52.義姉と甥
翌日、実家のクラージュ家からフリーデの協力は可能だという返事が、すぐに届いた。
前回とは違い、父親の対応が早かったことにマリエルは少しだけ複雑な気持ちになる。
それだけ三カ月前はマリエルの帰省を受け入れるかで、父と兄は葛藤したのだろう。
だが今回はマリエルの状態を把握しているからか、すんなりと受け入れてくれたようだ。
現在、豊穣の祈りをおこなう農村地に向かっているマリエルは、義姉と会える嬉しさの反面、今後の実家との距離の取り方を考えてしまい、憂鬱な気持ちになる。
そんな母の心境を知らないセアラは、初めて見る馬車からの風景に大興奮していた。
「おかしゃま、みて! ウシしゃん、たくさんいるの! あっ! ヒツジしゃんもいる! どうぶつしゃん、たくさん!」
馬車の窓に張りつき、大はしゃぎする娘の様子にサイラスが苦笑する。
「セアラ。今からそんなにはしゃいでたら、すぐに疲れてしまうよ?」
「シェアラ、はしゃいでないよ? だいこうふんしてるだけ!」
「その状態をはしゃいでいると言うんだが……」
「セアラは、まだ『はしゃぐ』という言葉の意味がわかっていないみたいですね……」
娘の言い分に落胆する夫にマリエルが苦笑する。
本日は護衛として騎士二名とともにクラムも馬で同行させている。
そして御者の隣には、マリエルとセアラの世話係としてレスリーにもきてもらった。
サイラス曰く、「王家が我々を監視するというのなら、護衛として徹底的に利用する」とのことだ。
ちなみにフリーデとは、田畑を管理している男爵家で落ち合うことになっている。
もしかしたらサイラスは、実家に協力の打診をした際、マリエルが同行することは伝えていないのかもしれない。
そうでなければ、あの兄がすんなりと義姉の協力を承諾するはずなどない。
そう考えた瞬間、マリエルは激しい怒りをぶつけてきた兄の様子を思い出してしまう。
だが今思い返すと、あの時の兄は怒りではなく、妹に裏切られた悲しみを訴えていたのかもしれない。
涙目で睨みつけてきた兄の顔と、過呼吸を起こした時に見せた青ざめた兄の顔が同時に脳裏によみがえる。
父とは拭え切れないわだかまりがあるが、偶然どこかで出会っても会話はできると思う。
だが兄の場合、それは難しいとマリエルは思っている。
今後は社交場で兄と顔を合わせても赤の他人としてやりすごすしかないだろう。
そう思うと、胸がズキリと痛んだ。
すると、先ほどまで窓の外を眺めていたセアラが、心配そうにマリエルの顔をのぞき込んできた。
「おかしゃま、元気ない? シェアラと一緒にお外みたら元気になるよ?」
「ふふっ! そうね。じゃあ、お母様もお外を見ようかな」
「うん! ほら、ウシしゃんとヒツジしゃんいっぱいよ! あとねー、キラキラの葉っぱも、いっぱいなの!」
娘に促されて窓の外に目を向けると、確かに成長中の小麦がさわさわと風に揺られ、キラキラと輝いている。
だが、その小麦の成長には少し問題があった。
通常であれば小麦の先端が開花し、立派な麦の穂が実りはじめている時期なのだが、目の前の小麦は、まだそこまで成長を遂げていない。
シュルトの資料によると、昨年はこの時期にすでに開花がはじまっていた。
だが、今年はなんらかの原因で成長速度が少し遅れているようだ。
「確かに成長が遅れているようですね……」
「わかるのか?」
「はい。自領にも小麦畑があったので。義姉が嫁いでくる前までは私が豊穣の祈りをおこなっておりました。ですが、私はあまり上手く力を使いこなせませんでしたが……」
「あれだけ力の数値が高かったのに?」
「豊穣の祈りは、その土地の地脈を読みながら力を流すのですが、私は実家のクラージュ領の土地とは相性が悪かったようで、上手く地脈が読めなかったんです……。逆に義姉は相性が良く、読みやすいそうです」
「なるほど。能力が高くても、土の性質によっては上手く力を発動できないのか……」
「今回は私とメディウム侯爵領の相性を確認したかったのが一番の目的です。もし相性が悪くても、義姉が一緒ならフォローをしてもらえると思い、協力依頼をお願いしました」
そんな話をしていると、馬車が大きく揺れた。
隣に座っている娘が転げ落ちないようにマリエルが慌てて支える。
すると馬車が大きく旋回し、窓の外の雰囲気が少しだけ変わった。
「おかしゃま! おうち!」
娘とともに窓の外に視線を向けると子爵邸くらいの屋敷が目に入る。
「ここ一帯の管理を任せているセルド男爵家の屋敷だ。今回はフリーデ殿との待ち合わせ場所に使わせてもらっている」
夫の説明を聞きながら屋敷の前に目を向けると、見慣れた紋章の馬車が止まっていた。
どうやら義姉は、すでに到着しているようだ。
停車後、夫にエスコートされながら馬車を降りると、五十代前後くらいの男爵夫妻が笑顔で三人を出迎えてくれた。
「サイラス様、ようこそお越しくださいました」
「急な視察依頼に対応していただき、感謝する」
「いえ、こちらこそ豊穣の祈りをしていただけるとのことで大変助かります」
サイラスとの挨拶が済んだ男爵が、今度はマリエルたちへと向き直る。
「奥様とお嬢様にはお初にお目にかかりますね。私はここ一帯の管理を任されているカルムと申します。こちらは妻のセルヴィアです」
マリエルの悪評を知らないのか、男爵夫妻はにこやかに対応してくれた。
そのことでマリエルの緊張も少しほぐれる。
「急な申し出にご対応していただき、ありがとうございます。妻のマリエルと申します。こちらは娘のセアラです。本日はお世話になります」
マリエルが軽めのカーテシーをしながら挨拶をすると、セアラも真似をしてワンピースの裾をつまみ、ちょこんと膝を折る。
その様子を目にした男爵夫人が口元をほころばせた。
「可愛らしいお嬢様ですね。おいくつですか?」
「シェアラ、よんさいなの!」
「でもはもう立派なレディーね」
「シェアラ、レデーなの!」
まったく物怖じしないセアラが早くも男爵夫人の心を掴みにかかる。
そんな微笑ましい光景にマリエルが癒されていると、夫が案内を促すように男爵に声をかけた。
「フリーデ殿は、もうお見えか?」
「はい。サロンでお待ちいただいております。ご案内いたしますので、こちらへどうぞ」
男爵夫妻に案内されながらサロンに向かうと、フリーデがマリエルたちに気づき長椅子から立ち上がった。
「マリー!」
「フリーデお義姉様! ご無沙汰しております」
「本当よ! あなた、あれから三カ月もなんの音沙汰がないんですもの……。もう少ししたら押しかけるところだったわ」
「申し訳ございません。色々と立て込んでおりまして……」
そう答えつつも、マリエルは義姉の隣から飛んでくる視線が気になっていた。
そんなマリエルの反応に気づいたフリーデは苦笑する。
「この子は息子のルドルフよ。今日、セアラも来ると聞いたから連れてきたの。ほらルド、マリエル叔母様にご挨拶して?」
「は、はじめまして。ルドルフ・クラージュです……」
そういってルドルフは、フリーデの袖を掴んで背後に隠れてしまう。
「この子、少し人見知りなのよ……。でもすぐに慣れるから」
「そうなんですね……。ほら、セアラ。従兄のルドルフくんよ」
「セアラ、私とルドルフのこと、覚えている?」
「シェアラ、おぼえてないの……。ごめんしゃい……」
両手でスカート部分を握りしめ、申し訳なさそうにするセアラにフリーデの口元が緩む。
「いいのよ。だって前に会った時は、セアラはまだ小さかったし。私はフリーデ。お母様のお義姉様よ」
「おかしゃまのおねしゃま? おかしゃま、おねしゃまいたの!?」
「ええと、正確には少し違うのだけれど……。うん、そうね。この人はお母様のお義姉様!」
「しゅごい! おかしゃま、おねしゃま、いた!」
なにが凄いのかよくわからないが、姉妹という概念は絵本などから学んだようで、一応セアラは理解しているようだ。
そんなセアラはトテトテとルドルフに歩み寄る。
「シェアラなの!」
「シェアラちゃん?」
「違うの、シェアラなの!」
「えっ……?」
以前のフェニアの時と同じやり取りがはじまったため、マリエルが慌てて間に入る。
「ごめんね、ルドルフ君。この子の名前は『セアラ』。まだ上手く自分の名前が言えないの……」
「セアラちゃん?」
「そうなの! シェアラなの!」
「ぼ、ぼく……ルドルフ」
「……ルドくん! ルドくん、シェアラのおにしゃま?」
「おにしゃま……? えっと、お兄様ってこと?」
「うん!」
「そ、そうかな。ぼく、六歳だから君より年上かも」
「おにしゃま! おかしゃま、シェアラにもおにしゃま、いた!」
「そ、そうね……。年上の従兄だから、まぁ間違っていない……かしら」
まだ四歳の娘に親族関係が上手く説明ができないマリエルが困惑していると、隣の夫が白い目を向けてきた。
「あとで面倒なことになるから、今しっかり教えておいた方がいいと思うぞ?」
「で、ですが、どう説明すれば!?」
すると、サイラスがセアラとルドルフに視線を合わせるように膝を折る。
「セアラ、ルドルフ君は親戚のお兄様だよ」
「しんせきって、なぁーに?」
「セアラは、まだ知らなくてもいい言葉だね」
「そっかー、シェアラはまだ知らなくもいい言葉かー……。でもルドくん、シェアラのおにしゃまよね?」
「本当のお兄様じゃないよ。ちょっとだけ本当のお兄様だ」
「ちょっとだけ……」
父親の説明が理解できず、セアラが眉間に皺を寄せて考え込む。
だが、その思考はすぐに終了を迎えた。
「シェアラ、よくわかんないから、ルドくんはおともだちにする!」
「そうだね。お友達のお兄様ってことにしなさい」
「おとしゃま! シェアラ、しゅごいの! おともだちとおにしゃま、どっともできた!」
「うん。よかったね」
そんな父と娘のやりとりを見たマリエルとフリーデが苦笑する。
間違ってはいないが、かなり適当に流した対応だ。
「サイラス様……今のは説明はちょっと……」
「間違ったことは何一つ教えていないし、本人が納得すればそれでいい。ちゃんと教えるのは、もう少し理解できる年齢になってからで十分だ」
あまりにも合理的すぎる夫の教育方針にマリエルは唖然とするしかなかった。
対してセアラは『まだ知らなくてもいい言葉』という対応に慣れきっているのか、『親戚』という言葉に興味をなくし、ルドルフを遊びに誘っている。
セアラの初対面の相手でもまったく物怖じしないところは、母であるマリエルでさえ感心してしまう。
すると、フリーデがポツリと愚痴をこぼす。
「セアラは、人見知りしなくていいわね。うちのルドも少しは見習ってくれないかしら……」
「ですが、騙されやすそうで心配です……」
「それは大丈夫ではないかしら。だってあの子には、あなたとサイラス様の血が流れているでしょう? 騙されそうになっても、すぐに気づいて相手を言い負かしちゃいそうよ?」
「…………」
自分たちの性格を考えると否定ができず、マリエルが押し黙る。
すると、サイラスが男爵に軽く目配せをしたあと子供たちに話しかけた。
「セアラ、実はお父様はセアラにお願いしたいことがあるんだけれど聞いてくれるかい?」
「なぁーに?」
「お父様とお母様は、これからちょっとだけフリーデ伯母様と一緒に行かなければならない場所があるんだ。でもそこは子供はいけないところだから、セアラはここでルドルフ君とお留守番をしててほしいんだけれど……お願いできるかな?」
すると、セアラの表情が一瞬で暗くなる。
「シェアラ、いっしょじゃダメなの……?」
「うん。そこは子供が行くと危ない場所なんだ」
「でもシェアラ、おいてかれるの、やーんなの……」
「もしお留守番してくれたら、あそこにいるお父様のお友達のおじさんが二人に美味しいケーキを用意してくれるんだけどなー」
「ケーキ!?」
「あと、たくさん玩具があるお部屋にも案内してくれるって言ってたなー」
「おもちゃ!」
「クラムも一緒に残って遊んでくれるって言ってたなー」
「クラム、ブーンやってくれる!? シェアラ、あれ好き!」
「うん。もしいい子でお留守番してくれるなら、お父様が頼んでおくよ」
「シェアラ、いい子でルドくんとおるしゅばんする!」
どうやら豊穣の祈りをする田畑には、セアラたちは連れて行かないらしい。
その辺りの話は、すでに男爵と段取りをつけていたようだ。
まんまと父親にほだされる娘にマリエルが、なんともいえない視線を送る。
「セアラはいい子だね」
「シェアラ、いい子!」
「それじゃ、ルドルフ君。申し訳ないのだけれど、うちの子の面倒を頼んでもいいかな?」
「うん。いいよ……」
「ありがとう」
柔らかな笑みを浮かべながら上手く子供たちを言いくるめた夫だが振り返った瞬間、いつもの真顔に戻っていた。
「子供たちも留守番に承諾してくれたし、我々も今から祈りが必要な田畑に向かおう」
あまりにも変わり身の早い夫に妻のマリエルだけでなく、その場にいた大人全員が唖然としたまま、ゆっくりとうなずいた。





