26.新しい家庭教師
セアラの誕生日会から一週間後。
この日は、王家から紹介された家庭教師のジョアンナがメディウム侯爵邸へやってくることになっていた。
その為、マリエルはいつも以上に身だしなみに気を使い、できるだけ清楚で上品に見えるドレスと髪型をフェニアとテレーズに相談しながら身支度を終える。
今は男爵夫人であるジョアンナだが、実はマリエルの家のクラージュ家よりも歴史が古い伯爵家の出身である。
そしてジョアンナもマリエルのようにそこそこ強い豊穣の力を持っていたため、自由に婚約相手を選べなかった過去があった。
だが、成人する直前で王家から婚約調整の対象から外されたため、長年想い合っていた今の夫と恋愛結婚をしたことは、マリエルたちの親世代では有名な話らしい。
その夫の男爵家は、マリエルがプリエール工房で出会ったミルドレッドのアバローナ侯爵家の傘下だった。その縁でジョアンナは、ミルドレッドが社交界デビューするまでの三年間の教育係を務めていたそうだ。
サイラスの話では、ミルドレッドもジョアンナと同じ境遇を乗り越えて今の夫と結ばれているので、二人は教師と生徒以上に親しい関係だった可能性もある。
豊穣の乙女たちは、マリエルのように意中の相手がいなければ大人しく王家が婚約相手を決めるのを待っていればよい。
しかしジョアンナやミルドレッドのように意中の相手がいた場合、かなり苦しい時間を王家より強いられるのだ。
それはサイラスのようにリーベの血を引く家を継ぐ嫡男にも言える。
力の強い豊穣の乙女を輩出する家に生まれた場合、それは逃れられない運命として受け入れるしかないのである。
優秀な家庭教師の肩書だけでなく、そんなロマンス話まで持っているジョアンナが娘の教育係としてやってくることをマリエルは密かに楽しみにしていた。
同時にジョアンナを通し、ミルドレッドとの面会に繋げることができないかと期待を抱く。
マリエルは、ずっとミルドレッドが口にした『嫌な気配』が気になっているのだ。
だが彼女の夫からは絶望的に嫌われているため、ジョアンナを介してなんとか話ができないかと考えていた。
そんな期待を胸に抱き、夫と娘とともに本邸の応接室でジョアンナの来訪を待っていると、部屋の扉がノックされる。
「旦那様、ルグレ男爵夫人をお連れいたしました」
「入ってくれ」
オネストの案内で入室してきたのは、淡い薄茶の髪をキッチリ一つにまとめ、凛とした佇まいが目を引く上品な雰囲気の女性だった。
だが、きつい印象は一切ない。
実年齢はすでに四十歳を超えているのだが、どう見ても三十代中半くらいにしか見えず、成人済の息子が二人いるとは思えないほどの若々しい貴婦人だった。
そんな第一印象をマリエルが受けていると、ジョアンナは柔らかい笑みを浮かべながら優雅に淑女の礼を披露してきた。
「ジョアンナ・ルグレと申します。この度は大切なお嬢様の教育係としてお声がけいただき、ありがとうございます。誠心誠意務めさせていただきますので、よろしくお願いいたします」
一瞬で室内の空気を変える優美な動きにマリエルの目がくぎづけになる。
セアラも見入ってしまったようで「ふわぁー」と感嘆の声を上げた。
ジョアンナは座る仕草も優雅で、オネストが勧めた長椅子にフワリと妖精のように腰をおろす。
その様子にまたしてもセアラが「ふわぁー」と歓声を上げる。
そんな娘に苦笑しながら、サイラスはジョアンナに挨拶を返す。
「こちらこそ、この話をお引き受けいただき感謝いたします。この子が娘のセアラで、その隣が妻のマリエルです」
紹介に合わせてマリエルが頭を下げると、それを真似するようにセアラもペコっと頭を下げる。そんな二人にジョアンナは柔らかな笑みを返してくれた。
とてもではないが、わんぱく盛りだった息子二人を育て上げたとは思えないほどの優美な微笑みである。
娘と一緒に見入っていると、夫がさっそく本題を切り出しはじめる。
「夫人は教育者として大変優秀でいらっしゃると王家よりご紹介いただきました。ですが娘には詰め込み教育ではなく、楽しく学べるような教育をお願いしたいのです」
「かしこまりました。セアラお嬢様は先週四歳になられたばかりとお聞きしております。本格的な淑女教育は六歳から開始しても十分間に合いますので、まずは簡単な読み書きと言葉遣いの練習からはじめようと思っておりますが、いかがでしょうか?」
「ええ。是非そちらでお願いいたします。娘はまだ自分の名前を上手く発音できないので、少々心配でして……」
そのことに関しては、マリエルも少し心配していた。
だが、同時に舌ったらずな話し方をする娘が可愛すぎるので、直してまうのは残念と感じる自分もいる。
「ご安心ください。大体のお子さんは、五歳まで上手く発音できない言葉があるものです。お嬢様の場合、一部の言葉の発音がまだ上手くできていないようですが、いただいた資料からは、周囲との会話は年齢以上にしっかりした受け答えをされていると感じました。たくさん人と会話をすることが話す練習になるので、すぐに正しい発音ができるようになりますよ」
「それは良かった……。諸事情で教育係をつけるのが遅かったので、その影響ではと少し責任を感じていたので……」
そう言ってサイラスは、一枚の紙をテーブルの上に出す。
「あらかじめお送りした資料でもお伝えしておりましたが、こちらが雇用契約書になります。まず最初の三カ月間は、夫人に週三日ほど我が家に泊まり込んでいただき、セアラを指導していただくということでよろしいでしょうか?」
「はい」
「ちなみにご滞在いただく部屋は、こちらで用意しておりますのでご安心ください」
「お気遣いいただき、ありがとうございます」
「必要な教材などがあれば、後ろに控えている執事のオネストかメイド長のテレーズにお申し付けください」
「かしこまりました」
「あとは――――」
夫がサクサクと雇用手続きを進めている様子をマリエルが見守っていると、隣に座っているセアラがクイクイと袖を引っ張ってきた。
「セアラ、なぁに? どうしたの?」
「あのおきゃくしゃん、すごくきれいな動きなの!」
「そうね。あの人はジョアンナ先生。これからセアラにマナーやお勉強など色々なことを教えてくださる先生よ」
すると、セアラが傍目でもわかりやすいくらいの勢いでビクリと体を強張らせた。
「ジョナンナしぇんしぇい……もしシェアラがおべんきょうまちがえたら、シェアラのおてて……パチンする……?」
セアラのその言葉で室内の空気が一瞬で凍りついた。
「だ、大丈夫よ!? ジョアンナ先生はそんなこと絶対にしないから!」
「ほんと……?」
「うん! 本当! それに先生はセアラが楽しくお勉強できるように教えてくれるって! だからセアラは、お勉強が大好きになっちゃうかもしれないわよー?」
「おべんきょうなのに、たのしいの? おかしゃまもおべんきょう、すき?」
「えっ!? ええーと……」
無自覚で反撃をしてきた娘にマリエルが返答を詰まらせる。
すると夫から白い目の視線が飛んできた。
「そこは母親として『好き』って答えるべきじゃないのか……?」
「そ、そうなのですが……。正直に申しますと、幼少期の私は勉強よりも外を駆けまわるほうが好きな子供でして。う、嘘はよくないなーと……」
「だろうな。今の君からはそういう印象を受ける」
「…………」
夫にとどめを刺されたマリエルが押し黙る。
だが、ジョアンナだけは深刻な表情を浮かべていた。
「大変失礼な確認になりますが、今のお嬢様の発言はどういう意味でしょうか……。確か前任の方は体調不良のため、二週間足らずで辞めてしまったと伺っておりますが、まさかお嬢様はその際に過剰な指導をされていたのですか?」
ジョアンナの質問内容にマリエルの心がキュッと締めつけられる。
自分の意志ではなかったにしろ、前任者がセアラに過剰な指導をしたのは、マリエルがそうするように脅迫まがいに指示したからだ。
マリエルが返答に焦っていると、すぐにサイラスが対応してくれた。
「前任のコーウェル夫人の責任ではありません。私たちの指導方法の依頼の仕方が悪く、夫人はかなり厳しく指導しなくてはと思い詰めてしまったようです。体調不良もそのことが原因なので、夫人には大変申し訳ないことをしてしまいました……」
「そうでしたか……。確かにこの仕事は、ご両親の要望に対してお子様の能力値を見極めることが大変難しいです。その結果、指導に熱が入りすぎてしまう方もいらっしゃいます……」
伏し目がちでそう語ったジョアンナだが、すぐに二人へ真っ直ぐな目を向けてきた。
「そうならないためにも是非、お嬢様がどういった性格なのか確認させていただきたいです。つきましては今からお嬢様との交流を開始したいのですが、よろしいでしょうか?」
「こちらとしては構いませんが……。本日はまず屋敷内の案内や、ご滞在いただくお部屋の確認と荷物整理などをしていただければと思っておりました。あなたのほうは、それらを後回しにされてしまって大丈夫ですか?」
「はい。荷物は少ないので問題ございません。それとお屋敷の案内ですが――」
そう言いながらジョアンナは急に立ち上がり、セアラの前までやってきて目線を合わせるようにかがみ込む。
「是非、セアラお嬢様にしていただきたいです」
「シェアラが?」
「はい。この中で一番お部屋をたくさん知っているのは、お嬢様ではありませんか?」
「うん! シェアラね、毎日わるい人いないか、みままりしてるから、おへやいっぱい知ってるよ!」
「まぁ! ではこのお屋敷はセアラお嬢様に守られているのですね!」
「そうなのー。シェアラ、みんなをまもってるのー」
これまでのセアラは午前中の八時から九時までは時間が空いていたので、よく本邸内をウロウロしていたのだが、どうやらそれは見回りだったらしい。
ジョアンナに誇らしげな様子で語る娘にマリエルとサイラスが噴き出しかける。
すると、ジョアンナは笑いを堪えているマリエルに視線を向けてきた。
「よろしければ奥様もわたくしとご一緒にセアラお嬢様のご案内にお付き合いいただけませんか?」
「えっ……? 私も?」
「そういえば君には本邸内をしっかり案内していなかったな。折角だから君もセアラの案内を受けたらどうだ?」
「おかしゃまも一緒!?」
「う、うん。じゃあ、お母様もお願いしようかな」
「シェアラ、せきにんじゅうだい……。がんばる!」
どこでそんな言葉を覚えたのかわからないが、気張った顔をして張り切りだす娘に思わず笑みがこぼれてしまう。
「それではセアラお嬢様、今からご案内をお願いできますか?」
「うん! シェアラにおまかせあれ!」
こうしてこの日は、ジョアンナとともにセアラのお屋敷案内でマリエルの一日は終わる。
セアラが案内する先は、使用頻度が高い場所もあれば、なぜそこを案内したのかわからない場所もたくさんあった。
だがジョアンナは到着する度にその場所の説明をセアラに敢えてさせていた。
人見知りをするようなタイプではないセアラだが、説明をする度にジョアンナが過剰に褒めちぎるので、気をよくしたのか途中から『ジョアしぇんしぇ』と呼び出すほど懐いていた。
そんな子供の心を掴むのが上手いジョアンナの手腕に母であるマリエルも良い先生がついてくれたと安堵していた。





