40.二冊の絵本
部屋に飛び込んできたセアラはマリエルのもとにまっしぐらにやってきて、手にしていた絵本を差し出してきた。
すると、後を追うようにメイド長のテレーズも息を切らしながら部屋に入ってくる。
「い、いけません! お嬢様! 本日お母様は大切なお客様とお話しが……奥様! 申し訳ございません!」
「いいのよ。なんとなくこうなる気はしていたから……テレーズ、苦労をかけたわね。セアラはここで預かるから、もし他に仕事があれば下っていいわよ」
「ですが……」
「セアラ、お母様がお客様とお話している時は静かにできる?」
「うん。シェアラ、お話しのときシィーできるよ」
「じゃあ、少し待っていてね。テレーズ、大丈夫だから」
「お役に立てず、申し訳ございません……。それではお嬢様をお願いいたします」
そう言ってしょんぼりするメイド長をマリエルが見送っていると、セアラがジッと向かいに座っているリアラを凝視する。
そして、今度はマリエルに向かって首をかしげてきた。
「だぁれぇー?」
「この人はリアラ。お母様のお友達よ」
「……リアちゃん!」
またしても母親と同じ愛称で呼び始めたセアラは、絵本を抱えたままリアラのもとへ駆け寄る。
「リアちゃん、シェアラとおなまえ、にてるね!」
「そうね。セアラちゃんとは一文字違いね。そのご本、お母様に読んでもらいにきたの?」
「うん!」
まだ自分の名前を上手く発音できないセアラの状況を瞬時に察したリアラは、正しい発音で言い直しながら話しかけた。
そのことに気をよくしたセアラが、手にしていた絵本をリアラに見せる。
「このおはなし、リアちゃんしってる?」
絵本の題名を目にしたリアラが、少しだけ驚くような反応をする。
セアラが手にしていたのは、以前マリエルに読み聞かせをねだってきた『黒の魔女と聖女』の絵本だった。
「もちろん。セアラちゃんは、このお話が好きなの?」
「うん! このおはなし、わるい魔女さんを聖女さまがやっつけてくれるから、シェアラ好き!」
やや興奮気味でセアラは、絵本の最後のページをリアラに向けて開く。
そこには子供向けの可愛らしい絵柄で、銀髪の聖女が不思議な力で急成長させた植物で魔女を閉じ込める様子が描かれていた。
「魔女さん、とじこめられちゃったからシェアラのところには、こないでしょ? だからこのおはなし、シェアラ好きなの! リアちゃんもお話しおわったら、シェアラと一緒におかしゃまにご本よんでもらう?」
「そうねー。私もセアラちゃんと一緒にお話を聞こうかな?」
「リア!」
流石に娘へ絵本の読み聞かせている様子を友人に見られるのは恥ずかしい。
そう感じたマリエルは、明らかに面白がっている友人を窘める。
すると、セアラがトテトテとマリエルのもとに戻ってきた。
そして行儀よくその隣に座り、絵本を開らいて絵だけを眺めるように楽しみだす。
その自由さにマリエルが苦笑していると、リアラが話しかけてきた。
「マリーはずいぶん珍しい絵本を娘さんに読み聞かせているのね……。それ、女の子よりも男の子に人気なお話でしょう?」
「そうなのだけれど、私が記憶を失くして今の状態に戻った時には、もうこの絵本が娘のお気に入りになっていたのよ……。逆に『女神リーべ』の絵本は、なぜか怖がって放り投げちゃうのよ」
「そうなの? 普通は逆よね? まぁ、リーベの絵本は後日談が残酷すぎるから、私もあまり好きではなかったけれど……」
「リアって幼い頃から、その後日談を知っていたの?」
「ほら私、子供の頃から本を読むのが好きだったでしょう? 最初は大好きなお話だったから、六歳くらいの頃に詳しく書かれている本を読んでしまったの。そうしたら、主人公の女の子が王子様の子供を身ごもった状態で殺されてしまうでしょう? もうそれがショックで……以来、『女神リーベ』の絵本は苦手になったわ……」
昔を思い出しながら、リアラが遠い目をする。
もちろん、マリエルも成長後にリアラと同じ体験をした一人である。
「誰もが通る道よね……。『女神リーベ』による心の傷は……」
「そうね……。でもセアラちゃんは、なぜそれを知っているの?」
「それが不思議なことに、セアラはお話の内容を知っているわけではない様子なの。でも絵本の表紙を見ただけで、放り投げてしまうくらい毛嫌いしていて……」
「なぜかしら?」
「わからないわ。でもそんな状態だから、これまで誰もあの子にリーベの絵本は読み聞かせたことがないそうよ」
「不思議ね……」
絵のみで絵本を楽しんでいるセアラに視線を向けると、ちょうど聖女と魔女が対峙している場面のページで瞳をキラキラさせていた。
その様子に苦笑すると、リアラが少し話題を変えてきた。
「そういえば……このリーベの化身に関して、最近面白い話を聞いたのだけれど」
「面白い話?」
「これまで女神の化身である少女は、ずっと銀髪だと言われてきたでしょう? でも実際は違う色だったと言い出した歴史学者がいるのよ」
「そうなの? そもそもリアは、なぜそんなことを知っているの?」
「私の婚約者は出版関連の事業を手がけているのだけれど、その学者が出版を希望して論文を持ち込んできたの。それが面白い内容だったから、婚約者も出版する流れで動いていたのだけれど……王家から許可が下りなくて話は流れてしまったそうよ。でも私は、その前にその論文を読ませてもらったのよ」
五年前まで恋の気配など一切なかった友人の話にマリエルが驚く。
「リア、あなた今、婚約者がいるの!?」
「いるに決まっているでしょう! 私、あなたと同じ二十一なんだから世間的には立派な行き遅れよ! 婚約者は四年前にある読書会で知り合った男性なのだけれど、男爵家の生まれで将来的には平民で、年齢も私より一つ下よ。でも本好きが高じて出版事業をはじめたら成功して、昨年やっとお父様が彼の実績を認めてくれたの。来年に挙式予定で、うちに婿入りしてもらうことになっているわ」
「そうなの!? おめでとう! しかも読書好きで出版事業を手がけているなんて、リアにとっては理想的な方じゃない!」
「ふふっ、そうね! でも……先ほどのリーベの学術論文の出版許可を打診したせいで、彼の出版社は王家に少し目をつけられてしまったみたいなの……。以来、リーベ関連の学術書を取り扱うことは禁止されてしまったそうよ……。まぁ、彼の出版社の売りは冒険小説と推理小説だから、そこまで悪影響はでないのだけれど」
そう言って苦笑する友人の話から、マリエルが違和感を覚える。
あくまでも仮説である一歴史学者の考察論文になぜ王家は、そこまで神経質になったのだろうかと。
王妃からのお茶の誘いが近々くることもあるので、ついマリエルはなにかあるのではないかと勘ぐってしまう。
「それは少し残念ね……。ところで、その学者の仮説では、リーベの化身の少女の髪の色は何色かも書いてあったの?」
「ええ。彼の学術論文だと、輝くような黄金色だったんじゃないかと書かれていたわ。なんでも一部の辺境領の地域に、そのような伝承が残っていたらしいの」
「でもその場合、アバローナ侯爵家の銀髪はどう説明するの?」
「彼の論文によると、リーベの娘までは母親と同じ黄金色の髪色だったんじゃないかって書かれていたわ。銀髪の性質はアバローナ侯爵家に彼女の長女が嫁いだ後に生まれた子孫からじゃないかって。そういう意味だと、次女が嫁いだメディウム侯爵家のほうが、初代王家の性質が色濃く出ているわよね? サイラス様もセアラちゃんも見事なプラチナブロンドだし」
「確かにそうよね……。でもその場合、三女が嫁いだフジューム侯爵家はどうなるの? あの家はプラチナブロンドも銀髪も生まれやすい家系じゃない」
リーベの娘が産んだ子供は記録によると全部で四人いる。
内一人が男児で、残り三人が女児である。
殺された兄の代わりに王位を継いだ第二王子は、生涯伴侶を持たず兄の息子に王位を継がせているので、子供たちにとって祖母となるリーベの化身の少女の血は、男児が王位を継いだことで王家にも入ってはいる。
しかし三大侯爵家以上に力が強い豊穣の乙女は、これまで王家では誕生していない。
どうやら豊穣の力は、男児ではなく女児のほうに強く受け継がれたようだ。
だがその学者の仮説だと、フジューム侯爵家に銀髪の子供が生まれやすい現状とつじつまが合わなくなる。
銀髪がアバローナ侯爵家の血筋によるものなら、フジューム侯爵家では銀髪ではなく、プラチナブロンドか黄金色の髪の子供が生まれやすくなるはずだ。
「その部分は、過去にフジューム侯爵家にアバローナ侯爵家の女性が嫁いだからじゃないかって書かれていたわ。今では三大侯爵家同士の婚約はあまりないけれど……八百年前まで遡ると何度かあったらしいのよ。『女神リーベ』の絵本の元となった伝承が広まったのは今から七百年前だから、建国から百年の間でリーベの化身の少女の髪の色は、黄金色から銀髪に変更されて伝えられた可能性があると書かれていたわね」
「何のために?」
「うーん、その部分でも何個か仮説を挙げていたわね……。一つは当時、王家の次に権力を持っていたアバローナ侯爵家の特別性を定着させるためだったかしら……。 もう一つは……王子のプラチナブロンドと女神の化身の少女の黄金色だと、髪色が似通っているから、少女の髪色を銀髪にしたほうが神話性が強まるから変更したんじゃないかって」
リアラの話にマリエルが幼少期に読んでいた『女神リーべ』の絵本を思い出す。
「確かに『女神リーベ』の絵本は金髪の王子と銀髪の少女の物語だから、この色の組み合わせのほうが魅力的に感じるかも……」
「何百年も前の伝承って、その時代を治めていた権力者の支持率を上げるために特別性を高める手段として作られることもあったから、歴史学の観点でも色々と仮説が立てられて面白いわよね。今回もその仮説の一つとして面白い解釈だったから、私の婚約者はその論文の出版に踏み切ろうとしていのだけれど……流石にリーベ信仰は、熱狂的な信者が多いから王家もその危険性を懸念したのかも」
「たかが髪の色くらいで?」
「されど髪の色よ。実際に熱狂的信者たちは、問題を起こしているじゃない」
「まぁ、確かに……」
そう呟いたマリエルだが、今は女神リーベの信者たちよりも王家のほうが危険分子と感じてしまう。
その要因として、マリエルに憑依していた存在が王家に対して不満を持っていたからだ。しかも憑依者が見えるセアラと、なぜか王家は接触したがっている。
マリエルが一番懸念していることは、憑依者を捕らえるために王家が娘のセアラを利用しようとしているのではないかという部分だ。
母親として、そんな危険なことを娘には絶対にさせたくない。
だが王族から頭を下げられてしまったら、いくら三大侯爵家の立場であってもその要望を無下にすることはできない。
そんなことを考え眉間に皺を寄せていると、セアラから服の袖を引っ張られる。
「おかしゃまー……まだお話しおわらない?」
「えっと……」
「そうよね! セアラちゃん、ずっと待っててくれているものね!」
「うん……。シェアラ、ずっと、お話しおわるのまってる……」
「ごめんね! ほらマリー! セアラちゃんが待ちくたびれているから、絵本の読み聞かせをやってあげて?」
「待って……リア。まさかあなたも私の読み聞かせを聞くつもりなの!?」
「もちろん! 楽しみねー、セアラちゃん!」
「うん! おかしゃま、ご本よむとき、だいはくりょく!」
「セアラ……どこでそういう言葉を覚えてくるの……?」
この日のマリエルは娘だけでなく、友人にも絵本を読み聞かせる羽目になった。





