34.ドレスとダンス
翌日、マリエルはプリエール工房からやってきたお針子数名に囲まれ、体のいたるところを寸法された。
その間、サイラスとセアラはブリジットとデザイナーに希望するドレスの色やデザインを伝え、そこにフェニアとテレーズの熱い主張が入り、フルオーダーのドレス五着のデザインは、あっという間に決まってしまう。
ちなみに直近で着ることになるセミオーダーのドレスにマリエルは、娘と自分の瞳の色である水色を希望した。
だが、サイラスから少しでもマリエルの印象が変わったことを周囲にアピールしたいと言われ、今回は夫の髪色でもある淡い黄色のドレスを着ることになった。
自分の瞳の色を却下された娘のセアラは「おとしゃま、ずるいー!」と不満を訴えていたが、その後の装飾品選びで、マリエルからもらったカチューシャとお揃いのデザインを父親から提案され、すぐに機嫌を直していた。
ちなみにその装飾品に施すブルートパーズをセアラが選んだのだが、それがかなり純度が高い良質な石だったため、この日一番の高額な買い物となる。
その状況にマリエルは、お針子に囲まれながら悲鳴をあげた。
ドレスの準備で慌ただしい二日間を過ごすと、今度はサイラスとのダンス練習が開始された。
二人はオネストの指導のもと、マリエルが苦手とするワルツを重点的に練習しはじめたのだが……これが思った以上に上手くいかない。
残りあと三日という猶予の中で二人は、この日もダンスの練習をしていた。
「ワン、ツー、スリー、ワン、ツー、スリー、旦那様! ホールドが崩れております! もっと奥様のお背中にしっかり手を添えて!」
「この辺か?」
「ひゃあっ! ど、どこ触ってんですか!」
「いや、だって……ワルツの時は大体この辺を……というか兄上殿と踊った時もこんな感じだったんじゃないのか?」
「あ、兄は兄です! サイラス様とは違っ……」
「お二人とも! 重心がブレております! もっと下半身を密着させて安定を!」
「こうか?」
「いやぁぁぁぁー!! な、なんて卑猥な!!」
真っ赤な顔でマリエルが絶叫すると、サイラスが呆れた表情を向けてきた。
ちなみにその隣では、娘のセアラが二人を真似るようにクマのアベルをパートナーにクルクルと回りながら踊っている。
「卑猥って……ワルツはこれが基本のスタイルじゃないか。大体、子供まで産んでいるのだから、今さら恥じらう仲でもないだろう……」
「サ、サイラス様はそうかもしれませんが、今の私の中身は男性経験など一切ない花も恥じらう十六歳の乙女なのです! 兄以外の殿方と、こ……こんなにも密着するなんて今まで経験がありません!! 少しは配慮してください!!」
羞恥心で顔を真っ赤にさせながらマリエルが訴えると、サイラスは緩やかなターンステップを踏みながら、真顔でジッとマリエルを見つめてきた。
なにか思うような素振りを見せはじめた夫に「少しは配慮してくれるのでは?」とマリエルが期待する。
だが次の瞬間、サイラスは口の端を上げ、悪戯めいた笑みを浮かべた。
「なるほど? 五年前に中身が別人だったとはいえ、やけに男性慣れしている君にいいように弄ばれた私だが、今はその立場が逆転しているということか」
「えっ……?」
「私は体を奪われていた君で大体の女性経験を済ませているが、その記憶がない今の君は、まだ誰にも踏み荒らされていない新雪のような初々しい状態ということだな」
そう言ってサイラスは背中に当てていた手を腰あたりにまで下げ、マリエルの下半身を更に自分に密着させるように引き寄せる。
「ひゃあっ!!」
その反動でマリエルの体を大きく外側に反らせると、自身も前のめりになってマリエルの顔を覗き込むような体勢になる。
「サ、サイラス様! 顔っ! お顔が近すぎます!!」
「夫婦なのだから、このぐらいの距離間は普通だろう?」
「ふ、普通じゃないです!! 近すぎます!!」
急に夫の顔を間近で見れる状況にマリエルが焦りだす。
よくよく考えれば、夫となったサイラスはマリエルにとって初恋の相手なのだ。
これまで記憶にない五年間の出来事と向き合うことに必死だったため、すっかり忘れていたが、思い返せば初めて顔合わせをした日の夜は、かなり痛々しい行動をマリエルはたくさんしている。
帰宅後に義姉フリーデにその喜びを語り、親友とフェニアには便箋十枚以上に渡ってサイラスの素晴らしさを書きつづり、挙句の果てには就寝前に一緒にやりたいことリストを作成するほど、当時のマリエルはサイラスに夢中になりかけていた。
だが、その後に訪れるはずだった甘い時間は体を奪った存在にブチ壊され、気がつけば初恋相手と結婚し、子供まで出産していた。
マリエルは恋愛の醍醐味である甘い体験をできないまま、婚約者と夫婦になってしまったのだ。
今年で二十四歳になるサイラスだが、整った顔立ちは未だに健在である。
十代の頃の爽やかな印象は少し薄れてしまったが、それと引き換えに大人の色香と余裕を手に入れたようで、現在の中身が十六歳のマリエルには、かなり刺激が強い。
そんな美形顔をこんな目の前でチラつかされたら心臓が持たない。
少しでもそのダメージを軽減させようとマリエルは、うつむいた。
だが、その反応を面白がるように更にサイラスはさらに顔を近づけてくる。
「奥様! うつむかない! 旦那様は重心が前のめりになりすぎです! そんな強引に女性へ迫るような体勢では紳士としての品性を疑われます!」
「仕方がないだろう? 彼女が面白い反応をするのだから」
完全に面白がられているマリエルは、眼前で楽しそうな様子の夫を赤い顔のまま睨みつけた。
しかし、その反応がさらに夫の悪戯心を刺激したようで、さらに体を密着させられる。
「旦那様! これ以上おふざけになるのであれば、奥様のお相手は私が務めさせていただきますよ!」
オネストの叱責の言葉を耳にしたマリエルの表情が、パァーッと明るくなる。
「そうね! それがいいわ! サイラス様はお忙しいですし!」
すると、サイラスの顔からストンと感情が抜け落ちる。
「オネストは私とは身長も体格も違うから、練習にはならないぞ……」
「で、でしたら、クラムはどうでしょうか!?」
「クラム?」
更に無表情となったサイラスが、片眉を上げる。
謎の圧力をかけてくる夫にマリエルは顔が引きつった。
「なぜ、そこで彼が出てくる?」
「か、彼は伯爵家以上の家の出身ですよね? ならばダンスも心得ているかと……」
「私では練習相手として不足だということか?」
冷気まで感じさせるほどの圧をかけてくる夫にマリエルが目を泳がせる。
「そ、そういう意味では……」
「ならばなぜクラムなんだ? そういえば彼は最近、別邸によく顔を出すそうだな?」
「クラムが別邸にやってくるのは、セアラに試作中のデザートを食べさせるためです! 私に会いにきているわけではございません! この間など、フェニとクッキー作りの対決をしておりました!」
「だが、やけに君は彼を信用しているようじゃないか」
「五歳以上も歳が上なので兄のような感覚になっているだけです!」
「私だって君とは歳が離れている」
「離れているって……三歳差ではありませんか。それにサイラス様は夫なので、兄とは思えません!」
マリエルが言い切るとサイラスは一瞬だけ驚くような表情をしたが、すぐに苦笑する。
「そうだな。私は君の夫なのだから兄とは違うな」
「は、い……。そうですけど……」
急に威圧的な雰囲気を解除してきた夫の変化にマリエルは首をひねった。
その状況に呆れた様子のオネストが、サイラスに忠告をする。
「旦那様、やる気がないであれば、奥様のお相手はクラムに交代させますよ?」
「すまない。今から真面目に取り組む」
そう言ってサイラスは、ワルツの基本的な組み方にし直し、再びマリエルをリードしはじめる。
先ほどと違い流れるようなダンスのリードにマリエルが驚いていると、オネストが深いため息と共にパンと手を叩いて終了の合図をする。
「お疲れ様でございます。今の練習で、どこまでなら踏み込んでも良い距離であるか感覚が掴めたようですね……」
「えっ……?」
マリエルがその言葉の意味を理解できずにいると、隣のサイラスが気まずそうに視線を逸らした。
そんな反応を見せるサイラスにオネストは苦笑する。
「先ほどのように会話を楽しみながら踊ることができるのであれば、もう練習の必要はないでしょう。もちろん、旦那様のしっかりとしたリードが必須とはなりますが」
「ああ。それは心配ない。オネスト、助かった」
二人の会話の意味がわからずマリエルが首をかしげていると、クイクイと誰かに服の袖を引っ張られる。
視線を落とすと、手を繋ぐようにアベルを手にしているセアラと目が合った。
「おかしゃまたち、もうダンスおわりなの?」
「ええ。オネストがもう練習しなくても大丈夫だって」
「シェアラ、まだおかしゃまたちとダンスしたかったなー」
どうやらセアラは、先ほどマリエルたちの横でアベル相手に一緒に踊っている状態を舞踏会に参加している気分で楽しんでいたらしい。
残念そうな表情を向けてくる娘に苦笑しながら、サイラスがマリエルに手をさしだしてくる。
「マリエル、一曲だけ通して踊ってみないか?」
その申し出を受けるようにマリエルが、その手を取る。
「そうですね……。セアラたちも一緒に踊る?」
「うん! シェアラ、おかしゃまたちのよこで、アベルといっしょにおどるー!」
三人のやりとりを見守っていたオネストが、おもむろに室内にあるピアノに向かい、曲を演奏しはじめる。
この日、夫と娘とそのクマのぬいぐるみと共にワルツを一曲踊ったマリエルは、オネストから合格を貰い、無事にダンスレッスンから解放された。
そして残りの三日間で、五年間で変化した社交界事情についての説明を受けたり、当日着るドレスの微調整などをして準備を進める。
こうしてマリエルは来たるべき夜会に参加するために、なんとか準備を終わらせた。





