53.戻れない実家
小麦畑にはカルム男爵が案内してくれるとのことで、二台の馬車に分かれて移動することになった。
サイラスと男爵がメディウム侯爵家の馬車で、マリエルとフリーデはクラージュ家の馬車に乗り込む。
護衛には侯爵家の騎士二名だけでなく、レスリーも同行させている。
現在彼女はマリエルたちの馬車の御者席に乗っているので、万が一襲撃を受けてもすぐに動ける状態だ。
残してきた子供たちは、セルヴィア夫人が様子をみてくれるそうだ。
子供たちの身の安全も子守としてクラムを残してきたので問題ないだろう。
セアラも初めて同じ年頃の子供と遊べることにはしゃいでいたので、両親が側にいなくても大丈夫なはずだ。
そのため今のマリエルは、義姉とゆっくり話ができる状態だ。
恐らくサイラスが、そのように配慮してくれたのだろう。
移動時間は片道十五分程度だが、それでも義姉とゆっくり話せる時間は、マリエルにとってありがたいものだった。
それはフリーデも同じのようで、馬車が動き出したと途端に話しかけられる。
「マリーは、いいわねー。旦那様が子育て上手で」
「そうなんです。それに引きかえ私はセアラを叱ったり、注意したりするのが苦手で……」
「仕方ないわよ。だってマリーの母親歴は、まだ三カ月でしょう? あなたは、これから少しずつ母親になっていけばいいの!」
「そう……ですね……」
義姉に同意してみたものの、約四年間も娘の成長を見守れなかったのはマリエルにとって辛い状況である。
そんな心境を察してくれたのか、フリーデが憐憫の眼差しを向けてきた。
「マリー、失った過去を悔やんでもあなたが苦しいだけよ。それよりもこれからたくさん見れるセアラの成長を楽しむことに専念しなさい。あなたは過去を振り返るよりも、未来を見るほうが得意でしょう?」
「確かに。過去を引きずるなんて私らしくないです!」
「そうそう。その意気よ! それにもしかしたらなにかの弾みで失った記憶が戻るかもしれないでしょう?」
義姉のその言葉にマリエルは複雑な気持ちになる。
「お義姉様……恐らくですが、私がその五年間の記憶を取り戻すことは、この先一生ないと思います」
「どうして? まだわからないでしょう? もしかしたら――」
だが、マリエルは静かに首を振った。
「実は……お義姉様の推察通り、私はこの五年間の記憶を最初から持っていなかったんです」
「えっ……?」
「詳細はお話できませんが、私はこの五年間、何者かに体を乗っ取られてました」
マリエルのその報告にフリーデが口を半開きにしたまま言葉を失う。
「や、やっぱりそうだったの!?」
「はい……。でもその憑りついた存在は、私とは一切接点がない人物のようです」
「どういいうこと?」
「人物は、何百年も前の時代を生きた人物のようで……」
「そ、それって亡霊とかの類じゃない! あの霊媒師たち……まさか偽物!?」
「い、いえ、そういうわけではないと思います! その……あまり詳しくお話できませんが、しかるべき機関の専門分野の方でも私の体が乗っ取られていることはわからなかったそうなので」
「しかるべき機関って……あなた、かなり厄介なことに巻き込まれていない?」
「はい。巻き込まれていると思います……。でも、今は一緒に考えてくれたり、相談できる相手がいるので大丈夫です」
「それって……サイラス様のこと?」
「ええと……はい」
マリエルが気恥ずかしそうに手元に視線を落とすと、フリーデが手を重ねてきた。
「良かったわね。マリーのことを一番理解してくる人が旦那様で……」
「……はい」
穏やかな表情で返事をした義妹にフリーデが嬉しそうに目を細める。
「どうやらあなたたちは、私の予想を遥かに上回るくらい上手くやれているみたいね。これで私もやっと安心でできるわ!」
「今までご心配をおかけして申し訳ございませんでした……」
マリエルが苦笑まじりに謝罪すると、フリーデも同じような笑みを返してきた。
恐らく義姉は、この三カ月間ずっとマリエルのことを気にかけてくれていたのだろう。
「一番心配してくれていたお義姉様に報告が遅くなってしまって、本当にごめんなさい……」
「いいのよ。あなたもこの三カ月間は、連絡ができないくらい立て込んでいたのでしょう? でも申し訳ない気持ちがあるのなら……一つだけ私のお願いをきいてもらえないかしら?」
「お願い? なんでしょうか?」
すると、なぜかフリーデは気持ちを落ち着かせるように大きく息を吸った。
「もう一度、クラージュ家でお義父様とシオンと話し合ってほしいの……」
その瞬間、マリエルはわかりやすいくらいに肩を強張らせる。
「それは……」
「ごめんなさい! やっぱり無理よね……。だってシオンは、かなりあなたを傷つけることを口にしたみたいだから」
「なぜ……そう思われたのですか?」
「私が思ったんじゃないわ。シオン本人から聞いたの。あの人、あなたが帰ってから、ずっとそのことを後悔していて……。もう一度、マリーに会ってちゃんと謝りたいって何度もよく口にするの……」
「そ、そんな! お兄様はまったく悪くないのに……」
「あなたはそう思ってくれているのね……。でもね、シオンはそうは思っていないの。あなたをとても深く傷つけてしまったから……。だからね、もしあなたは平気なら、一度クラージュ家に戻ってきてほしいの。夫もだけれど、お義父様もあの時のことで、かなりふさぎ込んでいるから……」
「…………」
義姉の話で、あの日誓ったマリエルの決心が一瞬だけ揺らぐ。
それでも……もう二度と実家には足を踏み入れないと自分は決めたのだ。
父や兄を責めるという意味ではなく、、自分を戒めるために。
「ごめんなさい……。実家は無理です。でも……中庭でお話をするのであれば可能です」
「ど、どうして中庭でなの!?」
「私には、もうあの家に足を踏み入れる資格がないので……」
「それは違うわ! だってあなたは、この五年間は何者かに憑りつかれていたといっていたじゃない! だからこれまでのことはあなたの責任じゃ――」
「無理です! あの家には、お母様との思い出が多すぎて私が中に入れないんです!」
言葉を遮るようにマリエルが叫ぶと、フリーデが憐れむような表情をマリエルに向けてきた。
「この間のお父様やお兄様のことは関係ありません……。これは私の心の問題なんです。私が自分を許せない限り、実家には足を踏み入れることはできないんです……」
「マリー……」
マリエルがギュッとドレスの裾を握りしめてうつむくと、なにかがフワリと体を包み込んできた。
「私のほうこそ、ごめんなさい。とても辛いお願いをしてしまったわ……。そうよね……。だって、あなたにとっては、まだお義母様を亡くして三カ月しか経っていない状態だものね……」
義姉のその言葉にマリエルが、大きく肩を震わせる。
なるべく思い出さないようにはしているが、ふとした瞬間に母の記憶がよみがえると今でも涙が止まらなくなってしまうのだ。
だが現状では母が亡くなって、すでに三年が経過している。
マリエルだけが、現実の時間の流れから五年も取り残されているのだ。
その周囲との感覚の違いに時々、やるせない気持ちになってしまう。
それでもフリーデは、マリエルに実家へ帰ってきてほしいと訴えてくる。
「でもね、いつかあの家には帰ってきてほしい……。あそこは、あなたの家なの。あなたが家族と大切な時間を過ごした場所なの!」
「お義姉様……」
「いつか、自分が許せるようになったら必ず帰ってきてね……。私だけでなく、お義父様やシオンも……ずっとあなたのことを待っているから」
「はい……」
義姉に抱きしめられながら頭を撫でられたマリエルは、ポロポロと涙が止まらなくなる。
いつもセアラが自分に泣きついてくる時は、きっとこんな気持ちの時なのだろう。
この時なぜか、そんなことを考えてしまったマリエルは甘えるようにフリーデの体に腕を回す。
母を亡くした自分では、もう味わうことなどできないと思っていた安心感。
それを義姉という頼もしい存在が再び与えてくれたことにマリエルは、心の底から感謝した。





