50.夫の気持ち
「そ、それはどういうことですか!?」
「そんなの私のほうが聞きたい……。だが、なぜドロシーがそういう行動にでたのかは心当たりがある。恐らく彼女は、どこかで君がその方法で成功したことを耳にし、私にも媚薬や睡眠薬が効くと思ってしまったんだろう……」
その話にマリエルの顔から一気に血の気が引く。
「も、申し訳ございません!! 憑依されていたとはいえ、私のせいでサイラス様がまた女性に……」
「待ってくれ。勝手に被害者にしないでくれないか?」
「えっ?」
「私は襲われてなどいない。そもそもドロシーが使った薬は一切効かなかったんだ」
「ええっ!? ど、どうして!?」
「私は爵位的に幼い頃から、神経系に異常をきたす薬物の耐性をつける訓練を受けている。だからドロシーが使った市場に出回っている薬など一切効かない。だが、君がその方法で成功したことを知った彼女は、試そうと思ったのだろう。そして偶然を装って私と同じ夜会に参加し、私の飲み物に薬を盛って気分が悪いと私をゲストルームに誘い込もうとしたんだ。まさか従妹からもそんな仕打ちを受けるとは思わなかった私は、その場で彼女に絶縁を言い渡した……」
あまりにも酷い話にマリエルが唖然としたまま固まる。
「大体、私はその時はすでに君と婚約をしていて、しかも婚前交渉済みだったんだぞ? それで同じ手口で私を襲おうとするなんて……彼女の神経を疑う」
忌々しそうにそう吐き捨てた夫にマリエルが憐憫の眼差しを向ける。
「それでドロシー様は、サイラス様にとって『話題に上げたくない人物』になってしまわれたんですね……」
「ああ。だが、このことが世間に広まれば母の生家の醜聞になる。ドロシーがしようとしたことは、けして許せないが……母が悲しむと思い、父とともに伯父のクリシス伯爵に相談後、彼女のメディウム侯爵家への出入りを禁止にしたんだ。伯父もその件で激怒し、彼女には早く身を固めさせたほういいと判断して、今のご主人のもとへ嫁がせたそうだ」
「ド、ドロシー様は、よくその状況を受け入れましたね……」
「伯父に『親の決めた相手に嫁ぐか、修道院に入るか、どちらか選べ』と詰め寄られ、即答で嫁ぐことを選択したそうだ」
「えっ……?」
「ようするに彼女は、私への想いよりも貴族でいられる未来を即決したことになる」
意地の悪い笑みを浮かべながら語られた夫の話から、マリエルは夜会で声をかけてきたドロシーのことを思い出す。
見た目は儚げで大人しそうな雰囲気の彼女だが、中身はとんだ食わせ者だったらしい。
しかもサイラスに嫌われた後も、マリエルたちの間に波風を立てようとしていたのだから、彼女こそ真の悪女ではないだろうか。
ドロシーの残念な人間性について考えていたマリエルだったが、夫の話におかしな部分があることに気づく。
「サイラス様、先ほど薬物耐性をかなりお持ちとのことでしたが……なぜ、私の薬は効いたのですか?」
すると、サイラスが急に難しい表情を見せる。
「それは……君が使用した薬は現在では流通していない物ばかりだったからだ。当時はどこの闇ルートで手に入れたのかと、ある意味感心していたのだが……。今思うと、あれは憑依者がどこかで確保していた薬だったのかもしれない」
「ど、どういうことでしょうか?」
「以前、憑依者は過去の人間ではないかという考察をしただろう? これまで憑依者が使用した薬物は、私に盛られた媚薬や睡眠薬にしろ、今回の犬に使われた毒物にしろ、現在では入手できない材料で調合された物なんだ」
「それは……つまり……」
「犬に使われた毒物が四百年前に一般的な物だったことを考えると……憑依者は、かなり昔の時代を生きた人間なんじゃないか?」
「かなり昔の時代……」
夫の考察になにか引っかかるものを感じたマリエルだが、それがなんなのかはっきりしない。
だが、憑依者が百年以上も昔の時代の人間という考え方は、かなり重要な気がした。
そのことに考えをめぐらせていると、サイラスが苦笑しながら話を戻してきた。
「とりあえず、憑依者のことは置いておいて。ドロシーの件に関しては、そういう経緯があって君に話したくなかったんだ。もちろん、シュルトにもこんなことは話せなかった。だからあいつは、変な勘違いをしたんだろうな……。だが、これで私がドロシーを避けだした原因が君ではないことは、わかっただろう?」
敢えておどけるような口調で同意を求めてきた夫にマリエルは、沈んだ表情で別の問題点を挙げる。
「ですが、サイラス様がそのように女性に対して不信感や警戒心を抱くようになってしまったのは、やはり私が原因です……」
「だからその原因である君をいつでも排除できるように、離縁できる権利を私に持っていてほしいと?」
「はい……」
「たとえ権利を得ても私は君と離縁する気は一切ないぞ?」
はっきりと言い放つ夫にマリエルは困惑する。
「ですが、私ではサイラス様の妻は務まりません……。現状セアラがいるので家を継ぐ人間はあの子でもいいとは思いますが、それでも……やはり男の子はいたほうがいいと思います。でも私とでは、サイラス様はお世継ぎを設けるのは難しいはずです」
そう告げたマリエルは、そのまま押し黙る。
マリエルの中でずっと引っかかっていたのは、この先どんなに良好な関係を築き直せたとしても、五年前の出来事がトラウマで、サイラスはマリエルと夫婦的な行為ができない可能性が高いという部分だ。
いくら自分たちの間にセアラが生まれているとはいえ、この先なにが起るかわからない。
なによりもメディウム侯爵家には、尊いリーベの血が濃く受け継がれている血筋だ。
同じくその血を濃く受けついているアバローナ侯爵家では子はミルドレッドしか生まれず、その彼女も現在は既婚者とはいえ、まだ子供を得ていない。
三大侯爵家のうち二家がそのような状態では、リーベの濃い血筋が途絶えてしまう可能性がある。
残りのフジューム侯爵家に関しては、息子が二人いるがどちらも成人前だ。
子供どころか伴侶を得るまで、まだ時間がかかる。
そんな状況なのでメディウム侯爵家では、最低でももう一人は子供が欲しいというのが現状である。
最悪サイラスに外で子を作ってもらうという手もあるが、この真面目な夫は絶対にその選択はしないだろう。
なによりもその状況にマリエルが耐えられない。
すでに夫である想い人が他の女性とそのような行為をするなど、考えただけでゾッとしてしまう。
自我を取り戻してからサイラスとの離縁を考えていた背景には、そういった考えがマリエルの頭の中に存在していたからだ。
メディウム侯爵家のためなどというきれい事だけではない。
マリエル自身が、夫から受け入れてもらえない夫婦生活を続けることが辛いのだ。
それを跡継ぎ問題という言い分で隠し、夫に離縁という逃げ道を与えることで自分の心の負担を少しでも軽くしたいというのがマリエルの本音であった。
すると、サイラスが呆れ気味な様子でマリエルの言い分をまとめる。
「なるほど? 君は五年前の出来事のせいで心に傷を負った私では君との子作りは難しいから、メディウム侯爵家の血が途絶える可能性を懸念しているということか」
「……はい」
すると、サイラスが今日一番の深いため息をついた。
「マリエル、君は根本的に勘違いをしている。私が食事ができなくなるほどショックをうけたのは、女性に襲われたからじゃない……。君という人間に襲われたからだ」
「えっ……?」
サイラスの言い分が、よくわからなかったマリエルは難しい表情を浮かべる。
そんな妻にサイラスが、当時の自分の心境を語りはじめた。
「以前、君と初めて顔を合わせた時に受けた印象を話したことがあっただろう。君は自分の中にしっかりとした価値観を持っていて、周囲の評価に惑わされない強さがあると。侯爵家の嫡男ともなると、君のように真っ直ぐに向き合ってくれる人間に出会えることは、とても貴重なんだ」
「そ、そんなことは……」
「いや、事実そうなんだ。私に言い寄ってきた令嬢の殆どが、見た目や爵位などを称賛するばかりで、私がどういう人間か見ようともしない。そのくせ自分が、どんなに私を慕っているかの主張ばかりで、こちらの気持ちなど一切無視だ。君もはじめはそういう雰囲気だったから、正直に言うと顔合わせをした直後は、君が自分の婚約者であることに落胆していた……」
そのサイラスの話にマリエルが気まずそうに視線をテーブルに落とす。
「だが、しばらくすると君は、私の趣味や普段なにをしているかを質問しはじめただろう? その行動から君がちゃんと自分の価値観で、私がどういう人間なのかを知ろうとしてくれていると感じたんだ。そうやって真っ直ぐな気持ちでぶつかってきてくれる人間は、私の人生では本当に貴重だ。だから、すぐにこの婚約は自分にとって良縁だと考えを改めた」
「そ、そうなのですか?」
「当時の私は終始、君に対して笑顔だっただろう? 今ならわかると思うが……私はもともとこういう性格なので、あまり愛想笑いなどはしない。話し方も今のほうが素なんだ。あの時は君にさらに気に入られようと、敢えて理想的な紳士像を演じていただけだ」
「なっ……!」
悪戯が成功した時のような笑顔で語る夫の言い分にマリエルが絶句する。
だが、リアラとフェニアに書いた手紙の内容を思い出すと確かにあの時のサイラスは、まるでロマンス小説に出てくるヒーローのようだった。
だが今は甘い微笑みどころか、真顔で淡々した口調で話すことがほとんどだ。
話す速度も初対面の時と比べると、やや早口である。
マリエルに対して気遣いや配慮をする姿勢は変わっていないと思うが……あまりにも事務的すぎて、あとからとても気遣われていたことに気づくことが多く、非常にわかりづらい。
マリエルより数歩先で物事を考えるので、会話中に置いていかれることも多々ある。
それがこの五年間の夫婦生活と若くして侯爵位を継いだことで変化したと思っていたマリエルだったが……実際は違ったようだ。
「サイラス様はずるいですね……。私には真っ直ぐな人間性を求めるのに、ご自身は張りぼての王子様を演じて私を騙そうとしていただなんて……」
「最初が肝心と言うだろう? それに結果的に君は、今の私もすんなりと受け入れているのだから問題はないはずだ」
「…………」
悔しいが、ぐうの音も出ないほどの正論である。
現在のマリエルは初顔合わせをした時の王子様のようなサイラスよりも、今のはっきりした物言いをするサイラスのほうが話しやすい。
同時に初顔合わせをした頃のサイラスの接し方が、現在のセアラへの接し方と似ていることにも気づいてしまう。
「私は当初サイラス様に子ども扱いをされていたのですね……」
「仕方がないだろう? 君は成人前で十六になったばかり。対して私は、すでに成人して半年は経っていたんだぞ? どうしても子供扱いになる」
「そうですよね……。そんな子供に薬を盛られてあんなことをされたらショックですよね……」
「ショックと言うか……君に抱いていた幻想を壊され、途方にくれていたというほうが正しいな……」
二人で愚痴るように呟くと、その元凶の厄介さに互いにため息が出てしまう。
その状況を招いたのは、二人とは一切接点のない大昔に生きていた人間らしき存在なのだ。
改めて憑依者に対する怒りが込み上げてきたマリエルだが、確実に法では裁けない存在であることが、さらに腹立たしい。
そんなことを思いながら眉間に皺を寄せていると、珍しくサイラスがにっこりと微笑んできた。
「よって君と子作りができないという心配は一切ない。むしろ嬉々として取り組める自信がある」
「そんな自信は持たなくていいです!」
「それよりも……体が君だったとはいえ、君とは別の人間とそういう行為をしたことを君に知られたほうがショックが大きい……」
「それは……」
「だが、その時の行為に及んだ体は君のものであり、君の体が妊娠したセアラは、しっかりと私たち二人の血を引いている。そうなると、私はますます五年前のことに怒りを抱いていいのか、わからなくなる……」
かなりややこしいことをしてくれた憑依者だが、なぜサイラスとそういう行為をしたがったのかが謎である。
もしや憑依者は、生前サイラスに似た男性に好意を寄せていたのでは……。
それはそれで非常に腹立たしいとマリエルが眉間に皺を寄せていると、サイラスがテーブルに広げていた小冊子を片づけはじめた。
「だから君と私が離縁する必要性なんて一切ない。むしろ離縁を申し出られたら、私はありとあらゆる方法を駆使して、それを撤回させるからな」
「それはそれで怖いのですが……」
「もし私に対して責任を感じてしまい、どうしても償いたいと思うのであれば、君は一生私の隣にいてくれ」
さらりと夫が口にした言葉にマリエルの動きが止まる。
「それだけで十分、償いになる」
夫から憐憫と苦笑が入り混じったような笑みを向けられたマリエルは、呆然としたまま瞳からポロポロと涙をこぼしはじめる。
「やはりサイラス様は……悪い意味で優しすぎると思います」
「どこがだ。君が離縁を望んでも全力で潰しにかかると宣言しているんだぞ? 優しくなんてないだろう」
「確かに……それはちょっと怖いです」
苦笑しながら右目の涙を拭っていると、逆側に夫の手が伸びてきた。
「君がこの先、離縁を望む必要なんて一切ない。だからマリエル、これを機に本邸に戻ってきてくれないか? もう憑依者に憑りつかれることはないのだから、別邸で暮らす意味もないはずだ。セアラだって君が本邸にいる状態をすごく喜んでいる」
「私は……また、本邸に戻ってきてもいいのでしょうか……」
「戻ってきてくれないと、私がとても困る……」
そう言って涙を拭ってくれた夫の柔らかな表情は、とても見慣れたものだった。
「サイラス様、今セアラを宥める時と同じ表情をなさってますよ?」
「心外だな。一応、妻に対してねぎらいの眼差しを向けていたのに」
そう言って柔らかな笑みを浮かべたサイラスは、小冊子を挟んだファイルを小脇に抱えて立ち上がる。
「今からオネストとテレーズを中心に本邸で君用の新たな部屋を用意させるが……構わないか?」
「はい。ぜひお願いします」
「では、すぐに準備させる。それと――」
そう言いかけたサイラスは、一瞬だけ面倒そうな表情を見せる。
「どうしても君に謝罪したいと言い張っているバカが一人いるんだが……一応、言い分だけでも聞いてもらうことは可能か?」
一瞬、誰のことなのかわからなかったマリエルだが、サイラスの雑な扱い方からシュルトのことだと気づく。
「ええ。返り討ちにしてしまうかもしれませんが、それでも構わないのであれば」
「遠慮なく徹底的に返り討ちにしてくれ」
どうやらあの後、シュルトはサイラスから相当お叱りを受けたようだ。
最も信頼している執事見習いに対して意地の悪いことを口にした夫は、マリエルの返答に満足するように部屋を出ていった。





