30.娘が見ていたモノ
勉強部屋での出来事で邸内は一時的に騒然となったが、サイラスの素早い指示でそのことを知るのは一部の使用人のみに留めることができた。
だが、セアラは余程ショックだったのか、先ほどから母親にビタリとくっつき、グシュグシュと泣きじゃくっていた。
そんなセアラを宥めながら、マリエルとサイラスは応接室で呼び出しているジョアンナの夫がくるのを待っていた。
すると、サイラスが心苦しそうにセアラに声をかける。
「セアラ……辛いだろうけれど、さっき勉強部屋でなにがあったか、お父様にお話ししてくれないか?」
「うっく……シェアラ、おはなししたくない……。だって、また……こわい人、きちゃうもん……」
「大丈夫だよ……。ジョアンナ先生は今、鍵のかかったお部屋にいるから。セアラのところには来ないよ?」
「でも、くるもん! こわい人、ぜったいにくるもん!」
再びワッと泣き出してしまったセアラはマリエルの膝上に上り、そのままガッシリとしがみついてしまう。
そんな娘の頭を優しく撫でながら、マリエルはこれ以上の追及は控えてもらうようサイラスに向けて首を静かに振った。
「しかし、どういう状況だったかこちらが把握していないと、私から男爵に説明できない……」
「でもセアラは、この状態です。もし可能であれば、話を聞き出すのは私に任せていただけませんか?」
「……わかった。君に任せよう」
サイラスも辛いことを娘に思い出させるのは心苦しい様子だ。
だが、この後やってくるジョアンナの夫への状況説明が必要なので、少し焦ってしまったのだろう。
そんな困惑している夫の手助けが少しでもできないかと、マリエルが優しくセアラに話しかける。
「セアラ、大丈夫よ。もし怖い人がきても、お母様とお父様が追い払ってあげるから」
「……でもこわい人、すっごくつよいよ? おかしゃまたちもあぶないよ?」
その言い分に五年間も体を奪われていたマリエルは、言葉に詰まる。
「そうね……。お母様じゃ負けちゃうかもしれない。でも、さっきお母様はちゃんとセアラを助けられたでしょ?」
「うん……。おかしゃま、すぐきてくれた……」
「お母様ね、セアラが側にいてくれると、とっても強くなれるの。だから、また怖い人がきても、きっと追い払えるわ」
「ほんと……?」
「うん! だから、もう大丈夫。そんなに怖がらないで?」
「でもね、黒い人、すっごくつよいの……」
「『黒い人』……?」
その言葉でマリエルは、あることを思い出す。
初めてセアラと交流した日に見せられたスケッチブックに描かれていた黒い物体。
意見を求めるように勢いよくサイラスに目を向けると、夫も同じ考えに至ったのか、唖然とした表情でマリエルを見つめ返してきた。
「どういうことだ……? 先ほどからセアラが口にしている『怖い人』は、以前君が言っていた『黒くて怖い人』と同一人物なのか?」
「わ、わかりません! でも、もしその考えが合っているとしたら……」
ある考えに至ったマリエルは、大分泣き止みはじめた娘に改めて向き合う。
「ねぇ、セアラ。その『黒い人』って、さっきまでお勉強部屋にいた?」
「……うん。きのうから、ずっとおべんきょうべやにいる……」
「なっ……!」
「じゃ、じゃあ、先生は!? セアラ! ジョアンナ先生はその時、どこにいたの!?」
「しぇんしぇい……おでかけしてた……」
娘の言葉にマリエルとサイラスが同時に息をのむ。
「そ、そんな……じゃあ、セアラには、昨日からずっとジョアンナ先生が『黒くて怖い人』に見えていたってこと!?」
「ジョアンナ先生だけじゃない……。その考えが正しければ、この五年間の君もセアラには『黒くて怖い人』に見えていたということになる。そうか……だからセアラは、生まれた頃から……。あれは君に懐つかなかったんじゃない。『黒くて怖い人』を怖がっていたんだ」
しかしその仮説だと、セアラがマリエルを母親だと認識できないことになる。
「では、なぜセアラは私を母親だと知っていたのですか? セアラには、ずっと私が『黒くてこわい人』に見えていたんですよね?」
「恐らくだが……昨年、私が結婚前に釣書と一緒に受け取った君の姿絵を見せたからだと思う」
「な、なぜそんな状況に……?」
「セアラが『自分には母親がいない』と言い出して……。ちゃんと母親は存在していると教えるために見せたんだ。そういえば……その時、やたらとセアラがその姿絵を気に入って離さなかったので、そのままあげてしまったような……」
当時の記憶を辿りながら語るサイラスにマリエルが白い目を向ける。
「その時、なぜセアラが毛嫌いしている母親の姿絵を気に入ったのか、サイラス様は疑問に思わなかったのですか?」
「姿絵の君は清純そうで愛らしい印象だったので、セアラはケバケバしい君とは別人と認識したんだろうと思い、疑問に思わなかった」
「そう……でしたか……」
本邸の派手で品のないドレスが詰め込まれたクローゼットの中身を思い出したマリエルは言い返せなくなり、ガックリと肩を落とす。
どうやらこの五年間の自分は、かなり毒々しい色味の服を好んで着ていたらしい。
そのことにショックを受けていると、サイラスが話を元に戻してきた。
「だが、これでセアラの言っていた『おでかけ』の意味がわかった気がする。どうやらセアラは、君らの体を乗っ取った何らかの存在を視覚的に認識できるようだ。その際、本来の人格が体の中にいない状態に見えていたので『おでかけしている』という表現をしていたのだろう」
「では、その間の私たちの意識は、いったいどこにあったのでしょうか……」
「セアラの表現がそのままなら、別次元にあったことになるが……。君にその間の記憶がないことを考えると、単純に体の中で昏睡状態になっていたんじゃないか?」
「うーん……そうなのかしら……」
マリエルは、必死に自我を取り戻した時のことを思い出してみた。
だが、目覚めたらいきなり五年も過ぎていたという感覚しかない。
それでもセアラが口にしていた謎の言葉の意味は、なんとなくわかった。
代わりに新たな謎が浮上してしまったが……。
「そもそも、なぜセアラには体が乗っ取られた人間が黒く見えるのでしょうか……」
「それは私にもわからない……。ただ幼い子供は感受性が強いため、不思議な存在を見やすいという話を聞いたことがある。例えば……天使や妖精、霊体などの――」
すると、会話の途中で部屋の扉がノックされる。
「失礼いたします。ルグレ男爵をお連れいたしました」
サイラスが入室許可をすると、青白い顔色の四十代前後の男性がオネストに促され、部屋に入ってきた。
そして三人の前までくると、ガバリと深く頭を下げる。
「こ、この度は、妻がお嬢様に対して精神的苦痛を与えるような非道な指導方法をおこなってしまい、大変申し訳ございませんでした!!」
よく見ると、男爵は小刻みに震えていた。
だがそれは妻に対する怒りというよりも、信じがたい状況に衝撃を受けているという様子であった。
同じような気持ちを経験したマリエルには、男爵の辛さが痛いほど伝わってくる。
「どうか頭を上げてください……。実はその件で、他言無用を前提にお話ししたいことがございます。お約束していだだけますでしょうか?」
「は、はい……」
そう言ってサイラスは、テレーズとオネスト以外の使用人を全て下らせた。
一方、男爵は怒りをぶつけてこないサイラスに驚きの表情を向けている。
「実は今回の奥様の行動についてですが――――」
そう切り出したサイラスは、今回ジョアンナの奇行が何者かによって体を乗っ取られていた可能性があることと、実際に妻のマリエルも同じような状況に五年間も陥っていたことを説明した。
そんな非現実的な話を聞かされた男爵は、はじめは唖然とした様子で言葉を失っていたが、徐々にその話を受け入れだす。
「妻が何者かに体を乗っ取られていたという話は、大変信じがたいお話です。ですが……ここ一週間の妻の豹変ぶりを考えると、信じずにはいられません……」
「豹変?」
「はい。実は……一週間ほど前から妻の服装の好みや、使用人に対する態度が急変しまして。これまで強い香水は仕事に差し障るからと控えていたのに突然使いだしたり、長年仕えてくれているメイドに当たり散らしたりと、人が変わったような状態に……。その為、二回目の授業は辞退するよう提案したのですが、まったく聞き入れなくて……」
「なるほど。ちなみに奥様の変化には、いつ気づかれましたか?」
「一回目の指導を終えて戻ってきた日とその翌日までは、いつも通りでした。ですがその翌日、急に朝食に難癖をつけはじめて……今思うと、その時から様子がおかしくなっていたと思います」
その話にマリエルは既視感を覚える。
男爵の話だと、ジョアンナもマリエルと同じように一晩寝て、翌朝目覚めた時には何者かに体を乗っ取られていたのだろう。
そうなると、怪しいのは自宅に戻ってからの二日間に絞られる。
すると、サイラスも同じ考えに至ったようだ。
「では、帰宅してからの二日間で、なにか変わったことはありませんでしたか? 例えば……誰かが奥様を訪ねてきたとか」
「来客に関しては、妻は仕事の関係上、多々あることなので、なんとも……」
「そうですか……」
「ですが先週、妻の教え子だった伯爵家のご令嬢が来訪されてましたね」
「その令嬢の名前は、わかりますか?」
「確か……キルティン伯爵家のご令嬢だったかと」
男爵の返答にサイラスの動きが止まる。
「サイラス様? ご存じの方ですか?」
「ああ……。というか君もよく知っている令嬢だ」
「えっ?」
「カレン・キルティン。彼女は夫人の教え子だったのか……」
「あのカレンですか!? ま、まさか……解雇されるように仕向けた私を恨んで……」
「いや、それは五年前に君が体を乗っ取られていることを考えると、時系列的におかしい。もしそうなら、君は五年前から彼女に恨まれていないと。心当たりは?」
「まったくないです……。そもそも五年前はカレンと接点がありませんでした」
「そうだろうな。君らは性格的にも相性が悪そうだし」
ならば、なぜサイラスはカレンの名前に反応したのだろうか。
マリエルが不思議に思っていると、サイラスがその理由を口にする。
「だが、ここで気になるのは、君が正気を取り戻した一週間後にカレンが侯爵邸を出ていることだ」
「それが、なにか問題でも?」
「体の乗っ取り方法が錬金術など呪術的方法だった場合、あまり関係ない。だが、もし人から人へ憑依して体を乗っ取るケースだったら、どうだ?」
サイラスのその仮説にマリエルが大きく目を見開く。
「まさか……私に五年間憑依していた存在は、次にカレンに憑依して侯爵邸を出ていったということですか!?」
「わからないが……可能性の一つとしては考えられる」
サイラスの仮説にマリエルだけでなく男爵も唖然とする。
「では人の体を乗っ取るその謎の存在は、侯爵夫人からキルティン伯爵家のご令嬢に乗り移り、その後、私の妻に……? い、一体何のために!?」
「それもわかりません……。ですがその存在は、なぜか夫人に憑りついた状態でこの侯爵邸に戻ってきたかったようです」
サイラスの考察にマリエルと男爵は言葉を失う。
だが、そんな沈黙が漂う中で再び扉がノックされた。
「旦那様! ルグレ夫人が目を覚まされました!」
オネストの報告で三人の間に緊張感が走った。





