28.母、乱入
翌日マリエルが娘とともに自室で朝食をとっていると、サイラスがやってきた。
「セアラ、おはよう」
「あっ、おとしゃま! おはようごじゃます!」
「セアラは昨日、お母様と一緒におやすみしたのかな?」
そう問われたセアラが、シュンとした反応を見せる。
「おやくそくやぶって、ごめんしゃい……」
「そのお約束、少し変えようか。今度からお父様がいいよって言った日は、セアラもここでおやすみしてもいいってことにしよう」
「いいの?」
「うん。でもお父様がいいよって言った日だけだよ」
「うん!」
セアラが元気よく返事をすると、サイラスがその頭を優しく撫でた。
だが、すぐにマリエルに視線を向ける。
「それと……お父様はちょっとお母様と大事なお話しがしたいんだ。セアラは一人で朝ごはんを食べられるかな?」
「おかしゃま、つれてっちゃうの……?」
「セアラが朝ごはんを食べ終わる頃には、お母様は戻ってくるよ。それまで少しだけお父様に貸してくれないかな?」
「わかった……。シェアラ、フェニとごはん食べてまってる……」
「うん。セアラはいい子だね」
そう言って、マリエルに部屋を出るように目配せしてきたので夫の後に続く。
だが部屋を出たと同時に、すぐにサイラスが昨日のことを聞いてきた。
「マリエル……昨日なにがあった? テレーズの話ではセアラが逃げ込むように君のところに泊りたがったと聞いたが……」
「それが私にもよくわからないのです。ただ昨日のジョアンナ先生の授業で使われた教材がセアラの苦手なものだったらしくて……」
「セアラの苦手な教材? そんなものあるのか?」
「わかりません……。ですが、一つだけ心当たりがあります。『女神リーベ』の絵本です」
すると、サイラスの動きが止まる。
「もしやサイラス様もセアラがあの絵本を嫌っていることを知っていたのですか?」
「ああ。あの子が三歳の時に読み聞かせようと初めて買ったのが、あの絵本だ。しかし表紙を目にしただけで火がついたように泣き出すので、すぐにここの地下書庫にしまい込んでしまった……。だが、なぜ君がそれを?」
「実は私もあの絵本をセアラに読み聞かせようとしたんです。ですが、かなり嫌がられまして……」
「なるほど。それで知っているのか。だが、ルグレ夫人があの絵本を教材に使うとは思えない。実は事前に彼女へ渡した資料には、セアラがあの絵本を毛嫌いしていることを記載してある。もちろん、教材として使用しないでほしいことも」
「でしたら、あの絵本が原因ではありませんね……。ちなみにジョアンナ先生は今、お部屋にいらっしゃいますか?」
「それが……昨日は日付が変わる直前に戻られて、今日は朝早くから出かけたらしい。警備の者と庭師が目にしていた」
まるでこちらの追及を避けるようなジョアンナの動きにマリエルが不審感を抱く。
「では、今日のセアラの授業前にお話しを伺うしかありませんね……。本日は私がセアラを勉強部屋につれていってもよろしいですか?」
「ああ、かまわない。一応、使用人たちには夫人が戻り次第、私に報告するよう指示しているので、その時は君にも声をかけよう。話をする際は私も同席する」
「かしこまりました。それまでセアラは別邸でお預かりいたしますね」
「頼む。もし何かあればすぐに声をかけてくれ」
そう言ってサイラスは足早に本邸へと戻っていった。
恐らく仕事を午前中に片づけ、午後をジョアンナと話す時間に回したいのだろう。
どうやらサイラスの中でもジョアンナに対する疑念が生まれているようだ。
そんな両親から心配されているセアラだが、現在はニコニコ顔でフェニアと朝食を取っており、昨日のことなどすっかり忘れ去っている様子だ。
そのことからセアラは、ジョアンナのことを恐れているわけではなさそうだ。
不審な動きをしているように見えるジョアンナも、直前で教材を変更してくれる気遣いを見せてくれているので、セアラに危害を加えるつもりはないと思われる。
そう楽観視していたマリエルだが、 それはセアラの勉強時間がやってくると一変する。
テレーズの迎えを目にした一瞬、セアラの表情が暗くなったのだ。
「セアラお嬢様、お勉強の時間でございます」
「うん……」
「セアラ、今日はお母様も一緒にお勉強部屋までお見送りするわね」
「おかしゃまもきてくれるの?」
「うん。ジョアンナ先生とも少しお話ししたいし」
「おかしゃま、いっしょ……だから、だいじょうぶ!」
「セアラ? なにが大丈夫なの?」
「ないしょ! おかしゃま、おてて、つないでくれる?」
「うん」
娘の小さな手をとったマリエルは、テレーズに案内されながらジョアンナが待つ勉強部屋へと向かう。
だが、本邸に足を踏み入れた瞬間、セアラがギュッとマリエルの手を握ってきた。
そんな娘の反応から、マリエルはジョアンナのもとへ送り届けることに罪悪感を抱きはじめる。部屋に到着すると更に罪悪感が膨れ上がり、本当にこの扉をノックしてもいいのか迷った。
だが意を決して扉を叩くと、初対面時と変わらない穏やかな雰囲気をまとったジョアンナが出てくる。
「セアラお嬢様、お待ちしておりました。本日は奥様もお見送りを?」
「ええ。実は少し先生にお伺いしたいことがありまして」
「もしや昨日、お嬢様がお勉強中に泣きだしてしまった件でしょうか……」
「はい。娘からは昨日、文字の勉強をされたと聞いたのですが、その時にどんな教材を使ったのか少々気になりまして」
「どんなと言われましても……子供向けの絵本を数冊、文字の書き取り練習用の教材として使っただけなのですが……」
「その中に『女神リーベ』の絵本はありませんでしたか?」
その瞬間、繋いでいたセアラの小さな手がビクリと反応する。
「いえ……。その絵本はいただいた資料に教材として使用禁止と書かれていたので使ってはおりません」
だが、ジョアンナの返答にセアラは、さらに強くマリエルの手を握ってきた。
それを『怯え』と読み取ったマリエルは、あることを決意する。
「そうでしたか……。ちなみに本日の授業を見学することは可能でしょうか?」
「申し訳ございません……。親御様がいらっしゃるとお子様は授業に集中できなくなってしまうので、ご遠慮いただいております」
「わかりました。もし今後、見学可能な授業の予定があればお声がけください」
「はい。あの……そろそろお嬢様をお預かりしてもよろしいでしょうか」
「ええ、もちろん」
そう答えたマリエルはしゃがみこみ、救いを求めるような表情の娘と向き合う。
そしてその頬を優しく両手で包み込み、自分の額をくっつけた。
「セアラ、今日もお勉強、頑張れる?」
「うん……。シェアラ、がんばる……」
「いい子。あと少しだけだから……頑張ろうね」
すると、セアラが不思議そうな表情を向けてきた。
そんな娘にニッコリと笑みを返したマリエルは、今度はジョアンナへと向き直る。
「それでは先生、娘のことをよろしくお願いいたします」
「かしこまりました。さぁ、お嬢様、中へどうぞ」
自分のほうをチラチラと振り返りながら部屋に入っていくセアラにマリエルは、激励を送るように小さく手を振る。
だが、セアラが部屋に入ると扉は無情にもパタンと閉じられた。
それを確認したマリエルは、普段よりも少し明るい声でテレーズに声をかける。
「私たちも別邸に戻りましょうか!」
「は、はい……」
そう言って少し足早に勉強部屋を後にしたマリエルだが、通路を曲がった瞬間、くるりとテレーズに向き直る。
「テレーズ……今すぐオネストにマスターキーをここに持ってこさせて」
「えっ?」
「先ほどのセアラの反応からだと、昨日から勉強に使われてる教材は『女神リーベ』の絵本で間違いないわ」
「で、ですが、先ほどジョアンナ先生は使用していないと……」
「先生がどういうつもりで、その教材を使っているかはわからないけれど……これは明らかに雇用契約違反よ。でもそれを証明できなければ言い逃れをされてしまうから、私が部屋に乗り込んで確かめるわ」
「か、かしこまりました!」
マリエルの指示ですぐに動いたテレーズは、二分ほどでオネストを連れて戻ってきた。
「奥様、お待たせいたしました! こちらがマスターキーでございます」
「ありがとう。テレーズ、あなたはこの後すぐにサイラス様に報告を。オネストは私が部屋に突入した際、万が一ジョアンナ先生が逃げ出そうとしたら取り押さえて」
「「かしこまりました」」
テレーズがサイラスのもとへ向かうと、マリエルたちは足音を殺しながら勉強部屋へ近づく。その扉にマリエルは、オネストから受け取ったマスターキーをさしこみ、ゆっくり回してそっと引き抜いた。
そしてドアノブを静かに回し、勢いよく扉を開けて部屋の中に突入する。
「セアラ!!」
そこには教鞭を片手にセアラの前で仁王立ちするジョアンナと、泣きながら女神リーベの絵本を書き写しているセアラの姿があった。





