23.絵本と贈り物
家族三人で初めて外出をしてから六日後。
マリエルは、フェニアと一緒に作ったドライフルーツを練り込んだパウンドケーキと、プリエール工房に注文していた蝶のモチーフのカチューシャを準備して、セアラが訪れるのを待っていた。
すると、昼食を終えたセアラは、レスリーとともにやってくる。
「おかしゃま! あそぼー!」
「今日はなにして遊ぶ?」
「きょうはねー、おかしゃまにご本よんでほしいのー」
そういってセアラは、いつも背負っているレースつきの巾着バックをゴソゴソしはじめる。
だが、いつも締まり口から顔出しているクマのアベルの姿はなかった。
どうやら今日のアベルはセアラの部屋でお留守番をしているらしい。
ちなみにこの巾着バックはメイド長のテレーズのお手製だそうだ。
マリエルも裁縫はそこそこできるので、今度作り方を教えてもらえることになっている。
「あのね、このご本がいいのー」
「どれどれ?」
娘が手渡してきた絵本のタイトルを目にしたマリエルは一瞬、動きを止めた。
タイトルは『黒の魔女と聖女』。
表紙は可愛らしいタッチの絵柄ではあるが、長い黒髪に真っ黒なドレスをきた魔女のような女性と、お姫様のような服を着た銀髪の少女の絵が描かれている。
「ええと……これがいいの?」
「うん!」
「で、でもこのおはなし、セアラにはちょっと早いんじゃないかなー?」
セアラが持ってきた『黒の魔女と聖女』は、触れるだけで作物を枯らしてしまう魔女を聖なる力を持つ少女が退治するというお話だ。
だが、この物語は豊穣の女神の化身だったリーベに起こった悲劇のその後を語った伝承をベースに作られたものである。
マリエルが読み聞かせるをためらったのは、その部分が大きかった。
豊穣の女神が『リーベ』という名で信仰されるきっかけとなった伝承は、作物を急成長させる少女の出現と、その少女が王太子の子を身ごもった状態で王太子に思いを寄せていた女性に殺されてしまう衝撃的な展開が注目されやすい。
この『黒の魔女と聖女』の絵本は、リーベを殺した女性のその後が語られている伝承を元に作られた物語なのだ。
その伝承では、女神の化身を殺したその女性は神の怒りで人ではなくなり、触れたもの全てから生命力を奪う存在になってしまう。
王族殺しで処刑された彼女だが、すでに人でないため肉体が朽ちても死ねない存在となり、霊体となって様々な生物から生命力を奪うことで、失った肉体を復活させていた。
そんな彼女は、いつしか『死の魔女』と呼ばれ、忌み嫌われる存在となる。
周囲から拒絶され、死ぬこともすらできない孤独な状況に絶望した彼女は、この世界を憎み、作物を枯らしはじめた。
その影響で農作物が育たたなくなり、飢饉に苦しむ国民のために立ち上がったのが成長したリーベの娘だった。
リーベの娘は、母親より譲り受けた豊穣の力で死の魔女に生命力を過剰に注ぎ込み、その肉体を破壊することで魔女を封印したと言われている。
あくまでも八百年前に王家に残っていた記録から派生した伝承なので、作り話である可能性が高い。
歴史学者の間でも、セグレート国内で何百年かに一度の周期で必ずやってくる危機的な凶作の原因として、この死の魔女の伝承は作られたのではないかという説も出ている。
だが、凶作の年は前代未聞の強大な力をもった豊穣の乙女が生まれることが多かったので、昔は信じてしまう人も多かったのだろう。
この『黒の魔女と聖女』は、リーベの化身である少女を殺した女性の暴走と、それを終息させたリーベの娘の伝承を子供向けの物語にしたお話なのだ。
しかも昔は『死の魔女と聖女』というタイトルで出版されていた問題作でもある。
親の立場としては、王族殺しをやった女性がモデルの絵本を子供に読み聞かせるのは、やや抵抗がある。
マリエルもその一人で、サイラスの父の書庫から見つけた他の絵本に興味をもたせようと棚から一冊取り出す。
「セ、セアラには、こっちのご本のほうがいいんじゃないかな~」
そんなマリエルが選んだ絵本は『黒の魔女と聖女』と対になっている『女神リーベ』の絵本だ。
この絵本の話は、女神リーベの信仰がきっかけとなった伝承がもとになっており、作物を急成長させる少女のお陰で国が豊作になり、王太子と結ばれるという幸せな展開で締めくくられている。
成長後に本当のリーベの伝承を知って衝撃を受ける子供も多いのだが、このセグレート国では子供たちが最初に手にする定番の絵本でもあった。
なによりも絵本版ではハッピーエンドで終了しているので、女の子には特に支持されている。
きっとセアラも気に入るだろう。
そう思って、マリエルが絵本を開こうとした瞬間――――。
「いやぁぁぁぁぁー!!」
セアラは一瞬でマリエルの手から絵本を奪い、部屋の隅に放り投げた。
「セ、セアラ!? いきなりどうしたの!?」
「シェアラ……あのご本きらいなの……。とっても、とってもこわいお話だから……」
「こ、怖いお話?」
確かにその後の話は悲惨だが、絵本では『王子様と幸せに暮らしました』で締めくくられているので、怖い要素など一切ない。
だが、あまりにもセアラが怯えているので絵本を回収しているレスリーに目で意見を求めてみると、レスリーは静かに首を振った。
「私はこの絵本をお嬢様に一度も読み聞かせたことはございません。もちろん、他の使用人もです。お嬢様自身もこのお話は、ご存じないはずなのですが、なぜかとても毛嫌いされていて……。私たちもずっと不思議なのです」
「そ、そうなの? どうしてそんなに……」
ふと娘に目をやると、瞳に涙を浮かべるほどの拒絶を見せていた。
「ごめんね……。お母様、セアラがこのご本が嫌いなのを知らなかったの……」
「ううっ……お、おかしゃまー……」
両手を広げると、吸い込まれるようにセアラが涙をこぼしながら抱きついてきた。
なぜここまで毛嫌いしているのかはわからないが、とりあえず目につく場所に置いておくのは良くない。
そう思ったマリエルはレスリーから絵本を受け取り、棚にしまおうとしているフェニアに声をかける。
「フェニ、悪いのだけどその絵本、今すぐ地下の書庫にしまってもらえる?」
「かしこまりました!」
セアラの拒絶ぶりに同情的になったのか、フェニアは絵本の表紙が見えないように抱え、小走りで部屋を出ていった。
「ほら、セアラ。フェニがあの怖いご本を遠くに持っていってくれたから、もう大丈夫よ」
「うん……」
鼻をスンスンいわせている娘の背中を宥めるようにマリエルが撫でる。
そんなセアラは、小さな手でギュッとマリエルの服を掴みながら抱きついていた。
「もう泣かないで? お母様ね、今日はセアラに素敵な贈り物を用意しているの。でもセアラが悲しいお顔をしてたら贈り物を渡せないわ……」
「すてきな贈り物!?」
つい先程までシクシクと涙を流していたセアラだったが、『贈り物』という言葉によって一瞬で復活する。
「シェアラ、もう泣いてないよ! 贈り物わたせるよ!」
「ふふっ! 本当だわ! じゃあ、お母様、セアラに贈り物渡そうかな?」
ゆっくり立ち上がったマリエルは、部屋の目立たない場所に置かれたリボンのかかった平べったい白い箱を手に取る。
「わぁ~! ピンクのおリボンついてる~!」
「はい、セアラ! 一日早いけれど……四歳のお誕生日おめでとう!」
そう言ってピンクのリボンがかかった白い箱をさし出すと、セアラはキョトンとした表情を浮かべた。
「シェアラのおたんじょうび、明日なの」
「うん。そうね。でもお母様は一日早くセアラをお祝いしたかったの」
「なんでぇー?」
「えっ?」
「なんで、あしたお祝いじゃダメなの?」
「ええと……」
すんなりと受け取ってくれると思っていたマリエルは、予想外の反応に戸惑う。
明日のセアラの誕生日会は本邸の使用人たちが全員参加し、賑やかにおこなわれる。
そこに厄介者のマリエルが現れたら、彼らは伸び伸びとセアラを祝えなくなる。
そもそもマリエルは、その誕生日会には呼ばれていないのだ。
それを告げたら、セアラは参加してくれと泣き出してしまうだろう。
娘の誕生日はできるだけ大勢の人間に楽しく祝ってもらいたい。
そう思っているマリエルは、なんとか誤魔化そうと言い訳をはじめる。
「お母様ね、どうしても他の人より先にセアラにお誕生日の贈り物をしたかったの!」
「ほかの人~?」
「うん。明日だと、他の人が先にセアラに贈り物をあげちゃうかもしれないでしょう? だからズルをして今日贈り物を渡しちゃおっかなって思ったの!」
「え~? おかしゃま、ズルしちゃうの~? いけないんだよ~」
そう口にするセアラだが、かなり嬉しそうな様子を見せる。
「だってセアラに一番におめでとうって言いたかったんだもの……。今日だけは特別にお母様がズルするのを許してほしいなー」
「もぉ~。しょーがないなぁー。シェアラ、今日だけおかしゃまのズル、ゆるしてあげる!」
「ありがとう」
「これ、あけてもいーい?」
「うん」
セアラはマリエルの許可とほぼ同時にピンクのリボンをシュルリとほどき、箱の蓋を開けた。
次の瞬間、目をキラキラと輝かせる。
「これ、ブリしゃんのところのおしめさまがするやつ! おかしゃま、すごい! どうしてシェアラの欲しいもの、わかったの!?」
「さぁ、どうしてでしょう?」
「シェアラ、これ、すぐつけたい! つけていい?」
「うん。いいよー」
セアラが大はしゃぎで今つけているカチューシャを外し、マリエルが贈った蝶のカチューシャにつけ替える。
ちなみに『ブリしゃん』というのは、プリエール工房のオーナーのブリジットのことのようだ。
「おかしゃま! シェアラ、かわいーい?」
「うん! とってもかわいい! すごく似合ってる!」
「シェアラ、おしめさまみたい?」
「うん! 今日のセアラはお姫様!」
そう言ってレスリーが手渡してきた鏡でセアラの顔を映してやる。
「わぁー! シェアラ、ほんとうにおしめさまになってる! すごーい!」
「気に入った?」
「うん! シェアラ、明日これつけておたんじょう会するー!」
大喜びする娘の様子に安堵したマリエルだが、明日祝うことができないことには少しだけ寂しさを感じてしまう。
それでもこんなにも喜んでくれた。
それが今日見られたのだから満足しよう。
そう自分に言い聞かせたマリエルは、書庫から戻ってきたフェニアにパウンドケーキを出すように指示する。
すると、レスリーが自主的にお茶の用意をはじめてくれた。
フェニアが切り分けたパウンドケーキは、イチゴと生クリームを添えられ、お茶とともにテーブルの上に並べられる。
「ケーキなのー! イチゴとクリームもあるのー!」
「大きなケーキは明日たくさん食べられるから、今日はお母様とフェニが作ったこの小さなケーキでお祝いしましょうね」
「うん! おかしゃま! たべてもいい?」
「はい。めしあがれー」
「いたらきます!」
美味しそうにケーキを頬張る娘の様子にマリエルの口元が緩む。
だが、ふとレスリーに目をやると、なぜか切り分ける前のパウンドケーキを凝視していた。
「レスリーも良かったら、食べ――」
「是非、いただきます!」
食い入るように返事を返してきた感情の乏しいメイドは、どうやら甘い物に目がないらしい。
レスリーの新たな一面を知ったマリエルは、苦笑しながら自身も席に着く。
一日早いとはいえ、娘の四歳の誕生日を祝えたことにこの日のマリエルは満足していた。
しかし翌日、この誕生祝いがまったく意味をなさなかったことをマリエルは思い知る。
そんなことを知らないマリエルは、メイド二名を交えて娘とともにパウンドケーキを堪能した。





