22.空白の五年間
「アバローナ侯爵夫人が、そんなことを……?」
マリエルが帰りの馬車でミルドレッドとのやりとりを話すと、サイラスが驚きの声を上げた。
「すまない……。また君が彼女と揉めていると思い、引き止めを邪魔してしまった」
「お気になさらないでください。ミルドレッド様もご主人に呼ばれていたので、どちらにしろ引き止めることはできなかったと思います。ご主人が呼ばれた理由は、サイラス様と同じだと思いますから……」
「…………」
恐らくミルドレッドの夫は、また自分の妻がマリエルに攻撃されていると思ったのだろう。
容易にその状況が想像できてしまった二人は押し黙る。
ちなみにセアラへの贈り物は、すでに手配済みてある。
最終的にパールと蝶のカチューシャ以上にセアラの関心を引いた物がなかったので、マリエルはこの商品で蝶の羽部分をブルートパーズに変更してもらうように依頼した。
仕上がりに三日ほどかかるが、完成次第すぐにメディウム邸に届けられることになっている。
その贈り物の受け取り人であるセアラは、体力切れを起こしてマリエルの膝の上でぐっすり眠っていた。
そんな娘の寝顔を眺めていると、再びサイラスが口を開く。
「だが、夫人が口にしていた『嫌な気配』というのは、どういう意味なんだ?」
「わかりません……。ですが、私の顔をジッと見られてからおっしゃっていました」
「一度、彼女を屋敷に招待し、詳しく話を聞いてみるか?」
「それは三カ月前に私がどのような非礼をミルドレッド様にしたかによります……」
「あー……あのことかぁー。聞かないほうがいいと思うが……」
「是非、教えてください!」
「聞いたら傷つくと分かっているのに、なぜ聞きたがるんだ……」
話すことを渋る夫にマリエルは、ジッと目で訴え催促する。
すると、深いため息とともにサイラスが折れた。
「三カ月前、ある子爵家の夜会で私は夫人に会ったんだ。その際、君の彼女に対する非礼を詫びていたんだが、君も個人的にその夜会に参加していて……。私たちが会話している姿を見るなり、夫人に『この泥棒猫!』と罵声を浴びせたんだ……」
「なっ……!」
「夫人とご亭主の馴れ初めは純愛話として社交界では有名だ。それなのに君は、彼女が私と会話をしていただけで略奪者扱いしたんだ」
「な、なんてことを……」
「しかもその時、彼女のご亭主も隣にいた。あれで彼の中の君の印象は地に落ちただろうな……」
「そ、そんなぁ……」
マリエルが半泣き状態で嘆くと、サイラスが憐憫の眼差しを向けてきた。
「この五年間、アバローナ侯爵夫人に限らず、君はなぜか銀髪の女性に酷く突っかかっていた。だが銀髪の女性は、女神リーべの血を濃く受け継ぐ爵位が高い家の出身だ。君が彼女たちとトラブルを起こす度に私は、その謝罪でかなり疲弊させられた……」
「も、申し訳ございません……」
「だが、先ほど夫人は、君の顔をジッと見て『これが本来のマリエル様』と言ったのだろう? それはこの五年間の君が、本来の君ではなかったという意味にもとれる」
「本来の自分じゃない私……」
「これはあまりにも突飛した考え方だが……もしかして君はこの五年間、その『嫌な気配』に体を支配されていたんじゃないのか?」
サイラスのその推察にマリエルがあることを思い出す。
「あ、あの! 実は義姉のフリーデからも同じことを言われまして!」
「フリーデ殿? 君は……確か兄上とはまだ和解できていないのではなかったか?」
「はい……。兄とはまだ絶縁に近い状態です……。ですが、義姉とはこの間、少し話ができまして……。その際、私が豹変してからある違和感があって、ずっと私を心配していたと言われました」
「ある違和感?」
「義姉の話では、この五年間はまるで私の中に別の人間が入っているように見えていたそうです」
「別の人間……」
「その違和感の正体を確かめるため五年前の義姉は、私に悪魔祓いを受けさせ、数名の霊媒師にも相談したそうです。ですが、どちらも異常はないという結果でした」
「霊現象でも呪いの類でもないのか……」
「その後、義姉は心の病気の可能性を考えたそうですが、専門医に診せる前に私が嫁いでしまって……」
「妊娠が発覚後、君にはすぐにうちに来てもらったんだ。だが、もし心疾患が原因であれば、とっくにグレードル先生が気づいている。彼は見習い時代は王宮医師候補の一人で、私の祖父が早々にうちに引き抜くほどの優秀な名医だ。精神疾患などの病にも精通している」
「では、一体この五年間の私は、どういう状態だったのでしょうか……」
この五年間、マリエルの中身が別人だったという可能性は非常に高いのだが、その経緯や原因が不可解すぎるのだ。
すると、サイラスがポツリとある言葉を呟く。
「『おでかけ』」
「えっ……?」
「セアラが言っていただろう。君はずっと『おでかけ』していたが、やっと『帰ってきた』と。この五年間、君は誰かと体の中身が入れ替わっていたんじゃないのか?」
「それだと……呪術的な要因になるので悪魔祓いの時に判明するのでは?」
「呪術というよりも錬金術的な要因になるんじゃないか? 呪いとは違うから聖職者ではわからない」
「なる、ほど……」
「ただここで疑問になってくるのは、その入れ替わりをおこなった人物の動機だ。なぜ入れ替わる相手を君にしたんだ? もし君に対する嫌がらせだったとしても五年は長すぎる。仮にずっと入れ替わったままでいるつもりなら、周囲から反感を買うような行動はする必要などなかっただろう?」
「た、確かに」
どうやらサイラスの中では、この五年間のマリエルの体には別の人間が入っていたという仮説が最もしっくりくるらしい。
「君は記憶を失う前の状態から失った状態になった時、どんな感覚だったんだ?」
「そうですね……たった一日眠っただけで、一気に五年も時間が経ってしまったような感覚です」
「眠っている間にいきなり切り替わった感覚なのか……」
「はい……。なので、仮に誰かと体が入れ替わっていたとしても、入れ替わり先での記憶は持っていません」
「そうか……」
考えれば考えるほど非現実的な仮説しか立てられない状況に二人は頭を悩ませる。
「とりあえず、この件に関しては考えても簡単には答えは出ないだろう……。それよりも、もしこの五年間の君が、誰かに体を乗っ取られていたという仮説が正しければ、君も被害者ということになる……。原因の追求よりも、まずは君の名誉を回復させることを優先すべきだな」
「名誉回復……できますかね……。かなり絶望的な状況なのですが……」
この世の終わりのような顔でマリエルが問うと、なぜかサイラスが苦笑した。
「そうでもないんじゃないか? 私が知る限り、君はその絶望的な状況の中で最低六人は自分の味方にしているじゃないか」
「えっと、六人も……?」
「邸内ではテレーズ、レスリー、オネスト。クラムもだな。あと先ほど対応してくれたプリエール工房のオーナーも君のセアラに対する接し方を見て、別れ際には好意的な雰囲気になっていただろう?」
「そ、そうでしょうか……」
確かにレスリーはカレンの一件以来、マリエルに対して警戒心を解いてくれたのか、少しだけ感情を露わにしてくれるようになった。
テレーズとオネストは、マリエルが記憶を失った直後からずっと気遣ってくれている。
クラムも朝食事件以降、試作品のデザートを携え別邸にやってくるようになった。
ブリジットに関しては、いつの間にかマリエルに対して柔らかい対応になっており、帰り際など次回いつ来店するかの予定まで確認された。
だが、サイラスが挙げた名前は五名。あと一人足りない。
「あの……先ほど六人とおっしゃっていましたが、あと一人は一体……」
すると、サイラスがやや気恥ずかしそうな笑み浮かべる。
「あと一人は……私だ」
その瞬間、マリエルは自分の中で重くのしかかっていた何かが、スッと外れたような感覚を受ける。
それは今のサイラスの言葉で、ずっと抱えていた罪悪感から解放された瞬間だった。
しかしマリエルは、その解放を素直に受け入れることができなかった。
たとえ誰かに体を乗っ取られていたとしても、自分は婚約期間中にサイラスの尊厳を踏みにじるようなことをした。
意識が奪われていたとしてもマリエルが加害者であることは変わらないのだ。
そんな自分が罪悪感から解放されることは許されないのではないか。
いくらサイラスが許すと言ってくれても、マリエルは自分を許すことなど出来そうにない。
そんな考えから、簡単に許しに甘んじようとする自分の存在をマリエルは頭の中から追いやる。
すると思わず腕に力が入ってしまったようで、膝上で抱きかかえていたセアラが起きてしまった。
だが、先ほどまで眠っていたはずのセアラは、目覚めの第一声で意外なことを口にする。
「シェアラは……? シェアラのおなまえ、ないよ……?」
眠そうに目をこすりながら自分の名前がないことを抗議してきた娘にマリエルたちは苦笑する。
どうやら夢うつつの状態ながらも、先ほどの二人の会話を聞いていたようだ。
「そうだね。セアラもいるから、お母様の味方は全部で七人だ」
「シェアラも……おかしゃまの『みかた』なのー……」
再び眠りに落ちていった娘は、恐らく言葉の意味をわからずに口にしたのだろう。
そうだと分かっていても、マリエルには何百倍も頼もしい言葉に感じられた。





