56.新たな学説
前回とは比べ物にならないほど衝撃的な内容の考察論にもう一度目を通したマリエルは、その内容を頭の中で整理してみる。
特にマリエルを驚愕させたのが、リーベの化身と第一王子を殺害したのがアバローナ侯爵家の人間の可能性があると書かれている部分だ。
この歴史学者の考えでは、リーベの化身が殺害された百年後に髪の色を銀髪に変えた内容で、王家が『女神リーベ』の伝承を故意に広めたのではないかというものだった。
目的としては、当時王家の次に権力をもっていたアバローナ侯爵家の悪評を打ち消すために、女神の髪の色をアバローナ侯爵家の特徴でもある銀髪に変え、女神の化身の血が流れていることを強調したかったのではと書かれていた。
もしこの考察で考えた場合、女神の化身と王族を殺害したアバローナ侯爵家の女性は処刑されたはずだ。
だが、その悲劇の引き金となったのは婚約者の第一王子の裏切りが原因である。
そのことでアバローナ侯爵家から抗議された王家は、苦肉の策として事件が風化し始めた百年後に故意に女神の髪の色を偽った伝承を広め、アバローナ侯爵家の汚名を払拭しようとしたのはないかというのが、この学者の考えらしい。
その考察が事実かどうかはわからないが、一つの可能性としては考えられる。
実際にアバローナ侯爵家は、長い歴史の中で王家に匹敵するほどの権力を持っていた時代があるのだ。
大昔の出来事とはいえ、アバローナ侯爵家の人間が女神の化身と王族殺し大罪を犯していたら、とんでもない不祥事である。
また王家にとっても、その悲劇の引き金が第一王子の不貞ともなればかなりの醜聞だ。
八百年前の人々の間で、リーベの化身である女性の容姿がどれくらい周知されていたかはわからないが、事件から百年後であれば当時のことを正確に覚えている者は少ない。
もしこの考えが真実だった場合、王家は百年という長い時間をかけて、第一王子の不貞で大罪を犯し処刑するしかなかったアバローナ侯爵家の女性に対する償いをしたことになる。
当時の権力バランスがどうだったかはわからないが、王族に匹敵する権力を持っていた時期もある侯爵家であれば、それぐらいの発言力はあったのかもしれない。
「リアは、この歴史学者の考えをどう思う?」
「うーん、とても面白い考察だとは思うけれど……アバローナ侯爵家にはリーベの娘が産んだ長女が嫁いでいるでしょう? もしこの考察が真実だった場合、アバローナ侯爵家は自分たちの娘、あるいは妹を裏切った第一王子とその不貞相手の孫娘を家に招き入れたことになるじゃない? それはいくらなんでも侯爵家としてのプライドが許さないと思うわ」
「た、確かに……」
「これまで何度も豊穣の巫女を輩出しているアバローナ侯爵家には、リーベの化身の孫娘の血が入っていることは確実よ。そのことを考えると、ちょっとこの考察は説得力に欠けるのよね……」
確かにリアラの言い分はもっともである。
だが、そうなるとますますリーベの化身の髪の色の謎が深まる。
「だったらどうして王家は、リーベの化身の髪の色を銀髪に変更したのかしら……」
「そもそもそれ自体が、本当かどうかわからないわよ? だってそれを裏づけるものは、たまたま辺境領の小さな農村でリーベの化身の髪の色が黄金色だったという言い伝えが残っていただけだから。もしかしたら光の加減で見間違えたかもしれないじゃない」
「それを言ったら元も子もないじゃない……」
「だから面白いのよ! その国や地域に残った伝承を考察するのは!」
そういってリアラは、マリエルから茶封筒を返却するよう促す。
「なんにせよ、もし本当にリーベの化身の髪の色が黄金色だったのなら『女神リーベ』の物語には、王家とアバローナ侯爵家の秘密が隠されていることになるわ。そう考えると、ちょっとワクワクしない?」
「リア……あなた、いつから歴史学好きになったの?」
「歴史好きじゃなくても想像力をかきたてられるテーマよ。マリーも、もし面白い学説を思いついたら私に教えてね!」
「私、歴史学者じゃないんだけれど……」
そんな話題で親友と盛り上がっていたマリエルだが……。
最初にこの学者の論文を目にしてから、ずっと女神リーベの髪の色の話が頭の片隅で引っかかっていた。
そう感じてしまうのは、娘のセアラが対になっている二冊の絵本に対する反応の違いがあるからだ。
娘が酷く怖がる『女神リーベ』の絵本の主人公は銀髪。
逆に娘が大のお気に入りの『黒の魔女と聖女』の主役である聖女も同じく銀髪。
絵本としては別の物語だが、基本となった女神リーベの伝承として考えると、この二冊の主人公は母と娘という関係になる。
だが、母親の物語に対してセアラは酷い恐怖心を抱く。
逆に娘の物語では、悪い魔女が倒されるということで安心感を得られるらしい。
なにより気になるのが、『女神リーベ』の絵本に対する娘の怖がり方が『黒い人』である憑依者に対する怖がり方と同じなのだ。
娘には『女神リーベ』の絵本が、どのように見えているのか……。
それがわかれば少しは謎の解明に近づける気がするが、セアラはリーベの名が話題に出るだけで涙ぐむほど毛嫌いしている。
だが、こればかりはセアラの成長を待つしかない。
『黒い人』を恐れる理由も、憑依されている状態を『おでかけ』と称することも、『女神リーベ』を酷く怖がることも、まだ幼いセアラでは上手く説明できないのだ。
そんなことを考えていたら、向かいに座っているリアラがおもむろに懐中時計を開き、驚くような反応を見せる。
「やだ! もうこんな時間! ごめんなさい……。実はこの後、王都の城下町にあるレストランで婚約者と会う約束をしているの……」
「あら、リアだって婚約者様とお熱い様子じゃない」
「ええ、そうよ。だって私と彼はあなたたちと違って、しっかり恋愛をしてから結婚に踏み切るのだもの。結婚してから恋愛をしているマリーたちとは違うのよ?」
「うっ……」
「ふふっ! 仕返しなんて考えるから返り討ちにされてしまうのよ? でも、本当にごめんなさい……。レストランの予約の時間が迫っているから、今日はこれで失礼するわね」
「気にしないで。またいつでも会えるし。それよりも! その学術論文、早く処分してね! 友人が反逆罪で投獄だなんて絶対に嫌だから!」
「はいはい。今日この考察論を婚約者に返す時にしっかりお願いしておくわ。それじゃ、また会いたくなったら手紙を頂戴ね」
「ええ。またね」
そう言ってテレーズに出口まで案内されていく友人を見送ったマリエルだが、どうしても先ほどの学術論文の内容が頭に引っかかる。
リアラではないが、女神リーベの伝承には王家にとって重大な秘密が隠されているのではないかと。
そしてそこには、過去に王家と並ぶほどの権力を持っていたアバローナ侯爵家の秘密も隠されている可能性もある。
その日、ずっとリアラから見せられた論文の内容が頭から離れなかったマリエルは、就寝前に夫のサイラスにもそのことを話してみた。
「なるほど……。リーベの髪の色が実は銀髪ではなかったという説があるのか。そして銀髪にされたのは、リーベの化身の悲劇から百年後に王家の都合で変えられたと」
「あくまでもその歴史学者の独自の見解ですが……」
「だが、そうなると『女神リーベ』の絵本の主人公は、完全に人が作り出した創作物ということになる。それなのにセアラは、あんなに怖がっているのか?」
「そうなんですよね……。しかもその怖がり方が『黒い人』である憑依者を怖がっている時と同じような反応なのも気になります」
そういって髪を梳かし終えたマリエルは、先に寝台に入って本を読んでいた夫の隣に滑り込む。
「私、どうしてかわからないのですが、ずっとセアラの言う『黒い人』が絵本の『黒の魔女』と同一人物だと思っていたんです……。だから憑依者は、もしかしたらリーベの化身を殺害した女性なんじゃないかって……。セアラがリーベの絵本を怖がるのは、この後に憑依者である『黒い人』に殺されてしまうリーべの化身が主人公のお話だから怯えているのかなって、なんとなく思っていて……」
「だが、その学者の考えから絵本のリーベは完全に人が作り上げた存在の可能性が出てきたため、セアラが不思議な感覚で絵本を怖がるのは、おかしいと君は思ったのか」
「はい……。もしセアラになにかを感じ取れる不思議な感覚があるなら、人が作り上げた絵本のリーベからは、女神の化身関連のことを連想することはできませんよね……」
「確かに。そもそもセアラは、リーべの絵本のどの部分に恐怖を感じているんだ?」
「わかりません……。確認しようにもリーベの名をだしただけで泣きそうな表情をするので……」
「仮に質問できたとしても、今のセアラでは幼すぎて自分がなにに恐怖しているのか上手く説明できない可能性があるな」
「はい……」
寝台で横並びの状態で二人そろって考え込んでいたら、ノック音と同時に寝室の扉が開かれる。
すると、クマのアベルを抱えたセアラが中に入ってきた。
「おとうしゃま、おかあしゃま、今日シェアラ、ここでおねむしてもいい?」
この二カ月間で『おとしゃま』と『おかしゃま』呼びを卒業したセアラだが、発音に関しては未だに特訓中である。
だが、歩き方や仕草などは、二カ月前とは比べ物にならないほど優美な動きができるようになっていた。
教育係のジョアンナの話では『お姫様ごっこ』と称してマナー教育をおこなったところ、セアラは信じられない速さで身につけていったらしい。
どうやら娘は形から入って物事を覚えるタイプのようだ。
だが、まだ甘え癖は健在である。
トテトテと寝台の前までやってきた娘をマリエルは抱き上げ、自分と夫の間に座らせた。
「あら? セアラはもうお姉さんだから一人で寝られるようになったって言ってなかった?」
「シェアラ、今日だけおねえしゃんやめたの。だから今日ここで、おねむしてもいい?」
「もちろん。でも今日はお姉さんじゃないなら、お母様セアラのことギュッとして寝てもいいかしら?」
「うん! いいよ!」
元気いっぱいの返事をしたセアラは、手にしていたクマのアベルを父親のほうへ押しやり、抱っこをせがむようにマリエルに向かって両手を上げた。
そんな娘をマリエルは抱きしめながら、巻き込むように寝台の上に寝転がる。
「今日のセアラは、お母様の抱き枕ね!」
「シェアラ、おかあしゃまの抱き枕、がんばる!」
「セアラ、いいのかい? このままではアベルが一人ぼっちになってしまうよ?」
「アベルね、おとうしゃまとおねむするっていってるよ?」
「…………」
娘からクマのぬいぐるみとの添い寝を言い渡されたサイラスが、なんともいえない複雑な表情をする。
そんな夫に苦笑しながら、マリエルは腕の中の娘をさらに深く抱きしめた。
恐らく憑依者の正体については、セアラの目にしか映らない部分に重要な鍵が隠されている。
だが、その詳細を四歳の娘は上手く言葉で説明できない。
それでも日々着実に成長しているので、説明できるようなる日は近いはずだ。
まずは娘の成長を見守ることにしよう。
そんなことを考えていたら、腕の中のセアラがウトウトしはじめた。
その娘の心地よい体温がマリエルの眠気を誘発させる。
いつの間にか規則正しい寝息を立てはじめた妻と娘に苦笑しながら、アベルを小脇に抱えたサイラスは二人に寝具を優しくかけてやった。





