51.執事見習いからの謝罪
マリエルが寝台から起き上がれるようになってから三日後――。
サイラスの部屋のすぐ近くにマリエルの新しい部屋が整えられた。
部屋に入って右隣の部屋は衣裳部屋、そして左隣の部屋が寝室となっている。
だが、ここで問題なのが寝室をサイラスと共同にされてしまったことだ。
事実上、サイラスとは結婚五年目で子供まで儲けているマリエルだが、その期間は憑依されていたので記憶が一切ない。
そのため中身は、男性経験どころか兄以外と踊ったことがないという初々しい十六歳の乙女のままなのだ。
そんな状態で家族以外の男性といきなり寝台をともにするのは、かなり抵抗があった。
整えられた新しい部屋を夫に案内されていたマリエルは、真っ先に寝室について要望をだす。
「サ、サイラス様! その……寝室についてご相談が……」
「寝室は私と共同になる」
「そ、そのようですね……。ですが、私の心は、まだ婚約時代の十六歳のうら若き乙女のままなので……」
「そうだったな」
「ダ、ダンスの練習でもあれだけ大騒ぎをしていたので、流石にいきなり殿方と寝台をともにするというのは……」
「私は夫だが?」
「私の中では、まだ婚約者になったばかりという状態なのですが……」
すると、サイラスが心底呆れるような表情を向けてきた。
「この三カ月間、婚約期間以上に互いの内面を知れた状況だったのに婚約者になったばかりというのは、おかしいだろう……」
「うっ……」
「そんなに身構えなくてもいい。私は一応、君にはある程度の配慮はするつもりだ」
「そ、それでは――」
「最低でも二週間は、君に夫婦的な行為は求めないと約束しよう」
「二週間後は、どうなるのですか……?」
「それは私の理性次第だ」
「…………」
どうやら寝室に関しては、マリエルの要望は受け入れてもらえないようだ。
恨めしそうな視線を夫に向けると苦笑を返される。
「こちらとしては二週間も猶予を与えているのだから、かなり譲歩しているぞ?」
「それは……ご配慮いただき、ありがとうございます……」
感謝の言葉を言いつつも、まったく納得していない様子を見せる妻にサイラスが口元を抑えて笑いを堪える。
すると隣の衣装部屋の扉が開き、セアラが部屋に入ってきた。
「おかしゃまのお洋服部屋、すごくかわいいのー!」
「本当? お母様、まだお洋服部屋は見ていないの」
「じゃあ、シェアラがつれてってあげるー」
娘に手を引かれ、衣裳部屋に移動しようとすると廊下側の扉がノックされた。
マリエルが入室を許可すると、沈痛な面持ちをしたシュルトが部屋に入ってきた。
すると、サイラスが不快そうに片眉を上げる。
「お取込み中のところ、失礼いたします……」
「まったくだ」
「旦那様には、申し上げておりません」
開口早々に喧嘩腰な状態になっている夫と執事見習いの様子にマリエルが笑いを堪える。
どうやらシュルトは、サイラスからマリエルの返答結果を先延ばしにされていたようだ。
それでもここまで主に強く言い返せるのは、二人が兄弟のように育ってきたからだろう。
二人きりの時は、かなり砕けた口調で会話をしていそうだ。
「奥様……先日は状況もよく把握していない身で、奥様に失礼な暴言を吐いてしまい、大変申し訳ございませんでした……」
「気にしないで。あなたは私のせいで動けなかったサイラス様の代わりに、何度も長期に渡って領内の視察をしてくれていたのでしょう? こちらこそ、迷惑をかけてしまって、ごめんなさい……」
「奥様が謝れられることなど何一つございません!」
「それに……あなたがあれだけ私に怒りをぶつけてきたのは、サイラス様のことを思ってのことでしょう? だから、そんなに気に病まないで」
「ですが……この三カ月間、奥様も大変お辛い思いをされていたと、改めて旦那様から詳細を伺いました。それなのに私は、あんな酷い言葉と奥様の不安を煽るようなことを……本当に申し訳ございませんでした!!」
かなり思いつめた様子でシュルトが勢いよく頭を下げると、セアラが目を丸くする。
「私は奥様から信用を失った身です。もし奥様のお心に負担になるようでしたら、私はこのまま領内視察業務に徹しようと思っております……」
「それは困るわ! セアラが大人になった時、この屋敷を任せられる執事がいなくなってしまうじゃない。オネストだって、もういい歳なんだから休ませてあげたいし……。もし私に謝罪の気持ちを示したいのであれば、あなたは将来的に執事としてメディウム侯爵家に忠義を尽くしてちょうだい」
「奥様……」
マリエルの言葉にシュルトが両手を胸に当てながら、感謝のこもった眼差しを向ける。
そんな彼にマリエルは柔らかい笑みを返した。
「でもね……。あの時、私はどうしてもあなたに言っておきたかった言葉があったの……。今さらで申し訳ないのだけれど……今、それを伝えてもいいかしら?」
「はい。なんでございましょうか」
すると、マリエルは口の端を意地悪く上げ、挑発するような笑みをシュルトに向ける。
「これは私とサイラス様の問題であって、あなたに口出しされる筋合いはないわ」
その瞬間、シュルトが喉を詰まらせるように息をのむ。
「ごめんなさいね。私、もともとこういうキツイ性格なの。だから、あの時のあなたの言葉からは、あまりダメージを受けていないのよ。むしろ今後、自分がどうするべきか考えさせられるきっかけになったというか……。そんな感じだから、あなたもあまり気に病まないでね」
「……はい。お気遣い、痛み入ります……」
正論をぶつけられたのが堪えたのか、あるいはマリエルにまったく相手にされず小者扱いされたことに傷ついたのか、シュルトがうなだれる。
すると、その様子を見ていたサイラスが呆れながらシュルトに声をかける。
「だから言ったじゃないか……。謝罪しても妻に返り討ちにされるだけだと」
「それでも奥様には、謝罪の言葉と後悔している気持ちをお伝えしたかったのです!」
「まぁ、一応、許してもらえたのだから良かったな」
「……はい」
そんな大人たちのやり取りを目にしていたセアラが、ムッと眉間に皺を寄せた。
「シュート、おかしゃまにいじわるしたの!?」
「えっ!?」
「おかしゃまにあやまってたでしょ! シュート、おかしゃまにわるいことしたの!?」
「ええと、その……」
両手を腰に当て、仁王立ちするセアラに問い詰められたシュルトが目を泳がせる。
すると、すかさずマリエルが二人の間に入った。
「大丈夫よ、セアラ。確かにシュルトは、お母様にちょ~っとだけ意地悪なことを言ってきたけれど、お母様は強いから、ちっとも悲しくなかったから」
「お、奥様!?」
まさかのマリエルの追い打ちにシュルトが激しく動揺する。
一方、セアラは母のその言葉に両手に握り拳を作ってシュルトの前に立ちはだかった。
「シュート、おかしゃまにいじわるした……。ダメな子!」
「お嬢様……」
「シュート、シェアラがいいっていうまで、おかしゃまに近づいちゃダメ!」
「そ、そんなぁ……」
セアラに怒られ、涙目になっている成人男性にマリエルが白い目を向ける。
「サイラス様……なんとなく予想はしていたのですが、もしやシュルトはセアラのことをかなり可愛がっていましたか?」
「ああ……。すぐ甘やかそうとするので、一時期テレーズから接近禁止令を出されていた。あいつは、昔から小さくて可愛い生き物が大好きなんだ。一応、セアラには懐かれてはいるようだが、見ての通り格下扱いされている……」
「見た目は優秀そうなのに……シュルトは、かなり残念なタイプなのですね……」
「まぁ、仕事面では確かに優秀なので、そこだけは買っている」
四歳児幼女にそっぽをむかれ、膝をついて謝罪する夫より一つ年上の成人男性にマリエルが憐憫の眼差しを向ける。
すると、今度はその状況を見かねたサイラスが二人の間に入った。
「セアラ、シュルトはちゃんとお母様にごめんなさいをしたよ。お母様もシュルトのことは許しているから、そんなに怒らなくてもいいんじゃないかな?」
「旦那様……」
助け舟をだしてくれた主にシュルトが縋るような視線を向ける。
一方、セアラは納得できない様子である。
「でも……シュート、おかしゃまにいじわるした……」
「そうだね……。だから罰としてお母様だけじゃなく、セアラにも一週間近づいちゃダメって罰にしたらどうかな?」
「だ、旦那様っ!?」
「いっしゅうかんって、どのくらい?」
セアラが両手で数えはじめたので、サイラスが自分の手で指を七本折った状態を見せる。
「一週間は、指七本分の日にちだよ」
「いっしゅうかんは、おゆび七本ぶん! シェアラ、いっしゅうかん、わかった!」
「うん。セアラは賢いね」
「えへへ~」
すっかり機嫌が直ったセアラだが、シュルトに向き直るとキッと眉間に皺を寄せる。
そしてビシリと指さした。
「シュート! いっしゅうかん、シェアラとおかしゃまに近づいちゃダメ!」
「そ、そんな……さっきより罰則内容が増えているではありませんか……」
「だが、期限付きにはしてやったぞ?」
「軽減された気がしません……」
床に両膝をついてうなだれる側近を慰めるようにサイラスが軽く肩を叩く。
だが、口元には意地の悪い笑みを浮かべていた。
「今回はしっかり領地視察をおこなっていたことと、私のためにと暴走してしまったこと、なによりもマリエルの許しがあったので、これくらいで大目に見てやる。だが、次はないからな。私に対しては砕けた接し方は許すが、妻には使用人としての立場をわきまえて接するように!」
「はい……。肝に銘じておきます……」
自分よりも四つも年上の男性が夫に説教されている様子を何ともいえない気持ちで眺めていたマリエルだったが、夫の『領地視察』という言葉で、あることを思い出す。
「そういえばシュルトに聞きたいのだけれど……今回の視察で豊穣の祈りが必要な場所はあった?」
「はい。いくつかございました。まだそこまで深刻な状況には陥っておりませんが……」
「その中でここから一番近い場所はどこ?」
「そうですね……一番近いのは、ここから東にある農村の田畑でしょうか」
すると、マリエルは今度はサイラスに視線を向ける。
「サイラス様、もしよろしければその地域の豊穣の祈りを私にお任せいただけないでしょうか?」
「そういえば……私はまだ一度も君の豊穣の祈りを目にしたことがなかったな……。わかった、君に任せよう」
「ありがとうございます。それで……もう一つお願いがあるのですが……」
「なんだ?」
「その際、義姉のフリーデにも同行してもらえるようクラージュ家にかけ合っていただけないでしょうか……」
マリエルが遠慮がちに頼むと、一瞬だけサイラスが驚くような顔をする。
だが、それはすぐにマリエルを憐れむような笑みへと変わった。
「わかった……。必ずフリーデ殿に協力していただけるようお父上に交渉する」
「あ、ありがとうございます!」
「とりあえず決行日は一週間後に予定しているとフリーデ殿に打診するが……君のほうの予定は大丈夫か?」
「はい。問題ありません」
「では、それでクラージュ家に手紙を出そう。シュルト、その地域の資料を今回の視察で得た情報を追記した状態で用意してくれ」
「かしこまりました」
主の指示ですぐに動き出すシュルトだが、突然セアラに行く手を阻まれる。
「ダメェェェー! シュート、おかしゃまに近づかない!」
「……はい。気をつけます……」
必死で母親をガードするセアラだったが、自分に対しても接近禁止令を出していることは、すっかり忘れているようだ。
そんな少し抜けている娘の様子にマリエルとサイラスは、互いに顔を見合わせたあと苦笑した。





