54.豊穣の祈り
十五分ほど馬車に揺られ目的地に到着したマリエルは、馬車から降りた途端、夫に顔を凝視された。
「泣いたのか?」
「……泣いてません」
「目が腫れているように見えるが?」
「泣いてません!」
そう言ってドスドスした足取りで小麦畑のほうに逃げていく妻に苦笑しながら、サイラスは後を追う。
「悪かった。だが、その分だとフリーデ殿とは色々と深い話ができたようだな」
「はい……。ご配慮いただき、ありがとうございました……」
「ふはっ! やはり泣いてたんじゃないか!」
「サイラス様は、たまにすごく意地悪になられる時がありますよね?」
赤い目で夫を睨みつけると、笑いを堪えた状態でフイっと視線を逸らされる。
そんなやり取りをしていると、男爵がこの村の村長らしき人物を連れてきた。
「サイラス様、この者が村のまとめ役になります」
「村長のホルスと申します。この度は、生育不良の小麦に豊穣の祈りでご対応いただけるとのことで、村を代表し感謝申し上げます」
「いや、こちらこそ迅速に対応できずにすまない。現状、成長に問題があるのは、この辺一帯の小麦畑で間違いないか?」
「はい。いつもなら開花がはじまっているのですが、今年はめっきりでして……」
「では早速、豊穣の祈りをはじめよう」
そういってチラリと夫に視線を向けられたマリエルが静かにうなずく。
すると、村長のホルスが不思議そうに首をひねる。
「あの侯爵様……大変不躾な質問をしてしまいますが、あちらの女性は一体どなたでございましょうか……」
「あー……っと、彼女は私の妻のマリエルだ。この五年間は産後の肥立ちが悪く休養していたのだが、最近やっと回復したので、今回から豊穣の祈りをおこなうことになった。今後ともよろしく頼む」
「あの方が奥様……。は、はい、よろしくお願いいたします……」
マリエルは、村長が一瞬だけ訝しげな表情を浮かべたことを見逃さなかった。
よく見ると、集まってきた村人たちも似たような表情をマリエルに向けてくる。
どうやら領民たちの間でも、この五年間のマリエルの悪妻ぶりは広まっているらしい。
だが、そのことをいちいち気にしていたら精神が持たないと開き直っているマリエルは、とりあえず全員に向かってニコリと微笑んでおいた。
すると、夫が深いため息をつきながら耳打ちしてくる。
「あまり村人を威嚇しないように」
「威嚇などしておりません……」
「まぁ、そういうことにしておこう。では……豊穣の祈りをはじめてもらえるか?」
「はい」
マリエルは小麦畑の目の前まで行くと、おもむろに靴を脱いだ。
その行動に村人だけでなく、サイラスと男爵もギョッとする。
「マリエル! 一体、何を――」
「申し訳ございません……。こうしないと私は地脈を上手く読みとれないんです」
マリエルの返答に集まっていた村人たちが、ヒソヒソと耳打ちをしはじめる。
確実に自分を非難する言葉が囁かれていると思いながらも、今は祈りに集中しようとマリエルは気持ちを切り替えた。
豊穣の乙女たちの祈りの捧げ方には、特に決まりはない。
各々で一番力を注ぎやすい独自の方法を編み出しておこなっている。
マリエルの場合は、まず素足になって両足を軽く開き、鎖骨の少し上あたりで両手を組む。
そして足裏に全神経を集中させ、力が注げる地脈の道筋を確認する。
地脈が確認できたら、組んだ両手に額をくっつけて祈りを捧げるスタイルだ。
今回も自領でおこなっていた時と同じ方法で地脈を確認する。
すると、一瞬で力を流すべき道筋のイメージがマリエルの脳裏に広がる。
どうやらこのメディウム領は、マリエルにとって地脈が読みやすい土地のようだ。
頭の中で木の枝のように広がった地脈のイメージを維持したまま、マリエルは深く息を吸い込み、血の巡りを感じながらゆっくりと息を吐く。
そして地脈に力を流し込むイメージをで祈りはじめた。
その間、マリエルには小麦畑を撫でつける風の音しか聞こえない。
人の気配や話し声、それ以外の音や気配の全てがマリエルの感覚から排除される。
それぐらい豊穣の祈りをおこなっている時は、過集中状態になるのだ。
祈りを捧げる時間は、大体五分から十分程度。
イメージした地脈全体に力を流し終わるまで続ける。
だが今回マリエルは、メディウム領の地脈があまりにも読みやすかったため、かなり広範囲を対象として捉えていた。
そのため、力を注ぐことに夢中になってしまう。
しかし五分もしないうちにその祈りは、両肩を大きく揺さぶられたことで中断させられた。
「マリエル!!」
呼びかけに驚いて目を開けると、目の前で焦った様子をみせる夫の顔があった。
「サイラス様……? どうされたのですか?」
「それはこっちのセリフだ! とりあえず周囲を見てくれ!」
「えっ? 周囲?」
マリエルは夫の背後に広がる小麦畑に目を向けた。
だが、その信じられない光景に愕然とする。
「う、嘘……どうして……?」
呆然としながらマリエルが見渡した先には、たわわに実った麦穂で覆いつくされた黄金の小麦畑が辺り一面に広がっていたのだ。
その予想外の展開に思わずマリエルが叫ぶ。
「サイラス様、大変です! このメディウム領の地質は、ちょっとおかしいです!」
「違う! おかしいのはこの土地ではなく君の力のほうだ!」
ものすごい勢いで否定されたマリエルが、物言いたげに夫をジッと見やる。
だが、サイラスのほうは妻の抗議の視線など気にも留めず、驚きの表情で周囲を見回していた。
「どういうことなんだ? 君は豊穣の祈りが苦手だと言っていなかったか?」
「そ、そのはずだったのですが……」
「だが、この結果を見ると、今の君の力は豊穣の巫女に匹敵するほどの強さじゃないか?」
「ですが、本当に私は豊穣の祈りは苦手で……。お、お義姉様なら、そのことをよくご存じですよね!?」
「ええ……。クラージュ領でマリーの祈りを何度か見たことはあるけれど、ここまで効果が出たことはなかったわ……。マリー、今回いつもとは違うと感じたことはなかった?」
「ええと……クラージュ領より地脈が読みやすかったことぐらいでしょうか」
「そう……。でも地脈が読みやすかったとしても、ここまで祈りの効果が出るなんてあり得ないわよね……」
二人で考え込んでいると、村長のホルスが遠慮がちに声をかけてきた。
「あ、あの……とりあえず、すぐに収穫にかからないとせっかく育った麦穂が……」
「た、確かに!」
すると、すぐにサイラスが動き出す。
「ホルス、我々のことは構わないから、すぐに村人総出で収穫の準備を! 男爵は私とともに周辺の村の田畑にも影響が出てないか確認をお願いしたい!」
「かしこましました!」
「マリエルは、フリーデ殿とともに先に男爵邸に戻ってくれ。今回の件は……あとで話し合おう」
「は、はい!」
夫の指示でマリエルが実家の馬車に戻ろうとした時、若手に指示を出し終えた村長のホルスが声をかけてきた。
「奥様……この度は、我が村の小麦の成長を助けていただき、ありがとうございます」
「き、気にしないで。むしろ、大変な状況を招いてしまって……その、ごめんなさい……」
「そ、そのようなことはございません! あのまま成長が遅れていたら、私どもの村の小麦は秋の収穫時期に成長が間に合いませんでした……。それに早く収穫できるのであれば、それに越したことはございません」
「そう思ってもらえるのならいいのだけれど……」
すると、ホルスが気まずそうな様子で、再度深々と頭を下げてきた。
「さ、先ほどは奥様に不躾な視線を向けてしまい、申し訳ございませんでした!」
ふと周囲を見渡すと目が合った村人たちが、すまなそうにマリエルに対して頭を下げてきた。
だが、この五年間のことを考えると、自分がそのような扱いを受けるのは仕方がないことだとマリエルは思ってしまう。
「そのことも気にしないで……。実際にこの五年間、私が豊穣の祈りをおこなっていなかったのは事実なのだから。ただ……それは私の意志ではなかったの。もちろん、夫の意志でもないわ。だから先ほどの『休養していた』ということにしてもらえると助かるわ……」
「かしこまりました。今後は村人たちにも、そのように認識させておきます」
「ありがとう……。それと今後は、私が定期的にこの領内の豊穣の祈りをおこなうから、そこは安心してね」
「はい! どうぞよろしくお願いいたします!」
そんな会話を交わしたマリエルは、フリーデが先に乗っている馬車に乗り込む。
すると、なぜか義姉はニヤニヤした笑みを向けてきた。
「流石、マリーね! この村の住人たちが抱くあなたへの不信感を一瞬で消し去ってしまったじゃない」
「た、たまたまです! それに……その結果をもたらした豊穣の力ですが、なぜここまで効果が出たのか、まったく見当がつきません……」
自分の変化に戸惑っていることを伝えると、心当たりがあるのかフリーデが押し黙る。
「それなんだけれど、もしかしたらセアラを出産したことが関係しているかも……」
「セアラを?」
「実は私たち豊穣の乙女は、出産を経験することで力の強さが変化することがあるの。恐らく出産で体質が少し変わるからだと思うんだけれど……」
「そうなのですか?」
「友人にも何人かいるわね。ただ中には力が弱まったという人もいるわ」
「弱まることもあるのですか!?」
「ええ。でも大抵は強くなったという人の割合のほうが多いわね。逆に弱まった人は、出産した娘さんが豊穣の巫女に選ばれることが多かったわ」
義姉の話からマリエルが、ある可能性を見出す。
「それは……妊娠期間中は親子間で豊穣の力を共有している状態になっているということでしょうか?」
「うーん、どうなのかしら? でもその流れで考えると、セアラはお腹の中にいる間にマリーに豊穣の力を奪われてしまったということになるけれど……」
「ええ!? そ、そんなぁ……」
「まだわからないわよ? もしかしたらセアラの力が強すぎて、妊娠期間中にあなたのほうへと漏れ出てしまったということも考えられるし」
「そ、それもそれで困ります……」
「あら? どうして? もし力が強かったら、セアラはその年の豊穣の巫女に選ばれるから将来安泰じゃない」
「ですが、王太子殿下の婚約者候補にされてしまうではありませんか!」
「そうね……。身分的には王族に嫁ぐには申し分ないし、セアラは容姿も整っているから、すでに王家が目をつけているかもしれないわね……」
義姉の予想を否定するようにマリエルが、勢いよく首を振る。
「や、やめてください! 王族の婚約者になど選ばれたら、セアラの純粋さが失われてしまいます! 娘は私が侯爵邸で伸び伸びとした環境で育てるんです!」
「マリー……侯爵家に生まれた時点でセアラを伸び伸びと育てるのは無理だと思うわよ?」
「確かに……」
ガックリと肩を落とすマリエルの様子にフリーデが苦笑する。
「まぁ、セアラの将来は二年後にならないとわからないわね。豊穣の乙女の鑑定で、どんな結果が出るかで変わってくると思うから。ただ三大侯爵家の血を引いている限り、王族の婚約者候補に挙げられてしまうことは覚悟はしておいたほうがいいわ……」
「はい……」
そんな会話をしながら男爵邸に戻ると、たくさんの玩具に囲まれているセアラがマリエルに気がつき、満面な笑みを浮かべながら駆け寄ってきた。
「おかしゃまー! おかえなしゃい!」
「セアラ、いい子で待っててくれた?」
「うん! シェアラ、いい子してた! あとねー、ルドくんといっぱいあそんだ!」
どうやらルドルフは人見知りとはいえ、年上という立場からセアラの面倒をよく見てくれたようだ。
セアラに手を引かれ、ルドルフのもとに向かったマリエルは床に座って玩具を手にしているルドルフに話しかける。
「ルドルフ君、セアラと遊んでくれてありがとう!」
「ぼ、ぼくも楽しかったから……」
「本当? じゃあ、またセアラと会う時があったら遊んでくれる?」
「……セアラちゃんと今度は、いつ会えるの?」
「えっと……」
社交辞令で口にした言葉だったが、予想外の返答をされたマリエルが困惑する。
どうやら人見知りのルドルフには、セアラのグイグイくる接し方が合っていたようだ。
この数時間で、すぐに仲良くなれたらしい。
だが、次回セアラとルドルフが会う機会があるとすれば、それは年に一回おこなわれるクラージュ家の親族の集まりの時になる。
あと一年近くも先になる状況を正直に伝えたら、ルドルフは落胆してしまうだろう。
そう思い返答を渋っているとフリーデが会話に入ってきた。
「ルド、今度お母様と一緒にセアラちゃんのお家に遊びに行きましょう? そうしたらすぐに会えるから」
「本当!? 叔母様! ぼく、セアラちゃんのお家に行ってもいいの!?」
瞳をキラキラさせながら質問してきたルドルフにマリエルがニッコリ返答する。
「ええ、もちろん! 叔母様たちが住んでいるお屋敷はお部屋がいっぱいあるから、今度お母様と一緒にお泊りしにきていいわよ」
「そ、それじゃあ……妹も一緒に遊びにいってもいい?」
「もちろん!」
すると、ルドルフの表情がパァーと明るくなる。
「お母様! フランも一緒でいいって!」
「良かったわねー。じゃあ、今度三人でセアラちゃんのお家に遊びにいきましょうね!」
「うん!」
すっかりセアラと従妹同士の交流を深めたからか、ルドルフは叔母のマリエルに対しても人見知りを克服してくれたようだ。
姉のお陰でセアラが実家の親族と交流を深められていることにマリエルは嬉しくなる。
フリーデも同じ気持ちなのか、すっかり打ち解けている子供たちに優しい眼差しを向けていた。
だがこの時のマリエルたちは、帰り際にルドルフが大泣きしてセアラにしがみつき、それを引き離すのに苦労させられるとは夢にも思っていなかった。





