37.夜会という戦地
「サ、サイラス様! どうしましょう……」
青い顔をしながらマリエルが狼狽えると、サイラスのほうも苦悩するように眉間を摘まむ。
「すまない、完全に見誤っていた……。陛下の狙いは君の記憶確認なんかじゃない。『黒い人』として憑依されている人間を見分けられるセアラのほうだったんだ……」
「わ、私を監視している王家の影が陛下にセアラのことを報告したのでしょうか?」
「いや、今回は恐らくあの呪術専門家だと思う。はぁー……やはりあの時、彼には話を聞かせるべきじゃなかった……」
頭を抱えるように両手で目を覆って自分を責めはじめたサイラスをねぎらうように、マリエルが腕の当たりを摩る。
そんな会場の隅で苦悩する二人のもとに、一人の男性が真っ直ぐ向かってきた。
「サイラス! 久しぶりだな!」
その声の主を目にしたサイラスは、煩わしそうに天を仰ぐ。
「ジェスター……」
「お前が参加必須でない夜会に顔を出すなんて珍しいじゃないか! しかもこんな可愛らしい女性と一緒に。例の悪妻はどうした? ついに離縁したか?」
どうやらこの青年はサイラスの知り合いにしては、かなりお調子者のようだ。
茶化すようにペラペラと話しかけてきた知り合いをサイラスが睨みつける。
「彼女が、その悪妻なんだが?」
「えっ……? ええっ!? いや、だって見た目がまったく違――」
「妻のマリエル・メディウムと申します」
「えっと、その……自分はジェスター・クローウェンと言いまして、ご主人とは王立アカデミー時代の学友で……その、奥様とは気づかず、大変失礼なことを口にしてしまい、申し訳ございませんでした……」
「いえ、確かに離縁されても仕方のない身なので、お気になさらずに」
「……っ! 本当ぉぉぉーに申し訳ございませんでしたぁぁぁー!!」
物凄い勢いで深々と頭を下げるジェスターにニッコリしながら、マリエルはきっちり報復する。
すると、隣にいるサイラスが呆れ顔を向けてきた。
「君、けっこういい性格をしているな……」
「雑草ですから、転んでもただでは起き上がりませんの」
「すまない……。私の友人が失礼した……」
ついでに夫にも報復すると、ジェスターと名乗った男性がガバリとサイラスの肩に腕を回し、小声で話しかけはじめる。
「おい! どうなってんだよ! 今、向こうでもアカデミーの仲間が皆、驚いてんだ! ちょっとあっちで状況を説明しろ!!」
「説明したくない。もういいから私たちのことは放っておいてくれ」
「そうはいかん! 奥様、少しご主人をお借りしても?」
「ふざけるな! なにを勝手に……」
「ええ、どうぞ」
「マリエル!?」
「雑草なので、一人でも平気ですから」
「……この件に関しては帰宅後、改めて謝罪させてもらう……」
「お気になさらずに」
グッタリした様子で友人に連行される夫を見送ったマリエルは、義姉のフリーデが参加していないか会場全体を見渡した。
だが、今回の夜会には参加していないようだ。
それならばとカレンが参加していないかも確認する。
もし参加していたら侯爵邸を去った後、どういう状況だったか聞きたかったのだ。
しかし、カレンも今回は参加していない様子だ。。
それでも諦めきれずに周囲を見回していると、またしても背後から声をかけられる。
「失礼いたします。あの……メディウム侯爵夫人でいらっしゃいますか?」
嫌な予感しかしないその声かけにマリエルは笑顔で振り返る。
「ええ、そうですが……あなたは?」
「わたくし、ドロシー・オディウムと申します」
うす茶色の髪に淡い黄緑色の瞳をした女性が、控えめな様子でマリエルに名乗ってきた。
年齢はマリエルと同じくらいのようだが、その家名からは伯爵家だという情報しか出てこない。
すると、女性はなぜか旧姓まで名乗ってきた。
「旧姓ドロシー・クリシスと申します」
「クリシス……もしやサイラス様のお母様のご生家の方でしょうか?」
「はい。良かった……。夫人は叔母様の旧姓をご存じでしたのね……」
少し引っかかる返しをされたマリエルは、心の中で「またか……」と呟く。
カレンをはじめ、父と兄に実家の使用人たちのお陰で、含みのある絡まれ方をされることにかなり耐性がついてしまったマリエルは、すぐに臨戦態勢に入る。
「ご年齢からしてドロシー様は、サイラス様とは従妹関係の方でしょうか?」
「ええ、父の妹がサイラスお兄様のお母様になります。お兄様には、幼い頃から仲良くしていただいているので、奥様にもご挨拶がしたかったのですが……社交場に参加されている時はお忙しいようで、なかなかお声がけできなかったのです……」
「それは申し訳ございませんでした」
見た目は、儚げで大人しそうな雰囲気のドロシーだが、先ほどからやけに引っかかる言い方が多い。
特にサイラスのことを『お兄様』と呼んで、親しいことをアピールしてくる様子にはウンザリしてしまう。
それでもなんとか笑みを貼りつけていたら、ドロシーが安心するような表情を向けてきた。
「ですが、本日やっとお声がけできました。以前と比べ、夫人の印象が大分変わられていたので、少々驚きましたが……」
「夫からこれまでの振る舞いや問題行動をかなり指摘されまして……最近改善しましたの」
「では……わたくしへの印象も大分変わられましたか?」
「えっ?」
「その……奥様は、以前お兄様と婚約の噂があった私を目の敵にしていらしたご様子だったので……」
その話にマリエルが少しだけ驚く。
「ええと、サイラス様の婚約は王家の調整が難航し、なかなか決まらなかったと伺っていたのですが……」
「おっしゃる通りです。ですが、もし調整が上手くいかなければ、お兄様はわたくしと婚約することになっていたそうです。そのお話を奥様はどこからか耳にされて、その……」
敢えて言葉を濁しながら目を伏せるドロシーにマリエルは、呆れを通り越して無感情になる。
「そうでしたか……ではこの後、夫にその話の詳細を確認してみます」
「えっ! な、なぜそこでサイラスお兄様に?」
「今のお話が事実であれば、わたくしはドロシー様に間接的に嫌がらせのようなことをしていたのでしょう? でしたらクリシス伯爵家にお詫びを……あら? ドロシー様がご結婚された後も続いていたのであれば、オディウム伯爵家にも謝罪に伺わないといけませんね。恐れ入りますが、ご主人の直近のご都合を教えていただけますか?」
「しゅ、主人に会われるのですか!?」
「ええ。奥様を傷つけられたのですから、かなりお怒りでしょう? 夫とともに謝罪に伺わせていただきます」
マリエルがにっこりと言い切ると、ドロシーが目を泳がせはじめた。
「その……主人は多忙な身なので、それは難しいかと……」
「ではお手紙でご都合を伺いましょう。この後、すぐに夫に手紙を書くように頼むので、ご主人にお返事いただけるようお伝えいただけますか?」
「そ、そこまで大事にされなくてもよろしいかと!」
「ですが、わたくし、ドロシー様にご迷惑をかけていたのですよね?」
「そ、それは……」
言いよどむドロシーにマリエルが笑顔で畳みかける。
どうせ今回も「酷い嫌がらせを受けて……」と訴えられ、サイラスには相応しくないと遠回しにいわれることが、容易に想像できたマリエルは先手を打つことにしたのだ。
この二カ月間、体を乗っ取られていた時の行動で理不尽な責めを受けてきたマリエルは、傷つくことがバカらしくなり、今後はもう開き直ると決めていた。
ならば、不本意ながら得てしまった悪妻の称号を大いに利用してやろうと思った。
先ほどの会話から、ドロシーが従兄のサイラスに恋心を抱いていたのは確実だ。
しかし妻となったのが、マリエルのような人間なのが許せなかったのだろう。
自分はすでに別の男性と結婚しているのに過去の想い人の夫婦関係を壊そうとしている神経は疑うが、サイラスと従妹関係である以上、今後も一族の集まりなどで顔を合わせる機会は必ずある。
ならば早い段階で潰しておいたほうが良いとマリエルは判断する。
「今のわたくしは、この五年間の愚かな行為を深く反省しているのです……。ドロシー様とご主人には、ご迷惑をおかけしたことをしっかり謝罪したいわ」
現状のマリエルは、こんな小者を相手にしている場合ではない。
今は王家に目をつけられてしまった娘のセアラを守る方法を考えることに集中したいのだ。
それを邪魔する人間がいるのならば徹底的に潰す。
そんな思いが顔に出てしまったマリエルは、憑依されている時と同じような意地の悪い笑みをしていた。
その様子を第三者が目にすれば、悪妻マリエルにドロシーが嫌味を言われ、萎縮しているように映っただろう。
案の定、まるでドロシーを庇うように一人の女性がマリエルたちのやりとりに入ってきた。
「侯爵夫人、もうそれぐらいでドロシー様を解放してくださいませんか?」
聞き覚えのある声にマリエルが振り返ると、赤茶色の艶やかな髪に鮮やかな青い瞳をした女性が挑発的な笑みをマリエルに向けていた。
その女性のことをよく知っているマリエルは、満面の笑みで彼女の愛称を口にする。
「リア!」
すると、愛称で呼ばれた女性は一瞬だけ驚く顔をした。
だが、それはすぐに先ほどの挑発的な笑みに戻る。
「失礼。侯爵夫人には以前、愛称呼びをお控えいただくようお願いしたと思うのですが?」
冷たい空気を放ちながら拒絶の姿勢を見せるその女性は、五年前までマリエルの親友であった子爵令嬢のリアラだった。





