45.離縁の権利
王妃と二人だけになったマリエルだが、実はこの流れはある程度、予想できていた。
そしてこの機会だからこそ、確認出来ることがあると待ち構えていたのだ。
今、マリエルが確認したいことは二つ。
一つ目は、今回王妃が娘のセアラを強引に招待した理由。
二つ目は、なにを基準に自分とサイラスの婚姻が組まれたのか。
一つ目に関しては、もしこの場にサイラスがいたら止められる行為である。
サイラスは、今回はできるだけ憑依者関連の話題には反応しない姿勢で、このお茶会に挑んでいるからだ。
だが、マリエルは性格的にやり過ごすということができない。
相手の出方を見ながら、しっかりと戦略を立てて守りを固めるサイラスに対して、マリエルは、やられる前に先に迎え撃つ先手必勝タイプである。
憑依されたジョアンナからセアラを解放する際も、サイラスの到着を待たずに自らが率先して突っ込んでいったのが、いい例である。
マリエルは大切なものを守る時、直感で動くタイプなのだ。
悠長に王妃の出方を見ながら敵か味方かを判断するよりも、思い切って本人に確認したほうがセアラを守りやすいというのがマリエルの自論だ。
今の状況は、王妃がセアラと接触したがった目的を聞き出す絶好の機会である。
二つ目に関しては、サイラスとの婚約が決まった時から、ずっと疑問だったことだ。
実家のクラージュ家は伯爵位でも、そこまで家格は高くない。
そんな自分が、なぜ三大侯爵家との縁を組まれたのか。
もしメディウム侯爵家とクラージュ伯爵家の縁づけのためであれば、セアラが誕生した現時点で、両家の繋がりはしっかりと構築されている。
つまりマリエルがサイラスの妻である必要性はそこまで重視されないので、夫に離縁できる権限を与えてほしいと進言しやすいのだ。
ただ、もしそれでサイラスが離縁する権利を得たとしても、マリエルは自分から離縁を望む声は二度と上げるつもりはない。
そうしないのは、以前サイラスに離縁を提案した時に放たれた言葉が胸に突き刺さっているからだ。
『君が我々にしたことの責任も取らずにこの家を去ろうとしている』
『自分の罪から逃げるな』と言わんばかりの当時のサイラスの主張。
この五年間、マリエルは体を奪われていたとはいえ、二人を傷つける行為をしている。
周囲は憑依者のせいであってマリエルに責任はないと思ってくれているが、マリエル自身は、そう簡単には割り切ることなどできない。
自分の意志でなくても、夫や娘を深く傷つける動きをしたのは、まぎれもなく自分の体なのだ。
シュルトではないが、記憶にないからなかっとことにはマリエル自身もできない。
それは実家で兄に責められた時に一生、自分で背負う罪だと覚悟を決めている。
夫と娘に対しても、二人から不要だといわれるまでマリエルはその罪と向き合い続け、共に人生を歩むつもりだ。
それでも……夫には、いつでも自分と離縁できる権利を持っていてほしいとマリエルは思ってしまう。
セアラが生まれたことで自分たちの婚姻が役割を果たしているのであれば、サイラスがその権限を持つことは可能なはずなのだ。
これはサイラスのためではなく、マリエル自身の心のためでもある。
夫が離縁の権限を持つことで、マリエルは離縁を言い渡されない限り側にいてもいいということになる。
夫に深い傷跡を刻み込んだ自分は一緒にいたいなど、決して口にしてはならない。
だが、サイラスへの想いを自覚してしまったマリエルは、必要とされるのであれば側にいたいと思ってしまうのだ。
たとえそれが、セアラの母親としての役割を望まれているだけとしても。
そんな強い意志を持ったマリエルは、すぐさま行動に出る。
「陛下、本日はご招待いただけたことに深く感謝申し上げます」
「あら、急にかしこまってどうしたの? お礼なら、すでにいただいたと思うのだけれど?」
「ええ。ですが、先ほどの娘の楽しそうな姿を目にしたら、もう一度お礼を申し上げたくなりました」
「お礼を言いたいのは、わたくしのほうよ? アバローナ侯爵夫人から伺った通り、セアラちゃんは本当に天使のように愛らしかったわ!」
「お褒めのお言葉をいただき、ありがとうございます。そのセアラですが……本来どのような目的で、こちらにご招待いただけたのでしょうか?」
マリエルの質問に王妃の顔から一瞬だけ表情が抜け落ちる。
「夫人は……いいえ、マリエルさんとお呼びしてよろしいかしら? ずいぶんと率直な質問をなさるのね」
「申し訳ございません……。こういう性分でして」
すると、王妃が困った様子で苦笑を浮かべた。
「そんなに身構えないで? 今回は本当にセアラちゃんの様子を確認したかったの。だってあの子は、この五年間あなたから愛情を一切受け取ることができかったでしょう?」
「それは……わたくしを監視している影部隊の者からの情報でしょうか?」
「ええ、そうよ。あなたと……そしてセアラちゃんには、この五年間ずっと王家の影の監視がついているの」
「セアラもですか?」
自分だけでなく娘まで監視対象になっていたことにマリエルは空気をピリつかせた。
すると王妃は、すまなそうに微笑む。
「安心して。監視というよりも『警護』といったほうが正しいわ。もっと言ってしまうと、あなたのご主人もその対象になっているの」
「主人も……? 夫はそのことを把握しているのですか?」
「いいえ。彼はあなたの監視だけだと思っているわ」
「なぜ、そんなことを――」
質問をしかけたマリエルだが、王妃から憐憫の眼差しを向けられ押し黙る。
「ごめんなさい……。理由をお話することはできないの……」
「それは国王陛下のご意向でしょうか」
「ええ、そうよ。でもわたくしたちは、あなた方に危害を加えたり、利用したりするつもりは一切ないわ。ただ今回は、本来の人間性を取り戻したあなたが、セアラちゃんと親子関係をしっかり築けているかを確認したかったの」
「なぜ、そんな確認を?」
「ごめんなさい……。それも言えないの」
「お話しいただけないことばかりなのですね」
「そうね……」
王妃が後ろめたさから視線を下に落とした。
どうやら王家は、憑依者とセアラに何らかの接点があることを掴んでいるように感じられた。
だが今はセアラが幼いこともあって動けない様子だ。
影部隊を監視ではなく護衛としてつけているのであれば、王家は敵ではないようだ。
だが、当事者である自分たちに情報を開示してくれない状況では味方とは言い切れない。
なによりもセアラの動向を把握しようとしている部分にマリエルは疑念しか抱けない。
だが、これ以上は情報を引き出すことは難しい様子だ。
そう判断したマリエルは、もう一つのことに関する確認に移る。
「では、別の件で質問をさせていただいてもよろしいですか」
「ええ、わたくしが答えられる範囲であれば、お答えするわ……」
「王家は、わたくしと夫の婚姻をどういった経緯でご調整されたのですか?」
その質問に王妃が不思議そうに首をかしげる。
「なぜ、そのことが気になるの?」
「夫は三大侯爵家の嫡男。ですが、わたくしは、しがない伯爵家の生まれ。もっとメディウム侯爵家に見合った家格の伯爵家はあったはずです」
「それを知ってどうするの?」
「この五年間、わたくしが謎の存在に体を奪われていた件は、すでに陛下はご存じですよね? そしてその憑依者がメディウム侯爵家に執着していることも報告に上がっているかと思います。これらの経緯から、わたくしが夫と婚姻をしなければ侯爵家にその憑依者を招き入れることはなかったと感じているからです」
この際なので腹を割って話す姿勢をマリエルは見せる。
だが、王妃はその誘いにはのってこなかった。
「あなたはご自身のせいで、その存在を侯爵家に招き入れてしまったと考えているのね……。でもね、あなたがメディウム卿の婚約相手に選ばれたのは、本当に偶然なの……。もっと言うと、その憑依者の存在を王家が把握したのは、ジョアンナ先生の件からなの」
「では、わたくしの性格が豹変した時、王家はなにも不審に思われなかったということでしょうか?」
「ええ……。大変失礼なことを口にしてしまうけれど、当時はあなたの本来の性格を王家はそこまで把握していなかったから、急に爵位が高い家に嫁ぐことが決まって気が大きくなり、周囲に尊大な態度をとっていると、あなたは思われていたの」
「そうでしたか……」
そう相槌をうったマリエルだが、今の王妃の話が本当とは思っていない。
義姉のフリーデすら、マリエルの変わりように別人説を思いついたくらいだ。
王家がその変化を疑問視しなかったという言い分には、かなり無理がある。
だが、マリエルは自分たちの婚姻が『偶然に組まれたもの』という言葉を待っていた。
「陛下、先ほどわたくしと夫の婚姻は、偶然組まれたものとおっしゃっていらっしゃいましたよね? その組まれた理由は、わたくしたちの間に力の強い豊穣の乙女が生まれる可能性を期待しての婚姻と解釈してもよろしいでしょうか?」
「ええ……。そうね」
「では現状のわたくしは、すでにセアラを出産しているので役割は十分果たしておりますよね?」
「……なにをおっしゃりたいの?」
「王令として下された婚姻から夫を解放していただきたいのです」
すると、王妃が王族としては珍しい怪訝な表情を見せる。
だが、マリエルは引く気などない。
思い切って今日一番の目的を果たすためにある要望を口にする。
「単刀直入に申し上げます。夫に離縁の権限をお与えいただけないでしょうか」
その言葉で王妃が大きく目を見開く。
「どうして……そんなことを……」
「これ以上、夫を苦しめたくないからです」
「苦しめたくないから? でも先ほどのあなたたちは、とても良好な関係を築いているように見えたわ」
「夫は良識ある人間なので、この五年間のわたくしを別の者の振る舞いだと、すぐに受け止めてくれています」
「だったら、離縁なんて……。」
「仮にそのように受け止めて貰えても、五年前に夫を辱めたのはわたくしのこの顔と体です」
その瞬間、王妃の顔色が一瞬で変わった。
「夫はこの先、一生わたくしを責めることもできず、自身を辱めた女と連れ添うことを王家より強いられている状態なのです。ですから、せめて……いつでも離縁できる権利を夫にお与えいただけませんか?」
マリエルの主張に王妃が今にも泣き出しそうな憐憫の眼差しを向けた。
「あなたはご主人に逃げ道を用意して欲しいと言っているの……?」
「はい」
「もしその権利を与え、この先ご主人が離縁を選択するようなことがあれば、あなたは侯爵夫人としての地位を失うだけでなく、あんなにも可愛がっていらっしゃる娘さんとも会えなくなってしまうのに?」
「……はい。それでも夫には、わたくしから解放される権利を持っていてほしいのです」
「そうなればあなたは、毎日ご主人の顔色を伺う生活を強いられることになるわよ」
「陛下には、わたくしがそのような謙虚な姿勢を貫ける人間に見えていらっしゃいますか?」
「いいえ。あなたの性格だと離縁など恐れず、自分らしく振舞っていきそうだわ……」
「ええ。わたくしもそう思います」
マリエルの力強い返答に王妃が呆れるような苦笑を返してきた。
「あなたのお気持ちは、よくわかったわ。でも……それは絶対にできないの」
王妃から告げられた予想外の返答にマリエルは愕然とする。
「な、なぜです!? わたくしたちの婚姻は偶然に組まれたものなのですよね!?」
「ええ。組まれた経緯は偶然よ。そこに王家の意志はない。でも……王令を下してでも組む必要はあったの」
「どういう……ことでしょうか」
「ごめんなさい……。これ以上はお話できないわ。でも、それだけあなたたちの婚姻は必要なものだったの……。だから離縁の権利は――」
「離縁……?」
突然、耳に入ってきた男性の声にマリエルと王妃の体が硬直する。
「マリエル……どういうことだ?」
振り返ると、そこには腕の中でぐっすり眠る娘を抱えたサイラスの姿があった。





