27.笑顔が一変
ジョアンナがセアラの教育係を担当し始めてから一週間が経った。
雇ってからの三カ月間はお試しということで、毎週三日間だけ侯爵邸に泊まり込みでセアラの指導をおこない、一週間後にまたやってくるジョアンナは、現在でも王妃から城内で定期的に開催されるマナー教室の講師を依頼されることがあるらしい。
その多忙な状況で、よくセアラの教育係を引き受けてくれたなと思ったマリエルだが、それも三大侯爵家という立場が可能にしたのだろう。
改めて自身がとんでもない家に嫁いでいることを実感する。
そしてそのジョアンナの指導を受けているセアラだが、たった三回の授業で完全に彼女に懐いていた。
ジョアンナは先週の三日間で『お姫様ごっこ』と称してセアラに美しいカーテシーを伝授しており、セアラはそれを毎日のように周囲に披露している。
どうやら上手くできるようになったことが、かなり嬉しいらしい。
一日に何度も披露してくるのでサイラスはお腹いっぱいの様子だが、別邸組のマリエルとフェニアは違った。
四歳になったばかりの少女が、おすまし顔でおこなうカーテシーの愛らしさに毎回心打ち抜かれ、つい何度も催促してしまっていたのだ。
それがサイラスを疲弊させる原因とも知らずに。
そんな今日のセアラは、一週間ぶりにやってくるジョアンナを別邸のマリエルたちのもとで心待ちにしていた。
「ジョアしぇんしぇいね、次はおしめさまのあるき方おしえてくれるって!」
「まぁ! そうしたらセアラは、ますますお姫様みたいになってしまうわね」
「シェアラ、おしめさまみたいにキラキラになる!」
力強く宣言する娘の様子についマリエルの口元が緩んでしまう。
そもそもセアラは、親のひいき目を抜きにしても見た目だけで十分お姫様なのだ。
サイラス譲りのプラチナブロンドの髪と整った顔立ち、マリエル譲りの淡い水色の瞳は、周囲からも天使と囁かれるほどの美少女っぷりである。
「フェニ……。やっぱり私の娘、天使だわ……」
「ええ……本当に。お小さい頃の奥様を思い出します……」
「何を言っているの? セアラの奇跡のような美少女っぷりはサイラス様譲りよ?」
「ですが、少しおバカなことを口にされる愛らしいところは、完全に奥様譲りでございます」
「…………」
どうやらセアラは外見はサイラス似だが、内面はマリエルに似ているようだ。
マリエルの幼少期を知るフェニアの言葉なだけに重みがある。
そんなメイドの感想でマリエルが複雑な気持ちになっていると、扉がノックされた。
「失礼いたします。先ほどジョアンナ先生がお見えになりました」
「ジョアしぇんしぇい、きたー!」
「ふふ! じゃあ、セアラ。お勉強頑張ってきてね」
「うん! シェアラ、たのしみー! おかしゃま、またねー」
テレーズに手を引かれながら、ニコニコ顔で部屋を出ていく娘にマリエルは少しだけ寂しさを感じる。
「ジョアンナ先生は、すっかりセアラの心を射止めてしまったわね……」
「奥様、もしややきもちでしょうか?」
「そうね。少し複雑な気持ちにはなるわね……。でもセアラの中で大好きな人が増えることは良いことだから、喜ばないといけないわね!」
「ご安心ください。奥様はセアラお嬢様にとって一二を争うほどの大好きな人かと思われますので」
「あら私、誰と一二を争っているの?」
「そうですねー……、やはり旦那様とでしょうか?」
「それは強敵だわ。気合いを入れないと!」
そんな会話をしながら、このあと昼食を済ませたマリエルは、義父の書庫にあった地図を広げ、メディウム侯爵領内の農地を確認していた。
すると、お茶を淹れてきてくれたフェニアが不思議そうな顔で質問してくる。
「奥様? 何をなさっているのですか?」
「そろそろ私も侯爵夫人としての務めを開始したほうがいいと思って……。ジョアンナ先生が来てくださったことで、私にも少し時間ができるでしょう? この機会に今まで放置していた領内の農地へ豊穣の祈りを捧げに周ろうと思っているの」
「ですが、お嬢……奥様は豊穣の祈りがあまり得意ではなかったはずでは?」
「そうなのよね……。特に実家のクラージュ家の土地とは相性が悪くて、フリーデお義姉様と比べると私の祈りは半分くらいしか効果がでなかったのよね……」
「豊穣の祈りは土との相性で違いが出てしまうのですか?」
「ええ。相性がいいと祈りを捧げる時に地脈が読みやすくて、力を効率よく流せるの。でもクラージュ家の地脈は私には読みづらくて……。逆にお義姉様は、とても読みやすいと言っていたわ」
そう言ってマリエルは、先ほど開いたメディウム侯爵領の地図に視線を落とす。
実家のクラージュ家と隣接しているところが一部あるので、そこではマリエルはあまり力になれないだろう。
そこは引き続き義姉に協力してもらうとして、問題なのは不作気味な農地だ。
今までは義姉が応急処置的に対応してくれていたそうだが、こういう土地は一度、集中的に祈りを捧げないと根本的な改善には繋がらない。
義姉はクラージュ領の農地と兼任していたため、これまで対応できなかったのだ。
だが、本来その務めを担うはずだったマリエルなら長期滞在することが可能だ。
特に現在はジョアンナがセアラを見ていてくれるので、マリエルは動きやすい。
あと二週間ほどセアラとジョアンナの様子を見て問題がなさそうだったら、マリエルは領内の不作な農地を視察も兼ね、祈りを捧げるために回るつもりだった。
しかし一ヶ所だけ侯爵邸から往復で二週間近くかかってしまう場所があった。
近々サイラスに豊穣の祈りをおこなうことを申し出るつもりだったが、豊穣の乙女の視点からの土地の特徴や知識がわからない状態ではお話にならない。
本来サイラスの母より教えてもらう内容だったが、引き継ぎを受けることができなかったマリエルは自力で土地について調べるしかないのだ。
せめて一度でいいから視察に行けたら……。
そう思っても往復二週間もかかってしまう農地への視察は、サイラスからもそう簡単には許可が下りないだろう。
先週セアラがジョアンナの指導を受けはじめたことをきっかけに、マリエル自身も侯爵夫人として動きはじめようとしているのだが、知識や経験不足で思うように今後の予定が立てられない状態なのだ。
当初はサイラスとの離縁が無事に成立するまでは、屋敷の体制を立て直すことが目的だったが、それはオネストが動いてくれたことで解決済みである。
ならば領地管理部分で、自分が放棄していた役割を果たしたいとマリエルは奮闘中なのだ。
「うーん、やはり直接その農地を見に行くしかないわね……。もしサイラス様から許可が下りたら、フェニも同行してくれる?」
「ええ、是非お供いたします。ですが、セアラお嬢様は猛反対されるかと思いますよ?」
「そうなのよねー……」
そんな話をしていたら、勉強を終えた様子のセアラがテレーズに手を引かれ、再び別邸に戻ってきた。
だが、少し様子がおかしい。
「セアラ?」
マリエルが呼びかけると、一瞬でセアラの顔がくしゃりと歪む。
「ふわぁぁぁぁぁん! おかしゃまぁぁぁー……」
そして両手を広げ、マリエルを求めるように駆け寄ってきた。
そんな状態を目にしたマリエルは、すぐにしゃがみ込んで娘を受け止める。
「どうしたの? 今日のお勉強、難しかった?」
がっしりと抱きついてきた娘をあやしながら聞くが、セアラは首を振るばかりで何も答えない。
「なにがあったの? お母様にもお話しできないこと?」
「なにもない……。シェアラが……シェアラが悲しいだけなの……」
「なにがそんなに悲しいの?」
「シェアラも……わかんないの……」
グシュグシュ言いながら、かなりの強さでしがみついてくる娘の状態に困り果てたマリエルは、テレーズに目で問う。
だが、テレーズのほうも原因がわからないようで静かに首を振った。
「授業が終わってお迎えに上がったら、すでにこの状態でして……。先生にもお話しを伺ったのですが、授業中にお嬢様が急に泣きだされてから、ずっとこの状態だったそうで先生も困っていらっしゃいました……」
「そうなの……。一体なにがあったのかしら。セアラ、今日は先生からお姫様の歩き方を教えてもらったのでしょう?」
するとセアラは大きく首を振った。
「じゃあ、なんのお勉強をしたの?」
「もじのおべんきょう……」
「文字……? もしかしてセアラは文字のお勉強はきらい?」
「わかんない……。でもシェアラ、もじのおべんきょう、こわかったの……」
「怖い? 文字のお勉強が?」
「うん……」
大分落ち着いてきたのか、スンスン鼻を鳴らす娘の顔をマリエルがのぞき込む。
セアラが言っていることも、なにを怖がっているのかもよくわからない。
だが、その恐怖の原因は文字の勉強で教材として使われたなにかではないかとマリエルは考える。
「セアラ、今日はどんな文字のお勉強をしたの?」
「わかんない……」
「えっ?」
「おぼえてない……。おぼえてても、シェアラいいたくない……」
再びグシュグシュ言い出したセアラの手に目を向けると、酷く震えていた。
これでは聞き出すのは難しい状況である。
「ジョアンナ先生に聞くしかないわね……。テレーズは今日セアラが、どういう教材を使って文字の勉強をしていたか、わかる?」
「申し訳ございません……。いつもお勉強部屋の入口で先生にお嬢様をお願いするので、私は室内には入っていないのです」
「ますますジョアンナ先生でないと状況はわからないわね……。先生は今お部屋にいらっしゃるかしら?」
「それが……今日お嬢様がこんな状態になってしまったので、明日の授業に使われる教材を変更したいと先ほど王立図書館に出かけられました。他にも調べ物もあるそうで、本日は遅くなるから夕食不いらないともおっしゃってまして」
テレーズの話にマリエルが深くため息をつく。
「それじゃあ、今日のことは明日の勉強時間前に確認するしかないわね……。とりえず、このことはテレーズから早急にサイラス様に報告してくれる?」
「かしこまりました」
すると、なにかを察したセアラが再びビタッとマリエルに張りつく。
「セアラ?」
「シェアラ、きょう、ここにおとまりする……。おかしゃまといっしょがいい……」
「どうしたの? 急に甘えたさんになって……」
「ダメぇ? シェアラ、きょう、ここいちゃダメェ?」
再びポロポロと涙をこぼしはじめてしまった娘にマリエルの心も痛む。
「テレーズ、サイラス様には報告と一緒に今日セアラを別邸で預かる許可も取ってもらえる? その際、サイラス様が別邸に様子を見に来られようとすると思うけれど……ご遠慮いただくよう説得もお願い」
「えっ……?」
「もしサイラス様に来ていただいても今のセアラでは答えられないし、どうやら今日のことを聞かれるのが辛いみたいだから……」
「……かしこまりました。おまかせください」
そういってテレーズを下らせたマリエルは、再び娘に向き合い涙を拭ってやる。
「セアラ、今日は特別よ。お夕食はお母様とフェニと一緒に食べましょうね」
「うん……。おかしゃま……きょう、シェアラといっしょにねてくれる?」
「うん。セアラが怖くないようにギュッとしてあげる。だからもう泣かないで?」
「うん!」
安心したのか、やっと笑みを見せてくれた娘の頭をマリエルは優しく撫でる。
だが、なぜセアラがここまで怯えているのか気になって仕方なかった。
それでも明日にならなければ、ジョアンナからは話を聞くことができない。
夕食時にはすっかりいつもの状態に戻ったセアラに安堵しつつも、この日のマリエルには胸騒ぎのような感覚がずっと渦巻いていた。





