした瞬間、これまでの憑依者に対する怒りと悔しさで涙がこぼれた。
どんなに吐き出しても、けして消えることのない憑依者に対する怒り。
そんなやり場のないマリエルの怒りを一番理解し共有できるのは、恐らくこの世でサイラスだけだ。
「大丈夫だ。二度と壊させない。もう君が一人で抱え込んで戦う必要なんてないんだ……」
「……っ!」
「不安なら今みたいに弱音を吐けばいい。君は一人じゃない……。二人で一緒に考えて立ち向かえば、絶対に乗り越えられる」
「ふっ……うぅ……」
「だから、もう少しだけ一緒に頑張ろう……。子供たちとの幸せな未来のために」
この日、改めて憑依者に立ち向かう決意を固めた二人。
しかし、そんな決意とは裏腹にこの後、憑依者が新たな動きを見せることはなかった。
そして気がつけば、なんの動きもないまま一年半の年月が流れていた。





