38.壊れていた友情
あまりにも他人行儀な態度の親友にマリエルが戸惑う。
「えっと……リア?」
「五年前に子爵家の人間に気安く声をかけられるのは不快だとおっしゃっていたのは、侯爵夫人です。その際、わたくしも愛称呼びを控えていただくようにお願いしたはずですが?」
「……っ!」
親友の言い分にマリエルが言葉を詰まらせる。
ここ二カ月間のマリエルの交流関係は侯爵邸内だけで成り立っていた。
そこは家主のサイラスの配慮で、マリエルに対してわだかまりが少ない人間のみで形成された場所である。
だが、マリエルの世界は侯爵邸の外にもあった。
実家はもちろん、親族や友人との付き合いなどだ。
だが、この二カ月間は自分の過去と向き合うことに必死だったため、侯爵邸の外にも自分の世界があることをマリエルは忘れていた。
五年間の記憶がないマリエルにとって、リアラと話すのは二カ月ぶりになる。
しかしリアラのほうは五年前にマリエルに冷たく突き放され、そのまま交流を断たれた状態である。
当然、五年前に二人の友情には大きなヒビが入ったはずだ。
この状況がマリエルの中にある家族と縁を切ると決断をした時の辛い記憶と重なる。
『自分は親友までも失ってしまうのだろうか』
家族との決別を決めた時、自身の状況を把握していなかったマリエルには、その決断に抗う術がなかった。
だが、今は五年間の自分がどういう状況であったかをしっかり把握している。
それをリアラが信じてくれるかはわからないが、今回は決別を選択する前にまだマリエルはあがくことはできる状態なのだ。
その可能性が少しでもあることに気づいたマリエルは、リアラに事情を説明しようとした。
「あの、リ――」
「ドロシー様、大変申し訳ございませんが、わたくし、侯爵夫人と少し深いお話がしたいので、ご配慮いただいてもよろしいですか?」
「え、ええ! もちろん! で、ではわたくし、これで失礼いたしますね!」
リアラの申し出にすぐさま同意したドロシーは、逃げるように去っていく。
残されたマリエルたちの間に重苦しい沈黙が訪れた。
その沈黙を最初に破ったのは、リアラだった。
「侯爵夫人、子爵令嬢ごときのわたくしに意見されることは、さぞご不快かと思いますが、これ以上は爵位的に立場が弱い女性をいたぶるのは、おやめいただけませんか?」
子爵令嬢という立場で伯爵家の人間を庇うリアラから、五年間変わらずに真っ直ぐでいてくれたことにマリエルは安堵する。
同時にこの五年間の自分は、身分が下の女性たちにかなり嫌がらせをしていたことを察してしまう。
その際、リアラはかなり間に入って仲裁してくれたのだろう。
「今の話だと、この五年間の私は社交場でそんなことをしていたのね……」
「なにを他人行儀なことを――」
「ごめんなさい……。今の私には他人事としか思えないの」
マリエルの言い分にリアラが怪訝そうな顔を向けてきた。
父や兄の時のように信じて貰えないかもしれない……。
そう覚悟しながら、マリエルは自分が今どういう状態なのかを口にする。
「実は私…二カ月前に屋敷の階段から転落した衝撃で、ここ五年間の記憶がないの」
「記憶がない? しかもこの五年間だけ?」
「正確には、サイラス様とはじめて顔合せをした日を最後にそれ以降の記憶を失ったの」
マリエルの話にリアラが驚くように大きく目を見開く。
「そんな都合が良すぎる記憶の失い方をするなんて……とても信じら――」
「だから今の私の記憶は、十六歳の頃のままなの。五年前に自分が結婚したことも、娘を出産したことも、周囲から酷く嫌われるようなことをしていたことも、母と……義両親が亡くなったことも、まったく覚えていない。ぜんぶ二カ月前に周囲から責められながら知ったの!」
『信じられない』
その言葉を親友の口から聞きたくなかったマリエルは、敢えて言葉を被せる。
だが、どうしても自分の理不尽な状況に腹が立ってしまい語尾が強まった。
マリエルの訴えるような主張にリアラが押し黙る。
「そう簡単に信じて貰えるとは思っていないわ。でも……もしまだリアが私と友人でいてくれる気があるのなら、ちゃんと話をしたい。もう一度、友人としてやり直したい……」
そう訴えるも、最後は受け入れてもらえる自信がなくて尻すぼみになる。
すると、リアラの背後から夫サイラスが駆け寄ってきた。
「マリエル、どうした? また揉め事か?」
「サイラス様……。いいえ。知り合いと話をしていただけです。彼女は五年前まで私の友人であったリアラ・タウンゼント子爵令嬢です」
「五年前……」
マリエルの友人の紹介の仕方に夫が憐憫の眼差しを向けてきた。
同時にリアラも気まずそうに視線を床に落とす。
「そうか……。ならば積もる話もあるだろうな。だが、今は私の友人たちへの挨拶を優先してもらえないか?」
「えっ?」
「皆、君の印象が変わりすぎていることに興味を持ってしまって……。以前のように近寄りがたい雰囲気ではないから紹介しろと、うるさいんだ……」
「わかりました。では今からご挨拶に伺わせていただきます」
夫が差し出してきた手を取りながら、マリエルが再びリアラに向き合う。
「リア、もしまだ私との友人関係を考え直してくれるなら、この後にお茶の誘いの手紙を送るから、できれば受けてほしいの。でも……もう私とは交流をしたくないのであれば、遠慮なく断ってもらってかまわないわ」
「…………」
「タウンゼント嬢、私の都合で妻との会話を中断させてしまい申し訳ない。だが、この会話の続きは、ぜひ我が家にて仕切り直しをしていただきたい。妻もそれを強く望んでいるようなので……」
「……かしこまりました。前向きに検討させていただきます」
前向きにと言いながら、かなり複雑そうな様子のリアラのもとを後にしたマリエルたちは、サイラスのアカデミー時代の学友たちのもとへと向かう。
「サイラス様……連れ出していただき、ありがとうございます。お陰で彼女に改めて話し合いの機会を提案することができました……」
「君自身の行動ではないことで責められる状況には、もうウンザリだろう。挙句の果てに大切な縁まで切れてしまう状況には、第三者の立場でも見ていて心が痛む……」
サイラスの言葉でマリエルは、すでに切れてしまった父と兄のことを思い出す。
すると、サイラスが心配そうに顔をのぞき込んできた。
「彼女とは縁を切らずに済みそうか?」
「わかりません……。ただリアは昔から物事を筋立てて考える子だったので、私の言い分からある程度は理解をしめしてくれると信じています」
「親友……だったのか?」
「はい。六歳の頃からの付き合いなので幼馴染でもあります」
「そうか……。関係が修復するといいな」
「はい……。ところで、これからご紹介いただくご学友の方々は、今でもお付き合いのある方々なのですか?」
「いいや。夜会で顔を合わせた際に絡まれる程度の関係だ。いわゆる悪友なので、君も適当にあしらっていい。彼らの唯一褒められる点は、爵位や権力によって態度を変えないところだ」
「あ、扱いが雑ですね……」
「男同士の付き合いは馴れ合いが少ないから、こんなものじゃないか?」
そう口にしていたサイラスだが、連れて行かれた先には十人近くの男性が待ち受けており、マリエルはあっという間に夫の学友に囲まれてしまう。
しかも彼らはサイラスの言っていた通り、侯爵夫人であるマリエルにも物怖もじせずにフレンドリーに接してきた。
中にはこの五年間のマリエルの悪評を面白おかしく語ってくれる男性もいて、サイラスに睨まれても懲りずに話をはじめるのでマリエルも笑ってしまった。
そんな彼らの様子から学生時代の夫は、かなり友人に恵まれた環境だったことがわかる。
常に首席で侯爵家の跡取りでもあったサイラスにとって、ただの学友として接してくれる彼らは貴重な存在だったと思われる。
マリエルにも、そんな友人が五年前まではたくさんいた。
だが、先ほどのリアラの態度を目にしてしまうと今は誰一人残っていないのだろう。
寂しすぎるその状況とともに再び憑依者への怒りが込み上げてくる。
家族だけでなく友人との関係までも壊した憑依者。
だが、ジョアンナに憑依している際に放たれた言葉からは、マリエルに対して恨みを持っている感じはなかった。
むしろ、マリエルを使い捨ての駒のようにしか思っていない様子だった。
そんな憑依者が率先しておこなった行動は、夫のサイラスに屈辱的な経験をさせ、娘のセアラに二度も危害を加えようとしたことだ。
そのことから以前、サイラスが口にしていた『メディウム侯爵家になんらかの遺恨がある』という言葉を思い出す。
憑依者は王家だけでなく、侯爵家にも恨みを持っているということなのだろうか……。
そんなことを考えてうわの空になっていたマリエルは、いつの間にか夫の友人たちに囃し立てられ、サイラスと共にワルツを踊らされる。
練習は無駄にならずに済んだが、周囲から様々な感情が含まれる視線が一斉にマリエルに刺さる。
その状況から、この五年間の自分が社交界でかなり悪目立ちしていたことをマリエルは痛感するしかなかった。





