55.二カ月間の変化
カルム男爵家が管理している小麦畑から戻ると、サイラスは王家にマリエルの豊穣の乙女の鑑定を依頼する手紙を送った。
すると、三日後に城内の大聖堂で対応可能だという返事があったため、二人はセアラがジョアンナの授業を受けている間に登城し鑑定をおこなった。
すると、マリエルの力の数値は『六十三』から『九十三』まで上がっていた。
これには鑑定をおこなった神官も驚いていた。
原因としては、やはり出産によって力の性質が変化した可能性が高いらしい。
神官からはセアラの鑑定もおこないたいと申し出があったが、現在の娘の年齢を伝えると、まだ力が安定していないため正確な数値がとれないと落胆された。
だが、マリエルのこの力の変化はメディウム侯爵家にとっては幸運だった。
実は小麦畑で検証実験をした際、なんとその両隣の村の農地まで祈りの効果が出ていた。
つまり現在のマリエルの豊穣の祈りは、広範囲で急速に作物の成長を促すことができるということだ。
そのことを知ったマリエルは、この五年間まったく豊穣の祈りをおこなわなかったことを償うように領内の農地を夫とともに二カ月間かけて、少しずつ周った。
すると、現状育てていた作物が例年よりも一カ月早く収穫できたのだ。
その状況は、次の作物を植えるまで田畑を休ませる期間が増えたことを意味する。
恐らく来年は、高品質の小麦や野菜が領内でたくさん収穫することができるだろう。
ちなみにこの五年間、マリエルが豊穣の祈りをおこなわなかったことに関しては、セアラを出産後に体調を崩していたということになっているらしい。
社交界でのマリエルの悪評は相変わらずのままだが、領民たちの間ではその話が浸透し、現在マリエルの悪妻説は鎮火傾向にあるそうだ。
マリエルに対する感謝の声も上がってきている。
たった二カ月で五年間も放置したことを償えたとは思っていないが、それでも領民たちから頼りにされはじめた状況は、マリエルの罪悪感をかなり軽減させた。
そんな領地貢献に力を注ぎはじめたマリエルは、日常生活でも侯爵夫人として動きだす。
この五年間、侯爵邸の管理は執事のオネストとメイド長のテレーズに任せきりだったが、本邸に戻ったことを機にマリエル自身も率先して取り組みはじめたのだ。
そんなマリエルの熱意に応えるように、オネストとテレーズは早く仕事のコツを掴めるよう協力してくれた。
マリエルと夫との関係も、この二カ月間でかなり変わってきた。
共同寝室になってから二人で話す時間が増えたからか、互いの距離が心身ともにかなり縮まったのだ。
ちなみに寝室に関しては、マリエルと交わした約束をサイラスは、きっちり二週間守ってくれた。
だが、それ以降の夫は新婚気分を大爆発させていた。
そんな奪われた五年間を必死で取り返そうとする夫に戸惑いながらも、なんとか応えていたマリエルだが、ある日セアラが一緒に寝たいと寝室を訪れてきたの機に、娘を寝室に招き入れるという防衛策を編みだす。
たまにその防衛策を発動させられた夫が、なんとも言えない表情を浮かべているが、娘は喜んでいるのでマリエルは率先してその防衛策をおこなっていた。
そんな遠慮のない態度がとれるようになったマリエルは、やっとサイラスと夫婦らしい関係を築くことができたことに安堵していた。
だが、またこの幸せな時間を憑依者が壊しにくるのではないかと身構えもしていた。
しかしこの二カ月間、憑依者が侯爵邸に現れることはなかった。
マリエルが自我を取り戻したてから三カ月間でカレン、ジョアンナ、デイジーに憑依し、最終的にはフジューム侯爵家が訓練した警備犬の体を乗っ取ってマリエルたちを襲撃してきた憑依者だが、この二カ月間はまるで消えてしまったかのように動きがない。
その状況に安堵してよいのか、それとも警戒しなくてはならないのか、マリエルとサイラスは判断しかねていた。
そんな中、マリエルのもとに親友のリアラから手紙が届く。
なんでも面白い物が手に入ったから、マリエルに見せたいとのことだった。
リアラとは和解後は、二週間に一度の頻度で侯爵邸に招いて二人でお茶をしている。
他の友人たちは憑依中に愛想をつかされ疎遠となったままだが、リアラとの友情が復活しただけでマリエルの心は大分救われている。
そんな貴重な友人を中庭のガゼボでもてなしていると、周囲を見渡したリアラがあっけにとられた様子で口を開く。
「改めて思うけれど……マリーは本当に侯爵夫人になったのね……」
「それ、どういう意味?」
「だって、初めて案内されたこの中庭、すごく立派じゃない」
「そ、そうかしら……。もう大分見慣れてしまったから、よくわからないけれど……」
すると、リアラが急に柔らかい笑みをマリエルに向けてきた。
「見慣れたということは、この侯爵邸はすっかりマリーにとって安心できる場所になったということね」
「安心できる場所?」
「だって今のマリーは、再会した直後の時と比べると、とても穏やかな顔つきになったもの」
「そ、そうなの? 逆に再会した直後の時の私って、どんな感じだった?」
「あの時は、なんだか周囲に期待することをすべて諦めているような感じだったわ。なんていうか……『全部自分で解決しないと!』みたいな張りつめた印象が強かったと思うわ」
親友の言い分に心当たりしかないマリエルは、気まずそうに視線を落とす。
あの時のマリエルは、再会した友人知人は全員自分のことを嫌っているという前提で接するようにしていたからだ。
はじめから相手に拒絶されると身構えておけば、深く傷つかないで済む。
メイド長のテレーズと義姉のフリーデは例外であったが、それ以外の父や兄、実家と侯爵邸の使用人たち、今ではすっかり良好な関係を築けている夫のサイラスでさえ、最初はマリエルに激しい怒りをぶつけてきた。
その度に傷ついたマリエルは、もう周囲に期待することをやめていた。
そんな中、すぐにマリエルの状況を察して態度を改めてくれたサイラスやリアラのような人間がいたことは、幸運としかいいようがない。
実際にマリエルの状況を説明されても受け入れられないと屋敷を去った使用人がいる。
それが普通の反応なのだ。
たとえどんな事情があったにせよ『マリエル』という人間に心的苦痛を与えられた記憶は、そう簡単には拭いさることはできない。
そんな中で以前のマリエルの人柄を信じて再び受け入れてくれたのが、サイラスに義姉のフリーデ、そして今目の前にいるリアラである。
それでも傷つくのが怖かったマリエルは、リアラに諦めという名の防衛線を無意識にはっていたらしい。
「私……あの時、そんなに余裕のない雰囲気だった?」
「ええ。だって友人としてやり直したいと言っているのに『もう交流をしたくなければ、遠慮なく断ってもいい』って、私に言ったのよ? あなたの性格をよく知っている私からすると、その発言ってものすごくマリーらしくなかったわ」
「だったら、どう言えば私らしいって感じられたの?」
「そうね……。例えば『私はどうしても友人としてやり直したいから、できれば断らないで』とか? 基本的にマリーは、守勢に立った物言いは昔からしなかったわ。だってあなたは、自分の中に揺るがない信念みたいなものを持っていたから……。だからあの時、その信念が折れてしまうほど、記憶を失くしてからたくさん傷ついたんだろうなと思って、すぐに招待に応じる返答をしたの……」
「リア……あなた、なんでそんなに私のことを深く理解してれているの?」
「何年あなたの親友をやっていると思っているの? 見くびらないで頂戴!」
そう言ってツンとそっぽを向く親友にマリエルが苦笑する。
すると、リアラが再び柔らかな笑みをマリエルに向けてきた。
「でも良かった……。今のマリーは、やっと安心できる場所をみつけたみたいで。その場所を維持するためには、セアラちゃんとサイラス様の存在は必要不可欠みたいだけれど」
「確かにセアラはそうだけれど……サイラス様は別に……」
「あら、でも先ほど本邸で挨拶した時、あなたたち夫妻はとても仲睦まじい様子だったじゃない。心なしか距離も近くなっているし」
「そ、それは今、関係ないでしょう!」
「私も来年結婚するから、仲睦まじい夫婦になれる秘訣をマリーから聞きたいわー。特に旦那様から愛されやすいアプローチの仕方とか」
「リア!」
マリエルが真っ赤な顔で抗議すると、リアラが扇子で口元を隠しながら笑い声を漏らす。
「マリーったら、もう子供まで産んでいるのに相変わらず恋愛関係の話題になると、すぐ顔が赤くなるのね」
「だ、だって私、実年齢は二十一歳でも中身はまだ十六歳のままなのよ!?」
「マリーの場合、あと五年経ってもこのままだと思うわー」
「さ、流石にそんなことは……」
「そういえば寝室はどうしているの? あれだけ仲が良いのだから、もちろん一緒よね?」
「リア!!」
「ふふっ! 冗談よ。そんなに怒らないで?」
全力でからかってくる親友に再びマリエルが抗議の声を上げる。
その反応がさらにリアラの笑いを誘ったようで面白くないマリエルは、すぐに別の話題を振る。
「そ、それよりも今日は、私に見せたい物があるんでしょう?」
「そうだったわ! マリーがあまりにもからかいやすい反応ばかりするから、すっかりそっちに気をとられてしまったわ」
聞き捨てならないことを口にした友人に目で不満を訴えていると、リアラは側に控えていたメイドから受け取った茶色い封筒をマリエルに手渡してきた。
「これ、前に話した女神リーベの研究をしている歴史学者の最新の考察論よ。前にマリーが興味あるような反応をしていたから、婚約者から借りてきたの。彼、すっかりその歴史学者と意気投合してしまって、今度は歴史学的観点を取り入れた推理小説を世に出したいって、その学者とお話を製作しているのよ。この論文もその参考資料の一つとして婚約者の手元にあったから、マリーにも読ませてあげようと思って借りてきちゃった」
「リア……あなた、読み物関連に対しては、本当に貪欲よね……」
「あら、マリーは興味ないの? 女神リーベが銀髪でなかったかもしれない話に」
「確かに興味はあるけれど……」
「やっぱり! 今回は資料用だから数ページしかないけれど良かったら今、読んでみて。かなり面白いことが書いてあるから」
「そ、それじゃ、少しだけ……」
好奇心に負けたマリエルは、受け取った封筒の中身を読みはじめる。
だが、半分くらいまで読み終えたところでその内容に驚き、思わずリアラの顔を見た。
「こ、これって……内容的にかなりまずいんじゃ……」
「そうね。もし歴史学者がこの学説を公表したら、確実に王家から危険分子とみなされる内容になるわね」
「ちょ、ちょっと、リア! なにをそんなのん気なことを……」
「でも、これはあくまでもこの歴史学者の想像の範囲でしかない考えよ。そして、彼はこの学説を発表する気は一切ない。想像するだけなら自由なはずよ?」
「でも紙に書き記している時点で危険行為じゃない……」
「婚約者と歴史学者も同じ考えで、読み終わったら燃やすつもりだったみたい。でも、面白い内容だったから、その前に少しだけ貸してもらったの!」
「もう、リアったら……心臓に悪いことをしないで?」
かなり大胆な行動をした親友を咎めながら、マリエルはもう一度リーベについて書かれた考察論に目を落とす。
そこには、リーベの化身と子をなした第一王子には実は婚約者がいて、それがアバローナ侯爵家の人間だったのではないかということが書かれていた。





